第3裂 泣いた男と暴力娘
井口幸子――いじめられっこ。ストレスを発散されるだけの存在。クラスの邪魔者。いないほうがいい。そんな彼女の唯一の友達。僕にとっても井口は、このクラスでただ一人の友達。僕の少ない友達だから、僕も大切にしようと思った。彼女がこれまで溜めてきた悲しみを忘れるくらい、僕は彼女と遊ぶと、仲よくすると、友達になって、この不死身の体で全てを受け止めてやるとそう決めたのに。僕は彼女の苦しみを受け止めることなんて出来なかった。僕はそれを果たす前に、彼女はこの世をサッタ。なゼなんだロう。ナゼ彼女ハシナナクテハナラナカッタノダロウ。井口ガ何カ悪イ事ヲシタノダロウカ。存在スルダケデ人ニ害ノアル化ケ物ハイテモ、存在スルダケデ人ニ害ノアル人間ナンテイナイ。ナンデ井口ガ死ナナクチャナラナインダヨ。簡単ダ。霧原ト東間ガコロシタ。
怒りを抑えることが出来なかった。僕は、壊れてしまった。物事をすべて悪い方向に考えてしまっている。わざと足音を立てて、霧原の机でダベっている霧原と東間を机を挟む形で、僕は机の前に立った。
僕の瞳は紅く染まっていた。それは僕が今、泣き続けている為、目が充血しているからでもあり、能力発動の合図でもあった。
「あ? んだよ鬼冴三ィー?」
「あれぇw? 泣いてるのw? マジウケるんですけどwwそっかーwオトモダチだもんねーww」
東間はクラス中に聞こえるほどの大声で僕に向かって言った。やじ馬たちが集まってきて、僕が泣いていることについてはやしたててくる。
へらへらと。全員が、全員。にやにやと。アハハと。
――何がおかしい。人が一人死んだというのに、お前等はなんでそんなに笑っていられる。いったよな、霧原、東間、お前等の言っていることが本当なら、なんで、井口が昨日、自殺してもおかしくない酷い事をされているところを見ておいて、しておいて、何故笑っていられる。井口を馬鹿に出来る?責任を何も感じていない?こんなものが人間なのか?お前等本当に人間なのか?人の死を楽しむなんて……まるで化け物じゃないか。もしも、それが本当なら、僕は人間になんて戻らなくていい。化け物のままでいい。化け物と思われたっていい。そっちの方が、気が楽だ。
「あのさ、あんな生きてるだけで有害なブス一人消えたくらいでウザいんだけどー」
「邪魔wwww」
その一言で、既に糸一本となりかかっていた堪忍袋の緒が切れた。
「うるせぇ」
もう、何も考えていなかった。ただ、井口の事を馬鹿にしたこの愚かな女子生徒を、罰そうと思った。
「ッ――超ムカツク!」
自分勝手な奴らだ。僕にうるさいと言われただけで、彼女は乱暴に筆箱から、カッターナイフを取り出した。チキチキと音を立てて、歯を伸ばす。
「アイツは死んで当然なんだよ! お前のほっぺも斬ってやるよバァカ!」
そういって、彼女は刃を最大まで出したカッターナイフを投げた。
コイツラは――何を考えているのだろうか。そんなことをしていいと思っているのか。他人の人生を勝手に決めるなよ。神でもないくせに。お前等はまだ人間だろうが。お前それでも人間かと説教される事が出来るだろう。僕は化け物だ。決して吸血鬼に言われたからではないが、心まで化け物になるつもりは無い。けれどもこれが人間だというならば、僕は人間らしくない。人間の行う行為が酷く腹立つ。
僕は、飛んできたカッターナイフの刃をを人差し指と中指で挟むようにして受け止めると、投げてきた東間の目の前に投げた。
音を立ててカッターナイフは机に突き刺さる。4センチくらいは突き刺さっているだろう。下手をしたら刃の先が机の板を貫通しているかも知れなかった。
「てめ――」
僕は霧原の机を片足で蹴りあげた。怒りで増幅された不死鳥の力は、まるで朝の時の能力の低下を感じさせない。恐ろしい脚力で蹴りあげられた机は激しい音を立てて天井に激突し、蛍光灯の破片の雨を降らせた。
生徒たちは叫びながら蛍光灯の破片の雨から頭を庇っていた。逃げるものやただひたすら叫ぶ者もいた。
僕はその、落ち着いていない教室に不釣り合いなほど、落ち着いた様子で――心の中では酷く怒っていたのだが――僕を怯えるように見つめている霧原と東間に聞いた。
「お前等、井口に何をした? 具体的に言え。じゃないと殺す」
…僕は霧原の襟をつかんで無理やり立たせた。いや、それはもう、持ち上げたといったほうが正しいのかもしれない。
「沈黙しても殺す。真実以外言ったら殺す。笑ったら殺す。井口に何をした?」
「離せよ! 別に何も――」
「いいから言えよ!! 殺すぞ!!」
僕が霧原を殴ろうとした瞬間、僕の顔面に衝撃が走った。視界がぐるぐると歪んで、僕は大量の机の中に飛び込んだ。
生徒たちの叫び声。僕は大量の机の中からゆっくりと起き上がる。額が痛い。切れているかも知れなかった。
