弐 ―4
お守りを持って双葉は立ち上がった。
「これ、今うちの会社でキャンペーンであげてるの。かなりいいからあげるわ。持ってるといいことあるわよ」
一和は二つ受け取って怪訝そうにするが、姉にすぐに渡していた。
「わあ! なんかミニチュアなおまもり! かわいいわね!」
女性のほうも喜んでいるが、それを身に着けてくれるかはわからない。
食事のあと会計を終えると双葉は「それじゃ」とそこを出た。と、思ったら、今度は店の裏側に回る。
待ち構えていたアンヌにクゥが驚く。
「では、お嬢様の依頼ということで」
彼女は目を細める。空中に何かの模様を描いていく様子から、クゥは慌てて双葉の腕を掴んだ。
「『アンヌさんに依頼をした』んですか!?」
「そうよ」
「どうしてそんなこと……」
「メロウが忠告したことを覆すには、それしかないと判断したから」
「馬鹿な……! 借金だって、どうにかなるでしょう! この店を手放せば、それに方法だっていくらだって」
「クゥ、お嬢様は食事中に決断されたのですよ。文句を言わずに、そこで見ていなさいな」
大事そうにされていた家具や店内を、もしかして双葉は観察していたのか? 始終きょろきょろしていたのはそうだったのか?
あとからわかってくることに、クゥは最高に苛立った。
「もっと最善があるはずですよ……!」
「そうね。でも、あの姉弟は最善は求めていない」
双葉の言葉は、的を射ていた。借金があって苦しい生活でも、あの二人は『笑顔』で出迎えてくれたじゃないか。
ぐっと唇を噛んで言葉を押し潰すクゥに、双葉は視線も遣らずに言う。
アンヌは何かを唱えながら、地面にも陣を描いていく。クゥの専門外のことなので、やっていることはわからない。
クゥは双葉を見上げた。
「あなたのしていることは、一時凌ぎじゃないんですか?」
「そうね。佐東一和くんは、借金のことを知らない」
今日の様子から双葉はそうはっきりと確信したのだろう。そのためにここまで来たのだ。そして「決めた」。
「お姉さんは今の日常を壊されたくない。弟に知られたくない。いずれ知られることになるとは思う。でも『今』はその時ではないと、私は判断したわ」
アンヌが小さな香炉を取り出す。それは昨日わざわざ作って持っていった「にせもの」だ。それを地面において、隠して他からは見えないようにした。
「完成しましたわ。幸いなことにこの香炉に捕まえてあるのはイービルの中でもイタズラ好きですから」
「いーびる?」
「すみません。悪魔のことですわ。異形の、妖怪みたいなものですわね」
アンヌは微笑んだ。
そんな彼女に「助かったわ。依頼料金はあとで出すから」と呟き、すたすたと向きを変えて駅へ戻ろうとする。
「ちょ、ちょっと……!」
追いかけようとしたクゥの肩をぽんとアンヌが叩いた。
振り仰ぐクゥにアンヌの表情は見えない。
「クゥ、お嬢様に今日張り付いていてくださいませ。わたくしは別の依頼でいないので」
そして。
「お嬢様のことが嫌いなのは構いませんし、あなたは公私混同しないから優秀ですが……『疑ってはだめ』ですわよ」
**
アンヌの言っていることはわかっているつもりだ。だが、本来の支部長は彼女ではない。そもそもなぜ、代理が認可されているのかすらクゥは知らないのだ。
もやもやとしたものを抱えて三日後、雨の中、佐東一和は妖撃社を訪れた。傘も差さなかったのだろう。アンヌに手渡されたタオルで、動くことすら億劫なように濡れた箇所をふいていた。
打ち合わせ中だったこともあり、クゥはそこに居合わせた。
「葦原さん、あのおまもり、ただのお守りじゃなかったんだな」
そう言い出したことにクゥがぎくりとする。携帯ストラップにしているらしく、一和はそれを取り出す。
「姉ちゃんのが、もうぼろぼろになってて……薄気味悪いとは思ったんだ。だけど、やっぱり」
「外さなかったのね?」
