【6枚目・薄氷、雪無、硝子細工の交差点】
6-1
手狭な文書室の外から逸賀灼-いちか あらた-を呼ぶ声がした。防犯カメラから割り出した芦ヶ場-あしがじょう-が殺害された時刻前後に地下駐車場に出入りのあった全車両のナンバーを、照会することに疲れてソファに突っ伏しているところであった。身を起こして返事をすると、ドアの向こうからまた逸賀灼を呼ぶ声がする。ドアを開けてやると両手一杯に書類を抱えた麻希-まき-の姿があった。近くの机の上を手でどけてやって、そこに書類を置かせる。
「どうしたんですか、これ」
「文書室へ行くと言いましたら、押し付けられましたわ」
「それは災難ですね」
「神様とかが奉ってある場所ですわ」
「それは祭壇ですね」
「中華民国ですわね」
「それは台湾ですね」
「怖い話の事ですわ」
「それは怪談ですね。っていつまでやるんですか」
麻希は楽しそうに笑いながら逸賀灼の転がしてきたキャスター付きの椅子に腰をかける。逸賀灼はティーバックの紅茶を淹れる。いつも通りスティックシュガーを二本入れて溶かす。そうして麻希に渡すと彼女は嬉しそうに口を付けた。
ファイリングした捜査資料が保管してあるこの一室はいつも紙の匂いがした。未だ完全電子化されていない資料の山の中、その部屋の隅にノートPCを持ち込んで思考を這わすのが逸賀灼の趣味であった。
「それでどうですの。進展としては」
上野駅近くの地下駐車場で起きた殺人事件。被害者の芦ヶ場は不意打ちで三発の銃撃を受けており、それが死因である。被害者は他人名義の違法携帯を所有しており、そのメールのやり取りの履歴から「ロキ」と称する人物と現場で待ち合わせていたようであった。被害者の遺留品からはアタッシュケースの中身のみが消えており、その消えていたもの、「ヘイムスクリングラの書」を「ロキ」に渡そうとしていた事までが分かっている。
麻希の問いかけに逸賀灼はノートPCを回して彼女に画面を見せる。
「駐車場の防犯カメラから割り出した、被害者の死亡推定時刻より後に出場した車の色と車種、ナンバーのリストです」
麻希がのぞき込む。逸賀灼は言う。
「このパンダカラーのバン。ひまわりにありませんでしたか?」
「ひまわりの車なんていつ見たんですの。それにこのカラーのバンなんてありふれてると思いますわ」
麻希が渋い顔をして、逸賀灼はその言葉にPCのキーボードを叩く。防犯カメラの映像の一部を切り取った画像を開いて解像度と光度を上げる。バンの右側面を拡大する。解像度の問題で分かりづらいが、ドア付近にはへこみがあった。
それを指さした逸賀灼に向けて麻希は視線を上げる。
「ひまわりの車両と傷の位置が一致します。ナンバーが一致しませんが、偽装ナンバープレートを付けていた可能性があります」
「この不鮮明な画像ではハッキリしませんわ」
「ですが」
逸賀灼は言葉を仕切る。決まったわけではないが、「ひまわり」の存在が一瞬でもチラツいた事が気にかかった。
麻希が持ってきた情報は国会議員の都宏-つひろ-とひまわりに関してだった。経歴や活動内容、変遷。都宏は現在、54歳。現在当選は4回目で、宮崎県出身の衆議院議員である。自由新党公認。
ひまわりのデータを眺めながら麻希の話を聞く。書類上は何の問題も無さそうに見える。
「国会議員の都宏と、ひまわりはやはり関係があるようですわ。額は不明ですが、恐らく多額出資してますし、ひまわり代表の上幹-かみもとき-代表とも個人的な親交もあるようです。」
「職員の東占-とうじめ-については何か分かりました?」
麻希が提示してきた資料を見て逸賀灼は小さく口笛を吹く。東占についての資料であった。傷害一件、銃刀法違反一件。執行猶予付きで釈放されている。週刊誌の記事にあった「ひまわり」職員の傷害事件と、東占の起こした傷害事件の時期が一致する。にわかにあの週刊誌の記事に重みが出てきた。
東占の起こした傷害事件に、都宏議員が絡んでいる。そして東占は拳銃の入手経路とその扱いについて知識があった。そして、芦ヶ場が殺害された現場に、「ひまわり」の物と思わしき車両の出入りがある。
「仮に東占が今回のロキ、つまり被害者の芦ヶ場がヘイムスクリングラの書なるものを渡そうとしていた相手なら、何故殺害する必要があったのでしょうか」
「ロキは東占ではないという事ですか?」
「どちらの可能性もあり得ると思いますわ」
【6枚目・薄氷、雪無、硝子細工の交差点】
逸賀灼は店内に待ち合わせの人物を見つけて手を上げた。月夜沙也花-つや さやか-は逸賀灼の姿を認めると小さく手招きする。市ヶ谷駅近くのイタリアンレストランの店で待ち合わせていた逸賀灼は、その約束の相手である月夜沙也花の前で両手を合わせる。そんな彼女を見て月夜沙也花は微笑んだ。その手にしているグラスを指先で傾けてグラスの水面を揺らす。
「すみません、遅くなりました。沙也花さん」
「別に良いわよ。お仕事大変そうね」
「まぁ、少し。それ白ワインですか」
「そうよ。灼も呑む?」
「お酒苦手なんです」
逸賀灼はウェイターに炭酸水を頼んでメニューを開く。チーズとオリーブで白ワインを進めていく月夜沙也花が、自分と同じ二十歳であることに少し動揺する。その雰囲気はとても女子大生とは思えなかった。
月夜沙也花は都内の大学生であり、逸賀灼の個人的な友人である。こうして直接合うのは一年振りであり、久し振りの再会に二人は乾杯をした。月夜沙也花はグラスを揺らして柔らかな声を出す。逸賀灼は近況報告なんかを冗談混じりにしながらボロネーゼを食べた。
ペースを変えずに5杯目のグラスを空けた頃、月夜沙也花が表情を変えた。紙ナプキンを畳んで真剣な視線を逸賀灼に向ける。
「じゃあ、そろそろ本題に入りましょうか。児童養護施設ひまわり代表、上幹代表が巻き込まれた脅迫事件について」




