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逸賀灼‐いちか あらた‐の推測に稲墨弘之‐いなずみ ひろゆき‐は頷いた。別の資料を逸賀灼に見せる。どうやらメールのやり取りを文書化したものの様であった。死亡推定時刻より四時間前のやり取りのようである。文章は簡潔で事務的であった。
「被害者はヘイムスクリングラの書って代物を渡そうとしていたようだ。携帯電話のメールに誰かとのやりとりがあった。
メール相手は調べてみたが、どうもその携帯電話の契約者は携帯電話を横流し業者に売買していたようだ。だからその相手が何者かは分からない」
違法携帯電話の仲介業者を通していたなら、その線から調べるのは難しそうであった。一般の個人の名義でキャリア会社と契約し、名義を仲介業者に買い取って貰う。被害者の芦ヶ場誠‐あしがじょう まこと‐と、その連絡先の相手はその仲介業者から携帯電話を買ったようであった。そうすれば全く別の人間の名義の違法な携帯電話が手に入る。
芦ヶ場誠の素性はまだ明らかでないが、そんな物を利用している人間が潔白な筈もない。調べれば何が出て来るのだろうか。
逸賀灼は念のため聞いてみる。
「メールのやり取りをしていた人物はなんて名前でアドレス帳に登録してあったんですか」
「ロキ、と」
逸賀灼が怪訝そうな表情になる。
場違いにも北欧神話の神の名前が出てきた。「ロキ」。北欧神話に登場する悪戯好きの神である。神でありながら神々の敵である巨人族の血を引く存在で、悪知恵の働く存在とされている。ロキは善悪問わずに様々な事態を引き起こす存在で、最終的には巨人族と共に神々に敵対する事となる。
どういう意図で被害者の芦ヶ場誠は、メールの相手にそんな偽名を付けたのだろうか。
沈黙した逸賀灼を見て麻希‐まき‐は、話の中に出てきた気にかかる単語の意味を稲墨弘之に問いかける。
「その、ヘイムスクリングラってのは何ですの」
「軽く調べてみたが、北欧神話についての書物エッダを書いたスノリという人物による著書だそうだ」
初めて聞いた単語だと思いながら逸賀灼は携帯電話でネットに繋いでヘイムスクリングラと調べてみる。地下駐車場は電波が悪く、もたつくページ表示に逸賀灼は軽く舌打ちした。
ヘイムスクリングラ。北欧神話の神々について書した「エッダ」を著した人物スノリ・ストルルソンの手による書物。ノルウェー王家の王達の歴史事実についての内容であり、全16章も存在する大長編である。
初めて聞いた単語だと思った。さっぱり実感が沸かず、逸賀灼は携帯電話でそれについて詳細に書かれたページを麻希に見せる。
「カフトワンダーを開発した機関ミズガルズは、その組織内部の用語として北欧神話を模したものを用いている。今回の件と関連があると思わないか」
稲墨弘之の言葉に、逸賀灼は賛同出来なかった。返答を濁す。
それは少し無理のある理屈ではないだろうか。芦ヶ場誠が渡そうとしていた物と、その相手が北欧神話に絡んだ名前が付いていたから、彼が機関ミズガルズの人間だとするのは。
機関ミズガルズの詳細は一切が不明であり、ガイソウが何とかその手掛かりを掴みたいのは逸賀灼も理解している。機関ミズガルズには様々な嫌疑が掛かっている。資金の出所や非合法な活動。だが一番の問題は魔法に関する情報の殆どを、その一組織が独占的に握っていることであった。
魔法に関しては法規制は無い。当然である。そんなもの存在しないのだから。だからもし、魔法が非合法的な活動に利用されれば対処出来ない。
沈黙した逸賀灼を前に麻希が口を開く。
「今回の被害者ですが、身長が186センチ。日本人にしては大柄な方ですわ。
そして、先日の緑のレインコートの少女を連れていたコートの男。機関ミズガルズの交渉人と思われるその彼の身長も186センチです。ミニスコープ越しだったので誤差はありますが、ほぼ間違いないと思いますわ」
麻希の言い方は非常に自信に満ちあふれていた。それを聞いて逸賀灼は今一度、捜査資料に目を通す。
麻希の見る世界はデジタル的だ。非常に正確で精密な、そういう目を彼女は持っている。見ただけで彼女は距離だとか、大きさだとかを正確に把握することが出来る。彼女の才能は逸賀灼にとって職務を行う上で心強い存在だった。
身長の一致と胡散臭い名称、そんな頼りない二点に頼った推測。それを根拠にこの事件をガイソウで追うというのだ。逸賀灼は半ば諦め顔で頷いた。ガイソウはそういう組織なのだともう散々理解してきたのだった。
「分かりました。こっちで追いかけます」




