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弐 ―3

 アンヌが鑑定を終え、自分たちの持っているもののほうが偽物だと判断すると宮前はそれみたことかと喜んだ。

「申し訳ありません。お時間を割いてしまって」

 素直に謝る双葉に、宮前は大人ぶって「いやいや」と猫なで声を出す。

「あまり長居するにもご迷惑でしょうし、我々は退散するとします」

 アンヌが双葉の言葉に頷いて立ち上がった。宮前が惜しそうな顔を一瞬だけした。贋作もあれば何か使えるとは思う。だがそのためには退治費用がいる。

 なんとかうまく妖撃社のものに、『みずからそれらをしてもらう』手立てはないだろうかと思っているのが丸わかりだった。

 だからこそ双葉は余計なことは一切言わなかったし、アンヌも最低限の動きしかしなかったのだ。

「その偽物はどうされるので?」

「除霊の依頼もないので、保管庫に入れるか、本社のほうへ送り届けます」

 きっぱりそう言って、売る気がないことを主張すると宮前は微妙な表情をした。内心まで読み取れないが、何か姑息な手を使ってくるかもしれない。

 丁寧に礼をしてから玄関から出て表の門までの道を歩く。すぐ後ろを歩くアンヌが何も言わないのは、やはり盗聴を気にしてのことだろう。

 門を出た、その瞬間。

 ――アンヌの横にクゥが一緒に並んで歩いていた。

 屋敷から多少離れてから、ぽつりとアンヌが呟く。

「なんとか無事にいきましたわね。でもお嬢様、あの方……」

「ああ、贋作も欲しそうにしてたわね。でも、いわくのあるものをほいほい受け取るほどバカじゃないだろうし、でも、何か仕掛けてはきそうだからクゥに頼んだのよ」

「もちろんですよ」

 やれやれとクゥは肩を大仰にさげる。わざとらしいリアクションにアンヌも双葉も応じない。

「やつには忘却してもらうようにちょっと術を仕込みましたからね。まったく、人使いの荒い支部長ですね」

「余計なことを覚えさせておいても意味はないし、あんたたちを危険にさらすわけにはいかないわ」

 その言葉にクゥはきょとんとしてから、くすくすと笑う。

「僕たちが? なに言ってるんですか、退治屋の仕事はいつも危険で……」

「『そういう』危険じゃないわ」

 双葉が足を止めずに、駅に向けて歩く。完全に道を覚えているようで、足取りに迷いがない。地図も、見ていないのに……。

 怪訝なそれをするクゥにアンヌがこそっと言う。

「クゥにとってはあまり痛手にはならないかもしれませんけど、」

 そこまで言ってから、アンヌは言葉を切った。視線を少し伏せる。

「メロウは、なんと言っていました?」

 アンヌが途中で会話を変えるのは珍しい。不思議になりつつ、クゥは聞いたままを伝えた。

「サトウの姉は、どうやら借金返済のために不倫してるみたいですね。でも、ミヤマエはそろそろ彼女に飽きてるみたいで、いえ、むしろ邪険にしているようです」

 双葉が初めてそこで足を止めて、振り返った。

 見たことのない表情で、クゥのほうが驚いてしまう。

 軽く両目を見開き、驚きとは違う、なんだか深い闇の……なにかを抱えた奇妙な表情だった。

 瞬きひとつでその表情は消え去り、双葉はいつもの無表情に戻る。

「……そう。それで?」

「ミヤマエは、サトウの姉と手を切るつもりでしょう。事故に見せかけて、多少なりとも不自由になってもらうつもりなんじゃないですか。

 メロウはそれによって荒れるサトウの家のことを警告してきたんです。あそこは、お姉さんしかいないみたいなので」

「…………」

 無言で数秒。双葉がまったく動かないのでクゥがアンヌへと視線を向けると、彼女はどこか辛そうな笑みを浮かべていた。

 双葉は前を向くと、颯爽と歩き出す。

「よくやってくれたわ。メロウからの忠告のほかにも、色々やってくれたんでしょうけど……ものを知らない上司で悪いわね」

 まったく悪びれもせずに言う双葉だったが、「いえ」とクゥは呟く。

 なんだろう、ゾッとしたのだ。感情が完全に消えた声だった。いつもと同じように彼女は喋っているのに。

 電車に乗って事務室まで戻り、クゥは自室に戻る。「お疲れ様」と双葉とアンヌそれぞれに声をかけてもらって、自分の部屋がある奥へと歩こうとして、でも、気になって振り向いてしまった。

