第3泳 不死鳥男と河童
「何やってんだアイツら!」
悲鳴を聞くと同時に羽津花姉は素早く立ち上がり川へ向かって走り出した。普段は頼りないが、こういう時は頼りになる姉だ。そう思いながら僕も立ち上がり後を追って走る。
『燈火! あの女子を止めろ!』
ウィンドが、何かを訴えるように僕の頭の中で叫んだ。普段とは違う雰囲気のウィンドが言った言葉で僕はすぐに察知した。泳ぎの上手い魚住がそう簡単に溺れるわけはない。足を攣ったと言う可能性も無くはないが、足を攣った時の対処方法を車の中で以津花に教えていたほどだ。魚住なら対応できるはずだ。
それに、普通に溺れただけじゃ、ウィンドが羽津花姉を止めろなんて言うわけがない。と、いう事は――化け物か
原因が化け物なら、羽津花姉が助けに行くのは危険すぎる。僕じゃなければ――殺される。
まあ、メイとかは大丈夫なのかもしれないけど。実際、僕はメイに殺されかけたわけだし単純な戦闘力ではメイの方が……ってそんなことを言っている場合じゃない!
「羽津花姉! 止まってくれ!」
前を走る羽津花姉の背中に叫びかけるが、羽津花姉は足を止めない。それはそうだろう。 ここで足を止めるのは、普通なら見殺しにするのと同じだ。だけど今回は違うんだ。羽津花姉まで危険なんだ。だから、絶対に止めなければならない。
普段はあんなにゴロゴロダラダラしている羽津花姉だが、さすが小中高と陸上部なだけあり、僕との距離は一向に縮まない。このままいけば後数秒で、羽津花姉は川に飛び込むだろう。僕の脚じゃ、追いつけない。
だから僕は、頼んだ。ウィンドに力を貸せと。
――ウィンド。力を貸せ。
どうせ力をかりずに川に飛び込めばこっちまで溺れてしまう。僕は泳ぐのは得意ではない。というか泳げない。もはや、この力で底上げされている身体能力によって水泳が可能になっていることを願うだけだ。
『わかっておる。どうせわらわは、お主には逆らえん。だが、気をつけるのだぞ。肺活量は人間とは比べ物にならんほど上がっているが、溺死は不死鳥にも有効だぞ』
そういや、そんなこと言ってたな。今回は僕もちょっと覚悟がいるようだ。死――生き物には絶対につきまとう物だが、この体になってからは全く意識していなかった。
『……フン。足を止めんとはの。てっきり死を意識したら動かんくなるかと思ったのだがのう……死ぬでないぞ』
僕の左腕からわさわさと赤い羽毛が生えてくる。燃えるように紅い羽毛に包まれ、僕の左手の爪が鋭く尖る。僕の知っている僕の手では無い、化け物の腕。その腕を確認した後、僕は思い切り地面を蹴った。
人の走る音とは到底思えないような爆音が響き渡り、一瞬で羽津花姉と僕との距離が縮まる。
羽津花姉の肩を右手で掴んで、羽津花姉を無理やり止める。
「何するんだ燈火!」
「羽津花姉。いいから任せて」
羽津花姉は、驚いたような顔をしたが、少しきょろきょろした後、うなずいた。
よし。
川に走り寄って川の様子を確認する。川にはあたふたしている以津花しかいなかった。魚住の姿は、無い。
沈んでしまったか――クソッ!
とりあえず、以津花の安全を確保しなければ。以津花まで化け物に襲われたら対応できない。
「以津花! 岸へあがれ!」
いつもの僕とは考えられないほどの大声で、以津花を怒鳴った。以津花は驚いたのか、ビクッと身をすくめたが、すぐに顔をぐしゃぐしゃにして泣き出した。
「でもっ……でも!人美ちゃんが!」
ひっくひっくと涙を流す以津花。任せろ。お前の友達は僕が助ける。
「僕に任せろ! 危険だから、お前は岸へあがれ!」
川の様子が一番よく見えるのは、高いところだ。僕の眼なら、水中に沈んでいる人間程度、見つけれるはずだ。
どこか、高いところは……あそこだ!
