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ウズメによる福音書 2

[*]


 土曜日。


 週休二日制が社会に浸透し、より多くの人々が休日を満喫している、そんな曜日。私は午前中を課外に費やしていました。


 葦原高校特進科は、必ず毎週課外があります。かつて全国有数の進学校であった名残からか、生徒から不要だとの意見があってもお構い無し。もはや意地で続けているといった感じです。


 サボってやろうと、思わなくはありません。ただ担当の教師が休日手当僅か500円で出勤しているのを考えると、欠席し難くなります。


 不憫というのはこういう感情をいうのでしょうか。


 好景気の時に給与が増えない分、不況の際くらいは優遇してあげても良いと思うのですが。地方公務員とは実に貧乏くじだと思います。



 そんなわけで、私達は出席率十割の課外を受けていました。科目は倫理。

 恐ろしく暇で退屈なので、約半数が机に伏せてしまっています。そして残りの半数は、教師に質問して少しでも時間を稼ごうとしています。


「佐野センセー。じゃあ結局、『忠孝』ってどういう意味なんスか?」


 そう質問したのは、日向くん。手を大きく挙げ、倫理の佐野尊(さのたける)先生に、やる気なさげに問い掛けます。


 中国の思想、という至極抽象的内容に誰もが理解出来ずにいます。よって日向くんのそれは適切なものだと言えるでしょう。


「遠山、お前は私の授業の進行妨害をしたいだけだろ」


「違いますよー。マジで分かんないだけっス。」


「……あのな、忠孝ってのはな――」


 黒板を使って佐野先生が説明を始めますが、やはり抽象的で分かりづらいです。


 「つまり、忠誠心と孝行心を持てってことスか?」


「そうだ。まぁ、親を尊敬しろってことだな」


「えー嫌っすよ俺。親なんて尊敬できるトコひとつもないっスよ」


「お前はまず私を尊敬してくれ」


 『忠孝とは親を尊敬することだ』と佐野先生はおっしゃいました。日向くんの反応はともかく、私はその定義には首を傾げてしまいます。


 親を尊敬する、というのは、どうにも違和感があるのです。


「あの、佐野先生。よろしいでしょうか。」


「ん? どうした、優等生の浅間が質問か?」


「いえ」


 弘法も筆の誤りと言います。佐野先生はどうやら大いなる誤解をしているようですので、私が正して差し上げましょう。


 「私は、『親を尊敬する』という行為に、些か納得がいきません。親を尊敬なんぞするべきではありません。」


「は?」


 いま首を傾げたのは、佐野先生だけではありません。殿下や日向くんを始め、起きている人の殆どが怪訝な視線を私に向けました。


「何を言ってるんだ、浅間?」


毛沢東(もうたくとう)という偉人をご存知ですか?」


「いや、知っているが……」


 途中、眠りこけている和泉さんの(いびき)が聞こえますが、いつものことですので先生も気にしてはいません。


「彼の思想から言わせていただければ、『親を尊敬してはいけない』そうです。親を尊敬する者はナルシストであるというのです。」


「はあ?」


 呆れたように、先生と殿下は苦笑いをなさいます。いきなり何を訳の分からないことを言うのか、といった様子。しかし突拍子のない理論ではないのです。


「先生、もとい、そこで笑っている中津くん。よく聞いて下さい。」


「え……?」

「私達は誰しも両親の血を継いでいます。つまり、私達は誰しも両親の性格や形質を遺伝して受け継いでいるのです。」


 よく考えてみてください。


 人はよく『尊敬する人は誰か』と問われると、『親』と答えます。一見世間体は良いかもしれませんが、実は慢心が見て取れてしまうのです。


「もし『親を尊敬している』と言えば、それは即ち、『そんな親を持つ自分は、尊敬に値する』と言っているようなものです。自惚れているに等しいのです。……何か間違っていますか?」


「……」


 そこまで言うと、佐野先生は何故か悲しそうな顔をします。対して起きているクラスメイト達は「なるほど」と首を上下に降っていました。


「私は思うのです。『親は子にとって最高の反面教師であれ』と。」


 『反面教師』という言葉があります。これは毛沢東が作った造語として有名です。


 反面教師。それは、『悪いお手本』のこと。決して倣ってはいけない悪い例のことです。

「両親の気にくわない点や、悪い点は、恐らくは子供にも遺伝しています。だとすれば子供である私達は、親を『悪いお手本』として位置付け、自らの戒めとするべきなのです。」


 千草さんが「全く、その通りだね」と言いました。彼女も当然ながら起きていたようです。


「だから私は、母を親愛し感謝していますが、決して尊敬してはいません」


「……」


 それが、私による主張です。


 私が話している間は、みんな静かにしていました。ですから、佐野先生の悲しそうな声を聞き逃したのは、寝ている生徒だけでしょう。


「……みんな私の授業がそんな嫌いか?」


 丁度、チャイムがなりました。

 一時間半の授業中、ずっと誰かしらが質問したり話したりしてたので、授業は全く進んでいません。

「いや、先生。そんな悲しそうにしないで下さいよ。僕が思うに、梅子が長々と話をしたのは、決して授業妨害の為じゃないと思いますよ?」


「お前だけはいい生徒だなぁ、中津。でもな、毎日こんな調子で授業が進まんのは、どういうことだ……。」


 殿下が必死にフォローしますが、佐野先生の心は折れてしまったようです。


 元々気の弱そうな方ですが、溜め息をついて教室をあとにする姿はとても小さく見えました。



 なにはともあれ。



 これで課外は終わりです。

 お昼ご飯を食べた後、午後は大垣神社に行く予定です。

「ランチ食べるでごわすっ」


「あ、今日ワタシすぐ部活だから。じゃあね」


「大変ね、千草は」


「私もお昼食べたら、すぐに出掛けなくてはなりません」


「アンタのそれは大変じゃないでしょ」


「いずみさんは、またコンビニ弁当ですか?」


「うっさいわね。アンタの弁当は、コンビニ弁当より栄養なさそうじゃない」


「その苦情は中津くんに言って下さい」


「なに? アンタ、アイツに弁当作って貰ってんの!?」


「愛妻弁当でありますよっ!!」


 昨日同様、今日もいつも通りです。


[*]


 僕は最近、面倒な問題に直面することが多い。それもこれも、梅子に関わることばっかしだ。


 ひとつは、広崎先輩のこと。


 幸い土曜日の課外は特進科だけで、普通科の広崎先輩と遭遇することは無かった。


 けれど日向が昼に言ってきたことが気掛かりでしかたない。


「なんかよ昨日あのあと電話したら、先輩スゲー落ち込んでたぞ。『あんな小さな女の子に負けた……』って、何か魂抜けたみたいに声が弱ってた。何があったんだ?」


 僕は当然、ありのままを話すことが出来なかった。


 どうやら広崎先輩は逆上はしてないらしい。なんか反対に落ち込んでしまったらしく、自分を見失っているという。

「それにしても良く広崎先輩怒らせて無傷ですんだな。仁彦と浅間は実は伝説の武道家だったりすんのか? 帰宅部なのは密かに鍛えてるからとか?」


 日向は当然冗談で言ったんだろう。


 でもその言葉に、僕は笑顔で対応することが出来なかった。それは、あながち間違いでは無いのだ。


 梅子は、普通の人間ではない。


 二つ目。

 それが、梅子の『力』に関することだ。


 僕達はその問題の解決の為に、大垣神社に来ていた。今度こそ、神主の爺さんもいる。


 鳥居を潜って境内に入ると、そこは森の中のようだった。


 勿論、比喩である。鳥居を潜ったそばから階段があり、神社の母屋はその小さな台地の上に建っているのだ。


 台地を取り囲むように木々が植えられていて、回りにある住宅が見えない。唯一見えるのは、頭上に広がる青い空。風が木々の葉を揺らすと、シャワシャワと耳に心地好い。


 対して僕は、これから話されるであろう内容が気になって落ち着かない。


「なんじゃ、遅かったじゃないか」


「いや、ちょっと色々あって」


 神社の母屋は、これ以上ないくらい廃れている。板張りの床は黒く汚れているし、回りの装飾は所々破損している。


 その中に入ると、とある爺さんが胡座をかいて座っていた。神主であの紅の祖父――海部大和(かいぶやまと)


