肆 ―1
「紅色、ですか」
クゥは刺さっていたバラを色々な角度から見つめて、うーんと唸る。
「色としてそもそも僕は霊力を認識しませんからねぇ」
「ちゃんとしてよクゥ! これ以上あの極寒女に負けるわけにはいかないんだぞー!」
「いや、べつに勝負してないでしょうよそこは」
半眼でシンを見遣るクゥだったが、正直なところバラにまったく異変は見られない。
マモルも腕組みをする。
「クゥの目でもわからないんだ……困ったな」
一瞬だけ沈黙にそこが支配された。三人は三人とも、こめかみに青筋を浮かべている。
「しっかし初めて喋りましたけど、あのヤギリミホシさん? ムカつきますねぇ」
「だろ? だろだろ?? ほんっとあの極寒女、すっごいむっかむかするよな~」
「二人と意見が合うとか珍しいよね」
再びまたしーん、としてしまう。それから三人はアハハと小さく笑う。なんという渇いた笑いだろうか。
双葉としてはなんだかよくわからないが、あの三人が珍しく仲がよいように見えた。声が小さくて聞こえないが、なんだか……団結している?
(チームとしてはいいことなんだろうけど、なんなのかしら……三人とも不機嫌そうね)
頬杖をつきつつ、書類に視線を戻す双葉は先ほどの未星の視界を思い出す。最初は良かったのだ、彼女の視界は普通だった。いや、普通とは言い難いけれど。
しかし彼女はおそらくわざと「自分」の視界を双葉に見せた。彼女は広範囲を見ている。それはおそらく彼女の実力が相当あるという証明をしたのだろう。
(試したのに、完全にここにいる誰よりも強いっていう証明を彼女はしたわ。おそらくシンやクゥやマモル、得意ジャンルは違うけど、そのどれも凌駕してみせるっていう自信を見せ付けられた)
さすがと言うべきだろうか。
彼女の一族は、双葉にとってはよくわからないけれども……有名らしい。彼女はそこの当主から妖撃社に来るように言われてきたらしい。こちらからも打診はしていたのだろうが、彼女の一族もこちらと同じ稼業だからまさか一人「貸して」もらえるとは思っていなかった。
未星の契約内容に含まれている内容を思い出し、溜息が出そうになる。元々個人プレー主義の一族らしいし、なかなかに難しいことだと思う。
事務室に未星が戻ってくると、三人が一斉になんだか黒い空気を発したのが見えたような気がするのは……間違いだと思いたい。
音もなく歩いてくることに双葉は初めて気づいた。
(未星さんは、足音がしないわね)
姿を見せているから存在感があると思えるが、なんだか陽炎のような人物だ。いるのに、いない。
「少し頭を冷やした。改めて、張本人を」
言いかけて、彼女は言葉をとめる。ギラっと彼女はクゥが手に持っているバラを見遣った。まるで蛇のような視線だった。
「……葦原双葉、あのバラはなんだ?」
声が震えている。
あの、未星が動揺している。
双葉は怪訝そうにしつつ、「最近毎日いつの間にかきてて」と困った声で説明している最中にずんずんと三人のほうへ歩いていく。びくっとして一歩引いたのはマモルだけで、クゥもシンも未星を睨んだままだ。
未星は指を向けた。バラを指差す。
それだけの動作だった。瞬間、クゥがハッとして手を離した。
バラが一瞬で枯れてしまう。未星が何かをしたのだろう。
「このバラがきたのは、何回目だ」
「え? そ、そうね……6回くらいかしら」
双葉の机の上にある手紙に未星の視線が動く。
「それは?」
「え?」
未星はまたもつかつかと近づいてくると、手紙を取り上げて目を通す。その彼女の瞳が恐ろしく怖い。
みえて、いる。
彼女にはなにかが、みえている。
ここにいる誰にも見えなかった何かが。
ぐしゃ、と片手で握りつぶしてから未星は瞼を閉じた。そして深呼吸をする。その様子を全員が見守るしかない。
彼女はそっと両手を軽く合わせた。合掌だが、音はしない。だがそこから波紋のようなものが発されたのだ。双葉はまったく感じはしなかったが、「うわっ」と悲鳴をあげて転がるシンと、足を踏ん張っているクゥ、マモルはソファにしがみついている。
未星が瞼をカッと開いて、人差し指を双葉の斜め後ろに向けた。刹那だ。ぶわっ、と双葉の髪が揺れた。風が吹いたわけでもないのに。
「……これでそのバラは、来ない……と思う」
未星が無表情ながらも苦々しい声で言う。
わけがわからない双葉が首を傾げつつ尋ねる。
「なにか、あった?」
「おまえの後ろに綻びができていた。この建物自体はある種の結界作用があるのだが、ところどころ綻びがある。そこから、バラをここに入れていたと思える」
「けっかい?」
そうなの? と双葉が三人を見るが、クゥ以外は理解不能とばかりにきょとーんとしている。
「ほんの小さな綻びがあるのはわざとだろう。完全に『閉じて』しまうとここにいる全員、葦原双葉以外はこの建物に入れなくなる。『壊さない限り』は」
だが。
「おまえの後ろの綻びは、意図的に広げられていた。だが、見ようとしなければ見えなかった」
それに。
「あのマンションの結界と同じ霊力を感じた。同一人物とみていい」
