参 ―4
未星が歩き去ったあと、シンは涙が一筋零れるのを止めることができなかった。好きでこんな風になったんじゃない。好きで『蓬莱剣』に憑かれてるんじゃない。
文句はいっぱいあった。言いたいこともたくさんあった。うまく日本語が使えなくても。
でも。
言えなかった。
未星は生粋の退治屋なのだ。おそらくは、この日本でも有名なのだろう。偽名をクゥのように使っている可能性は高い。
怖い。怖くてたまらない。
今まで蔑まれ、男に何度も襲われかけ、妖魔を殺し、意識をなくして殺戮もおかし、人間も殺し、疎外され、怯えられ、それでも。
蓬莱剣のせいで死ねない。
妖撃社にスカウトされて居場所ができた。だからこの会社のためにも自分にできることをしようとやったけれど、物を壊すことのほうが多くてよく呆れられていた。
それでもクゥは自分を嫌わないし、そこに居た者たちも個性的ではあっても自分と同じように普通の人間社会からはみ出してた者が多かったから怖がっても、一緒に戦ってくれた。
日本支部に異動が決まって、唐突に支部長が代理で、しかもただの一般人だって聞いた時、本当は自分のほうが怖かったのだ。
双葉に引っぱたかれた時、なんでこの人間は怒っているんだろうって思った。だから何度も怖くないのかと確かめたのだ。
結局今日まで、双葉がシンを恐れる様子はない。だけど厄介なことになっているのは自覚していた。未星はそれを『見抜いて』しまったのだろう。
(あの日本人、油断できない……)
仲間なんかじゃない……。あの女は、
(敵だ――――!)
**
「えと、つまり……友達同士で、そういう『ごっこ遊び』をしていたってことですか?」
三日間の護衛を終えて戻ってきたマモルは、双葉に事情を説明された。彼女はやれやれというように頷く。
「まあ、未星の説明によると、ケッカイは手際の悪い素人のものだったし、淫魔への呪縛も中途半端だったからってことで……アンヌが色々と調べてくれてね」
「はぁ……支部長、疲れてません?」
なんだか彼女がゲッソリしているように見えるのは、気のせいなのだろうか?
「依頼人と、その友達にそういうことを教えた張本人がいるっていうのよね。それがどいつなのかまでは突き止められなかったけど、悪趣味だわ」
「そう、ですね。こういう類いはこっくりさんみたいに、自分自身、術者に跳ね返ってくる場合がありますし」
「って、クゥにも言われたわ。その通りよ。そいつから実験みたいにやってみろってお金も渡されたみたい。うちに依頼させたのもそいつらしいわ」
「そこまでわかっているのに、誰か判明してないんですか!?」
「わからないのよねぇ……なんでなのかしら」
それよりも。
と、彼女は微笑む。
「三日間お疲れ様。そろそろ満月が近いし、休養してちょうだい」
「あ……」
それは、実は昨日考えていたのだ。満月が気になって、いつも仕事から外してくれる彼女に申し訳ないし……それに。
(さっきからシンはなんで双葉さんの椅子の後ろにへばりついてるんだろう……)
「気にしないでください。あのバラの件、せっかくだし……仕事じゃないから調べてみます」
「え、で、でも」
戸惑う双葉が珍しい。なんだかちょっと可愛いなと思ってしまうが、シンがいるせいで彼女に近寄れない。なんなんだ、ほんと。
「気にしないでください。試したいこともあるので」
にっこりと、ちょっとびびりつつ笑ってみる。この姿になってからそういえばまともに笑えていない気がする。
きっとみっともない笑い顔になっているはずだ。恥ずかしいな、と思っていると、双葉が優しく「ありがとう」とわらってくれた。それが。
ぼっ、とマモルの尻尾が爆発したみたいに膨らみ、耳がピンと立った。な、なんだ今の衝撃、は。
(はっ???)
よくわからない。なんで? なんで?