こくんと一和は頷いた。途端にぼろぼろと涙が出てきたようで、彼は取り繕うこともできずにタオルで顔を隠した。
「今日壊れちゃってさ、そしたら店に変な連中が来たんだけど」
「…………」
「急になにか忘れたように帰っちゃってさ。おかしいなって思って姉ちゃんを問い詰めたんだ」
「……そう」
頷く双葉はたいして応じていない。まるでわかっていたかのようだった。
「あの店は父さんと母さんの残した大事なもんだし、手放せったって無理だもんな……姉ちゃんが無理するの、してたの、わかってなくて」
「当たり前よ。人間はね、きちんと言葉にしなければ何も伝えられない生き物なんだから」
「は、ははっ、ほんと、そうだよ、な。葦原さんに相談したってどうにもならないこと、わかってんのに……」
どうにもならない。
その言葉に双葉は表情を動かさない。クゥは双葉を見た。
「そうね。うちの会社は、人ではないものを退治するところだから」
「姉ちゃんをぼろきれみたいに捨てようとしてるヤツが『人』なもんかよ!」
激昂した一和がタオルを床に思い切り投げ捨て、怒声をあげる。
双葉は少しだけ目を伏せる。
「そうね。確かに、佐東くんの言っていることはわかる。でも選んだのはお姉さんなのを忘れてはいけないわ」
「借金のために仕方なくだ!」
「たとえそうでも、そういう決断を彼女は迷った末にした」
双葉は一歩だけ前に出る。一和との距離が一気に縮まる。
「頭をよく冷やすのよ。今は色んな情報が入ってきて、処理できない状態なの。ひとつひとつ、解決していくべきこと、問題をこれに書いていくのよ」
双葉は自分の鞄からルーズリーフを1枚取り出して渡す。
「私はあなたの友達じゃないから、友達に相談するのも手よ。でも、相談くらいなら乗れるわ。無料でね」
「葦原……」
「大丈夫。もうあなたのお姉さんは狙われないわ。でも、これからも借金とか、あのお店を存続されるのか、問題はたくさんある。だから」
だから。
「頻繁に来ると迷惑だけど、来るな、とは言わないから」
一和は双葉の言葉に唇をわなわなとさせた。それでも何も言えなくて、結局大きく頷いただけだった。
応接用のソファで休ませることとして、双葉は打ち合わせ場所を変えるために外にでた。もちろんクゥもそれに倣う。残されたアンヌはハーブティーを淹れていたし、そのうち落ち着いて帰るだろう。
空いている部屋のドアを開ける。もちろん住人はいないので家具などは一切ない殺風景さだ。
「質問、していいですか」
右手を挙げてクゥがぶすっとした声で問うと、「どうぞ」と双葉は応じた。
「フタバさんはアンヌさんに依頼したんですよね? 自腹で」
「ええ」
「どんな内容なんですか?」
「守秘義務」
きっぱりと言い切られるので、クゥとしても引き下がるしかない。
けれども双葉の持っているお金で払えるくらいだ。たいした効力はなかったはずだ。
ないよりはまし程度だったのだろうとクゥは予想をつける。
「さっきの、お姉さんはもう狙われないってどういうことですか?」
「欲しがっていたものをあげたからよ」
「……フタバさんて、なんというかあまり自身のこと言いませんよね」
「仕事で必要とは思えないし、あなたたちのこともデータに書いてないこと以外はほとんど知らないわよ」
つまりは、お互い様だということだ。
クゥはなんだかむかむかする。そしてそんな彼を見つめていた双葉が小さく息を吐いた。
「私のことが気に入らないのは、知らないことが多いから?」
「っ、そ、それも、あります……!」
「…………」
そうね、と彼女は洩らす。
「上に立つんだし、少しは言っていてもいいかもね。でもどうせ、兄さんが戻ってくればわかるんじゃないかしら」
「?」
腕組みした双葉は壁に背をあずけた。そして視線を伏せる。
「佐東くんの家と、うち、似てるのよ。兄さんと私しかいないくてね。しかも、兄さんは頼りにはなるけど、自分でなんとかしなきゃいけないことのほうが多かった」