「まぁ座れ。汚いがな」


 神主といえど、別に白装束でもなければ、それ相応の厳格ささえ感じられない。ベージュの上下を着た、後期高齢者間近の小さい爺さんである。唯一長い白髭だけが、長老のような風格を齎している。


 僕達はそんな風貌から神主を、『大和爺さん』と呼ぶ。


 梅子と共に近くに座る。ズボンが汚れるのが厭で、リュックを座布団代わりにした。梅子は正座していたが。


「分かってるな、仁彦」


「ああ」


 体重を預けると床が軋む。


 大和爺さんが目の色を変えたのは明らかだった。


「どうせ、梅子のことだろ」


「ああ。……もっと正確にいえば『アガタ』のことじゃな。」


 最近強く思うようになったことだが、やはり『梅子はただの人間じゃあない』。


 大和爺さんはいち早くそのことに気付いた人物だ。


「お前にこの話をして四年になるか」


 僕らが中学へ入る前。大和爺さんは、梅子は人間では無いと言った。


「梅子は相変わらずか?」


「ああ。昨日も人ひとり殺そうしたしな。悪い意味で相変わらずだ。僕が止めないとどうしようもない。」


 梅子が「それは心外です、殿下」と口を挟む。口を挟むが、僕はそれに構ってられなかった。


 大和爺さんが大きく息を吐いたことで、間が産まれる。その間は、言葉を発し難くなる重い何かを含んでいた。

 変わった空気に息を飲む。


「今度は止めなくてよいことになるかの」

「なに?」


 大和爺さんは僕の目を鋭く見据えた。




「今度は、仁彦は止めないでよいということじゃ。逆に言えば、人を殺してもらいたい。」




 固まる僕に、大和爺さんは補足するように続けた。


「『アガタ』じゃ。」


『アガタ』agatha


 四年前、始めてその名前を知った時、なんてファンタジックな言葉だと思ったのを覚えている。


 正式名は『アガタヌシ』。

 漢字で書くと『亜片神名』。

 通称、アガタ。


 一見古風だが、大和爺さんにその言葉の意味を教えてもらった途端に、印象が変わった。


 アガタとは、『神の生まれ変わり』のことなのだ。


 僕は四年前に大和爺さんに聞いたことを思い出す。あの時も、この場所で話を聞いていた。


「今からおよそ三千年前、地上にある神が降臨した。そしてその神が、日本人を統治しだした。お前は博学じゃから、ここまでは分かるかの?」


 話は、日本神話の話から始まった。アガタが神の生まれ変わりである以上、その説明の為に必要不可欠であったのだろう。


 当時の僕は、日本神話に興味がなく、はっきり言って、全く分からなかった。けれども、今なら分かる。


 日本神話の世界観では、世界は三つに分かれている。それが『高天原(たかあまはら)』『葦原中国(あしはらのなかつくに)』『黄泉国(よみのくに)』だ。


高天原――例えるならば神の国。

葦原中国――例えるならば地上、人間界。

黄泉国――例えるならば死後の世界。


 三千年前、高天原からやってきた神様が、葦原中国にやってきてそこにいる人間を治めた。今、聞けばそう理解出来る。


 これは日本神話の一節だ。

「統治を始めた神は、その後、地上に留まり、人間との間に子孫を残しているのじゃ。つまり、神話に基づけば、日本人は誰しも神の血を継いでいるということになるの。」


 三千年前、日本の統治を始めた神は、地上に住み着き、子孫を残している。


 ご存知の通り、その子孫が我が国日本の初代天皇――神武天皇であり、現存する皇室のルーツなのである。


 無論、この三千年の間に『神の血』は多くの日本人に伝わったことだろう。そうなれば、皇族に限らず日本人の誰もが『神の血を継ぐ者』であると考えられる。


 大和爺さんが言いたかったのは、そういうことだろう。


「当然のことじゃが、神の血は広まると同時に薄まっていった。分かるな? 人間の方が遥かに個体数が多いのじゃ。しばらくして絶大な神の力を持つものは、いなくなった。」


 それは当たり前だった。


 確かこのことは、当時の僕でもすぐに理解出来ていたと思う。理解が追いつかなくなったのは、この後の話だ。

「しかし現代になって、神の血をより濃く継ぐ者が現れたのじゃ。多くの人間達の間で薄まったハズの血が、集約されてしまった、と言えば良いかの。」


 当時の僕は首を傾げた。


 一度薄まった神の血が集約する、というのは、遺伝的に有り得るのか、という疑問があったからだ。


「神の劣性の形質なのじゃ。まだお前には分からんかもしれんが、神の血が濃い者どうしが子を残せば、神により近くなる」


 加えて大和爺さんは言った。『自由な恋愛が出来るようになったことが、一番の要因だ』と。


「神の血を濃く引く者は、互いに惹かれあうのじゃ。ゆえに自然に神の血は集結する。無論、戦前までは中々なかった。自分の意志で結婚が決まるようになってからの話じゃ。」


 戦後、道徳観の変化や交通網発達によって、自由な恋愛が出来るようになった。それが神の血を継ぐ者どうしの結婚を助長し、血の集約が発生したというのだ。


 要するに、自由に恋愛を出来るようになったことが契機に、神の血は集約を始めたということ。


 そしてその産物が、アガタ。

 戦後、神の血が集約し、神の力を手にした人間だ。


「今まで逢わなかった者が、出会ってしまったのじゃ。丁度、梅子の両親のようにな。」


 梅子もまた、神の血を継ぐ者。いわば神の子なのだ。



――それが、四年前僕が聞いたすべてだった。

「なんだ、別のアガタが現れたのか?」


 そのことを踏まえ、僕は大和爺さんに尋ねる。


 四年前の話からすれば、もちろん『アガタは梅子以外にもいる』。梅子のような、神の力を持つものが、他にもいるのだ。


「ああ。それも、かなり凶暴なのがな。」


 アガタと言っても、単に神の力を持つだけでは何の問題もない。しかし、アガタには聞き捨てならないある特徴がある。




 それは『人間性に欠ける』ということだ。


「そいつを、僕達に殺せってことか」


「ああ。アガタはアガタにしか殺せん」


 梅子を見ればよく分かる。


 梅子は、どうにも思考が人間とは異なっている。独自の価値観を持っていて、それが全ての基準となっているのだ。


 特に過激な発言が目立つ。昨日の発言からも分かるように、『人を殺す』ことに禁忌の念がないのは大きな問題だ。


 そしてそれは、アガタに共通する観念らしい。


「アガタは危険じゃ。人を殺すことに何の抵抗もないのじゃ。」


「ああ、梅子を見てるとよく分かる」


「仁彦の言うことを聞くだけまだマシじゃ。しかし他のアガタはそうはいかぬ。他人に重大な危害を加えるならば……殺さねばならない」


 梅子も本当は危険だ。


 不思議なことに僕のことを殿下と呼んで言うことを聞くから、梅子をどうにもしないが、それがなければ殺すことも考えたという。


 梅子は律儀に正座し、黙っている。こんな小さい子を殺すプランもあったのだと思うと寒気がした。



 対して他のアガタ。



 いまだ対峙したことはないが、梅子のように僕の言うことを聞く保証はない。


 もし危険ならば、殺さねばならない。殺人鬼を捕らえて死刑に処するように、何とか人間からの隔離を試す必要がある。


 その役割を、梅子にさせようというのが、大和爺さんの狙いだ。神の力を持つアガタを殺めることが出来るのは、同じアガタだけなのだ。


 警察か自衛隊を呼べばいいと提案した僕は阿呆なのだという。


 「……で、僕達をこのタイミングで呼んだってことは――」


「うむ。アガタが現れた、ということじゃ」