須藤が――――僕を殴った。
「やめねぇか燈火! てめぇが本気でやったら、本気で殺しちまう!」
「あ?」
その時の僕に、もはや理性と呼べるようなものは存在していなかった。昨日も吸血鬼に対して怒りを覚えていながら、ここまで怒りはしなかった。それは恐らく、妹が生きていて、戻す方法があって、護るために闘っていたから。でも今は、怒りに身を任せて攻撃をしようとしていたから。井口は死んでいて、戻す方法は無くて、憎しみに任せて闘おうとしていたから。
「邪魔をするなぁ!」
怒りで我を忘れた僕は、何も考えずに須藤に走り寄り、掴みかかった。
「一回落ち着かせるぞ! 許せよ!」
須藤は僕を突き放して僕の脇腹に蹴りを入れる。激しい衝撃と内臓へのダメージで、呼吸が困難になり、朝食べたものが口から飛び出そうになるが、それら全てを気合でねじふせ、僕は自分の腹にめり込んでいるその足を抱えるようにして掴んだ。
…そのまま、振り回して、須藤を窓ガラスに叩きつけた。強化ガラスに、蜘蛛の巣のようなひびが入る。
「か……はっ……」
須藤は苦しそうに呻いて床に倒れたが、僕が倒れている須藤に突撃していくのを確認すると、転がるようにして僕の左手の一撃をかわした。堅い床に拳を叩きつけた僕は、反射的に左手を引いて、右手で左拳を抑える。
それをチャンスと見た須藤は防御行動も、攻撃も出来ない僕の頭に、強烈な回し蹴りを喰らわせた。体が2、3度空中で回転し、掃除用具入れの扉にぶつかる。鉄製のものだったが、恐ろしいほどに凹んでいた。
須藤も十分化け物だ。
「落ち着けよ! 本当に!」
「だって――! だって――!」
立ち上がって、子供のように叫びながら、須藤へ拳を構えて駆け寄る僕。
「落ち着けっていってるだろうが!」
須藤の速く、鋭い強力な右ストレート。その攻撃を僕は、体を左にそらすようにしてかわした。そのまま、速度を落とさずに須藤の腹に右フック。
「ぐあっ――」
しかし、須藤も須藤。
…不死鳥の力で殴ってしまえば、普通の人間なら死んでしまうのかもしれないが――やはり今日は著しく能力が低下しているようで、机を蹴りあげた瞬間や、須藤を振り回した時以外は、運動能力の増加はみられない。その為――不死鳥としての力を失っている今の僕に、喧嘩慣れした須藤にかなうはずもなく――頭を引っ張られ、前のめりになった僕の後頭部に須藤のひじ打ちが直撃して、僕はその場に倒れた。
意識を失いそうになったが、倒れた時の衝撃で覚醒し、なんとか意識を保つことが出来た。不死鳥の力が殆ど封じられているとはいえ、潜在的に不死鳥の力が残っているのだろう。僕は、人間では考えられない程にタフだった。
後頭部の痛みに顔をしかめながらゆっくりと立ち上がる。
笑いものになるかと思ったが、そうではなかった。僕の事を、怯える目で見つめるものが、ほとんどだった。天井に届くほどの威力で机を蹴りあげて、最強の不良に負けたとはいえ、あの一撃を食らっても立ち上がる男。人間とは思えない威力での喧嘩。――他人から見れば化け物なんだろう。
僕が立ち上がったのを見て、須藤は驚いたような表情を見せるが、直に身構える。僕は両手を軽く上げて
「ありがとう。ごめん。落ち着いた」
と、言った。それは、僕としては降参の合図であり、仲直りでもあった。
須藤は戦闘態勢を解いて、その場にへたりと座り込むと、にかりと笑って僕の方を向いた。自分に殺意を向けて、自分に一撃を食らわせた相手によくもそんな顔を出来るものだ。――――申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「いやぁ。お前が不調でよかった。――本調子のお前が理性をなくしたとなれば、オレも本気で命を捨てる覚悟がいるところだった。今回は骨折位の覚悟で止めに入ったんだけどな。いやー。二人とも怪我が無いうちに終わってよかったぜ」
え、そんなに!?と、いうような驚きの表情をしたものもいたが――そんなことも構わず、みんなが僕達二人を中心に囲むように見ている中で――――僕は倒れるように須藤の豊満な胸に抱き着いた。
「オ、オイ?」
須藤の戸惑うような声。
キャッという声や、うおおと、感心するように僕達を見る奴、はやしたてる生徒もいたが――僕は、そんなことも気にせずに子供の様に泣きじゃくった。
「う゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛…いぐぢがぁ……いぐぢが……」
「っ――やっぱりか」
僕の頭を軽く、母の様に優しく頭を撫でてくれる須藤。――化物だけど――僕だって人間の子で、泣きたい時はあって――子供みたいに、ただひたすら――須藤の胸で泣いていた。




