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序 ―2

「よっ、妖怪!?」

 16年生きてきて、そんなものにお目にかかったことはない。双葉はうろたえつつも、薄い引きつった笑みを浮かべる。

 目の前のこの少年は、何を言っているのだろうか? 頭のネジがゆるんでいるのか? それとも、元々頭が弱いとか。

 うかがうように見ていると、彼は笑みを崩さずに続けた。

「ええ。目に見えない存在も、目に見える存在も、人に害を成すならば退治する……それが僕たちの会社の方針なんです」

「そ、そんなこと信じろっていうの?」

「いいえ。実際、思い込みで依頼してくる方もいらっしゃいますし、お仕事でなければ積極的に関わりませんから」

 随分とはっきり言う。

 仕事と割り切っているのがなんともいえない。

「依頼者の心を救い、守るのが妖撃社のモットーというやつですね」

「は?」

「日本でいうところの、宗教のようなものですか」

「……違うんじゃない?」

「おや、鋭い」

 くすりと笑われて、双葉は頭に血がのぼる。なんなのだ、この子供は!

「馬鹿にしてるの?」

「いいえ。僕はなんとも思っていませんよ。言動があなたを苛立たせたのなら、申し訳ないですけど」

「…………妖怪なんて、いるわけないわ」

「あなたがそう思うのなら、そうなのでしょう」

 それでは理屈が合わない。双葉の疑問にクゥは小さく笑い声をたてた。

「可愛い人ですね、あなたは。真っ直ぐなところは、シンに似ているかな」

「話を逸らさないで」

「そういうつもりではなかったのですが。

 先程も言いましたが、僕たちは依頼者の立場でものを考えます。ですから、あなたが見えないものを信じないというのなら、そうだとしか言いようがないのですよ」

「……つまり、相手の思考に合わせるってこと?」

「そうなります。僕たちはお金をもらっていますから、そこはきちんとしているんですよ」

「嘘。さっき思い込みの依頼も受けるとか言ってなかった?」

「おやおや。よく聞いていらっしゃいましたね。そうですよ」

「それじゃ、詐欺と同じじゃない」

「心の安寧を守るのが、僕たちの仕事です。正当な報酬だと思いますよ」

 なにが心の安寧だ。騙していることと変わらないじゃないか。

 双葉は胡散臭い会社にうんざりした。そこへ、先程出て行ったシンが戻って来た。

「ただいまー」

「おかえりなさい、シン。どうでしたか?」

「逃げられた」

「珍しいですね。あなたが逃がすなんて」

「うーん。すばしっこくてさ。蓬莱剣が当たらなかったんだよね」

 妙な会話を繰り広げるので、双葉の眉間の皺が深くなっていく。

 シンは双葉を見遣り、じっと見つめてくる。あまりにも凝視されるので、双葉のほうが耐えられなくなって口を開いた。

「な、なによ?」

「……フタバ、最近なにかおかしなことなかった?」

「はあ? あなたも、妖怪は実在するとかおかしなことを言うの?」

「え? 存在するよ?」

 きょとんとするシンはクゥに目配せするが、クゥは助ける気がないのかにこにこと微笑んでいるだけだ。

「馬鹿馬鹿しい! 存在するわけないじゃない! そんな架空の存在が」

「え? え? で、でも……いるんだよ? フタバは信じないの?」

「どうやって信じろというのよ!」

「あっと……えと、ど、どうしようかな……」

 困ったように微笑するシンは、クゥをちらちらと見ていたが、助け舟がないとわかるや嘆息した。

「いいよ。じゃあフタバに見えるようにしてあげる」

 ぶわっ、と風が押し寄せた。刹那、シンの手に先程見た大剣が握られていた。重さなど感じないようなシンの持ち方に、双葉は怪訝になる。

 それに……彼女の雰囲気が変わっている。先程と表情など変わらないというのに、この、胸を圧迫するような気持ちは……?

 目眩がするほどに匂うのは色香だろうか……。彼女は確かに美人ではあるが、無邪気な様子からそんなものは微塵も感じていなかったのに。

「コレが蓬莱剣。あたしの武器」

「ほ、ほうらいけん……?」

 手品?