 幸いにも僕はこれまでにアガタに遭遇したことはない。


 アガタは、たとえアガタであっても見た目は人間だ。その大半がアガタとして自覚がない。神の力を、何かの拍子で使って初めてアガタとして目覚めるというのだ。


 その何かの拍子が、梅子の場合『母親の死』。あの日以来、性格は豹変し、アガタとなってしまったのだ。



 僕は図らずも溜め息をついてしまう。



 いつか梅子以外のアガタが現れ、殺さなくてはならなくなることを恐れていた。それが今までたったの一度も現実になったことが無かったから、いざ現実になった今の複雑さと言ったらなかった。


「最近、この町で若い女性が相次いで殺されているのは知っているな?」


「え……なんだそれ?」


「『連続美女変死事件』ですね。全国ニュースでも報じられていました。今月に入り三人の二十代女性が、同様の方法で殺害されたものです。」


「そんなのあったのか……」


「殿下はテレビも新聞もご覧になりませんので、知らなくて当然です。せめて新聞を購読なされば良いものを。」


 購読料金をケチって新聞をとらなくなったのは、確かに失敗かもしれない。


 自分の町で起きた殺人事件さえ知らなかったのは自分でも驚きだ。

 


「恐らく大和爺さんは、その一連の事件がアガタによるものである、と言いたいのだと、私は推測します」


「その通りじゃ」


  梅子は落ち着いた様子で話す。唐突な殺害依頼にも、全く目を泳がす様子はない。


「ってことは……そのアガタはもう三人も殺してるってことか?」


 まだ決まった訳じゃないがの、と濁す。


 だがその可能性が高いのは明らかだ。そうなると緊張が高まる。この町に、アガタとして覚醒した人間が、潜伏していることになる。


「どこのどいつだよ。そのアガタは? この町ってことは、近くにいるんだろ?」


 大和爺さんは口髭を盛んに弄りつつ、天井を見上げた。


「まだ特定まで至っとらん」


 僕もつられて上を見る。見ると、蜘蛛が一匹、糸を垂らして眼前に降りてきた。


「判明次第、追って連絡する。じゃが、そう遠くはなるまい。覚悟しておけ」


 大和爺さんは、何の躊躇もなく、蜘蛛を(しわ)だらけの手で握り締めた。


 『アガタの殺害依頼』

 梅子にしか出来ない。つまり、僕にしか出来ない依頼だ。


 もはや逃げられない。

 

[*]


 神社から出た僕は一人、そのままコンビニへと向かっていた。理由は昨日と同じ。


「そういえば今日の分のあいすきゃんでーがありません。買ってきて下さい」


 一緒に来ればいいじゃないかと提案したが、何味のアイスキャンディーにするかで迷っちゃうから嫌らしい。僕が選んで買ってこいとのことだ。


 住宅街を抜け広い県道に出ると、十字路に差し掛かる。


 陽射しが、一日の中で最も強い時間帯。アイス買ったら一目散に帰らなきゃ溶けるな、こりゃ。


 昨日みたいに絡まれる時間帯じゃないし、大丈夫だろうと考えつつ、コンビニへ歩く。


 ……そこで。

 その想定の浅はかさを知る。


「んげっ……!?」


「おっ、やっぱり来たか」


 コンビニの駐車場に入ったくらいだろうか。なんかデカい人が立っていると思ったら、案の定、僕が最も恐れる人と、目があった。


 コンビニの入口の脇で小さくなって立ってるが、なにぶん、えもいわせぬ威圧感がある。本人は遠慮してるみたいだが、結局は営業妨害だ。こんなのが入口に立ってたら行きたくなくなる。


 即座に逃げようと思うが、広崎先輩がスタスタとやってきて、間もなく向き合う。頭ひとつ以上大きい。


「おう、確かナカツ……だったか?」


「な、中津仁彦ですっ。な、何か用ですか? 梅子ならいませんけど……っ」


「いや、お前に用がある」


「え……ぼ、僕ですか?」


 昨日みたいに威嚇してくる訳じゃなく、表情も澄んだ顔をしている。けれども『僕に』用があるとのことで、僕の笑顔は必然的に引き攣った。


「お前よ」


「はいっ?」


 口の髭を剃ってないのか、昨日よりも若干黒くなった印象の顔が目の前に迫る。右の眉の上には絆創膏。昨日切ったトコらしい。


 僕は目のやり場に困ってしまう。


 一体何を言われるのか。

 ドキドキしていたところ、


「お前、昨日見てたよな。オレが……あの小さいのにやられたところ」


 広崎先輩は、言いたくなさそうに歯を噛む。そして僕にこう言った。


「オレは、どうやって……その……負けたんだ?」


「え?」


 「オレよく覚えてねえんだ、カッとなって殴ってやろうとしたまでは覚えてんだけど……。それで気付いたら地面にぶつかってた。……オレは、投げ飛ばされたのか?」


 不思議そうに顔をしかめている。

 昨日の一悶着が納得いかず、唯一の目撃者である僕に状況を聞きたい。そういう訳か。


「まぁ、何というかですね……」


「背負い投げか? それか合気道か?」


 本当のことなど話せる訳がない。ふざけるなとマジギレされるのがオチだ。


 どっちにせよ梅子を強いと認識させては厄介だ。今の調子だと復讐を狙ってる感じだし、またいつかあの状況になったら広崎先輩の命が危ない。


 「何言ってるんですか? 先輩」


 だから僕は、笑顔で言葉を紡ぐ。なるべく言葉を選んで、矛盾しないように。


「あんな小さい子と先輩がまともにやって、先輩が負けるハズないじゃないですか」


「え……?」


「よく考えて下さい。体格差もさることながら、先輩は全国有数のボクサーですよ? それがあんな負け方しますか?」


 先輩は目を点にしている。しばらく考えたようにして、上を見上げていた。


 逆に僕は足元をチラ見すると、広崎先輩の靴のヒモが解けていることに気付いた。これは好都合だ。


「僕あの時見てましたよ。先輩が拳を掲げた瞬間、靴紐(くつひも)に足が絡まって転んでしまったのを。ほら、足元見てください。昨日からずっとそんな状態ですよ。」


 今度はゆっくりと、視線を下ろす。それを見ると、広崎先輩の表情が見る見るうちに晴れやかになった。


「そっか……。オレ、靴紐に絡まっただけなんだな……。」


 やがてニンマリと笑い、不意に僕の手をとる。


「そーだよな! 九州チャンピオンのオレが、あんな小さいヤツに負けるワケないよなっ! オレ、転んだだけだよなっ!」


 単純なバカで助かった。てか九州のチャンピオンだったのか……。


 それにしても凄い喜び様だ。まるで十年振りの再会のごとく、手をとってブンブンと振ってくる。


 そんなに負けたこと気にしてたのか、この人。身体の割に精神に難があるな。


「そうですよ、先輩! 先輩は最強ですよっ」


「そーなんだよ、オレ最強なんだよ! ガハハハハ」


 高らかに笑う姿は、実に朗らかだ。どこまでも感情に素直な人間だと思う。


 信号待ちで止まっている車の中にいるご婦人が、僕達を変な目で見てくる。コンビニの駐車場で、ゴリラと一般人が意気投合してるように見えるのだろう。


 もう片腹痛いから早く用を済ませて帰りたい。そう考えていたところ。


「そんじゃあよ、最強のオレからお前にお願いがあるんだ」


「……え?」


「昨日のあの子、呼んできてくれるか? 謝りてえんだ。オレが悪いのに、昨日カッとなっちまったこと。」


「えぇっ!?」


「呼んできてくれるよな?」


 陽射しが照り付ける。

 そんな中、広崎先輩の笑顔はとても映えて見えた。多分謝りたいというのは本当だろうが、面倒だ。


「呼んできてくれるよな?」


「はいっ」


 やや語気が強まったのを察知して、即答した。

 

