参 ―1
満月の夜は飢えがひどくなる。月が満ちるたびに顔色が悪くなっていくマモルは部屋にこもる頻度があがり、仕事の量が減る。
ありがたいことに、ここは歩合制ではないから助かっているようなものだ。
双葉が就任してから三ヶ月は経過している。そろそろ時期は冬。クリスマスシーズンが近い。
(俺にはあまり関係ないけど)
この身体になってから、一般行事とは無縁だ。
打ち合わせのために事務室に行くと、双葉とアンヌが待ち構えていた。座っている彼女の机の前までいくと、彼女は書類を机の上に出す。
「今回の依頼はこれ」
どうかしら? とか、できる? とかそういうことを双葉は言わない。まず、できることが前提のものしか彼女は仕事をうけない。前の支部にいた時より随分と楽になっている。
(双葉さんて、俺の体調にも気を遣ってくれてるみたいだし)
わかりにくいけど。
書類を手に取り、マモルは目を通す。
「護衛、ですか。たった3日」
期間としては短いし、この会社にしては珍しいタイプの仕事だ。腕力も体力もあるマモルとしては、ちょっと意外だった。
「狙われている……狙っている相手は実体化しているタイプですか?」
「もちろんよ」
霊感のないマモルには、霊障関連だとあまり役に立たない。
「狙われているのは二十歳、女性、大学生の菅原梓さん。狙っているのは、こいつね」
もう一枚写真を出される。どう見てもただの大学生くらいの男にしか見えない。あまりがらのよくない感じの顔つきだ。
「彼は妖魔ってやつね。亜種みたいだけど」
「なんの妖魔ですか? 新種とか?」
「まあ新種と言えなくもないけど、淫魔よ」
マモルが目を見開く。悪魔に属する淫魔は夢の中で相手を誘惑し、性交をして相手の精気を搾り取ることが多い。もちろん、生気も、だ。
そのためにはもちろん、相手の好みの異性の姿、もしくは超越した美男美女の姿で現れることが多い。しかしこの写真では、当てはまらないような気がするのだが。
「人間との混血なの。だから実体を持っているのね」
「そ、そんなことが可能なんですか?」
「ええ」
応じたのはアンヌだ。
「擬似でいいので、彼らの魂を入れる器を使えば良いのです。魂もそのまま子供に遺伝していきますから」
「そ、そういうものですか」
DNAみたいなものだろうかと思うが、そのあたりはよくわからない。人間に置き換えれば染色体がうんぬんという話になるからだ。
しかし淫魔から守れるだろうか。対抗策とかあるのだろうか。マモルはただの狼男で、腕力や体力があがっているだけにすぎない。シンのような化け物じみた強さもない。
「おそらく父親が悪魔、インキュバスと呼ばれる下級悪魔だと思いますわ。サキュバス、つまり女の悪魔と違って夢の中での性行為だけでなく、現実の男の精液を奪って女性に注ぎ込んで繁殖することもございますから」
あまりにもストレートに説明されてしまうので、マモルのほうが照れてしまう。「そうですか」と小さく応じた。
「ですが、今回が『亜種』と言ったのは先ほど言いましたように、擬似体を使用したからですわ。つまりは、本当に写真の男は半分悪魔であるということですもの」
「あなたが適任なの。まずは、ターゲットに接触して匂いを覚えて。その近くに淫魔もいるわ。いわゆるストーカーだから」
サイテーね! とばかりに見下す視線をする双葉にアンヌもマモルも苦笑してしまう。
「しっかし今までそこそこ仕事してきたけど、妖魔? とか、そういうやつらってストーカーが多いのね」
「ま、まあそうですわね。一度決めた獲物を狙い続けますし」
「よほどのグルメとかこだわりとか恋じゃないとありえないと思うわ」
双葉は本気でありえないと思っているようだ。かなり嫌そうにしている。
「例えばよ、アンヌの淹れてくれたこの紅茶……」
「あ、はい。昨日仕入れたものですわね」
「美味しいわ。ええ、美味しいの。でも、予備で買ってある簡単に紅茶が作れてしまうティーパックもあるわよね」
「え、ええ。わたくしが留守の時に応対できるようにと」
アンヌは困ったように頷く。
「楽さをとるなら、どっちがいいか一目瞭然でしょ?」
どうやら効率の問題らしい。彼女は「豚肉だって、特売を買ったほうが得だし、よほど料理が得意でなければコンビニでお弁当を買ったほうが早いわ」と続けた。
「理解できないのよね……狙ったのしか嫌とか。まあ無差別に食い散らかすとすぐに退治屋が差し向けられるけど」
そういうやつがいないわけでは、ない。味に頓着しない人喰いならば、または殺人をおもにすることが目的ならば……退治屋を退けるほど強い場合もあれば、知恵がまわって逃げ回ることもできる。
双葉は両腕を組んで、ふー、と疲れたように洩らす。
「私の中で妖魔とかそういう類いの連中の位置が確定してきた気がするわ」
位置?