 困惑する双葉に彼女が近づき、顔を寄せてくる。

「……あー、やばい。発情しちゃいそう……」

 ぺろりと己の唇を舐め、シンが目を細めた。ぐらり、と双葉の意識が霞む。

「してるでしょう、いつも。

 シン、蓬莱剣を納めてください。フタバさんを誘惑するんじゃありませんよ。それに、あなたももたないでしょう?」

 意味ありげに呟かれた言葉を聞き、シンが動きを止めてクゥのほうを見遣る。冷ややかな視線を向けた彼女は舌打ちして身を引き、持っていた剣を消した。

 途端、また雰囲気ががらりと変わる。濃厚な香りが一瞬で吹き飛び、元のすっきりとした細身の娘が目の前に立っていた。

 今のは幻?

(私、昼から白昼夢なんて……)

 唖然とする双葉は、シンの手元を覗き込むようにして凝視する。だがそこには何もない。

「幻ではありませんし、先程のシンも、シン自身です。彼女は、蓬莱剣という妖魔に取り憑かれているんです」

「剣に? え?」

「彼女の血脈にだけ根付いている妖魔なんです。大昔に、シンの先祖が契約したんでしょうね。

 それゆえ、シンは年中発情していて、僕としては困りものです」

 肩をすくめるクゥにシンはむっとして顔をしかめた。

「べっ、べつに年中発情してないもん!」

「してるでしょう? 蓬莱剣に侵食され続けているんですから、ひどくなる一方です。

 お酒の力で忘れようとしているのも、バレバレですから」

「むぅ~! 酒好きはべつに関係ない!」

「いえ。ビールを飲んでいないと気分が昂ぶって暴走するから、ないと困っているのは知ってますから」

 さらりと言われてシンは悔しそうに顔を歪める。どうやら図星のようだ。

 会話がよくわからなくて、またも双葉は二人を見比べる羽目になった。

 視線に気づいてクゥが微笑む。

「説明したように、シンには、シンの血脈で生き続ける妖魔を飼っている状態なんです。

 ソイツは、自分が生き残るために、取り憑いている宿主を、色狂いに陥らせるんですよ」

「いっ、色狂いって……」

「あなたも迫られたじゃありませんか。まぁ……女性に対してはあまり効果はありませんけど、近くに寄ればくらりとしたでしょう?

 男性など、たまったものではありませんよ。欲情する香りがずっとシンから漂っているみたいなものですからね」

 目眩がした理由が判明し、双葉は信じられないという表情でシンを見遣る。彼女は困ったように肩を落とし、視線を伏せていた。

 うっすらと頬が赤いので、恥ずかしがっているのだろう。確かに恥ずかしい内容だ。

 双葉は今の出来事を反芻する。理解しがたい現象だ。目に見えないところから剣を取り出した。剣は確かにどこか異国風だったような気がする。両刃だったし。

 それになんというか禍々しかったのも事実なのだ。シンの色香とやらに意識が持っていかれそうになったが、剣が持つ雰囲気を双葉は覚えている。

 たとえ、だ。たとえ今のを「手品」としてすべてを否定してハイオシマイにしてしまうのは簡単だ。放り出すのはすごく簡単で、無責任なのだから。

 突っ立って拳を握り締めている双葉を見かねて、シンがソファに腰掛けるようにすすめる。双葉はどうするかを考えた。ソファに座れば承諾したも同意になるからだ。だから目の前のクゥは座るようには勧めないのだ。やはりただものではない。

「あら、ドアが壊れていますね」

 のん気な声がさらにする。ドアの様子をうかがいながら現れたのはメイドだ。正真正銘のメイドだった。英国スタイルの古風な、肩までの金髪の美少女はきちんとヘッドキャップもしている。

 あからさまに……この状況から浮いていた。

 両手に持っているビニール袋にはお菓子がわんさかと入っていて、先ほどシンが言っていた歓迎会のことだと双葉は察しがついた。ということは、このメイド少女もこの会社の人間なのだ。