[*]


 相変わらず情けない殿下のせいで、私はコンビニエンスストアへ赴いていました。


 携帯電話越しに聞こえた殿下の声が強張り気味でしたので、だいたいの予測は出来ました。


 駐車場に佇んでいたのは殿下と、昨日のゲス。


 佐々木サダコです。


「何の用ですか、ゲス」


 昨日は殿下に止められてしまいましたが、私の母を冒涜した下衆野郎です。


「いやあ、スマンすまん。小梅ちゃん……で良いんだよな? 昨日はカッとなって申し訳ない、悪い事言っちまった。」


 佐々木サダコは手を合わせ、謝罪の弁を述べます。


 一体どうしたのでしょう。


 昨日とは打って変わって素直ですね。それにニコニコと気色悪いくらいの笑顔です。


 もしかして頭を打って馬鹿になってしまったのでしょうか。リアルにその可能性が最も高そうです。



「本当にスマンっ」


「謝ってくれてるんだ。ほら、お前も謝れ」


「……?」



 本来ならば昨日の罪に対する罰を与えたい所ですが、これでは無下に制裁を加えられません。


「いえ。昨日は私にも落ち度がありました。申し訳ありません。」


 殿下が頭を下げるように大袈裟なジェスチャーをしてくるので、一応従っておきました。


 これで佐々木サダコとの確執は無くなったことになります。


 あまりに違う清々しい様子の佐々木サダコには違和感がありますが、気にしないことにします。早く帰りたいです。


 もう罪がないのですから、深追いする必要はありません。


「用はそれだけでしょうか。ゲス、改め佐々木サダコ先輩。」


「あ、それとな小梅ちゃん――」


 しかし。それは間違いでした。


 佐々木サダコは、笑顔のまま頭を掻きつつ、私に白状したのです。その罪を。


「オレさ、佐々木サダコって名前じゃねぇんだ」


 思わず私は、目を見開いてしまいます。


 『佐々木サダコという名前ではない』と、確かに聞いたからです。


「オレは広崎厳(ひろさきげん)って名前なんだ。すまねぇ、昨日は勢いで変な名前言っちまった。」


 続けて笑うゲスゴリラに、私は昨日と同じ感情を抱きます。


「何を……笑っているのですか? ゲス」


 『勢いで変な名前言っちまった』。私には確かにそう聞こえました。間違いありません。


 と、いうことは。


 名前を偽ったというのです、このゲスゴリラは。親からもらったであろう、名前を。いとも簡単に。


「一瞬でも素直な男だと思った私が馬鹿でした。あなたは人間として最低です。」


「……え?」


「自らの愚かさを知りなさい。あなたは親に付けて貰ったその名前を(ないがし)ろにし、自らを詐称したのですよ」


 ゲスゴリラの笑顔が無くなっていきます。


 当然です。

 ヘラヘラとしていられる方が可笑しいのです。


「あなたは本当にゲスですね。まさに『下衆の極み』です。ゲスキワです。」


「お、おい……何言ってんだ。普通に偽名に決まってんだろ」


「中津くんは黙ってて下さいますか?」


「でもな……」


「黙りなさい」


「はい……」


 どうも殿下はこのゲスキワが逆上するのを恐れていらっしゃるようです。


 ゲスキワは表情を固定して固まってしまっています。目を丸くしている、というのでしょうか。


 たった今僅かに顔色が変わりました。自分の罪の重さを、ようやく認識したようです。


「不覚です。あなたのようなゲスキワを相手にしていたとは。両親に懺悔なさい。……このゲスキワが!」


「げ、ゲスキワ……」


 これ以上、ゲスキワの顔も見ていたくありません。


「では、私は先に帰ります。あいすきゃんでーを忘れずにお願いします。」


 口を開けっ放しにして呆然とする男どもを置いて、私は帰途についたのでした。


[*]


「げす……きわ」


 ……えっと。

 何か物凄く不思議な光景を見た気がする。


 図体のデカいゴリラが、小さな敬語の女の子に、お説教される光景。もしやこれが噂の珍百景ってやつか?


 梅子が怒鳴った後、駐車場で寝ていた黒猫が驚いて逃げていった。それを轢きそうになったドライバーが同じように怒鳴った声が聞こえる。


「おれは……げす……」


 対して広崎先輩は固まったまま動かない。


 ようやく動いたと思ったら力無く肩を落とす。挙げ句の果てにはヒザをガクリと落とし、頭を抱え始めた。


「お、オレは下衆の極み。親から貰った名前をイツワッタ。……ゲスキワだっ!」


「どうしたんですか先輩っ」


 何故か致命的なまでに心を傷めたらしい。やっぱりメンタル的にオカシイ人だな。


「おれはゲスキワ……げすきわ……」


 やがてユラリと立ち上がる。僕の心配を余所(よそ)に、フラフラと何処かへ歩いていった。


 目の焦点があってなかったから、事故に合わないか心配だ。


 それにしてもゲスキワと言われただけで、あんなに傷心するか普通?


「アイス買ってかなきゃな……」


 なんか別の意味で学校が怖くなった。


[*]


