第3腐 淫魔と死神
「どうしてやめるの?」
人差し指を唇に当てて、胸を強調するポーズをとって僕を見つめる六右馬。そのうるんだ瞳に見つめられて、僕の鼓動がますます速くなる。
「……」
手を、動かす。握ったり、開いたり。少しではあるが――動かしにくい。
「恥ずかしがっちゃって、体は続けたいっていってるけどなー」
「……お前はいったい何者だ?」
僕はおよそこの状況にふさわしくないと思える言葉を放った。
「何よ。失礼ね。私は六右馬春美よ」
「そんなことは知っている。――お前は何者だ?」
――――不死鳥の治癒能力。これは不便なのか便利なのかわからないが、異常なまでに発達していて、行き過ぎている。
想像できないかもしれないが、異常である。この能力はすべてのダメージを回復させるのである。
人によってはある、緊張による腹痛も。興奮によって息が荒くなることも、すべて回復させてしまうのである。
つまりは、人間にはごく普通にある、精神の問題で起きる体の問題すらも治療してしまうのである。とはいえ、精神までは治癒できない為に、感情だけが残されるので――すごく微妙なのだ。
…自分自身の感情が分かり辛くなる。
不思議なことに汗は出るのだが。まあ、その辺は微妙であるが。ともかく――僕は六右馬とキスしただけで、鼓動が早くなったのである。
まあ、一般的に見れば、童貞男が美人同級生にキスされた今の状況を見ると珍しい事でもないのかもしれないが、僕の場合は例外なんだ。
相手が人間ならば鼓動が早くなったり、息が荒くなるはずがない。ましてや、体が動かしにくくなるなんてあるはずがない。
つまりは、キスをすることで何かが起きた――この場合は、治癒能力ごと吸い取られたと考えたほうがいい。しかし、そんな能力を人間が持っているわけがない。ましてや、ドレインタイプの能力を持っている妖怪も、ほとんどいないと言ってもいい。少ないから、数を絞れる。キスで発動する能力ならば、間違いなく淫魔。リリスか――いや――
「サキュバスか――」
サキュバス。淫魔。夢魔。人と交わり、人の生力と精力を持っていく悪魔。まあ、男の子からしてみれば憧れの悪魔なのかもしれないが――命と交換なんて僕はまっぴらごめんだね。
六右馬はにやりと笑った。と、同時に彼女を黒いオーラが取り囲んで――あっという間に服装を変えた。
もはや大事な部分しか隠していないというほどに表面積の少ないレザーを肌に巻きつけたというように着ている。
髪は伸び、腰のあたりまで垂れ下がっている。背中の腰のあたりからコウモリのような翼が生えており、頭からもコウモリの翼のようなもので装飾されたカチューシャを付けている。
絵にかいたようなサキュバスが、僕の上に乗っている。いろんな意味で危ない絵だ。
ガタン、と、部屋の入口で音がした。僕が音がした方向に首を向けると――メイが、愛用の鎌を床に落として、ぼーぜんと僕達を見つめていた。
マズイ――
「メイ! ちっ、離れろ!」
反射的にサキュバスを蹴り飛ばす。
「なっ……人の男が誘惑に乗らないなんて!?」
「悪いけど、僕は人じゃないんでね」
「ふざけないで!」
六右馬は、押し倒すように飛びかかってきたが、転がってそのダイナマイトボディからのがれ、ついでに後頭部に蹴りをいれる。
「――ッ。やってくれるじゃない。いいわ。覚えておきなさい。貴方の心を壊してあげる。――助けてほしければ、泣いてお願いしなさい」
六右馬は窓を開けて、さっと、空へ羽ばたいた。コウモリのような羽が奏でる羽音は、金髪オールバックの吸血鬼を連想させる。
そうか――そういう事か――彼女から吸血鬼を連想したのは、彼女が人間よりも、そして死神よりも吸血鬼に近い存在だったからだ。
「……」
僕が黙って彼方へと消えていく六右馬を見つめていると、カタンと音がした。振り向くと、どうやらメイが落とした鎌を拾い上げた時に発された音らしい。
メイは顔をうつむいたまま、両手で鎌を持って肩を震わせている。メイはゆっくりと顔を上げた。
――メイは顔をぐしゃぐしゃにしながら泣いていた。
「うっ……うっ……酷いですよ燈火さん……あんな女に……」
うわああああんと、子供の用に泣きじゃくるメイ。ここまで悲しんでいるメイを見るのは正直言って初めてだ。僕の9倍以上生きているとはいえ、見た目はまだ中学3年生程だ。その幼い泣き顔が僕の胸をぎゅっと痛めつけた。
「メイ……いや、あれは……」