 目を見開いて硬直している双葉に気づき、彼女は柔らかく微笑む。

「お初にお目にかかります、芦原双葉様。アンヌ=ヴァンと申します」

「あ、葦原双葉です」

 挨拶には挨拶を。当たり前のことなので、双葉は軽く頭をさげて応じると、アンヌはいたく気に入ったようで荷物を適当な場所へ置くと近寄ってきた。

「お写真で見るよりも可愛らしくて、感激です」

「は、はぁ……」

 異様だ。いくらなんでもこの光景は異様だろう。

 革張りのソファに座らされた女子高生を、メイド、陽気な外国人少女と、妖艶な美少年が囲んでじろじろと見ているのだ。気味が悪すぎる。

 断ろう。

 触らぬ神に祟りなし、だ。

 余計なことに首を突っ込むと碌なことにならないのはこのメンツを見れば明らかなのだから。

 断りの言葉を口にしようとした瞬間、室内の電話が鳴った。素早くメイドが受話器をとる。

「はい、こちら妖撃社日本支部」

 そういえばこの奇妙な三人の中ではこのメイドが一番流暢に日本語を話していることに、双葉はいま気づいた。

 彼女は何度か小さく頷きながら、電話機の近くにあるメモ用紙にすらすらと何かを記していく。同時にすぐ横のFAXからも発信音がして何かが吐き出されるように出てくる。

 FAXのほうはクゥが受け取るようにして目を通してる。受話器が置かれたので、電話は終わったのだろう。

「依頼です」

 その一言で、場の空気がピンを張り詰めた。

 シンが真剣な表情になって身を乗り出す。

「内容は!」

「最近、女子高生を狙った通り魔事件が起こっていました。テリトリーはクゥの持っているFAXに記されています」

「では分断して待つか、囮を使うかですね」

 クゥが難しい顔をしている。彼は素早く携帯電話を取り出し、何かを検索している。

「アンヌ、急いでるんでしょ! てことは、襲われてるってことじゃないの!」

 シンがさらに身を乗り出す。

 アンヌは頷く。すぐさまシンが身を翻して壊れたドアから風のように飛び出していく。

 わけがわからない双葉を一瞥し、それからクゥがのろのろと同じように出て行ってしまった。

 残されたアンヌを複雑な瞳で見遣ると、彼女はにっこりと微笑んだ。

「あ、あなたは行かなくていいの?」

「シンが行ったならばそれほど時間はかからないでしょうし、双葉お嬢様を襲おうとされた犯人でしょうから」

 え、と思って壊れたドアのほうを見る。

 アンヌは腰を浮かしかけた双葉に座るように促し、衝立の向こうに消えたかと思ったら素早く紅茶を淹れたティーカップを手に持って再び姿を現れた。

「アールグレイにしてみましたが、お口に合うとよいのですけど」

「そ、そうじゃなくて! さっきの、依頼って。襲われてるって?」

「緊急コールです。依頼主からの直接の電話です。一応、うちは会社なので広告とか載っているので……いたずらも多いですがこうした『本物』もありますから」

「でもおかしいわ。なぜFAXが?」

「最近の携帯電話は便利にできておりますから、それを逆に利用させていただいております」

 GPSかと双葉が顔をしかめる。その位置情報を自動的に送ってくるという仕組みなのだろう。

「お砂糖はいりますか?」

「いらないわ」

 双葉はすぐさま拒絶し、それから数秒悩んで尋ねた。

「……正直に言うわ。私は妖怪とかそういうの信じてないの。でも、『いる』としなければ話は進まないわね」

「そうですわね」

「それで……今の依頼? だけど……どういう内容なの?」

「お嬢様は、古来から存在している妖怪なども人間同様に進化していること、新種なども発見されていることをご存知でしょうか?」

「いいえ」

「ひとの知らないそのような世界も進化は続いております。今回、お嬢様を狙われたのはわざとでございましょうね」

 アンヌは目を細めた。温和な印象を受ける彼女だが、表情が消えると恐ろしく感じた。だがすぐにいつもの笑みに戻る。

「ひと以外の存在にとっては、我々のような退治屋は邪魔にしかなりませんわ。お嬢様のことも、どこかから情報が洩れたのでしょう。危険を冒してまでここまで来たのですから」

 ――――危険?



