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※ぬるいですが性的描写ありです

 車は夜の街を滑るように走り、気づいたら日本家屋の前に横付けされていた。俺はぼんやりと景色を見ていたつもりだったが、何一つ覚えていなかった。きっと、車内の暖房に頭が浮かされたからではなくて、竜胆に握られている右手に意識が集中していたからだろう。自分でも認めがたかったが、車が美容院の駐車場を発進してから数十分彼は何も言わないまま俺の手をずっと握っていて、俺も悪い気がしないのだった。そもそも自分が離れがたくて引き止めた手だ。ずっと心臓が高鳴っていて頬も火照る。竜胆に触れられている、指が、そこから伝わる熱が、俺をずっと浮かしている。さっき触れた唇がじわりと熱を持つ。俺はこんなに女々しかったっけ、と、考えようとしても、すぐに竜胆のこと――俺を好きだと言う顔、視線、そして涙――にすりかわってまともなことなんか何も考えられなかった。

 鷲頭が運転席から降りて、どこかに行っている間にまたするりと竜胆が俺の頬に触れてキスをしてくる。唇をついばむようなキス。彼の口の端から漏れる息は熱い。しばらく見つめあったが、竜胆の顔はほぼ影になっていてよくわからない。唯一光をともす彼の瞳には俺が小さく映っていた。痣の残る頬に触れる。髪の毛以外に触れたのは初めてだったが、予想通りすべすべとしてそこらの女性よりもきっときめが細かいだろうことが想像できる。痛くないか、と尋ねたら、平気だよ、と答える。

「……九条さん、そんな顔しないでよ」

「……は?」

「誘ってるでしょ、えろいよ」

「ばか。……竜胆くん」

「うん?」

 口を開いたとき、外から窓をノックされた。肩をすくめたまま振り向くと鷲頭が覗き込んでいた。俺と目が合うと彼はドアをあけた。竜胆に促されながら車を降りる。温められた体が一気に冷やされて、気持ちがよかった。はあ、と口からでた吐息が淡く白くなる。後ろから竜胆が出てきて、俺の腰に手を回した。そのまま押されるように日本家屋の門をくぐる。小さいがよくつくられた前庭があり、玉砂利の中に飛び石が数メートル、玄関に続いていた。ほの白い街灯を浴びて怪しく光っている。背後で車がゆっくりと発進してどこかに行ってしまい二人きりになる。だからかよけいに、竜胆が踏みつける玉砂利の音が辺りに響くようだった。できるだけ飛び石の上を歩くようにしたが、等間隔ではないから歩きにくく、結局は玉砂利を踏みならすことになった。

「俺の家、っていうか、部屋っていうか…離れみたいな…まあいいよ入って」

 玄関の引き戸は鍵をあけないでも簡単に開く。さっき車を降りた鷲頭が鍵をあけていたのだろうと思いつく。それを問う間もなく、玄関に押し込められるように入って、竜胆は後ろ手で戸と鍵も閉めた。薄暗い玄関はそれでもかなり広く、藺草の匂いと檜の匂いがしている。ガラス戸を通して入る門灯の光に照らされた玄関のたたきが、青黒く照っていた。黙ったまま上がりかまちに腰を下ろして、暗い中目を細めながらスニーカーの紐を解く。いつも靴から足が浮かないようにと紐をきつめに結んでいるから、暗いのと手に力が入らないのとでうまく解けない。正面に立っていた竜胆はすっとしゃがみこみ、俺が解いていないほうの靴に手を伸ばす。

「いいよ」

「やらせて。ねえ、さっき言い掛けてたことって何」

「いや……髪の毛を触りたくて」

「はっ、職業病?彼女の髪の毛、よく触るの?」

 竜胆はけたけた笑った。確かに付き合った子の髪の毛を触るのは好きだったが、でも彼ほど好みの髪質はいなかった。そして、自分は興奮すると相手の髪の毛に触れたくなる、という嗜好を思い出す。俺、興奮してるんだ。ふと顔を顔を上げると竜胆のつむじが見えるところまで来ていた。そっと靴から手を離して髪の毛に触れる。やはりいい質をしている。何度も染めたり切ったりしていたけれど、コシとツヤは失われていない。少したばこ臭いが、好きな髪質だ。髪の毛をすいていると首が動いて、少し恨めしそうに竜胆が俺を見ていた。予想以上に顔が近い。心なしか頬が赤くなっているのがこの暗さでもわかるようだった。目が潤んでいる。