 全く、少しくらい多めに見てくれたっていいと思う。


 今日は土曜で学校がないから、レンタルビデオ店でDVDを借りて、それを見ようと思っていた。もちろんエロい方の。


 一時間も吟味し、やっと気に入ったDVDを借りようとしたら、店員に年齢を聞かれた。


 まぁ一つくらい偽っても問題ないだろうと思って十八だと即答したが、今度は「君高校生だよね」。


 そんなに堅いこと言うなよと言いたくなった。いかにも『彼女いない歴=年齢です』的な男の店員だったから、尚更イラッときてしまった。


 というか会員カードに年齢登録してあるなら聞く必要なかっただろ。


 結局借りれず、私は手ぶらで店を出た。全く、少しくらい多めにみてくれたっていいじゃないか。


「げすきわ……オレは、げすきわ」


 そう愚痴を零しつつ大通りを歩いていると、遠くに人影が見えた。


 あまりにデカいから、一目で分かる。あのゲン君だ。


「オーイ、ゲン君。何してるんだにゃー」


「げすきわ……」


「?」


 近寄って話し掛けても、ゲン君は酷く焦燥してるみたいで、何かを呟いてる。


 なんかまた、傷つくことがあったみたい。


「ゲン君また落ち込んでるの? 本当にメンタル面弱いにゃあ。」


 背中をバンバン叩いてからかうと、ようやく気付いて私の顔を見据える。


「あ……オトコ女……」


ゲン君は私のことを、本名の『海部紅(かいぶあかり)』ではなく、『オトコ女』と呼ぶ。


「何言ってんのさ、ゲン君。 私は確かに女の子が大好きだけど、男の子も大好きだよ」


「そうか……」


 ため息を吐いているゲン君は、何だか可愛いかった。


 どうやら落ち込んでるみたいだから、同じ町内会のよしみとして、励ましてあげよう。


「元気だしなよ。何があったの?」


「……あのさ、オトコ女」


 一台のトラックが黒い煙を吐く。それ越しに力なく言ったゲン君の姿は何だか悲しげだ。


「名前偽るって、人として最悪だよな……」


「名前?」


 名前を偽る。

 つまり偽名を使って何か悪いことでも仕出かしたということか。それは確かに悪い。


 最近じゃあ指名手配中の殺人犯が偽名を使って悠然と暮らしていたり、偽名を使い分けて複数の異性と交際し結婚詐欺が行われていたりするって聞く。


 その延長に犯罪が潜んでいる以上、確かに良いとはいえない。


「確かに……最悪だね、そりゃ」


「やっぱしかー!」


「うえ? どうしたのさゲン君?」


 考え言うと、ゲン君は突然アスファルトに手を付き、四つん這い状態になる。大学受験に落ちて、立ち直れないって感じで。


「最悪だ、げすきわだ」


 絶えず車が流れている。


 歩行者がいないのが幸いだ。もし見られたら、なんか気まずい。


 土下座させてるみたいになっちゃうから。


「ゲン君とりあえず顔あげようよっ。何でそんなになっちゃってるのか話してごらんよ。オジサンが聞いたげるよっ」


「……」


 しばらく考えたようにしたあと、ややあって立ち上がる。魂の抜け殻かと思うほどユラユラして安定しない。


「オレな、広崎厳っていうんだ」


「いや、知ってるけど……」


 そして何故か名乗ってくる。もう長い付き合いだから、知ってるんだけど。

 

「お袋の実家の近くにな、厳島神社があるんだ。あの海に面したヤツ」


 落ち込んでる理由を聞いた筈なんだけど、ゲン君は名前の由来を語りはじめた。


「その厳島神社から一字もらって『(ゲン)』。『厳格で、いつも自分に厳しくあれ』って死んだ祖父ちゃんが付けてくれたんだ……。」


「へぇ、そうなんだ」


 アスファルトの地面を呆然と見詰める。そうして三度ため息をついた。


「そんな想いの篭った名前を、オレは……オレは……なんてことをー!」


「え、どこ行くのゲン君っ?」


 一人わなわなと震えると、住宅街の方へ走り去っていってしまう。そんなに酷い偽り方をしたのか。


 ちょっと追いかけたけど、さすがに足が速い。


「ま、いっか」


 というか、年齢詐称した私が言えることじゃないんだけど。


「今日も一日暇だなぁ……」


[*]


 自宅マンションに戻って冷凍室にアイスをしまった途端に、呼び鈴がなった。


 一瞬梅子かと思う。


 けれどアイツなら呼び鈴を鳴らさず、勝手にズケズケ入ってくるはずだから違う。一体誰だ。


 そう思い、玄関に行こうとすると、駆け付けるよりも前に、特徴的な声。


 ドアが開く音と、金属音がする。


 そういや鍵かけてなかった。まあチェーンかけてたから問題ないが。



「やっほーいっ! ジンくーん! 今月もタマちゃんが直々に、お家賃を頂きにやって来たなりよっ。……って、チェーンがかけられているっ! こんな僅かな隙間では、いくらパーフェクトボディのスリムなタマちゃんでも中に入れないであります! む……無念。ぐはあ! ばたんきゅ~」



 玄関先を覗くと、予測通りのツインテール頭が地面に転がっていた。


 なぜ倒れるのかは分からんが、とりあえず家賃を回収しに来たらしい。


「おい、生きてんのかー」


「ふっ、かーつ!」


 チェーンを外しドアを開けると、勢いよく平伏した状態から跳ね上がる。ピョコピョコとしている合間にツインテールが揺れる。


 豊田珠子。

 クラスメイトの特進科生であり、梅子とも仲がいい。


 そんな彼女は実は、このマンションの大家さんの娘だ。大家さんは落ち着いた人なのに、どうして親子でこうも違うか。


「ほれ、家賃」


「頂くでありますっ」


「口でくわえるな。大金入ってんだぞ」


 福沢諭吉が複数枚入った封筒を渡すと、珠子はくわえたそれを手にとり、枚数の確認をする。


  その手つきは手慣れている。毎月家賃回収は彼女の仕事だから慣れているのだろう。


 大家さん曰く「あの子にやらせると滞納者がいなくなるのよ」。


 まぁこんなのが家に押しかけてきたら、いやがおうでも払ってしまうのだろう。


「確かに貰ったでごわす。ジンくん、相変わらずピッタリしかくれないのですね!」


「当たり前だろ……誰が割り増しして払うか」


「ジンくんだけでありますよ。何もくれないのは。他の入居者のみんなは、毎回チップをくだしゃるのですたい。」


「え、金もらってんのか?」


「ポテチとか、チョコチップとか〓」


「スナック菓子かよ! 単なるエサじゃねぇか!」


「誰がアザラシのタマちゃんでありますか! ちなみに荒川のタマちゃんにむやみにエサを与えてはいけないのですよ!」


「タイムリーだな!」


 珠子は満面の笑みを浮かべる。相変わらず破天荒な口調だ。初対面の人は大抵どう対応してよいか分からなくなるが彼女はどういうわけかアザラシ並みの人気がある。


もともと滅茶苦茶な言動を除けば結構な美少女だからか、別のクラスの男子に告白されたなんてこともあったらしい。その素性を知っていたかどうかは分からないが


「それではジンくん、ごきげんよう! 何が出るかな? 何が出るかな? そして今日の当たり目ー!」


「今日は休日だぞ」


 敬礼をして、クルクルと回りながら去っていく。


 ひとりで意味不明なモーションをして叫んだ。推測するに大きなサイコロ投げて、当たり目が出たらしい。


 全く、一々余計な動きが多い。今度は梅子の部屋へ向かっていくが、途中壁に頭を打ち付け悶絶していた。


「相変わらずだな、アイツも」


 さて、夜メシ何にしようか。


 梅子に聞いてから考えようと、僕はドアをバタンと閉めた。

そうして中に入り、パソコンを点けて『例の事件』について調べる。


『連続美女殺害事件』


 その概要はこうだ。


 今月始めから毎週末に一人ずつ、市内に住むいずれも20代の女性が、何者かによって殺害されている。


 その死因は三人とも全身打撲。実に単調な殺害方法で、全身を殴打しただけらしい。


 ただ単調といっても、頭蓋骨が陥没していたり、骨が粉々になっていたりと、遺体は悲惨な状態だという。


 死んだ後にも執拗に危害を加えた形跡があり、強い怨恨による殺害事件だと考えられているようだ。


 見る限り犯人像は、力のある成人男性か。事実、警察はその線で捜査をしているという。


 力のある成人男性。



 ……確かに普通に考えたならそうだが、僕は別の可能性を知っている。



 『アガタ』という犯人像を。

 

 いずれにせよ僕らには、そのアガタを特定する術がない。だから大和爺さんの連絡を待つ他ないのだ。


 犯人は毎週末に犯行に及んでいる。


 ということは、この土日にも誰かが被害に遭っているかもしれない。


 そう思うと尚更深刻な気持ちになる。同じ町で起こっているのだ。


[*]