困惑しながらも落ち着かせようと胸元をおさえていると、事務室に未星が入ってきた。
「葦原双葉、用件があると聞いたが」
彼女が入ってきた途端、シンが殺気を隠そうともせずに睨みつける。マモルもいい顔はしなかった。しかしそんな二人の様子にも未星はまったく変化がない。
「あなたにも仕事をしてもらわないといけないんだけど、情報が少なすぎてどういう仕事が好みかわからなくて困ってるの」
「なんでもできる」
未星はきっぱりと言い切った。
「正直、そこにいる蓬莱剣憑きや、呪詛で狼男になった者たちよりは役に立つと思うが?」
なんでもできる、という言葉に双葉が嘆息してしまう。シンとマモルがさらに不機嫌になったからだ。
「じゃあ……今回の張本人を探すことは可能かしら?」
試すように双葉が問いかけたので、シンとマモルは驚いて目を見開き、未星を見遣った。未星は「それは仕事ではないのではないか」と呟いたが、少しだけ思案して「わかった」と頷いた。
「こっちへ来い」
ぞんざいな言い方をして、来客応対用のソファセットのところに来る。机の上に彼女は少しだけまた考えて双葉へと手を差し出す。
「手を貸せ。追うのはいいが、これはおまえの依頼だからな。おまえが、おまえの『意識』で見なければ意味がないだろう」
「?」
よくわからないが双葉は手をとった。刹那だ。
未星の人差し指が双葉の眉間にぴたりと当てられた。そして、意識が一瞬で…………闇色に染まる。
「過去に遡ることはできないが、曖昧な記憶から呼び起こすこともできる」
エコーがかかったように未星の声が聞こえるが、双葉は困惑するばかりだ。何も見えない。そして、なんだか不安定だ。地面に立っている感覚もない。浮いている? いや、それも違う。
「簡単なのは、わたしの意識に同調することだがおすすめはできない。わたしに同調すればおまえは一瞬で壊れるだろう」
「は?」
「だから『重なって』わたしの目を使い、見るがいい」
命令のような口調に苦笑してしまうが、笑う顔もここにはないようだ。
双葉は確かに未星の中にいた。しかも、未星の記憶の残滓を共に追体験しているようだ。
マンションの前に立つ未星からは、いびつな結界がよく見えていた。歪んでいるという気味の悪さが双葉にも伝わってくる。
未星は結界の種類をまず己の中から検討をつけ、それを作るために必要なものはなんなのかと考える。それは本当に一瞬だった。
不思議だった。広島で松本から術をかけられたのとはまったく違う「視界」だ。
未星の視界にはすべてが鮮明に映っている。死者の霊も、なにもかも。松本の術と違うと感じるのは、未星がそれらを瞬時に無害な霊だとわかると視界から見えなくしているのだ。
邪魔な存在を消していくことで、実際に生きている人間だけが未星の視界に「残る」という妙な状況に双葉はうろたえるしかない。
マンションの四隅には周囲にはわからないようにと何かがあった。それも、未星だから見破れるものだった。
小さな陶器製の人形だった。鳥のような形をしている。そこに何か色がぼんやりと煙のように揺らめいているのも未星には見えていた。
未星はその陶器を持ち上げるや片手で壊した。途端に、マンションの結界が消えうせる。ただ、軽く地震のようなものが未星の感じたものだ。幻のように消えるのとは違っていたようだ。なんだか色々と双葉のイメージを覆される。
未星は一度そこで暗闇の中に双葉を戻した。
「では今の『色』を覚えているか、葦原双葉」
「えっと、紅色みたいな、淡い、煙のことかしら?」
「そうだ。結界を作るには術者の霊力を使うことも多い。それは妖魔も悪魔どもも変わらないが、己の力で不可侵の領域を創造するのだ」
……どうしよう、よくわからない。
未星は気にせずに、まるでそう、『瞼を開けるように』暗闇の中で動いた。
双葉もそれと同時に『見える』。あの淡い紅色の光が、マンションの周辺の空中に、落書きされたように残っているのだ。残り香のようなものだとは思うが、なんだかそれも表現が違う気がする。
なんにせよ、未星の意識や感覚は双葉とは違いすぎているのだ。それだけははっきりしている。
急に意識がぐわっと広がった。見えていた世界、眼球だけがとらえていた世界だけではなく、感覚すべてで感じ取るこの『世界』を。
その突然のことに双葉のほうが拒絶した。
「支部長!」
「フタバ!」
シンとマモルが同時にどうやら後方に引っ張り、未星の手から離してくれたようだ。
目の前の未星は意識を重ねる前となんら変わらない。
「あ、え、……」
混乱して顔をしかめる双葉は、事務室の壁にある時計に咄嗟に目を遣る。未星の手を握って十秒も経っていない。どういう、ことだ。
「なにしてるんですか」
怒気を含んだ声が目の前でしている。クゥが未星の手を払っていた。そうか、シンとマモルではなく、意識が切れたのはクゥがやったのだ。
「彼女を廃人にでもする気ですか、仮にも僕たちの上司なんですよ」
クゥが睨むが、未星はちろりとクゥを見て目を細め呟く。「傀儡使いか」と洩らしてから、彼女は腕組みした。
「葦原双葉が命じたからやったまでだ。文句を言われる筋合いはない」