「ずるいよそんな風に触るのは」

 暖房も何もはいっていない、戸を一枚隔ててすぐ外の玄関は寒いはずなのに、俺たちの温度はどんどん上がっていくようにさえ感じる。彼の湿った息が、俺にかかった。きっと、俺の息も彼にかかっている。自然と瞳を閉じた。唇の感覚だけで、彼を感じる。温かな舌が口に入ってきて、歯を歯茎をそして舌を、なぞっていく。女の子としばらくキスもしてなかったのに、だからか、男とでもひどく興奮している。俺は案外男でもいけるんだろうか。そんなことをかき消すように竜胆の舌使いが激しさを増して、さっきまでのキスは大分抑えていたのだとぼんやり思った。

 静まり返った玄関には俺たちの絡まる音が響いている。たぶん、本当はそんなに響いてないんだろうが、こんなに静かなところでキスをしたのは初めてで耳に、つく。でも、いやじゃ、ない。

 座ったままキスをしていたが、だんだんと竜胆が覆いかぶさるようになってきて冷えた板張りに寝転んだ。分厚いジャケット越しでも背中に冷たさが伝わってくる。それがまた興奮を煽った。感覚が敏感になっていく。首筋に鳥肌がたった。そこに、竜胆がキスを落す。舌を這わせる。吐息がさらに俺を敏感にさせる。

 丁度俺の太ももに彼の股関が当たる。

「鳥肌、寒い?」

「いや……ていうか……君の固いのがあたってますが」

「やらしく髪の毛触るからだよ」

 耳を噛まれる。ばか、と、払いのける手に力は入らない。ねえ、と、竜胆の吐息が耳にかかった。

「本当に、いいの。俺、九条さんがどう思ってるかも関係ないよ。俺がしたいようにするよ。いいの」

「……聞くなよ」

「九条さん、けっこう流されやすいでしょ」

「うっ、るさい、な」

「でも、それでいい」

 真正面に竜胆の顔がある。うるんだ瞳は仔犬にさえ見える。まあ実際はそんなかわいいもんでもないのだろうが。今はそれでもまだ少し怯えながら、震えながら、うかがいながら俺に触れる竜胆が愛おしかった。

 加えて、ここまでのキスをされておきながら断れるやつなどいるのか。まともな判断なんか浮かされた脳ミソでできるわけがない。

「じゃなかったら、ここに来てくれなかったろ」

「は……どうかな」

「ねえ、俺のこと好きになってくんなくてもいいからさ……今日だけはさ……」

 彼の手が体にそって降りてきて、ジーンズのジッパーに指がかかる。あわてて膝を折って足を閉じたが、彼の手はそこをしっかりつかんでいる。あっという間に片手でベルトとジッパーを下げられた。隙間から竜胆の手が入り込んでくる。

「そこはっ……」

「起ってるよ?しばらく抜いてないの?パンパン」

「聞くな、ていうかお前が言うな」

「触らせて」

 大分ご無沙汰だったとはいえ、これまで女の子とセックスをしたことがある以上自分ではない他人に触れられたこともある。が、やはり女の子の触り方とはわけが違う。布越しではあるが的確に刺激してくる。先端を、全体を、上を、下を。言葉にならない言葉が、咽喉からそのままあふれたような声が、外に漏れる。それに煽られたのか竜胆はさっきよりもわずかに乱暴にキスを求めてきた。わけもわからないままただ舌をからませる。

「っ……っ……りん、ど…く……ん……」

「すげえもえるよ。九条さんエロい」

 彼の手がとうとう下着の中に入ってくる。腰浮かして、とささやかれてその通りにするとジーンズと下着が太股まで下ろされた。シャツとジャケットももめくりあげられる。床も空気が冷たい、けれど、そのせいで興奮する。

