参 ―3
「こんな深夜に訪問とは、非常識なのかしら」
アンヌは小さく呟きつつ、紅茶を淹れる。衝立の向こうでは増員の一人である娘が座っているのだ。おそらく聞こえているだろう。なにせ彼女はこの日本では四大退魔組織の一つである家の分家の者だからだ。
マモルとの通信内容を、アンヌが戻ってきたタイミングで話す。
「マンションにケッカイってのが見えるって言うのよ。敵は現れたけど、何もしてないって。それに、昼間のことも気になるわ」
「そうですわね」
向かい側の席に座っていた娘は、紅茶の入ったカップに手をつける様子すらない。
長い黒髪に、造作の整い過ぎた容姿。身体的なプロポーションもバランスが絶妙にとれているが、双葉以上の無表情さだ。
「今回は挨拶に来たので戦闘服ではなく私服で来訪したのだが、戦闘服のほうがよかったか」
問いかけなのかわからないような囁きに、双葉は怪訝なそれをする。
「うちの家系が協力するという証明にしよう。今回のその護衛、おそらくただの護衛では済まない」
淡々と言う娘はちら、と己の衣服を見遣る。「まあそれほど厄介ではなさそうだ。戦闘服でなくとも大丈夫か」と独白する。
「妖撃社日本支部、支部長・葦原双葉。報酬はいらぬ。その依頼、わたしも引き受けよう」
*
朝が来て、菅原梓が借りている一室を出る。とりあえず1日目は終わって、2日目だ。マモルはすぐさま尾行に移る。
やはり昨日と同じだった。そして廊下で会った友人らしき女性からあの特有の香りがすることも。
なんなのだろうか。
(双葉さんからは連絡がないし……いや、このまま見張ってろってことなんだと思うけど)
淫魔は夢魔の一種ともされるから日中は動けないと思うし……。
この日は昨日と本当に同じで、まるで同じ行動を……いや、すべてが一緒というわけではないが、しているように思えてしまった。
昨日とは違う種類のハンバーガーを食べながら、昨日と同じ場所で見張っていると菅原家に近づく人物に気づいた。
長身、というほどではないがなんだか背の高い印象を受ける娘だった。二十歳くらいの娘で、長い黒髪をしている。ただなんだろう。マモルの五感でなんとか認識できているが、意識をしっかりしなければ姿を見失ってしまいそうになる。
(な、なんだ、『あれ』)
人間だろうが、マモルの知るタイプの人間とは違う。
その娘はマンションをじっと見上げ、それから。
(っ!)
マモルのほうを一直線に見遣った。
(気づかれてる!)
慌てて身を隠した。そして振り向いた時には、そこに黒髪の先ほどの娘が立っていた。あまりにも美しいが、人形のようにも見える。
なにが人形的なのかというのはすぐにわかった。全体的に整いすぎているのだ。
(どうする!?)
攻撃すべきか? だが敵意は感じない。
「露日出マモルか」
娘は冷たい声で問う。いや、問いかけではない。確認、だ。
「正式には認可されていないが、これから同じ妖撃社・日本支部で働く……夜限未星だ」
「やぎり、みほしさん?」
「ああ」
いや、そうじゃないだろう。
(だって、ここまで相当距離があったのに一瞬で、どうしてここにいるのさ!?)
不審そうにするマモルに、未星はマモルのところまできて、菅原梓が借りているマンションを見遣った。
「聞いてはたが、相当目がいいんだな」
「ど、どうも」
「わたしはおまえのサポートに来たわけだが、まずはあのマンションにある結界を解除する」
「えっ?」
かいじょ?
