第9歯 不死男と吸血鬼
古びた廃教会のドアに手を当てると、ドアはギィィと嫌な音を立てて教会のドアが開いた。教会の中は、静かで、とても暗く、漆黒に包まれていた。それでも僕の眼は、敵をしっかりと捕らえていた。
小さな教会。4人ほど座れる地面に固定してある長椅子が綺麗に並べられている使われていない教会。
その小さな教会の祭壇にたたずむ、黒いマントを羽織った、金髪オールバックの、26歳くらいの男の吸血鬼を――吸血鬼は、女を抱いていた。血を、吸っていた。
「ほう。何の用だ。こんな夜中に」
吸血鬼は、抱きしめていた女をはなして、こちらを向いた。
吸血鬼が女を離すと、女はその場にどさっと倒れた。死んでいる――吸血鬼化はしないようだ。そうか。吸血鬼化には多少の時間がかかる。人間が吸血鬼に血を吸われた場合、吸血鬼なるが、吸血鬼になるまで数時間を有するという。まあ、後数時間もすれば日の出なので、この女の人が吸血鬼になっても明日(今日)の夜まではまともに動けないだろう。
吸血鬼は血だらけの口でにやりと笑った。その口には、以津花のそれよりも鋭い牙が生えており、その吸血鬼の眼は、赤かった。以津花の時は、黒目にあたる部分のみが赤かったが、この吸血鬼は瞳全体が赤い。吸血鬼は真紅に輝く眼で、僕を見つめていた。
「人間よ。この状況に驚かないとはな。感心だ。――フム。この感じ。お前は、本当に人間か?」
いかにも貴族です。と、言うような高貴な話し方で、言いながら、吸血鬼は祭壇から飛び降りてカツカツと吸血鬼はこちらに歩いてきた。
その動作だけで、いや、もう吸血鬼の姿をとらえた時から、僕の人間としての生存本能か、化け物の本能か――僕の全身が逃げろと悲鳴を上げていた。
まるで自分の命を相手にゆだねているかのような感覚。心臓を掴まれているほどの感覚。
それでも僕はそんな恐怖の表情をつくらずに、平然を装って吸血鬼に向かって言った。
「僕の妹が随分と世話になったようだな……吸血鬼」
「妹……フム。そんな娘が――ああ、思い出した。この匂い、私が今日襲った娘に似ているな。最初は抵抗したが、家族を皆殺しにすると脅したら動かなくなったわ。愚かな奴だ。私がお前の家族の情報など持っているわけがないのに。しかし、あの娘の血は美味であった……なるほど、お前の妹だったとはな。礼を言わせてもらおう。実に美味であった」
僕の顔の前にずいっと顔を近づけて、吸血鬼は口を大きく開いてにやりと笑った。あざ笑うかのように。
この野郎――完全に馬鹿にしやがって。
吸血鬼は僕の顔から顔を離して、見下すように僕を見下ろした。
「しかしあいにく、私は男の血は吸わない主義でな。だから……お前は死ね」
吸血鬼が言った瞬間、僕の体は壁に叩きつけられていた。肋骨がメキメキと音を立てている。
は――?今何が起きた?
僕が状況を理解できないまま、壁からずり落ちて、地面に倒れた。
「愚かな人間だ。吸血鬼と知っておきながら、私に向かってくるとは」
完全に僕が死んだと思い込んでいるのだろう。倒れたまま動いていない僕に向かってカツカツと音を立てて近付いてくる。
だが、僕はこの程度では――
「何っ――」
僕は、跳び起きて吸血鬼の頬をおもいきりブン殴った。ゴッと鈍い音が響いて、吸血鬼がふらふらとよろける。
吸血鬼は一瞬驚いたような顔をしたが、にやりと笑うと、フハハと高笑いをした。
「やはりお前は人間ではないのか。面白い!」
吸血鬼は、殆ど予備動作なしで、僕の視界から消えた。次の瞬間、ずしりと背中に重い感触が走ったかと思うと、僕は地面をごろごろと転がっていた。
僕は両手をついて前転の要領で起き上がる。吸血鬼は僕が起き上がったのを確認して、にやりと笑った。そして、また、予備動作なしで動いた。
予備動作無しとか反則だろ――――
一瞬で、僕の眼の前まで迫ってきたかと思うと、次は僕の腹を殴った。僕が吹き飛ばされる前に僕の頭を掴んで吹き飛ぶのを防ぎ、ぱっと掴んでいる僕の頭を離して僕のこめかみに強烈な蹴りを叩き込んだ。
ぐしゃりと、頭蓋骨が脳ごと陥没したのを感じた。一瞬意識を失ったが、すぐに意識は戻る。
もはや痛いなんてレベルじゃない。今完全に1回死んだ。それでも生き返ってしまうのだから、なんだかんだ言ってもこの体は便利なものだな。
ずどんと。僕の頭がちぎれてしまうんじゃないかと思うほどの衝撃が走った。意識が戻ったばかりでぼーっとしている僕の頭を、吸血鬼は躊躇なく蹴りあげた。そのまま、蹴りあげた脚を振り下ろしてきた。
蹴りあげからのかかと落とし。
あまりの速度の連続攻撃――上下の攻撃の衝撃がほぼ同時に襲いかかってくる。まるでサンドイッチだ。
僕が再度意識を失い、意識を取り戻した時には、吸血鬼の脚が僕の胸に触れていた。吸血鬼はサッカーボールを蹴るようにして僕を弾き飛ばした。
僕は壁を破壊して床に倒れた。辺りに飛び散った血が炎を上げて消えてゆく。僕は露わになった鉄筋を掴んで、それを支えにして立ち上がった。
口の中にたまっていた血を咳き込むようにして吐き出した後、大きく深呼吸をした。
見えなかった――河童や以津花の時とは違う。見えるけど対応できないんじゃなく、見えない――
吸血鬼の方を振り向く前に、僕の脚は地面から離れていた。吸血鬼の攻撃だと理解する前に、空中で、頭と足が左右逆転しているような、逆立ちに近い状態の僕の頭を吸血鬼は蹴りあげた。僕はくるくると回転しながら天井にぶつかって、そのまま床に墜落した。
速い――見えない――勝てない――!?
見えないんじゃ、対応のしようが無い。事実僕は吸血鬼にいいように弄ばれているだけで、最初の不意打ち以外に僕は吸血鬼に攻撃をしてすらいない。する暇がなかった。
吸血鬼は、相変わらず僕を見下すように見下ろしていた。