「で、ですが、フタバさんのお兄さんは本当に支部長として就任をしてましたよ?」
「それもどうだか。兄さんは、自分より『私のほうが適任』だってわかってるんじゃないかしら?」
「適任、ですか? ですが、フタバさんは一般人ですよね? 霊感もありませんし、妖魔などへの耐性もないです。普通に危険度の高い仕事に当たったら精神攻撃食らって一発で廃人ですよ?」
「さらっと恐ろしいこと言うわね……。私だって命は惜しいからそういうのは引き受けたりしないわよ。
たぶん」
少し声を低めて双葉は囁く。そう、それは独り言に近かった。
「兄さんは『あいつ』の言うことを真に受けたままなんだわ」
「あいつ?」
「お喋りな兄さんのことだから、戻ってきたら喋ると思うわ」
つまり自分は言う気がないということだろう。
クゥは少しだけ俯く。
「じゃあもう一つだけ質問いいですか」
「どうぞ」
「……僕はシン同様にこの業界で有名なほうです。ひとではない存在をいくらも消してきた。人間だって殺せます。実際今回、ミヤマエを殺せと命じられれば遂行しました」
「…………」
「『わかっていたはず』なのに、あなたは命じなかった。なぜですか」
「しなくてもああいうタイプの男は自分から身を滅ぼすだろうし、なんで部下に人殺しを命じなきゃならないのよ」
後半はムッとしながら双葉が、今まで無表情だった彼女が初めて怒ったような表情でクゥを見てきた。
「僕が子供だからですか?」
「年齢とか関係ないでしょ。給料もらってるならね。
勘違いしちゃだめよ。うちの会社は人を殺す会社じゃない」
手っ取り早いのにと言わんばかりのクゥのむすっとした唇を尖らせた表情に、双葉は小さく笑う。
「借金問題は、弁護士とか、専門職の人に任せたほうが早いのよ。だからこれでいいの。でも、宮前さんみたいなタイプはしつこいから、あっちには手を打ったけれどね」
それは「欲しいものをあげた」のと関係があるのだろうか?
クゥはちょっと黙り、それから「打ち合わせしましょう」と切り出した。
「もういいの?」
「いいです。わかったのは、フタバさんには謎が多いってことくらいですかね」
「謎なんて別にないわよ」
呆れたように言うけれど、クゥは睨んだままだ。
「だって、いくら人懐こいとはいえシンが……毎晩あなたの名前を寝ながら連呼するのはおかしいですし!」
「っっ!」
さすがにそれは初耳で。
双葉は唖然としたあとにこめかみに青筋を浮かべた。
「ふぅん……そんな気持ち悪い寝言いってるの……?」
「あなたのどこにそんなにシンの夢に出てくるほどの拘束力とか、魅力? みたいなものがあるのか知りたくて少し意地悪をしましたって、あれ? ちょ、どこ行くんですか? 打ち合わせは?」
「あいつ、まだ寝てるわよねえ?」
「っ」
クゥが動きを止め、「はい」と小さく頷いた。マスターキーを双葉は所持しているので「へぇ~」と薄ら笑いのような、でも怒っているような絶妙な表情で声を洩らしている。
「……あの、フタバさんてシンのこと嫌いなんですか?」
「ああ?」
あ、ちょっとやばい。
「ちょ、え、フタバさん! 打ち合わせ! 打ち合わせしましょう!」
「……そうね」
こくこくと頷くと、双葉はマスターキーをおさめる。ほっと安堵してしまったクゥである。
まずは、と書類を読み始めて、地図を渡してくる双葉をクゥはじっと見つめる。うん、やっぱり。
(まだちょっと気に入らないですけど、部下に人殺しをさせないのは認めます。解決も、本人たちに任せる姿勢も好印象、と言えなくもないですね)
まだまだ未熟なのは仕方ないとしても。
(様子見、ですかね。過剰期待はしない、と)
己の中でそう結論を出して、クゥは小さく困ったように笑う。
でも。
でも、だ。
(依頼人ときちんと向き合おうとするところは、いいんじゃないでしょうかね)