マモルとしては困惑するしかない。あの結界があるからこそ、淫魔は中に入れないのだから。
じろりと未星はマモルを見る。
「呪いをかけられてその姿になっているだけなのだな。素人は大人しくしていろ」
素人。
確かにその通りだ。マモルは本当に、ちょっぴり知識があるだけの一般人なのだ。姿が、ひとではないだけで。
羞恥と悔しさが入り混じり、マモルは未星に関してかなり苦手な印象を受けた。一瞬だ。また一瞬で目を離した隙に未星はマンションの前に戻っている。
彼女こそ人ではないように見える。人の皮をかぶった、べつのナニかのような。
ずるりと彼女の足元が波打った。いや、波打ったのは、未星の足元の「影」だけだ。目の錯覚だろうかと瞬きをするが、影は動かない。やはり見間違いのようだ。
未星は左右を一度見てから、また消えた。
(どこに!?)
マモルが視線をぐるんと動かすと、マンションの四隅のところに立っている。そこに蹲ってなにかをしているようだ。刹那、結界が破壊された。
「あ!」
慌てて身を乗り出すマモルよりも先に、隠れていたらしい淫魔が動き出した。
けれども、だ。
淫魔の男の目の前に、クゥとは別の美貌の主である未星が音もなく『居た』のだ。当たり前のように。
これだけ距離が離れていても未星の殺気を感じる。それは暗い。闇色の刃を突きつけているかのようなほどに。
マモルは慌てて跳躍し、マンションに近づく。淫魔を退治しろという指示は出ていない。だが未星は……ちがう。彼女は退治する気だ。
間に合うかぎりぎりだった。だがありがたいことに月のおかげで力が増しているので未星のところまで予定より早く到着した。
未星の放つ殺気に淫魔は震え上がり、動くことすらできないようだった。
「おまえを殺すことは容易い」
未星は小さく言う。それは宣言どおりになる。きっと。彼女が決断するのと同時に起こってしまう未来だろう。
「目的はなんだ。言わなければこのままここでおまえを消す」
喉がからからに渇く。殺気の影響でマモルも傍に居るだけで体力を消耗しているだろう。直接その殺気を浴びているであろう男は、そのまま意識を失って転倒した。
一瞬で未星の殺気が消えて、呼吸がしやすくなる。マモルは知らない。聞いていない。こんな助っ人のことも。
じ、と淫魔を見ていた未星はマモルのほうを見遣る。
「すまないが、支部長に連絡をとってくれないか」
「え?」
「わたしは機械が苦手なのだ」
淡々と言う未星を不審そうに見つつ、マモルも気になったので連絡を入れた。
<大丈夫?>
少しだけ焦った双葉の声に、なんだか安心してしまう。なんだろう、やっぱり彼女はふつうの人なのだ。焦るし、怒るし……。
心配してくれて、いたんだ。
「あの、夜限さんて人が来ていて、連絡をして欲しいと……」
<……悪かったわマモル、連絡するのが遅れて>
(あれ? なんか怒ってる?)
声に怒気が含まれていることを察知したマモルはインカムを外して未星に渡そうとしたが、彼女が掌をこちらに向けて静止した。
「そのままで。その機械が壊れると困る。
葦原、淫魔を確保したがどうする? と、伝えてくれ」
「え? は、はぁ……。
あの、夜限さんが淫魔を捕まえたんですけどどうするか聞いてますが」
<どうするか、ですって!?>
すごい低い声に、相当怒っているのが伝わってくる。まるで自分が怒られているような気分になるではないか。
だが未星は気にしていないらしく、そのまま続ける。
「不完全な結界も、この淫魔の目的もだいたいわかったが放置しておくか。それとも、処理するか?」
「な、なんか今回の依頼についてだいたいわかったみたいです。この淫魔をこのままここで、殺すかって聞いてますけど」
<依頼内容に含まれていないわ。却下と伝えて>
「支部長は殺すなと言っています」
未星はちら、と昏倒している男を見てから「甘いな」と小さく洩らす。マモルの聴力でやっと拾えたくらいの音量で、なんだか不気味さを感じてマモルは彼女から目を逸らした。
<もういいわ。戻ってきなさい。マモルは明日も見張ってもらうから、彼女だけそう伝えて>
ああ、と双葉はさらに声を低くした。
<言うことを聞かないなら、交渉決裂だとも伝えて>
交渉?