 そんな複雑な気持ちを持って迎えた月曜日。


 朝イチにテレビをチエックしたが、まだそのような情報はない。今週は被害がなかったのか、はたまたまだ事件が発覚していないだけなのかは分からない。


 部屋を出る直前までニュースを見てから、学校に向かう。


 殿下が報道番組を見ていたせいで『モンスタ』が見れませんでした、と不機嫌な梅子に何て返そうかとごまついている合間に、教室についた。



「お、今日もふたり揃っておでましか? 仁彦」


「小梅ちゃんにジンくんでありますっ。にやにや」


鞄を机の脇にかけると、珍しく茶髪とツインテールが一緒にいて話しかけてきた。その手には携帯ゲーム機が握られている。


「なんか珍しい組み合わせだな」


「おう。仁彦もひと狩り行くか?」


「ひと狩り?」


首を傾げると、知らないのかと馬鹿にされる。なんか人気のゲームを通信しながらやっていたらしいが、正直よくわからん。ケーブルなしで通信プレイができることさえ知らなかったから、詳しく説明されてもいっさら。


「仁彦ってホント機械オンチだよな……」


「全くその通りです」


梅子も鞄を置いてきて、歩きながら同意した。


機械オンチと言われるのは癪だが、言い返せない。昨日もパソコンが二回もフリーズして、パニックになったからな。梅子に助けてもらって事なきを得たが、本当ハイテク機器の複雑さには困る。大体機能が多すぎんだよ。


つか、校則でゲームの持ち込みは禁止なんだが……。まあ、いっか。

 


「なにしてんの、アンタら?」


そう四人で固まっていると、自分の席で寝ていた岩長が、頭をボリボリと掻きつつやって来る。


「岩長、PSPって知ってるか?」


「は? なにそれ」


大あくびをして、興味無さげに目を擦る。珠子が自慢気にゲームの説明をしても、初耳な様子だ。他にも知らない奴がいたことに内心ホッとする。


「大体ね、そんなこと知らなくったって生きていけんのよ。そんなのより勉強したらどう? 将来役に立つのは自分の知恵だけよ」


「そうだ、勉強しろ。日向、珠子。」


実はいつも寝ている岩長が言っても説得力ゼロだったりするが、都合が良いので乗っかってみた。


「ゲームも役に立つでありますよ、いずみちゃんっ」


「そーだそーだ。情報処理能力がつくんだよ。脳トレのゲームだってあるしな。」


「そういうことは、アタシよりいい点数とってから言いなさい」


「うっ……」


神は不公平だ。


授業の時間は九分九厘睡眠に費やされているハズなのに、岩長はこのクラスじゃあ一番頭がいい。入学試験を首席で突破し、入学直後に行われた最初のテストでは、下位にダブルスコアをつける断トツの成績を修めていた。


ちなみに二位は梅子。


ふたりとも努力などしないくせに、どういうわけか。やるせない。


「そろそろ止めるか、珠子」


「りょーかいっすー」


言い返す言葉を失ったらしい日向と珠子はゲームを止め、見つからないようにと鞄の奥深くへと仕舞った。


「そういや、見たか? アレ」

 

「『あれ』って何よ」


「連続美女殺害事件のことですか?」


「そうそう、察しがいいな、浅間」


そうして話題は、やはりあの事件のことへ。


全国ネットのニュースで、トップニュースとして扱われるような事件が、地元で起こるというのは滅多ないことである。それも現在進行形で殺人鬼の存在を匂わせているとなれば、ゴシップ好きな人間たちにとっては格好の的だ。


「どう思うよ? 美女ばっか狙われてるって聞くぜ?」


「はうっ! も、もしや、タマちゃん最大のピンチでありますかっ?」


珠子は両手を頬に当てイヤイヤと首を降る。


「十代は狙われてないんじゃないの?」


「いえ、最初の被害者は弱冠二十歳の女性ですので、十代で狙われる可能性も十分あります」


「でも珠子は『美女』のカテゴリーに当てはまんないんじゃねーの?」


「ムムッ。それはどういう意味でありますか、日向くん!?」


珠子が口を尖らせると、日向がニカニカと笑う。そして逃げるように教室から出ていってしまった。


その後も犯人は誰だとか、今週も誰か殺されたんじゃないかとか、なんやかんや騒いでいると、大伴千草が重そうなエナメルバックを提げてやってきた。朝練終わりらしい。清感スプレー独特の匂いが漂っている。


「みんなして何盛り上がってるの?」


「ニュースの話よ……って、アンタどうしたのよ、その顔?」


岩長の言葉に反応して、振り返って大伴の顔を見る。即座には気づかなかったが、よくよく見ると、その顔の右側が青いのに驚いた。


「ああ……やっぱ目立つかな?」


「目立つってレベルじゃないわよ」


いわゆる青タンだが、右の頬全体とかなり広範囲に渡っている。


「むむむ……ゾンビみたいですのう」


「どうしたんだ?」


ちょっと尋常じゃないアザだ。思うより先に質問が口に出る。


「いや、昨日の練習でボール顔面にぶつけちゃってさ。その時は大して痛くなかったんだけど、朝起きたら真っ青でさ。触るだけで痛くって……。」


バスケットボールが当たったときいてようやく納得だ。なんか昨日は練習試合で、激しいプレーが連発したらしい。

というか日曜にまで部活とは、お見それする。さすがわタフなバスケ部。


「ほうほう、なるほどであーる」


「珠子、絶対つついたりしないでね。冗談抜きで痛いから。」


「た、タマちゃんがそんなことをするハズが無いでありますっ!?」


「図星っぽいな……」


珠子が人差し指をたててと歩くそ笑む。バレバレなその思惑に、誰もが苦笑していた。


「あ、そろそろ時間ね」


「科目なんだっけ?」


「倫理です」


時計は始業を知らせている。それを見て皆散らばり、着席したのを見計らったようにチャイムが鳴った。


「にしてもまた倫理ってどういうこと? そんなにアタシを眠らせたいのかしら?」


「お前は寝るなよ……。」


「勘弁して欲しいわよ、全く。もう先生来ちゃったし……。」


偏った時間割りに不平を漏らす彼女は、ほぼ定刻通りに教室にやってきた佐野先生に視線をやっている。いつも五分くらい遅れてくるのに、今日は早い。名簿で出席を確認している。


「そんじゃあ中津。私寝るから。」


「佐野先生が悲しい顔するぞ」


「そんなのアタシの知ったこんじゃないわ」


岩長は顔を伏せる。

その顔の絆創膏は新しいものに変わっていた。


一週間もすると汚れてくるのか、彼女は週はじめには必ず張り替えてくるのだ。もはやトレードマークである。もしやファッションのつもりで貼ってんのか?


「ずっと気になってたんだけどさ、お前なんでいつも絆創膏してんの? まさかずっと怪我してるわけじゃあるまいし……」


「別にいいじゃない。ほら、授業に集中なさい」


「お前だけには言われたくない」


あしらってくるってことは、理由を言いたくないのか。でっかいニキビだとかだったら面白いな。


岩長は目を閉じてしまう。


佐野先生はいつものようにプリントを配布し、教科書を読み出す。週はじめとあって、まだ集中力があるのか今日は静かだ。


となるとコイツがいびきをかかないかが一番気掛かりだ。


梅子には神経質過ぎますと言われるが、岩長が隣で寝てるのに起こさない自分も悪く思われそうでいやだ。


寝息が聞こえる度に横を気にしつつ、ノートをとる。佐野先生は順調に授業が進んで何だか嬉しそうだ。妨害行為常連の日向も大人しくしている。




そんな、起伏のない授業が続いた、

その時だった。




「ひ! ……やああっ!!」


短くも高い悲鳴が、教室に響き渡った。


「なんだ!?」


思わず立ち上がり、悲鳴の発信源を見遣る。そこには、大伴千草が立ち上がっていた。見たところ大伴が叫んだらしい。


「やあっ! 寄ってこないで!」


「あ、ハチ」


風が吹き込み、遮光カーテンが邪魔して隠れてしまったが、クラスメイトの誰かが呟いたお陰で大体わかった。


要するに、蜂が迷いこんできたらしい。


「ワタシ虫だめなのっ。ひぃ!」


「こら大伴、振り払おうとするな。じっとしてれば何もされない。」


「わあっ。イタっ! 顔ぶつけたっ!」


佐野先生の忠告を無視し、(蜂だけに)ブンブンと手を振り回すと、かえって蜂に接近されている。


しまいには教室の壁に顔をぶつけ、悶絶している。右の頬を押さえていることから、痣になってたとこだろう。気の毒に。まさに泣きっ面に蜂。……ちょっと意味違うか?


