第9話 再起動①
翌朝。
まだ登校する生徒の少ない時間帯。
生徒会室には、静かな空気が流れていた。
窓の外では朝陽が校庭を照らし、澄んだ空気を満たしているのに、僕の胸は重く沈んでいる。
この部屋を使わせてくれたのは、生徒会長である燈だ。
昨夜、遅くまで模擬戦に付き合ってくれたものの、なかなかに前途多難だった。
操作に不慣れな彼女は、回復魔法を誤発動させたり、敵をターゲットし損ねたりと散々だった。
才色兼備で人望も厚いのに、ゲームプレイになるとからっきしという、意外な一面を覗かせていた。
「……本当に、わたしで大丈夫かな」
机の上に置いたスマホを見つめ、燈はかすかに唇を噛んだ。
僕がユーザー招待したことにより、彼女のケータイには、既にMALICEがインストールされている。
「正直、MALICEとか悪意スコアとか、いまだに実感がわかないの。
でも、わたしに関することであの人と戦うというのなら、わたしもちゃんと協力したい」
迷いながらも、彼女は自分の意志でここにいる。
その姿勢だけで十分、立派だと思う。僕は背筋を正した。
イヤホンから、ヤマトの低音が響く。
『聞け。戦闘中は名前を呼ぶな。相手の深層意識に繋がってるからだ。コードネームで呼び合え』
燈が、窓辺に立つヤマトを見た。
アプリを介してではあるけれど、カラスと会話していることに、まだ戸惑いがある様子だった。
それでも、彼女は視線を外さない。
朝陽が横顔を照らし、その瞳の奥に淡い決意の光が宿っている。
白い指が震えながらも、スマホを握り締めているのが見えた。
――怖いんだろうな。
でも、燈は逃げなかった。
その横顔に、なぜか胸が締めつけられた。
直後、MALICEのUIが光を放ち、三人の情報が浮かび上がった。
【ユーザー:朝日 悠〈リーダー〉
コードネーム:REBOOT
ジョブ:Shadow Bringer
ロール:Tank
ユーザー:夕波 燈
コードネーム:SERAPHIM
ジョブ:Light Mage
ロール:Healer
ユーザー:ヤマト
コードネーム:RAVEN
ジョブ:Sky Lancer
ロール:DPS】
「このコードネームは、ヤマトが考えたの?」
そう僕が聞くと、カラスがうなずく。
『悠。オマエは一度、燃え尽きかけて、それでも立ち上がろうとしている。
だから「リブート」だ』
――そんなふうに思ってたんだ。
たしか、「再起動」という意味だ。
過去に大きな過ちをしてしまったけど、今はやり直そうとしている。僕にぴったりなのかもしれない。
『燈は「セラフィム」。熾天使の名だ。最も高みにあり、強い光を放つ存在。
だが、強烈すぎる光は、同時に濃厚な影も生み出す。そうした危うさを背負っていることを、オマエはくれぐれも忘れるな』
燈は一瞬、きょとんと目を瞬かせた。
けれどすぐに、ほんのり笑みを浮かべる。
「……わたしが、危うい? そんなふうに言われたの、初めて」
冗談めかしているようで、その声の奥に、かすかな寂しさが混じっていた。
指先で机の端をぎゅっと握りしめながら、まぶたを伏せ、ふっと苦い笑みを漏らす。
その仕草が、ひどく人間的だった。
完璧で、いつも誰かを導く彼女が、今はひとりの少女として不安に震えている。
その光と影の隙間が、彼女の「セラフィム」という名をより現実に感じさせた。
胸の奥が、ざわめく。
夕波先輩は、強い光で周囲を惹きつける人だ。けれど、その反対として現れる深い影が、彼女自身を危険に晒すのだとしたら……
巻き込んでしまって、本当によかったのだろうか。
その直後。スマホが鋭く震え、アラームが鳴った。
同時に、黒い警告ウィンドウが、液晶の上に表示される。
【モンスターネーム:グリーンアイ
悪意スコア:85(+3)
悪意タグ∶ 嫉妬 独占 歪愛】
――悪意スコアが、上がった。
燈が、小さく息を呑んだ。
その瞬間、部屋の空気がひときわ冷たく張り詰める。
彼女の手がわずかに震え、光を帯びた画面がその指先を淡く照らす。
まるで、触れた瞬間に焼けつくような緊張が、空間全体に伝播していく。
スコアがここまで高くなれば、もう一刻の猶予もない。
もし敗北すれば、断片の記憶がグリーンアイに残る。
顔を知られている僕たちにとって、それは致命的な危険に直結する。
『チャンスは一度きりだ。躊躇すんなよ』
ヤマトの声が告げた。
その低音が、緊張の糸をいっそう強く締めあげる。
画面の中で、暗黒のゲートが、ゆっくりと開いた。
禍々しい渦の奥に、標的の深層が待ち受けている。
その口が完全に開く瞬間、燈が深く息を吸い込むのが聞こえた。
まるで、時間が止まったようだ。
心臓の鼓動がやけに大きく響き、空気の粒までも震えているのがわかる。
「……行こう」
と、僕は息を詰め、指先を液晶に触れる。
現実と悪意の境界がかすかに溶け、視界が闇に呑まれていく。
戦いが今、始まろうとしていた。




