第8話 深層バトル④
月曜日の放課後。
生徒のざわめきが遠のき、校舎全体が静けさに包まれていく。
ヤマトと僕は、屋上にいた。
夕陽がグラウンドを赤く染め、フェンス越しに街のざわめきが低く響いてくる。
ベンチ代わりのコンクリの縁に腰を下ろし、スマホの画面を開く。
そこには昨日見つけた『解除申請』のボタンが、不気味に脈打つように黒光りしていた。
「これを押せば、本当にできるの?」
つぶやいた声に、イヤホンからヤマトの低音が返ってきた。
『ああ。解除申請ってのは、バーチャルの戦闘だ。
MALICEのプレイ画面で操作し、対象者の「守護プログラム」を打ち破る。
勝てば、パスワードの情報はこっちのものになるぜ』
「MMORPGのボス戦、みたいなもの?」
『そうだ。ただし、これは現実に繋がってる。敵は、相手の深層意識そのものを守る防壁だ。
だから……負ければ代償があるぜ』
画面が暗転し、赤黒い文字が浮かび上がる。
【――バトル敗北時のペナルティ――
影響:深層同期(断片付与)
備考:対象は戦闘の断片を現実に記憶する可能性があります。
付随:指定データは強固にロックされ、改竄・消去される恐れがあります。】
僕は、息を詰めた。
「つまり、負けたら相手に気づかれるかもしれないってこと?」
『ああ。夢の形で、断片的に記憶が残る。
それがきっかけで、警戒が跳ね上がる可能性もあるぜ』
それは、とても大きなリスクのように思えた。
パスワードを変更されるかもしれないし、下手をしたら、やけを起こしてすぐにでも危険な行動に出るかもしれない。
画面の奥に、黒い霧のようなものが、ゆっくりと渦を巻いているのを感じた。
そこから無数の小さなアイコンが浮かび上がり、誰かの声の断片を吐き出している。
罵声、笑い声、怒号。
それらはネットの匿名投稿のように雑多で、けれど確かに「人の心の奥」に紐づいているように思えた。
その一つひとつが、悪意の結晶体。
僕の指先が、ほんの少し触れただけで反応しそうな気がして、思わず手を引っ込める。
『今のままじゃ、戦力が足りない。この前の模擬戦でわかっただろ?
オレはDPS、オマエはタンクだ。ヒーラーがいねぇ』
昨日、MALICEの訓練機能を使い、仮想敵を相手にした模擬戦闘を試してみた。
結果は、散々だった。回復手段を持たない僕らでは、敵の猛攻に耐えられず、ものの数分で全滅した。
「ヤマトがヒーラーをやることは、できないんだよね?」
『無理だ。戦闘中のジョブやロールは、各人の資質や性格で決まる。変更はできないぜ』
「もう1人、必要だね……」
でも、誰が?
そう思った時だった。
「ねえ」
不意に声がして、背筋が跳ねた。
振り向くと、屋上の扉のそばにひとりの少女が立っていた。
栗色の髪を後ろで束ね、制服姿のまま。
――夕波燈。
「……最近よく会いますね。今日は、ストーカー男と同じ動きはしてませんけど」
「わたしが、探してたの。他の人に聞いたら、朝日くんが屋上に行くのを見たって。
きみ、わりと有名人だから」
ちっとも嬉しくない。
でも、僕を探してたって、どういうこと?
「わたし、気になってたの」
燈はフェンスに手をかけ、夕陽を背にしながら、まっすぐこちらを見た。
「朝日くん。きみとよく会うの、偶然じゃないと思ってる。
わたしのあと、つけたりしたんでしょ?
もしかして、例のストーカー男に、何かしようとしてる?」
息が止まる。
鋭い。少しの違和感を積み重ね、彼女はここまで推理してきたのだ。
「それは……」
うまく言葉にできない。
認めるわけにはいかないけど、否定しようにも、もっともらしい言い訳が思い浮かばなかった。
その時、イヤホンからヤマトの声が響く。
『面白ぇ。こいつ……適性があるぞ』
――適性?
『ヒーラーだ。守りたいって意思が強く、相手を疑うより信じちまうタイプ。回復と補助のロールには、うってつけだ』
思わず、燈を見た。
夕陽に照らされた横顔は、真剣そのものだった。
無謀だけど、人の痛みに真正面から向き合おうとする、
そんな、力強い眼差しだ。
『誘え。こいつがいれば、勝率は跳ね上がるぞ』
心臓がどくりと鳴った。
だけど……彼女を巻き込むなんて、そんなこと……
『迷っている暇なんざねぇ。グリーンアイのスコアは、もう臨界に達してる。
明日、凶行に及んでもおかしくないんだぜ』
目を伏せる。
手の中のスマホの画面が、不気味に脈打つように光を放っていた。
その鼓動が、自分の心拍とシンクロしているように感じる。
まるでMALICEそのものが、僕の選択を急かしているかのようだった。
「……夕波先輩」
本当に、これでいいのかな。
そう何度も自問自答しながら、ついに僕は口を開いた。