 自分の先端からあふれる先走りの液体と、竜胆の指がこすれる音が卑猥に響いた。息があがる。男に触られている。竜胆に触れられている。十も違う年下に。そういう罪悪感だか背徳感だかわからないものにさいなまれながら、彼の背に手を回していた。竜胆の手の動きがより早くなる。

「だっ…めだ………そんなっ………りん…ど……イっ…」

「いいよ、イって」

 瞬間、自分でも情けない声が出た。自分のものが波打っているのかそれとも竜胆の手が震えているのかは定かではない。竜胆がまた優しくキスをしてきた。寒い中なのに、俺の鼻の頭には汗が浮いている。あはは、と彼の気の抜けた笑い声がして、閉じていた目を開くとじっとこっちを見ていた。どうしたの、と、かすれた声しかでないまま尋ねると、俺は嬉しいんだけど腕離してもらえると助かる、と言う。かなり強く彼を抱きとめていたようだった。腕を解くと竜胆は立ち上がって、着替え持ってくるから寒いけどちょっと待っててくれる、といって奥に消えてしまった。お前はいいの、などと尋ねるタイミングも失ったまま俺はだらしなくジーンズと下着を下ろして腹を出して寝転がって、知らない檜張りの天井をぼうっと眺めていた。



「ごめん、あんなするつもりなかったんだけど」

 さすがの竜胆も照れているのか、あはは、と笑って俺の前にお茶を出した。なんとなく股間を見てしまったがたっているようには見えなかった。彼も着替えてTシャツとジャージだけになっているのを見ると、やはり普通の学生にしか見えない。まさか彼が組長だなんて、まったく想像もつかなったし実感としてもわいてこない。ただ、この空間に自分がいることがそぐわないということはわかる。

 着替えを取りに奥に消えた竜胆はひとまず家中の電気を全てつけた。玄関で着替えると廊下に沿うようにあった二部屋のうち、手前の部屋で待っているように言われた。床の間と座卓のある部屋だ。縁側があるようで、障子で見えないがおそらく前庭と続く中庭もあるのだろう。一番奥には台所らしく、かちゃんかちゃんと食器のぶつかる音がする。彼を待つ間、部屋全体をぐるりと見回した。襖にはいかにもな龍と虎の水墨画ようなものが描いてあって、欄間にも何かはよくわらないが趣向をこたらしたものがほりこまれているようだった。「華門組」という、さっき目にした文字の軸が床の間にはかかっていて、すぐ下には二組の刀が置いてある。実家にももちろん和室はあって床の間もあるが、この部屋のような重厚な雰囲気はまずない。襖には何も絵は描かれていないし欄間も言ってしまえばただの格子だった。もう一度床の間に目を移してこういう画を時代劇なんかでよく見るな、脇差っていうんだっけとぼんやり思っていると竜胆がマグカップをのせたお盆を持って部屋に入ってきたのだった。

「キョロキョロして、面白いものでもあった?」

「いや……竜胆くんが本当に極道なのかと、思って、ちょっと……」

「生い立ち聞きたい?」

 ふっ、と彼は鼻で笑うようにしてマグカップを持った。白い、何の模様もない殺風景なカップには少し濃い目の緑茶が入っている。豊かな香りの湯気が鼻をくすぐると、急に空腹感に襲われて腹がだらしなく鳴った。竜胆が俺を見て笑い、台所からビニル袋に入ったままの蜜柑を持って来て座卓に少し乱暴においた。これでよかったらどうぞ、鷲頭が持ってきたんだけど、と付け加える。二つ三つこちらによこした手から受け取り、俺は食べ始めた。少しすっぱかったけれどすきっ腹には何でも美味い。竜胆は蜜柑をほおばる俺を見ていた。何を言うでもなく静かに沈黙が流れる。ときたま思い出したように天井に埋め込まれているエアコンが温風を吐く。

「俺の、竜胆っていう名前」

 沈黙を苦として話し始めたというわけではなさそうだったが、彼はこちらを見ていない。じっとマグカップに目線を落している。その、愁いを帯びているような顔でさえやはり絵になるのだから男前というのは得だ。俺は少しずつカップに口をつけながら蜜柑を口に運びながら、彼の言葉に聞き入った。彼の声はいつもの険阻とした雰囲気は幾分かそがれており、少し諦めを含んだような声音だった。