意味がわからずにいる二人に、双葉は紅茶を飲みつつ言う。
「やつらはある特殊な存在を除いて執念深いストーカー、つまり変態なのね」
「…………」
妖魔や悪魔を変態呼ばわりするのも双葉だからこそだろう。すごいなあと、マモルは思ってしまう。
(イメージだけなら悪魔とか……怖くなったりしないのかな……)
悪魔も天使も実在するというのは耳にしたことがある。それがまた、どんな存在であるかはわからないが。
「で、でも双葉さんも誰かを好きになったら盲目的に……なりそうにないですね」
すい、と目を逸らす。双葉に睨まれたからだ。
アンヌが少し考えるように眉間に皺を寄せる。
「ただ用心をしてくださいませ。彼女、前払いなんですが、気前が良すぎます」
「そうね」
双葉も頷いた。
「それは、うちがそこそこ信用を得たから、評価されたって素直に喜ぶところじゃないんですか?」
不思議そうにするマモルに、双葉は顔をしかめる。
「よほどお金に余裕があるならそれもあり得るだろうけど、彼女は仕送りを受けてるみたいだし、バイトもそれほど出勤してはいない。
仕送りの金額はわからないけど、なんか、あると私は思う」
「ええ、わたくしも同感ですわ」
「アンヌさんまで」
「うちの支部長は女子高生ですわ。初見の方はまず疑いますし、見積もり金額で安くしろと言ってくるのが常ですから」
「ええ。私が『高校生』だから割引でもきくと思ってるのかしらね」
皮肉な言い方にマモルは恥ずかしくなってくる。確かにそうだ。双葉が制服姿で対応すれば相手は間違いなくそう思う。金額を安くしようと考える。
だから、見積もり金額を一括で払ったターゲットが怪しいのか。マモルはふむと頷く。
「わかりました。気をつけます。淫魔のほうは、あの、俺の嗅覚で察知できますかね?」
「……うーん」
双葉が悩んでいると、アンヌが衝立の向こうに消えて戻ってきた。妙な粉末を持っている。
「そ、それなんですか?」
紙の上にその粉を三角錐になるように持って火をつけると、なんともいえない独特の甘さの匂いが広がった。
すぐにアンヌが火を消した。
「今のが淫魔の匂いですわ」
「……アンヌさんて、なんでそんなの持ってるんですか?」
「わたくし、収集癖がありまして」
ほほほと笑うアンヌに双葉が呆れたような視線を向けていたが、マモルはふと気づく。
「少し、シンの匂いに似てますね」
「そうですわねえ。あれも年中発情してますし」
「…………」
あえてアンヌの言葉に双葉は何も返さない。こういうやり取りも本当に見慣れてきた。
「護衛、ということは、退治はいいんですか?」
「まあただのストーキングだしいいと思うけど」
と、そこで言葉を切る。双葉は何かを考えるようにしてからアンヌに指示を出す。彼女は「失礼しますわね」と言って事務室から消えてしまった。
きょとんとしてしまうマモルだったが、双葉は一応、と前おいて言う。
「うちのメンバーで霊障に効果のある力を持つのはアンヌとクゥだけ、いや、シンは例外としてね。だからもしもの時のために持っておいてもらおうと思って」
「なにをですか?」
「クゥの符ね。あれだと素人でも使えるし、効果もあるし、あとは……霊体化されたら追えないからそこだけが問題よね」
「そ、そこまで用心したほうがいいんでしょうか……」
「念のためだから、使わなきゃそれでいいわ」
小さく微笑む双葉に、なぜか恥ずかしくなってしまう。彼女が滅多に笑わないせいだろう。
(双葉さんて本当に用心深いんだな……。怒らせるとすごい怖いけど)
「あ、あの」
せっかくなので、マモルは尋ねてみたかったことを口に出す。
「ここは、この会社はどうですか? 俺は呪いにかかるまでこういう存在を信じなかった人間なので……」
「私も信じてなかったけど、そうねぇ」