よくはわからないが、マモルは「戻って来いって、支部長が。俺はこのままここに残りますけど」と言うと、未星はしばらく思案したようだが納得がいった様子ではないままそこから去った。
(やぎり、みほし……)
波乱の予感しか、今は感じていなかった。
*
戻ってきた未星は、そのまま支部長の席に座っている双葉の前へとやってくる。
「なぜわたしだけ帰還させる? あの妖魔は殺しても問題ない」
「それは『依頼内容』とは『違う』からよ」
双葉ははっきりと言い放つ。未星は少しだけ目を細め「甘いな」と言う。
「すべての妖魔は害のあるなしにしろ、滅しても構わない。人間社会の存続を重んじるならば、やつらの存在は邪魔なはずだ」
「! あなたは、世界の『バランス』などどうでもいいのですかっ」
アンヌが声を荒げるが、未星は彼女を一瞥し、口を開く。
「そういうことをする『役目』を持つ『調停者』はいる。我々はそうではない。世界のバランスなどに構っていては、妖魔を野放しにするだけ。それだけ人間に被害が出る」
「確かにそうですけれど……!」
「メイド、おまえはどっちの味方なんだ。人間か、それとも妖魔か」
未星の底の見えない暗い瞳に、アンヌが言い返せずに唇を軽く噛んだ。悔しそうな顔はしていないが、明らかに内心ではそう思っているだろう。
「バランスがどうとか私は知らないし、関係ないわ。私はね、無駄な労力を避けたいの」
「無駄? 妖魔を消すことが?」
未星から殺気がちりちりと漏れ出る。それでも双葉は動じない。
「あなたは我が社、そして我が支部の一員となった。『勝手は許さない』」
「…………」
「駒になれとは言わない。だけどね、『依頼者が望まないこと』をする必要はない」
きっぱりと双葉が言い切る。そして未星を睨み付けた。
「過剰サービスだと赤字になるのよ……! わかったら、部屋に戻って休みなさい」
「…………」
未星の殺気が消えて、「わかった」と小さく呟く。きびすを返して事務室から出ると、未星はぐるんと眼球を動かしてそちらを見た。
廊下に背中を預けて立っているのは一人の娘だ。赤い瞳をして、ぎらぎらしたものを発しながらも、殺気はない。強力な引力のようなものを発しているのは、シンだった。
「おいおまえ、フタバを殺そうとしたな?」
ぽつんと、シンが姿勢を変えて仁王立ちし、問う。彼女の背後に淡い紫色の光を纏った大剣が見える。彼女の身長ほどの、両刃の剣だ。
逆に未星はなんら興味すらないようで「それが?」と応じた。
「たかだか人間一人を殺すのが、なんだというんだ。『蓬莱剣のシン』」
「っ、たかだかじゃない……!」
事務室にまで届くのはまずいと、シンはわざと声をひそめている。だが未星はもともと小声なのもあって、気にした様子はなかったし……恐ろしいほど感情に揺れがなかった。
「妖魔に憑かれた人間だって何人も殺してきたろう? 命は命。どんな人間を殺そうとも、『同じこと』だ」
冷静に言われたがシンの興奮はおさまらない。
未星はシンを凝視している。まるで井戸の底のような瞳は、人間性を感じさせない。
「わたしはわたしを『完成』させるために来た。まだ殺しはしない。……だが邪魔だと感じたら殺す」
はっきりとそう言って、未星は一瞬だけ背を向けようとする。だがやめて、小さく言った。
「言っておくが、おまえも殺す標的に入っている。異性を意図せずに惑わせる魔なのだから」
目を見開いたシンの瞳の色が、赤色から茶色に戻った。ひどく悔しそうに両の拳を握り締める。