「うちの家紋なんだよ。花言葉は『正義』とか『誠実』。こんな家業で何言ってんだって話だろ」

 そこで大きく一口、緑茶を飲んだ竜胆から自嘲の色はぬぐえない。

「まだほんとジャリガキのときはうちのこと全然わかってなかったけどさ。親父は今も昔も怖いしうぜえし、おふくろだけが救いだった。周りにいるやつらも鷲頭みたいのばっかりだったしさ、大人に囲まれた生活で当然ダチなんかできるわけもない」

 まだいたいけな、おそらく愛らしい顔をしていた竜胆を囲む、鷲頭に似たり寄ったりのいかにもな男たちを想像するとぞっとしない話だった。兄弟がいないと言うのは本当のようで、一人っ子だったから学校の送り迎えも父親の舎弟が交代で請け負っていたらしい。それでは友人もできてもすぐに離れてしまうだろう。そのうち適当に一人に選んだのが鷲頭だったという。鷲頭の父親は竜胆の父親の右腕だったらしく、親子二代で組の頭の右腕だよ、と、竜胆は言う。

「嫌だったよ。けどさ、誰も俺を見てくれない。見てるのは結局俺のバックの華門組。やさしかったおふくろも、結局華門の女だった。俺が小学生のときに死んだけど、最後まで弱音もはかないで親父をよろしく頼む、華門をよろしく頼むって言って死んでった」

 竜胆はおもむろに立ち上がり、自分の後ろにあった天袋に手を伸ばした。黒塗りの箱や漆塗りの箱がちらりと見えたが、その中にある古びたクッキー缶を取り出して蜜柑のビニル袋の隣に置いた。どこかでかいだような懐かしい匂いがふわりとひろがって、俺の頭の中によくわからないがセピア色の風景が思い浮かぶようでもあった。彼はその缶から一枚の写真を取り出す。まさか写真は白黒でもセピアでもなくカラーだったが、中に映ってる女性は少し化粧が濃く、服装も少し時代を感じさせる。

 女性の腕には赤ん坊。竜胆だ。今の面影がある。彼と写真の女性とを見比べると、やはり似ている。

「似てるね」

「どうも。ま、死ぬと同時に俺に最大の絶望を与えてった人だけどね」

 笑えない。というか、よくわからない。俺は一般家庭で育った一般人だ。彼のような特殊な生い立ちでも立場でもない。竜胆は静かに写真を缶にしまい、丁寧に蓋をすると元のように天袋に戻した。口ではそう言うものの、やはり母親は特別な存在らしかった。竜胆は座りなおし、またマグカップを手に取る。

「高校に入ってしばらくして親父が倒れた。しばらくの間は叔父貴が組を動かしてた。でも、俺が継ぐべきだって問答があってね。叔父貴が気に入らなかった奴もいただろうし、逆に俺みたいな若造はいやだとか。結局タマとりたいだけなんだろうけど。ま、そんなの所詮三下だがな」

 大人びた口調になり、ちらりと流し目を向けるその表情は鏡に映る自分をにらむあの竜胆だった。けれどすぐに表情がやわらぐ。

「いろいろ面倒で高校も中退してしばらくぶらぶらしてたときに、九条さんの美容室を見つけて入ったら、もう運命かと思ったよ。はは。ゲイにもてない?」

「……ゲイじゃないからわからん」

「はは。当然か」

「竜胆くんはいつからそうなの」

「おふくろがそう言ってから。信頼してた女性が裏切ったって思うともう一瞬で女性不信、だしほら、男の方が自由だよ。面倒じゃないし、やりたい奴とあってそんでさよなら。そんなもんだって思ってたけどさ……九条さんに頭触ってもらって髪切ってもらって洗ってもらってさ当たり障りない普通の会話、とか、すごく……でも俺こんなんだし、だからこんな、触れられるとか思ってなかったし」