双葉はイスに背中をあずけるようにする。ちょっと瞼を閉じて思考したあと、彼女はカッと瞼を開いた。
「今はただの、『そういう存在』としてしか認識してないわ。この地球上にだってまだまだ未知の生物はいるもの。未発見なだけで。それが妖怪とか妖魔になっただけでしょ」
……そういうものだろうか。
(な、なんか違う気がする)
その時だ。
どこからかバラが一輪、双葉の机に突き刺さった。まるで矢文のようではないか。「わっ」と驚くマモルだったが双葉は驚かない。
茎のところに手紙がついているので本当に矢文のようだ。
「そ、それなんですか?」
「気持ち悪いストーカーからの手紙」
「ストーカー? 支部長、ストーキングされてるんですか?」
「まあね。実害がないから放置しても問題はないって判断してるんだけど」
「だ、誰がストーキングなんて……窓も閉まってますし、バラがいきなり刺さってるとかおかしいですよ」
「おかしいわね。ええ、おかしいわ。だからこいつは間違いなく変態よ」
バラを掴んでぐしゃ、と潰す双葉の冷酷な目に「うわぁ」とマモルが思わずバラの主に同情してしまう。
「お待たせしましたわ。符をいくらかと、あと、霊体化した時のための符も用意させましたわ。
ってあら、バラ?」
途端にアンヌが険しい表情になってきょろきょろと周囲を見回す。
「わたくしのいない間にお嬢様に妙なものを渡すとは……!」
「あ! あの、手紙の内容は?」
明らかに破って捨てようとしている双葉に慌ててそう声をかけると、彼女は手を止めてマモルに手紙を寄越してくる。
受け取った紙は香りがついていて、嗅覚が数倍あるマモルは「ごほっ、ごふっ」と何度も咳き込んでしまう。上等な香水だろうが、マモルにはただの害だ。
そんな手紙にはこんなことが書いてあった。
『愛しい愛しい私の子猫ちゃん。今宵の君もまた仕事でとても忙しそうだ。だがあまり疲れを溜め込んではいけないよ? お肌に悪いからね。
君の返事をいつまでも待っている。特別な晩餐を用意して、着飾った君と踊るんだ。踊れなくても大丈夫。きちんとリードしてあげ』
途中で思わずマモルもばりっと破ってしまった。……きもちわるい。
「こ、このあとがもっとすごいこと書いていそうだったんですけど、すみません、ここが限界でした……!」
破ったラブレターらしきものを双葉に返すと、それをアンヌがひったくり、ぐしゃぐしゃに丸めてそのままゴミ箱に捨ててしまった。
「最後まで読めたのはシンくらいよ」
「え、シンが?」
「日本語の練習になるねーとかいいながらあなたがいない時にやったのよ。本当に最初の最初の時ね」
「……ど、どうなりました?」
「クゥが発狂しかけてたわ」
(……想像できるなぁ)
しかしシンとしてはどうなのだろう。
「でもシンは読んだんですよね、全部」
「ええ。意味がわかんないなーって言ってたからクゥが説明したんだけど、した途端になんかよくわからないけどすごいキレてたわね」
「…………」
あの広島での一件以来、シンの双葉への懐き度はちょっとどうかしているとさすがにマモルも思っているのだ。
「でもこれ、もしかして毎晩きてるんですか?」
「私がここで仕事してるといつの間にか、ね」
「完全に不審者じゃないですかっ」
「そうなんですのよ!」
バン! とアンヌがテーブルを叩いた。さすがに双葉も驚いている。
「わたくしがちょっと席を外した隙に姑息にこんなものを置いていくなんて……しかも文面が気色悪いですわ! 見つけたらどうやって苛めて差し上げましょうかね……ふふふ」
最後のほうは小声だったので双葉は聞こえなかったようだが、聴覚のいいマモルにははっきりと聞こえてた。温和なアンヌの表情と言葉がまったく噛み合っていない感じにゾッとしてしまう。