「くっ、こ、このやろ~!」
シンがぎりぎりと歯軋りして今にも殴りかかりそうになるが、クゥがバッと両手を開いて双葉を庇うようにした。
「さすがですね。あなたはそのままでは得られるはずのものを『永久に』手に入れられないと思いますけどね」
ぴくりと未星が反応する。そしてじぃ、とクゥを見つめる。
「……ほう。なるほど」
「…………」
「わかった。おまえたちに敵意を向けられても意味はないからな、今は。今後は、今のようなことはしないと約束する」
淡々と言う未星のほうを、今度は見てくる。
「葦原双葉、おまえの見たあの『色』を覚えているか」
「え、ええ。覚えてるわ」
「わたしにはあれはもっと違う感覚で『みえる』のだが、まあいい。アレが、張本人の纏っている気配だ」
「???」
困惑する双葉に、未星は無言になってしまう。
「ただいま戻りましたわ~」
事務室にのんびりとした声が響く。買い物袋をさげたアンヌは、事務室の様子に一瞬足を止め、それからじろじろと見てからにっこりと極上の笑顔を浮かべた。
こ、こわい。
未星以外が黙ってしまう中、アンヌは荷物を持ったまま近づいてくる。
「未星さん、お嬢様にあまり無茶をさせないでくださいませ」
声は普通だが、な、なんだか怒っているような気がするのは気のせいなのかどうなのか。
未星はアンヌをじ~っと見てからそのまま何も言わずに事務室を出て行ってしまう。
「あいつ嫌いだ!」
シンがドアが閉まった途端、嫌悪感に満ちた声で言い放つ。
アンヌは冷静に荷物をそれぞれの補充場所に置いていく。
「嫌いでも、同じ仕事仲間ですし、我々の中で全体的に戦闘レベルも知識レベルも、経験値も高いのは未星さんですわよ?」
さすがにシンとクゥが同じようにガーンとショックを受けている。
マモルはためらいながら尋ねる。
「彼女は何者なんですか? 明らかに目的がありますよね?」
「ありますけど、お嬢様とわたくし以外は知る必要性はありませんし、契約には洩らさないようにと記されておりますの。
彼女の一族はこの日本という国で大きな退治屋の一族のうちの一人。うちと契約してくれるだけでもありがたいんですのよ~」
「それ、おかしいですよね?」
すかさずクゥが口を挟んだ。
アンヌはなんのことかしらとばかりに「ん~?」と笑顔で振り向く。双葉は先ほどの影響か、椅子に座ってぐったりと瞼を閉じていた。
「そういう一族が、こんな商売目的の会社に人材を割くとは思えないですけど」
「ほほほ」
「……なるほど。相手の要求内容がそれに絡んでくるんですね」
クゥはやれやれと嘆息し、振り向く。眉間に皺を寄せている双葉が頭痛でも堪える様に前傾で座っている。
(僕が来なければ脳の一部分がやられていたかもしれない)
いや、そうはならなかったかもしれない。あの未星はかなりの手だれだ。おそらくは、『普通に』戦って勝てる相手ではない。
(……嫌な噂も聞いたし、『もしも』に備えて動く必要があるかもしれない)
クゥは拳を握り締めていたが、マモルがハッとして振り返った。
「うああああああ!」
裏返った声で出されたその視線の先、双葉の支部長机の上には……恋文を結んだ赤いバラが一輪、刺さっている。
いつの間に。
(ジャパニーズ・ニンジャってやつですかね)
むすっとしていると、明らかにシンがキレかけているのを感じ取った。わけがわからない。
*
未星は屋上に来ていた。
まだ昼間だ。いつも夜ばかりを見ていたせいか、慣れなくて気持ち悪い。
そこに、背後から近づく気配がある。アンヌだ。
「なんの用だ、メイド」
冷たく言い放つと、アンヌは足を止めてから「良い風ですわね」と無関係なことを言った。
「『試し』ましたわね?」
確信の言葉に未星は振り向く。アンヌは微笑んでいるが、この笑顔がくせものだ。
「そうだな、試した」
「結果として、どうでした?」
「普通だった。ただの一般人だな、葦原双葉は」
だが。
「これから様々な知識を吸収すれば、ある程度はこの職業にも慣れるし、免疫もつくんじゃないのか」
どうでもいいと言わんばかりの言葉だったが、そこで、未星は首を緩く振った。
「いや、それは『無理』か」
「…………」
「ほかの連中がどうか知らないが、『おまえ』は『そういう葦原双葉』を求めていないな?」
目を細める未星が軽くアンヌを睨んだ。
「葦原双葉自身が『強くなる』ことを望まないようにしているな? 意図的に」
「なんのことでしょうか?」
「とぼけても無意味だ。おまえは確かに葦原双葉に害意は持っていない。だが、『秘匿』していることはあるな」
「恐ろしい一族ですわね。なんでも見透かそうとする……。知らなくとも良いのですよ、あなたは」
穏やかに言うアンヌに、未星は「ああ」とどこか納得したように頷いた。
「『もうやった』のか」
ザワぁ、と、アンヌから殺気が放たれた。微笑が怖気が走るほどの美貌を放つ。
「契約がなければ口封じをしたいところですわね」
「……わたしをすんなり殺せると思うなよ」
未星は無表情で囁く。
「安心しろ。喋る気は毛頭ない。それに……喋った時、おまえはすでにわたしに殺された後だろうな」