僕は、目についた大きな、高さおよそ3メートル位の岩に駆け上がった。ガガガッと酷い音を立てながら無理やり岩を駆け上がる。
岩のてっぺんに立ち、川を観察する。僕の瞳が紅色に輝く。不死鳥の視力で魚住を探さなければ――どこだ、どこだ、どこだ――アレか!
澄んでいる川の底に沈んでいる魚住を見つける。ゆらゆらと力なく漂っているところを見ると、意識がないようだ。マズイな、ここから、向こうまで軽く10メートルか……よし。
深呼吸して覚悟を決めた後、岩を蹴り、跳んだ。この程度の距離、今の僕ならひとっとびだ。スグに着水するように僕は出来るだけ高度を下げてジャンプした。狙い通りの場所に上手く飛び込めた。ザブンと魚住の隣に飛び込む。水中に潜って力なく水を漂っている魚住の腕を右手で掴んで、無理やり引き上げようと引っ張った。
――引き上げられない。下で何かが引っ張ってるのか?
引っ張ってる物を確かめようと魚住の体を確認する。頭、首、胸、腰、足……左足首を何かが掴んでいる。緑色の……手?
僕がそれを手だと認識した瞬間、僕の体は川底にグイっと引っ張られた。何事かと下を見ると魚住を掴んでいるのと同じ、緑色の手が僕の右足首を掴んでいた。
手の主を確認しようと腕を眼でたどっていく。緑色の小柄な体、鳥のような大きなくちばしに、水中で鈍く光る丸い眼。そして頭には、大きな皿。河童か。
しかし、そのカッパは僕が最近よく目にするかわいらしい河童とは違い、豪く凶暴的で恐ろしいスタイルだった。体格は中学生程度だが、その腕はがっちりと僕を掴んではなさない。
この野郎――!
僕は左足で僕の河童の手を僕の右足ごとおもいきり蹴った。相当痛かったのだろう(僕も痛かった)河童は僕の足を掴んでいる手をはなした。今だ――!
僕は水をおもいきりかいて河童のすぐそばへと潜る。
――魚住を、離しやがれ!
河童の右頬を左手でおもいきり殴った。グギャッとカエルが潰れた時に出すような悲鳴を上げて河童は魚住を離した。今だ。
僕は魚住を左手で掴んで、川底を蹴り、一気に水面へ上昇した。魚住に負担がかかるといけないために少々手加減したためか、僕は半身ほどしか水面から飛び出さなかったが、これだけ出れば十分だ。
「メイ! 魚住をッ!」
「任せてください」
魚住痛かったらゴメン!
僕は無理やり魚住を左手で持ち上げ、振り回すようにして川岸に投げた。メイは楽々とそれをキャッチすると、走って車の方に向かって行った。以津花と羽津花もメイに続いて車に向かう。ナイス判断だ。ここだと危険すぎる。
「燈火! 大丈夫か!?」
須藤がこちらに走ってくる。水で濡れてブラジャー見え見えの胸が大きく揺れる。わぁお。
「ああ、だいじょう――ぶっ」
河童が僕の足を掴んで川底に引きずり込んだ。今度は、両足。バタバタともがくが強烈な力によって押さえつけられる。水中だからなのか、思うように力が入らない。
僕を掴んでいる河童の手を殴ろうと腰を曲げて河童の手を殴るが、姿勢が悪くて殆ど威力が無い。
離せ――
河童が僕の両足を持ったまま川底に僕を叩きつける。水の抵抗を感じさせない速度で叩きつけられた僕の肺から貴重な酸素が絞り出される。
――息が……苦し……
貴重な酸素を絞り出された僕はなんとか酸素を入手しようともがくが、河童は一向に僕を離してはくれない。
僕の心を、死への恐怖心が支配していった。