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肆 ―2

「おやおや、極東の退治屋などたいしたことがない」

 からからと笑いながら、転がっている未星の首へと近づく。周囲のビルによって陰になっているその場所で、そう、立ったままの未星の胴体は。

 ぐずりと消えた。

「随分な言われようだ」

 淡々と未星の声が響く。その声に、男は転がっている首から視線を外した。あったはずの胴体が消えている。ではまさか。

「あけすけな罠にかかるほど、うちの一族は易しくないんでね」

 首すらも漆黒に染まって消える。では肝心の未星はどこにいるのかと男は慌てて周囲を見回した。

「だがおまえも、周到だ」

 地面の影から腕が伸びる。その腕が足首を掴んだ。

 刹那、そこにいた男の姿も消えてしまう。残された腕は何かを思案するように動き、それからもう片方の腕を地上に出した。

 両手を地面について、ぐいっと体すべてを地上に出した。そう、未星は影の中に身を潜めていたのだ。

 彼女は地面にしっかりと足をつくと、そのすらりと整った体型の腰に片手を当てて、目を細める。

(わたしから逃げられると思っているとは、図々しい輩だ)

 滅してやろうかと思うが、やめた。未星はあの『課題』をクリアしなければならない。そして気になることが、ある。

 背後のホテルのあの異質さには覚えがあったのだ。似たような気配ではあるが、一緒ではない。では『なに』なのか。

 今は、いいだろう。

 見逃してやろう。

 だがきっと。

(『おまえ』もまた、葦原双葉に逢いに来たのだろう……?)

 問いかけには誰も応えないが、未星だけは知っている。知らないふりをすることを条件として、妖撃社へ来ることを当主に許可してもらったのだ。誰にも気取られてはならない。そう、日本支部の、誰にもだ。