 まだ昼にもなっていないというのにビル街は静かで、また、ビルの多さのせいで陰になる部分が多く、小道も多い。

 そんなところに妖撃社の日本支部は居を構えていた。

 やれるかもしれないと思った。日本支部である二階建てのビルには結界もなく、危機感らしきものは一切感じられなかったせいもある。

 道を走っていくフードをかぶったパーカーにジーンズの男は、背後からぐんぐん迫ってくる恐怖に、その圧倒的存在感に生命の危機を感じていた。

 追いつけるわけがない。

 それほどの距離を稼いだというのに。

 一直線に、道を間違うことなく敵は追ってくる。

 青年が追っていたはずの女子高生はもう標的から外した。自分の命のほうが大事だからだ。

「ひっ、……はあ、はあっ」

 荒い呼吸をすることなどなかったはずなのに。まるで人間になったような気分だ。脆弱で、ただの……。

 振り向いたのは偶然だった。角を曲がったその姿が、視界に入った。

 黒いコートを羽織った若い娘だった。本来ならば、あの年頃の娘ならば捕まえて脳をすすってやるというのに。

 そんなことすら想像すらできない。あるのは圧倒的な「死」。

 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ。

 爛々と目を輝かせているポニーテイルの娘は右手に大きな両刃の剣を持っている。それこそが力の源であろうことはわかるが、何かが異様だった。

 男は足を止めた。意識が、正常に保てない。剣ではない。剣を持つあの女に視線がどうしてもいってしまう。

 抱きたい、と思った。あの女が欲しいと欲情してしまった。

 二秒と経っていない。

 その間にすべての決着はついた。男の首は刎ね飛ばされ、血が飛び散った。左右の壁にも、床にも。

 瞬時にシンの剣が消え失せた。そして震えて突っ立っていた胴体を眺めてから蹴倒した。

 この死体を放置するわけにはいかない。

「えと」

 呟きながらシンがもたもたしながら辺りをうろつくと、上のほうからくすくすと笑い声が聞こえた。クゥだ。小柄な彼は器用に糸を使ってシンのところまで降りてくる。

「考えなしに携帯電話を持っていかないからですよ」

「ぐっ」

 馬鹿にされていることがわかるだけに、シンは唇をへの字口にしている。そもそもあのような小道具を持って動くのをシンは苦手としている。

 本部から直に正式な機器が届くが、それまでは支給された携帯電話などで対応するしかないのだ。

 クゥは携帯電話を取り出して、どこかへかけている。

「ええ、場所は今の僕の場所で。実体化している妖魔なので、周辺にも汚れが……はい、清掃と、この区域一帯の立ち入り禁止をお願いします」

 一通り要請をした彼は、しょぼんと肩を落としているシンに、わざと呆れたように大きく発されてますますシンが縮こまる。

「依頼人のほうはマモルが保護したみたいですね」

「そういえば、あいつ! ビール買ってきてって言ったのに逃げた……」

「……ですが初日からフタバさんが狙われるなんて……もう明らかに作為的としか思えないんですけど」

「さく、さくい、て、?」

「シンは難しい日本語は使わなくてもいいですから。

 ……でも効果はありましたね。フタバさんは妖魔の存在を一欠けらも信じていなかったところに、このタイミングで妖魔が『現れた』。……出来すぎですよね」



「つまりは、以後は私も狙われる対象になるっていうこと?」

「お嬢様は賢い方でいらっしゃいますね」

 兄と繋がりがある以上、双葉も無関係とは言えない……ということだろう。

 断るのは得策ではない。ハメられた気もしないでもないが、双葉は少し俯いてからアンヌを見上げた。

「わかったわ。代理を引き受ける。一時的によ」

 アンヌは嬉しそうに両手を合わせる。

「まあ! とても頼もしいですわ!」

「……言っておくけど、私はただの高校一年生なのよ。そのヨウマとかよくわからないこととか、経営のことはわからないわ」

「そこをサポートするのがわたくしのお役目でございます」

「なるほど。私はただのお人形さんてわけ」

 嫌味のつもりで言ったのに、アンヌはくすりと小さく微笑んだ。

「お嬢様はそれほど従順なタイプではございませんでしょう? 部長から、お嬢様の性格はよく聞いておりますよ」

 舌打ちしたい気分だった。

 一度引き受けた以上はやり遂げねば気がすまない性格の双葉のことを、この女は知ってるのだ。

 よくわからない稼業の、部長の代理人……。先行きは不安だらけだ。双葉はカップを持ち、紅茶を一口飲んだ。ムカつくことに美味しかった。

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