 気配を消すのなんて、わけない。アンヌにすら気づかれない。そう、『今の』日本支部で自分の気配を完全に追える者は『いない』のだから。

 入り口のところに突っ立ったまま、中の会話を盗み聞きする。衝立が邪魔をして中を見ることはできないが、会話さえ聞こえれば充分だ。

「お嬢様……」

「言われなくても考えてるわ。依頼は、『あの変な夢を見ないこと』。つまりは、佐東の家が荒れるわけにはいかない。

 アンヌ、お姉さんは借金返済のために不倫をしているのよね? どこで借りてるか、残高がいくらかわかるかしら?」

「調べられますが、それはもう我が社の管轄外になるのでは……」

「いいえ、『依頼に必要な情報収集』よ。ただの女子高生の私が、借金を帳消しにできるとでも?」

 微かに双葉が笑った気がするが、アンヌの声からは心配の色が抜けない。

「宮前は佐東くんのお姉さんを『必ず』襲うわ。それも、わからないように。殺しはしないと思うのよね。ただ、そういう関係を破棄できるような状態に持っていければいいんだもの」

「護衛につけるほど、うちには人材がありませんわ……」

「それは私が考える。今日いきなりじゃないと思うし、佐東くんは『最近』と言ってた。警告を発するようなものを、前日にはしないはず。けれど近い未来。

 うちの人材は使えないし、事故に見せかける方法はいくらでもあるわ。そして、金で動く連中もいくらでもいる。警戒しようったって無理な話よ」

「では諦められるのですか、お嬢様」

「私はそれほど人生経験が豊富じゃないから判断するのが難しいけど、たぶん、車かバイクの事故。轢き逃げだと予想する。

 佐東のお姉さんの仕事と、帰り時間を割り出して、あとは宮前と会わない日を計算すれば的は搾れると思うのよ。でも、そこを助けても解決にはならない」

「では、どうされるというのですか」

「依頼内容に追加させるわ。うちの社に、『お守り』を作れる人はいるかしら?」

「おまもり、ですか? あの神社とかで売っている?」

「ええ。それも強力なやつよ。災難防止のを作ってもらいたいの、二人分ね。でも、これを持たせても一時しのぎにしかならないわ」

「よくおわかりで」

「とりあえず、今言ったことを調べて。手は、それから考えるわ」

「承知しましたわ。

 てっきりシンに護衛でもさせるかと思いました。車など、一撃で破壊してしまうでしょうから」

「そういうふうにシンを使ってた場所もあったのは『わかった』けど、うちではしない」

 その言い方にクゥは大きく目を見開いた。

 今では大人しく言うことを聞いているシンだが、後始末に使われることも多かったのだ。それを……。

(見抜いた……?)

 アンヌの言動から読み取ったのだろうが、それにしては……聡明すぎやしないか?

「…………」

 クゥはなんだか急に気持ち悪くなってその場から音ひとつたてずに自室に戻った。

 葦原双葉……気に入らないけれど、なんなんだろうか、あの一般人は。



 朝ばったりと会ったのは偶然だったのだ。双葉はどうやらそのまま事務室に泊まったようだ。日曜だったからかもしれない。

 だがなぜだ。

(……なんで制服……)