 ピンと張った糸があるとする。蜘蛛の糸のように、獲物を待ち構えるものではなく、誰かと誰かを繋ぐ糸。

 その糸を手繰り寄せた先に、極東の地があり、そこに行けばいいと本能的に感じた。

 だが目的の周囲には悪しき番人たちが待ち受けていたのだ。異形の者ども。人間社会からはじき出された者たち。

 ああそうだ。だって「彼女」は何もかも受け入れてしまうから。

 どんな存在だって。

 だから。

 嗚呼。


 足元に血溜まりができていく。「彼女」から流れる、命。そしてもう、取り返しはつかない。



「よお、おはよう」

 と、言うのも。

「おかしな話か? バケモノ」

 瞼を開いた先に居たのは、彼女、ではない。確かに見目は良い。まるで黒い薔薇だと思えるほどに。

 ベッドの上に横たわっていた彼は瞬時に部屋全体にあった結界が破壊され、別のものに作り変えられていることに気づいた。

 深い深い井戸の底のような漆黒の瞳に視線を戻す。ああ、自分は、捕まってしまった。

 この女は気づかれないように蜘蛛の糸を張っていたのだ。それに自分はまんまと引っかかってしまった。

「……なぜ、この場所が」

「おまえの足首を掴んだからな」

 どうやらそれだけで居場所まで見つけられてしまったようだ。恐れ入る。

 もはや人間ではないだろう。この女は。

 あの妖撃社に一番居てはならない異物はこの女だ。

 視線を動かす。なぜなら、体が動かないからだ。それもおそらくこの女の仕業だろう。

「まあいい」

 まあいいだろう。

「愛しの小鳥に逢えるなら」

「生きておまえを葦原双葉に会わせるとでも思っているのか?」

 その言葉に、彼はぎょっとするしかない。驚きに目を瞠り、未星を見つめる。深い、深い……深遠の見えない井戸の底の瞳。

 ――――コロサレル。

 突然息苦しさを覚えた。彼女の殺気が圧迫している、部屋全体を。

「この国ではおまえたちを『妖魔』と言う。おまえたちが我々を『人間』として括るようにな。

 そしてわたしは」

 いや、

「わたしの一族は、おまえたちが死ぬほど嫌いだ」

 わかりやすいようにわざと未星は言っている。表情は動かない。彼女の心が動かない。凪のままだ。

「自ら喋らずとも、我が一族でおまえの計画などすべて、そうすべて、見通すことができる」

 恐怖を感じたのは初めてだった。彼を脅かす人間などこの世にいないと思い込んでいたから。

「だが喋ると言うなら、『いじらなくていいから』助かる。さあ、選べ」

 おまえには選ぶしかないと、断じられている。

 いうしか、ない。

「めいじ、られたのもある……」

 掠れた声で、圧迫感に耐えながら言う。

「だが、逢いたくて」

「そうか」

 それだけだった。

 未星の呟きと同時に、彼は細切れになった。ベッドの上が肉片と血で、あっという間に占められる。未星は「おっと」と呟き、目玉を拾い上げた。両方の。

「封じて持っていってやる。まあおまえの意識はもはやないが、葦原双葉を『見れば』いい」

 そのまなこで。

 未星はいつの間にか右手に漆黒のナイフを持っていた。それで切り刻んだのだ、一瞬のうちに。

「獏に近い能力があったか……どうりで見つけるのに手間取った」

 様々な人間の夢の繋がりを通り、そして日本支部の近くに居た人間を一瞬だけ乗っ取ってバラを贈っていたのだろう。

 だから未星はやつの痕跡を追った。そして辿り着いた。用心深く己の領域を作る妖魔は確かに知恵があるが、浅はかだと思う。それ以上の力を持つ者には貧弱なものだからだ。壊されて当然だからだ。

 破壊して、新たに結界を作り、眠っているやつの夢を『覗き込んだ』。

 うん、やはり。

(こいつはいらないな)

 そう判断した。

 こいつは葦原双葉にゆめを抱いていた。そう、だから「だめ」なのだ。

 日本支部の連中には秘密ではあるが、未星はある命令を当主にされている。それを守るために、この妖魔はここで排除対象となった。

 夢を抱いてはいけない。

 希望を見出してはいけない。

 だからここで壊すことを選んだ。生きて捕まえろとは言われていない。見つけろと言われただけだ。間違ってはいない。

 未星はちろりと背後を見遣る。いつの間にか結界の中に入られている。

 ゆらりと陽炎のように揺れるソレは、そこから動かない。推し量っているようだ、力の差を。

(黒幕がいる)

 だがそれがなんだというのだ。関係ない。

 すたすたと未星はベランダに近づき、窓を全開にしてそこから飛び降りた。



 ほれ、と未星がことんと双葉の机の上に何かを置いた。

「…………?」

 不思議そうにする双葉は、それをじっと見る。透明な樹液か何かでかちんこちんに固められた中に、二つの石がある。なんだか不思議な色をしていた。

「これは?」

「おまえの言っていた張本人の目玉だ」

 めだま?

 双葉は未星から視線を石に戻す。どう見ても、目玉には見えない。

「ああ、目玉のほうがいいか? 一応配慮、というのを考えておまえには石にしか見えないようにしているんだが」

 え、と思って双葉が顔をあげる。未星の背後、事務室のドアが開いてアンヌが戻ってきてまず悲鳴をあげた。

 その悲鳴を聞いて、一旦は自室に引き上げていた他のメンバーも事務室に来て、双葉の机の上のものを見て絶句、絶叫、気絶だった。

「ちなみに、おまえ以外には普通に目玉に見えている」

 未星の言葉に双葉が眉をひそめた。

「目を奪ってきたの?」

「いや、殺した」

「ころし、た?」

「ああ。正当防衛だ」

 嘘は言っていない。未星は確かに襲われたし、その報復をした……というシナリオで間違っていないはずだ。

「もうおまえにバラは贈られてこない。あれは求愛行為だったようだ」

 ちがう。だが間違ってもいない。

「わたしを殺そうとしたから、応戦した。証拠を持ってきたが、すぐに処分するから安心しろ」

 未星はそれをすぐに手の中に戻し、無表情でじっと見てくる。

 今の双葉ならどう思うだろう? 何も感じないはずだ。

 確信があった。

「なにも殺すことはないとは思うけど、正当防衛なら仕方ないわね。でもなんで回りくどいというか、やっぱりヨーカイとかって、なんか思考が変わってるのね」

 そうだ。

(それでいい、葦原双葉。おまえはおそらく)

 すでに、今も。

 狙われている。不用意な発言をすれば、間違いなく敵はおまえをすぐにでも。

(殺そうとするだろう)

 きっとそう。

 『その時』は…………近い。

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