 本当に俺のことが好きなのだろう。表情が和らぐ。言葉ではない。その雰囲気や視線が俺を優しく見守っていた。気恥ずかしくなって、二つ目の蜜柑に手を伸ばす。彼は気を遣ったらしくまたいくつか、蜜柑を袋から取り出して座卓に転がした。

「覚えてる?髪の毛黒くなってさ、朝一番に九条さん切ってくれたじゃん」

「ああ、あの日。スーツ着てたよな。あの日からあやしいとは思ってたけど」

「あの日、おふくろの命日でさ。ま、結局俺は組を継ぐってその日に腹くくったんだけどさ。墓参りついでに挨拶もかねて」

「じゃあ……」

 ずっと聞こうとして聞けなかったことを聞こうと決意する。マグカップを置いた。いつのまにか濃いお茶も大分少なくなっていた。口淋しかったのかもしれない。向きかけの蜜柑も机に置く。

「頬の、痣は?」

「あ、アレ?あれは叔父貴に殴られてさ。男が好きってのはほとんど周知なんだけど、九条さんをイロにしたいって言ったら思いっきり吹っ飛ばされてさ。まあ俺もあいつの鼻はへし折ってやったんだけど」

 またも軽い口調で言う。その鼻というのは比喩表現なのか本当の鼻なのかは少し怖かったので聞かないでおいた。また蜜柑をむき始める、が、してはたとしてまた蜜柑を置いた。

「ちょっとまて。イロにしたいって、俺の了承もなく、か」

「駄目だった?俺絶対落せるって思ってたけど。九条さん、流されやすいなって前から思ってたし」

「……猛烈に帰りたい気分だ」

「駅まで歩いて三十分、それにもう終電ないよ」

 竜胆が膝歩きでこちらによってきて隣で胡坐をかいて座った。くんくんと鼻を動かして、蜜柑くさいな、と屈託なく笑う。

「俺は、九条さんと付き合いたい。もう、迎える準備はしてある。一生添い遂げる覚悟だってあるよ」

「まてまてまてまて、話が一気に飛躍してないか?」

 じわじわ近づいてくる竜胆の胸を押し返すつもりで手をおいたが、逆に捕まれてしまう。また心臓が早く動き始める。

「飛躍なんかしてない。俺は九条さんが好きなんだ。俺は頭になった。だからもう早々に会えなくなる。そんなのは嫌だから、だから、傍にいてほしい。責任はとる」

「……何回も言うけど、俺は男が好きなわけじゃないし、君はやっぱり兄貴がほしいだけなんじゃ……」

「さっき俺が抜いたのは?あんたの足に当たってたのは?」

「いやそれは……触られたら起っちゃうし」

「俺は、兄貴みたいにいつも一緒にいる鷲頭には起たない。九条さんだからだよ。それに」

 彼は俺の腕を持ちかえて、そのまま俺の胸に押しつけてくる。自分の手には自分の鼓動が伝わってくる。こんなに鼓動を早くしたことが、まともにものを考えられなくなるほど熱に浮かされたことが、あっただろうか。俺は、竜胆を、好いている?

 年の割りにはちょっと大人びてみていたこと、案外屈託もなく笑うこと、切羽詰って涙を流していたこと、俺に触れるときに指が震えていること。

「……じゃあ、条件がある」

「何?」

「……お、お互いのこともっと知ろう」

「知ってるよ。九条一志、二十九歳、誕生日は七月六日かに座O型、父、母、姉二人、兄一人の六人家族、出身は―」

「ちがうちがうちがう、この際どこでそれの個人情報を手に入れたかは不問にしてやる。そうじゃなくてさ、君の好きなものとか嫌いなものとか、俺のそういうのとか、さ、そうやって本当は……仲良くなってくものだろ」

「……うん。じゃあさ、従業員と客の垣根は越えてくれるの?」

「まあ……君の努力次第かな」

「はは、何それ」

「……精一杯の年上の意地」

「はっ……俺を誰だと思ってる。華門組の頭だぜ」

 竜胆の腕が俺の背中に回る。抱きしめられると、かすかに香水の匂いとたばこの匂いと、そして彼の鼓動が俺にも伝わってきた。なんてことはない。一緒の速度で波打つそれが、ひどく心地よかった。


 END

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