 いや、泊まる気がなかったのだったら自然とそうはなるだろうが。

「シンから何か着替え、借りてきましょうか?」

 善意からそう言ったが、双葉は「いい」とすぐさま断った。相変わらず即断する少女である。この決断力の速さは何を根拠にしているのだろうかと、本当に謎だ。

「フタバさん、どこへ行くんですか?」

 どうも出かける気だったようだが、帰る気ならば鞄を持っているはずだ。それを持っていないなら、別の用事で出かけるのだろう。

 双葉は目を、細めた。

「……な、なんなんですかその顔。べつに言いたくないなら聞きませんけど」

「いや、うまく目の焦点があってないだけ。ちょっと寝不足で。

 ああ、出かける先はあんたが来ても面白くないと思うけど」

「はぐらかしてます?」

「なんで?」

 意味がわからないとばかりの態度で言われ、クゥはカチンとして双葉の横に並んだ。

「一緒に行きます。あなたは一応ここのトップなんですよ? 何かあったら」

 そこまで言って、昨日の彼女の言葉の意味が理解できてしまった。

 『そういう』危険。

 妖魔たちではなく……『ただの人間に狙われる』危険。

 そんなものはどこにでも転がっているものだ。階段から落ちたり、上から植木鉢が落ちてきたり。

 そういう、ものだ。

 『死』も『危険』も、転がっていて、目に見えないから突然遭遇したりするのだ。

 クゥはきゅ、と唇を噛むと、言い直した。

「荷物もちくらいなら、できますし」

「子供に持たせるほどおちぶれてないけど……」

「女性に持たせるほど僕もおちぶれてません!」

 キッと言い返すと、よくわからないなりにも双葉は同行を許してくれた。

 表通りに出ると、今日は日曜だけあってサラリーマンやOLの数は少ない。どこへ行くのだろうと思っていると、双葉は駅へと向かう。

 そして改札口を通って、電車に乗り込んだ。不思議は増すばかりだ。

 双葉は目的の駅についたらしく、クゥに「降りるよ」と小さく言って降りた。あまり有名ではない……つまりはクゥもシンも認識していない駅のようだ。覚えのない名前の駅だ。

 改札口を通り抜け、双葉は目的の場所がはっきりしているらしくそこへ向かって歩いていく。……昨日といい、なんでこうも歩く先に迷いがないのだろう。

 クゥは双葉が目指しているのはカフェだと気づいた。少し古臭い感じがするが、それはそれで味があっていいとは思うがなぜこんなところに? しかもわざわざ?

 双葉は入り口のドアを開けると、からん、と来客を知らせるベルが鳴った。

「いらっしゃいませー! って、あれ、葦原さんじゃん」

 笑顔で出迎えたのは、高校生くらいの青年だ。どうやら双葉の知り合いらしい。カウンターのほうにいる女性は「なに? 一和の知り合い?」と尋ねている。

 朝一番だったせいか、店内に客はいない。開店したばかりなのかもしれない。

「うん。うちの高校の後輩」

「へえー! もしかしてカノジョ?」

「それはありえないんで」

 双葉が即座に否定したので、青年が「まあね」と笑う。

 双葉は席に腰掛、「メニュー」と青年に言う。

「おう!」

 メニューをとってきた青年が、一緒に座ったクゥを物凄くじろじろと見てくる。まあ、顔立ちのせいで目立つのはわかっているので仕方ない。

 双葉は適当にサンドイッチを頼んで「あんたは?」と尋ねてくるが、クゥは「いや、いいです」と遠慮した。

「ああそうそうこれ」

 双葉は持っていたポケットから紙を渡す。あれは払い込み用紙だ。

「夢はもうみなくなったでしょ?」

「えっ! もしかして、ほんとにやってくれたんだ! スゲー!」

 素直に感動する姿にちょっとうるささと苛立ちを覚えるが、クゥは黙って双葉と、青年を見遣る。

 夢、ということはもしや依頼人の佐東一和だろうか?

 払い込み用紙を受け取った彼は、「全然あの夢みなかったからまさかと思ったけど、仕事はやいんだな」と褒めている。

 双葉は視線を逸らした。

「うちの職員が優秀なだけよ。私は何もしてないから」

 どこか自虐的にすら聞こえるような言い方。なんだか妙だった。

 できあがったサンドイッチと、どうやらサービスでつけてくれたカフェオレを、双葉は無言で食べる。

(もしかして、自営業で借金が……?)

 徐々に読めてきた。双葉はもうアンヌから情報を受け取って動き出しているのだ。

 ちょっと考えてから、クゥはテーブルの上にあるものを出す。

「これ、どうぞ」

「? なにこれ」

「に、日本のオマモリに似せたんですけど」

 苛立ち全開で言い出すと、双葉はちょっと驚いたようだ。そして「そう、聞こえてたの」とぼやく。

「かなり強力に作ったんですけど」

「ありがとう」

 なぜ。

(感謝してるなら、もっと、嬉しそうに笑えばいいじゃないですか……!)

 泣きそうな顔だった。ほんの、少しだけ。

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