大伴がうずくまると、今度蜂は大伴から離れて教室中を旋回する。


「大丈夫ですか? 千草さん」


「だいじょばないかも……」


「うわ……大丈夫か大伴。顔真っ青だぞ?」


大伴の顔の痣を今できたモノだと勘違いしたっぽい佐野先生は、保健室に行くように促す。


(授業をサボりたいだけだろうが)保健室まで同伴したがる珠子に断りを入れてから、保健室へと向かっていった。まあ大した怪我はしてないだろう。


にしてもあんな小さな蜂にあんなおびえるって……。どんだけ虫嫌いなんだ。


「アシナガバチだな」


「って、こっちは素手で掴んでるし」


ふと視線を佐野先生にもどすと、いつの間にか蜂をその手で捕らえていた。素手で背中を持っている。


「センセー大丈夫すか? 刺されないの?」


「遠山、危害さえ加えなきゃハチだって人間を刺さないもんだぞ」


日向に答えた言葉とは裏腹に、アシナカバチは必死に佐野先生の手を刺そうと尻を曲げている。


「それに働きバチはみんなメスなんだ。はたいたりして、殺したら可哀想だろ」


「へー。優しいっすね。」


ご存知の通り、ハチはほとんどがメス。オスは繁殖期に極僅かしか生息しない。


「でもそんなに優しいのに、何で先生って結婚出来ないんすか? もう45でしょ?」


「43だ。色々あるんだよ、いろいろ。」


 佐野先生は、これ以上詮索するなと言わんばかりに窓際に行き、蜂を逃がした

。それと同時に、間髪入れずに教科書を読み始める。日向が授業を妨害すると思ったらしい。


 佐野先生は独身だ。


 いつもリアル結婚出来ない男として揶揄されているからだろうが、自分から多くを語ろうとしない。結婚出来ない理由なんか無いというのが本音だろう。


 残り時間はあと三十分。


 大伴は大丈夫かと心配しつつ、眠くもないのに欠伸をする。


「ん……?」


 僕も大人しく教科書の字を追っていると、鈍く微弱な振動が伝わってきたのに気付いた。


 幸い佐野先生は教科書に夢中になってるから、机の影でこっそり確認する。案の定、僕の携帯のバイブが発信源であった。今朝サイレントモードにするのを忘れたっぽい。


 『メール受信1件』の文字。

嫌な思いに駈られるままメールを開くと、恐れていた名前が表示された。


海部紅。



嫌がおうにも、あの爺さんの白髭が回顧された。


[*]


 月曜日の学校が終わった。放課後だ。


 本来学生にとっての放課後というものは、部活動に励んだり、友達と遊びにいったり、はたまた異性との付き合いに興じたりと、退屈な授業の後のパラダイスである。特進科といえどもそれは例外ではない。授業後の教室には、部活だとかカラオケだとかいう言葉が飛び交っていた。


 しかし今の僕は、そんな楽園を謳歌できる状況にない。


「さーて、行くわよ珠子。今日は倒れるまで歌うわ!!」


「待ちに待ったカラオケであります!!」


 帰り支度をしつつ、傍らで楽しそうにはしゃぐ女子高生を羨ましく思って溜め息をはく。こっちは神社に行かなくてはならないのに、そんな楽しそうに言わないで欲しい。


「小梅も行くわよね」


「あ、梅子はいけないぞ」


 海部紅からのメールに書いてあった。


 『今日学校終わったら神社に来て欲しいらしいよ。必ず、小梅ちゃんを連れてこいだって』と。


 口調が伝聞なのは、その内容が神主の意図であるからだ。邪推するに、特定できたのだろう。連続美女殺害事件の容疑者であり、僕らが殺さなくてはならないという『アガタ』を。