きっぱりと未星が言い切る。双葉は驚きに目を見開く。そうだ。狙われる対象になるのだ、自分は。
足手まとい、という言葉が脳裏によぎる。と、シンとクゥとマモルが一斉に事務室をすごい勢いで走って出て行く。そしてバッと戻ってきた。
「ん!」
声を揃えて全員が何かを差し出してくる。
「これ! 僕が作った防御用の護身符が入ってます。この間のお守りを参考にしてみました! 携帯電話につけてください!」
「これ! 前に知り合いからもらった石! ちっちゃいけど、なんかすごい術が封じられてるって! 袋に入れてるから、持ってて!」
「これ! 俺が一番嗅ぎ分けられる匂い袋です! 持っててください!」
それぞれにずいっと近寄られてしまうが、椅子に座っている双葉はそれ以上後退できないので「ああ、うん」と頷くしかない。
受け取ると、なんだか三人ともが微妙に火花を散らしているような……気がするのは……どうなんだろう。
未星は腕組みし、何か思案している。
「張本人を見つけろ、というのがおまえのわたしに与えた課題だったな。時間制限はあるのか?」
「え?」
驚きに目を瞠る双葉だったが、未星はどこかむずかしそうに呟く。
「いいえ、ない、けど」
「そうか。では今晩捕まえてやる」
未星は無表情でそう言い放つや、腕組みを解いてまた足音もなく事務室を出て行った。
ぽかんとしている双葉は、未星の心中を推し量ることはできなかった。
*
呪詛に近い。
未星はあの手紙を眺めて「やられた」と思ったのだ。文章の内容などは頭に入ってはいないが、そこに込められたものは確実に双葉に対する呪いの類いだ。
バラそのものはパッと見てただの花ではあるが、花の茎の先端だけ結界を打ち破るようになっていた。普通に見ていては気づかないものだ。
周到。
その言葉が似合う。
何度も送ってきていたのはそれに気づける者がいるかどうかを、相手側が探ってたに違いない。
(あのメイドの『目』じゃ見えないのも当然だ。かなりの手だれ……しかも、経験を積んでいる。尚且つ、時間がかかるのを承知での『攻撃』)
そう、これは攻撃だ。葦原双葉を狙っている理由は不明だが、屋上でメイドと話していた時に自分は気づけなかった。それがとんでもなく、未星のプライドを傷つけていた。
相手は狡猾だ。罠という可能性もある。
だが。
(罠だろうがなんだろうが、わたしがやらねばならない)
瞬きの隙間、意識を切り替える。
敵はそう遠くないだろう。今が夜ではないことが悔やまれるが、それはそれで好都合だ。こちらの手の内を見せなくても、いや、見せても大差はない。
感じるものすべて、意識を広げる。双葉が感じた、あの視界がぐっと広がるあれだ。
未星の感知範囲はかなり広い。よほどうまく気配を絶っていなければ引っかかる。
(さすがに気配を簡単に気取らせてはくれないか)
ふぅんと考えて歩いていた未星は、ぎょっとした。な、んだ。
(これ、は。おかしなものが、近くに『混ざっている』?)
気配はだだ漏れ。用心している様子もうかがえない。けれどこの異常なまでに異質な気配は。
(人間じゃない。妖魔の類いでもない。もっとそれ以外の、)
悪寒はない。それは未星があまりにもずば抜けている能力の持ち主のせいだった。だからこそ相手のあまりにも不安定さが不気味に感じられた。
倒せる。簡単に。
だが同時に。
倒せない。容易くは。
相反する感情の天秤が揺れ動く未星は、どうするべきか迷った。囮、か? 自分にそちらに行けとでもいうのだろうか。
乗るか、それとも。
冷静に考えた時、未星は本来の癖のように脳内で勝算を考えてしまう。未星は確かに優秀な退魔士ではあるが、己を完璧だと思ったことは一度もない。
(囮だ。それに引っかかるのを狙っているのも承知だろう。ならばこちらも相応の手を使うしかない)
未星は小道に逸れ、ひと気のない方向へと進んでいく。
未星の視線はあるビジネスホテルの前で止まっていた。結界はない。用心するようなものもない。
だが、こちらは警戒を怠らない。
感じる。
ホテルの5階。西側。部屋の位置もはっきりと。
人数は二人。いや、一人は確かに人間だ。もう一方が問題だろう。
本来なら、敵と認識したならば、そして標的ならばホテルの外側から問答無用で攻撃を仕掛けるべきだ。勝率をあげるためには不意打ちが一番早い。
相手に死んだことすら気づかれないようにすることだって、未星にはできる。だが決して、奢ることはない。彼女は真実を口にするために傲慢に聞こえるが、自身を過大評価はしないのだから。
(葦原双葉を狙っている敵ではない。霊力の残滓が一切周囲にないのはおかしい)
ここで放置しておくべきか。悩むところだ。
通常ならば、未星のテリトリー内に不純物がある時点で排除対象にすべきだ。だが今は契約がされている。やらなくていいことは、やるべきではないだろう。
未星はそっとそこから離れた。相手には一切気づかれていないはずだ。
と。
背後から声が聞こえた。
「やあ、愛しの小鳥を守る黒き薔薇」
きざったらしい声の方向を向く瞬間には、未星の首が胴体から離れて道の上に転がっていた。