あれはなんだ?言い訳なんて出来るはずがない。彼女がサキュバスだからなんだ?だから仕方がない?違うだろう。僕はあの時――彼女がサキュバスだとわかる前から抵抗しなかった。されるがままだった。六右馬に、されたかったのだ。言い訳なんて出来るはずがない。それに対して、彼女が泣くのもまた、当然と言えば当然なのだ。
自分の愛している男が、別の女とベッドにいる姿を見てしまったのだから、ショックも大きいだろう。
「うわあああああああん!」
鳴き声と、怒声の混じった叫びをあげて、メイは僕の腹に向けて右手を突き出した。
反射的に――メイの拳を右手で受け止める。戦いに、体が慣れている。
しかしまあ、いくら受け止めれたとはいっても、デフォルトの状態で受け止めてしまったので、デフォルトと言ってもそりゃあ人間と比べればかなり戦闘力は高いのだが、怒った死神の右ストレートを受け止められるほど丈夫ではなく、僕の手首は、本来曲がる場合とは逆の方向へと、嫌な音を立てて曲がったのであった。
「ッ――」
何とか叫び声を上げないようにと歯を食いしばるが、僕の右手は支えを無くしたかのようにぶらんぶらんとだらしなくぶら下がっている状態にまで落ちてしまった。
少し動かすだけでも激痛が走る。回復は始まっていたが、やはりデフォルト状態の治癒能力には限界がある。
メイは拳を引いて、半歩、足を下げた。
「燈火さんなんて嫌い! 大っ嫌い!」
そういって、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら叫んで、長い銀髪を振り回して僕の顔を蹴りぬいた。
ごきりと、首の骨が折れる音と、頭蓋骨が粉砕される音が僕の頭の中に響く。
僕の足が床から離れ、六右馬春美が出ていくときに開けた窓をいい感じに通り抜けて、僕は2階から地面に叩きつけられた。
ギリギリのところで、僕は左腕の状態になることに成功し、死亡は免れることが出来たが、いきなり大ダメージを喰らった。
「燈火さんの馬鹿!!」
メイが窓から飛び出してきた。その手には、メイの愛用する、あの大鎌が握られていた。それを僕に振り下ろしてくる。
「しまっ――」
咄嗟に両腕をX字に胸の前でクロスさせて防御行動をとるが、この行為はもっとも無駄な行為だった。死神の大鎌の鋭さは尋常ではなく、防御行動は全く意味をなさなかった。
僕のクロスさせた両腕を斬りおとして、大鎌の刃は僕の胸に突き刺さった。
メイはその鎌を引いて、僕の胸から股にかけてを綺麗に切り裂いた。体の集中線に沿って、僕の胸から下が真っ二つに両断される。
真っ二つにならなかったのが幸いだが(ふと思ったが真っ二つになったらどちら側の体が再生するのだろう。二人になるわけがないし……となれば心臓の面積が微妙に多い左側だろうか。真相は不明だ。やってみなければわからないが、それで僕が二人になったら困る。)、それでもダメージは酷い。内臓も大ダメージを受けていて、しばらくは立ち上がれそうにない。
いや、これは、マズイ。メイが次の攻撃にうつるまでに回復するかどうかは微妙だ。吸血鬼の時の事を考えると、これならまだ回復しないというわけでもないだろうが、やはり回復が遅い。ようやく両腕が元に戻ったが、まるで胸から足が生えている人間の様に真っ二つにされた僕の体の傷は、たった今回復を開始したばかりだ。
しかし、その回復をメイが待ってくれるわけがない。これはまずい。
仕方がない事だけど――別にメイの気のすむまで攻撃されようかと思ったけど、そうはいかなくなった。これは死ぬ。だまって受け続けていたら死ぬ。多分、いくら僕に怒っているからと言っても、半分正気を失っているメイが、今の僕を殺して、そして正気を取り戻した時に自分が僕を殺したと知ったら、彼女はとても悲しむだろう。
故に僕は殺されてはいけない。自分の為にも、メイの為にも。殺されないためには、ただ攻撃を受け続けるなんてダメだ。
しかし――このありさまでは回避行動も出来ない。
ならば――
「メイ!!」
僕に向けて鎌を振りかざしてくるメイを一括して、もたれかかるように抱き着いた。
そしてただ一言、謝った。ゴメン。と。
メイはそのまま、僕に押し倒されて、泣いてはいたが――僕を許してくれたようで、僕を抱きしめ返してくれていた。
柔らかい――肌。やはり、普通の女の子だ。
真っ二つにされていた下半身が、回復を完了させ、傷が完治したところで――僕の意識は消えた。




