今はまだ異常
「誰を勇者に選ぶのですか?」
「この方でいいでしょう。他の二人には必要な知識を魔法で与えておいてください。くれぐれも起きて現状を気づかれる前に街の宿屋にでも置いてきなさい」
「分かりました」
そう言うと選ばれなかった二人を魔法で浮かせ、どこかへ運んでいく。
命令をした者の前には、魔法陣の書かれた床の上で眠る少年がいる。
この人以外は、なぜ異世界に居るのかも分からぬまま宿屋へ捨てられるのである。
二人を見捨て、一人には勇者として国に仕えてもらう。
優遇と冷遇、一人と二人。
どちらがいいかは人それだとは思うが、やはり殆どは前者を選ぶはず。
どんなに知識を埋め込んでも、それは経験には成り得ない。
知識だけでは無意味なことも多いのだ。それにその知識すらどこから得たか分からない。
そんな生活を私は二人にさせるのだ。
殺すこともできるのに、罪悪感を少しでも減らすためにただ捨てる。
自分がもう少ししっかり魔法を発動させれば、来ることのなかったなのに。
「せめて…二人が良い生活を送ってくれるよう願いますか」
そこで自分の台詞に笑ってしまう。
殺すこともできないのに、自分を守るために心配なふりをする。
「身勝手ですよね…私は」
その言葉は、自分以外の誰にも届くことはない。
この世界の名前は「アウノメア」。
そしてこの国の名前は「ラグノス」と言うらしい。
宿屋で起きた俺達は、見知らぬ場所でいつ得たのか分からない知識に困惑している。
なにせここが異世界だとすぐにわかってしまったのだ。驚かないほうが難しい。
通貨や言語、文字や歴史までスラスラと思いつく。
ゲームでいうステータスみたいな効果のある「神々の窓」や、現在の国の情勢すら分かる。
「どうなってるの…?」
隣で座っているレナが呟く。
だが俺はその質問に答えることはできない。なにせ俺も同じ状況だ。
今考えているのはお金のことだ。
お金の通貨は銅、銀、金貨。銅貨50枚で銀貨1枚、銀貨50枚で金貨1枚というレートまで分かる。銅貨1枚を1ユールと言うそうだ。
ふむ…どうやらある程度必要な知識を得ているようだ。
起きてからすでに1時間ほどたっている。
腹が減ったという欲求が、ここが現実だと言っている。
「とりあえず、何か食べに行かないか?」
小さく頷くレナ。
だがどこで食べればいいのかが分からない。
宿屋や酒場で食べることができるという知識はあっても、その場所がどこにあるのかわからないのだ。
最も近いのはこの宿屋だろう。
だがここでいいのかまでは分からない。何気なく食べたのが詐欺みたいな価格設定ということもあるかもしれない。
だがそんなことも言ってられないだ…今も少しずつ空腹の足音が聞こえている。
二人で下に降りると、宿屋の主人らしき人が声をかけてきた。
「あんたら起きたのかい?昨日はびっくりしたよ。いきなり駆け込んできてすぐ眠っちまうんだから。長旅で疲れたのかい?」
…おかしい。俺にはここに来たという記憶が無いのだ。
隣のレナも記憶に無いのか困惑している。
だが異世界から来たんです…とも言えないし、話を合わせるしかないだろう。
俺の考えに、レナもどうやら気づいているようである。
「はい、少し慣れない旅で疲れてたんです。えっと…お金って払いましたっけ?」
「忘れたのかい?10日分飯付きで支払ったじゃないか。さあさあ、立ち話も何だし座ってたべておくれ」
そう言って出してきたのは美味しそうなシチューだった。
食べながら更に頭を整理し、なぜ支払ったことになってるかを考える。
まずはご都合主義の説で、異世界にきた俺達が怪しまれないように世界自身がこの人の記憶を変化させたということ。
次に考えられるのは俺達の記憶が消えている説。異世界に来た俺達があまりにもありえない状況にふたりとも混乱していたという考えだ。
最後に考えられるのは、誰かが店主の記憶を魔法で変えた説。何のためにそうしたのか、誰がやったのかがわからないのでこの説も自信はない。
よって答えはお蔵入りだ。
他の客に配り終えたらしく、さっきの女性がこちらへ来た。
「私は雛の宿亭の店主、ロレシアだ。10日間よろしくね」
「私はレナで、あっちの男がレオンです。よろしくお願いします」
それから数十分彼女と話し、俺達の記憶が合っていることを確認する。
そしてようやく状況が飲み込めてきた俺達は、冒険者ギルド連合へ行くことに決めた。
知識の中にある最も稼げる職業で、最も死亡率の高い職業だ。
異世界では王道といえば王道。だが選んではいけない職業だ。
それなのにこれを選んだのは理由が二つある。
レナの我儘とほかに選択肢がないということ。
「旅をしたい!私の知らない所、私を知らないところへ行きたい!」と言っていたレナにとって、異世界とは夢の場所だろう。幸い俺達は二人共親なんかはいないし、悲しむのも少数の友人ぐらいだろう。
レナの場合は結構多そうだが…
そう言えば優斗はどうしたのだろうか?
俺達と一緒に川へ落ちたはずだが、あいつだけは助かったのだろうか?
それはそれで良かったのかもしれない。
俺とレナは消えても大丈夫だが、あいつには家族もいる。
少しむかつくが、あいつが助かったといううれしさのほうが大きかった。
さて、食事の次はギルド連合へ出発だ。
頭に渦巻くおもしろそうな情報が、落ち込んでいた俺たちの心を少し弾ませている。
レナと一緒なら、また昔のようになんとかなるだろう。