「行けない? って、何でアンタが決めてんのよ。小梅に聞いたのよアタシ。どうなの?」


 近くに寄ってきていた梅子に聞き直すが、梅子は事情がわからないといった風にして首を四十五度に傾ける。


神社に行く用事を伝えようとしたその直後、珠子が岩長の耳元でこそこそと話す。耳打ちと言っても声がデカイから筒抜けなんだが。


「デートでありますよっ、いずみちゃん! ジンくんと小梅ちゃんはラブラブデートをこそこそと画策していたのですっ! うらやましい限りですなあー!」


「何ですって?」


 岩長の眉間にシワがよるのが目に見えて分かった。


「アンタ小梅に変なことしたら承知しないわよ。小梅も気を付けなさい。」


「するわけ無いだろ……」


「『変なこと』?」


 岩長に睨まれながらも梅子に事情を話す。納得したようで、改めて岩長に断りをいれている。


第一梅子はカラオケ行ったら何歌うんだろうか。この抑揚のない声で、歌える歌なんかあるのか? ぶっちゃけ興味はあったが、今日はそれどころじゃない。


「用事があるなら仕方ないわ。じゃあ今日は二人だけね。千草も早退しちゃったし。」


 大伴は一限目の倫理のあとも結局戻ってこなかった。多分病院にでも行ってくるんだろう。


「それでは、失礼します」


「楽しんで来るのだぞっ」


「ええ。気をつけるのよ」


 バッグに教材をしまい、ようやく教室をあとにする。


 そうしてあとは神社に行くだけとなると、どっと緊張が増した。犯人が特定されたとなれば、それは即ち、僕たちが殺し合いをしなくてはならないことを示唆している。


 昇降ロから出ると、自分の心臓の音がやけに大きいことに気づく。これではまた根性なしだと梅子に一喝されてしまう。


 そんな危惧から、ふと梅子の顔を見る。すると、その視線がある方向に固定されている様子に気づいた。その視線の先。ほぼ反射的に顔を向ける。


「げっ」

「あっ」


 最初に見たのは、その強靭な肉体。顔を見上げて、その正体を知った。


「ひ、広崎先輩っ」


「お、おう」


 広崎先輩。ますますヒゲは濃くなり、その威圧感は相変わらずだ。しかし、その顔はどこかぎこちない。まるで会いたくなかった奴に、会ってしまったかのような、そんな表情。


 そしてやはり、梅子は広崎先輩を睨み付け、きまってこう努鳴る。


「ゲスキワが!!」


「う……」


 そうしてきまって、広崎先輩はショックを受けるのだ。


 これほど『ガーン』という効果音が似合う表情はない。顔をしかめ、硬直したあとややあって肩をおとす。


「早く私の前から消えて下さい。目障りです。ゲスキワの分際で、よくも堂々としていられますね。」


「げすきわ……」


 梅子の言葉に促されるがまま去っていく。その後ろ姿の侘しさといったらない。


 根は真面目なのかもしれない。でなければとことん変な人だ。


「……行くぞ、梅子」


「はい、殿下。」


 まるで何事もなかったかのように、梅子は返事を返す。


その表情からは、微塵の緊張も感じられない。こんな時ばかりは、梅子の無感情に羨望してしまう。


 校庭の時計は四時前を指し示していた。


神社までの道のりは、やけに長い気がした。両脇の高いブロック塀が、住宅街の一本道を無限回廊へと変貌させていたのである。


そうはいっても四時を回った頃に、僕らは例の鳥居をくぐった。


「きたか、仁彦、梅子」


「ああ。って、そちらは?」


ギシギシと軌む床を通過し神社の母屋に入ると、白髭の爺さんがいた。見覚えのない、長身の男と共に座って。


「はじめまして、ジンくん、梅子ちゃん」


「はあ……?」


その男が立つと、まずそのデカさに圧倒される。さっき会った広崎先輩より背

高い。更に医者が着るような白衣を纏っているのもあって、その存在感は著しい。


梅子に知り合いかどうか確かめるが、首を横に降る。では何故僕らの名前を知っているのっだろう。


しかも僕のことを『ジンくん』と呼ぶのも珍しい。仁彦の仁の字からだろうが、大和爺さんから聞いたのでは無さそうである。


「いきなりすまないね。私は海部さんの知り合いで、天野照美あまのてるみという。八島大学の教授で、君のお父さんとは昔付き合いがあった」


「父さんと?」


第一印象は、巨神兵。


軍人みたいな印象があるが、近くの国立大学の大学教授であるらしい。父さんは昔どこかの大学院で学んでいたらしいから、その同窓生か何かだろうと思う。


でも何で大学教授がここに?


「ワシが呼んだのじゃ。『アガタ』討伐の、協力者としてな」


「アガタ……」


その単語が出てくることを覚悟していたが、やはりその事だと意識すると、体から力が抜けた。いかにも博識そうな肩書きだし、きっと大和爺さんと同じような立場にいるのだろう。


「それで……どうなんだ?」


「ああ。天野、頼む。」


「承知した」


アガタの正体が特定されたのがどうかを聞いたつもりなのに、大和爺さんはそれを無視して指示を与えた。天野という教授は立ち上がり、


「ちょっといいかい? 梅子ちゃん」


と言って梅子を外に出るように促した。梅子が一瞬僕の目を見たので、ついていけとだけ言った。


大和爺さんと教授の真意は分からないが、アガタに関係することに違いない。


「それじゃあ、失礼するよ」


母屋から二人は出ていく。

すると、狭い焦げ茶色の空間にいるのは、二人になる。


「梅子をどこに連れてったんだ?」


「遠い所じゃ。二、三時間は帰ってこらんじゃろ」


「二、三時間も?」


その時、外からバタン、バタンと扉を閉める音と車のエンジン音が伝わってくる。そしてそれが遠くなっていくのがわかった。


「さて、ではワシも話をしようかの」


やがて完全に気配が消えると、沈黙を嫌うかのように大和爺さんが口火を切った。


僕は唾を飲む。密かに飲んだつもりが、ごくりという音が大きく出てしまう。


大和爺さんは笑って、


「大丈夫じゃ。まだ、特定に至っとらん。ただ、だいぶ絞られてきたという段階じゃ。」


「なんだ、まだなのか?」


「ああ。すまんな。時間がかかる。」という。


安堵して、例のようにリュックを座布団にして胡座をかく。


「ただ、大体分かってきたかの」


大和爺さんは続けて、お前に聞きたい事があると言った。アガタの特徴が分かったとのことらしい。


「お前の回りに、アガタらしい者はおらんか?」


「は?」


いきなりそんなことを言われるが、全く心当たりはない。


「実はな、今回のアガタは若い。それも、仁彦と同じような歳だろうな」


なぜそんなことが分かるのか。以前、大和爺さんがアガタを特定するにあたって、そんな疑問を持った。そしてその時、初めて知ったのだ。



大和爺さんも、『アガタ』であるということを。



別にアガタであればアガタを見分けることができる訳じゃないと大和爺さんは言う。見た目は人間だし、そもそも神の生まれ変わりだからといって人間であることに変わりはない。それでいてなお、『大和爺さんだけがアガタを見極め、特定できる』のには、理由がある。


「万が一ということもあるからの。思い当たる者がいたら、教えてくれ」


アガタとは神の生まれ変わりである。日本には古来、八百万と表現されるほどの多くの神々がいた。となれば、アガタの種類も相当多くなる。


要するに、大和爺さんの神の力は、そういった捜索能力に長けていたということだ。


梅子には区別がつかないのも、神の力の多様性、特異性が大きく関わっている。


「思い当たる……って言われてもな……」


「おらんか?」


居るも何も、そんな近くにアガタがいて気付いてるなら、とっくに報告している。一通りクラスメイトの顔を思い浮かべてみるが、第一どのような基準で見極めればよいというのか。


強い風が吹き荒れて、神社のボロ母屋を襲う。木の軋む音だけが唯一無二のBGMだった。


「何も知り合い全員を思い浮かべんでもよいのだぞ。最近性格が豹変したとか、精神を病み始めたとか、そういう者がいないかと聞いている」


「そうか。それを考えればいいのか。」


アガタ最大の特徴。それは性格や精神が豹変し人間離れすること。


大和爺さんはアガタとなってから相当な年月が経っていて、自制が効くのだというが、つい最近アガタとして覚醒したばかりでは、確かに精神的な変化が現れているかもしれない。


「精神に変化……つまり最近、精神的に変な人ってことだよな」


顎に手を当て考える。


服部日向。

大伴千草。

岩長いずみ。

豊田珠子。


最も身近な奴らは考えにくい。確かに性格というかキャラというか、変なヤツが多いが、毎日のように接していて変化に気付かないとは考えにくい。


クラスメイトや葦原高校の在籍生と、知り合いの顔を幾人か思い浮かべてみるが、心当たりはない。


「それでもいないな……少なくとも僕の回りには」


「まぁ、当然といえば当然じゃな」


市内には葦原高校以外にも公立私立併せて三校があるし、コンビニで屯してるようなチンピラだっている。


いくら同年代だからといって、僕が把握してるのは全体の一割にだって満たない。


「なら仕方ないな。面倒じゃが、自力で探す」


よく分からないが、大和爺さんがアガタを特定する作業は相当面倒らしい。


「そんなに骨の折れることなのか?」


「ああ。老骨に響く。面倒の極みじゃな。」


話はどうやらそれだけらしいことを悟って立ち上がり、背伸びをする。


『ナントカの極み』という梅子がよく使う言い回しに苦笑した 




……その瞬間。




「あっ!!」


「な、なんじゃ?」


僕は衝動的に大きな声をあげてしまう。

全神経がビクリと反応すると、とある人物の姿が脳裏に投影された。


覚醒間もないアガタは、精神的にどこかオカシイという特徴がある。覚醒と同時にその性格が豹変するから、知り合いであれば見極めるのは容易い。



しかしそれは。



ごく最近知り合った人物では、確かめることが出来ない。


「いるかもしれない。精神的にオカシイ人、知り合いに」


その知り合い。

彼は、喜怒哀楽が激しい。


すぐにキレて、すぐに落ち込んで、すぐに立ち直り、またすぐに落ち込む。現代人だとは思えぬほど情緒の安定しない人である。


しかも。


連続美女殺害事件の犯人像にさえ一致する。


全身殴打して殺害した、力のある成人男性。実際は成人ではないものの、見た目は申し分ない。



寒気がした。


「広崎先輩だ……」




広崎厳。

ゲスの極みと梅子に一喝された、ボクサーである。


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