第7話 深層バトル③
翌日、日曜日の午後。
曇りがちな空の下、駒込の住宅街はひどく静かだった。
細い路地の、電柱に隠れて、僕はひたすら待っていた。
グリーンアイ。
彼の自宅アパートの出入口が、死角にならない位置に陣取って。
スマホの時計が3時を示したころ、玄関が開いた。
キャップを目深にかぶった、見覚えのある男が出てくる。
――間違いない。
『動いたな。尾行は慎重にいけよ』
ヤマトの声が、イヤホンを経由して鼓膜を叩いた。
彼もまた、大きく翼をはためかせて、男の後を追いかけていく。
なぜ、こんなことをしているのか。理由は明快だ。
それは、当初のプランのままでは、燈の平穏が脅かされることは確実だからだ。
――夕波先輩の情報が拡散されない形で、あの男を処罰する。
そのためには、もっと別角度の、決定的な証拠がいる。
『なら、使ってみるか? MALICEのタッチ機能』
他人の悪意が見えるという、謎のアプリ。
そのタッチ機能を使えば、悪意ある人物が相手なら、個人情報や詳細な活動履歴まで入手することができるらしい。
条件は、対象にスマホでタッチすること。有効範囲、数センチメートル。
ハイリターンなだけ、リスクもまた、これまでより何倍にも跳ね上がる。
――でも、やらないといけない。
そう自分に言い聞かせ、僕は深呼吸をした。
男は商店街の入り口で足を止め、ポケットからスマホを取り出した。
画面に集中している。
――絶好のチャンスだ。
通りは買い物客でごった返し、ざわめきと喧騒が空気を揺らしている。
汗が首筋を伝う。手の中のスマホが、まるで生き物のように震えていた。
『行け、今だ』
ヤマトの声に、息を呑む。
心臓が喉のすぐ裏まで競り上がり、世界がゆっくりとスローモーションになる。
男との距離が。縮まる。
三歩、二歩、一歩……
僕は人の流れに紛れ、無音のまま手を伸ばした。
指先が男の背中の布をかすめ、スマホの角が肌に触れた瞬間――
ピン――ピッ。
短い電子音が、やけに澄んだ響きをもって耳を刺した。
画面に波紋が広がり、黒いロックアイコンが回転する。
成功したみたいだ。
けれど、すぐに我に返り、背筋が凍る。
――イヤホン越しではない。
今の音は、「スマホ本体」から鳴ったはず――
「あぁ?」
不審に思ったのか、男が振り返った。
時間が止まる。
喉が焼けつき、足が動かない。
逃げろ、早く――
そう頭が叫ぶのに、身体が追いつかない。
その瞬間、頭上で風を裂く音。
「――カァ!」
一羽のカラスが、彼のすぐ上を掠めた。
男の注意が逸れたその刹那、ヤマトの怒声がイヤホンに叩き込まれる。
『ボサッとすんな、逃げろ!』
弾かれるように、体が動いた。
人混みをかき分け、信号の向こうへと駆け抜ける。
背中に感じる視線の圧が、しばらくの間、消えなかった。
◇ ◇ ◇
数十分後。
僕とヤマトは、駒込駅近くの小さなベンチに腰を落ち着けていた。
心臓が殴られているみたいに、高鳴っていた鼓動。
それが、今になってようやく落ち着き始めていた。
膝上にスマホを置き、画面を見る。
すると、黒いカードが液晶の上に浮かび上がった。
【モンスターネーム∶グリーンアイ
悪意スコア∶82(臨界)
悪意タグ∶ 嫉妬 独占 歪愛
本名:菅原 智
性別:男性
年齢:40歳
生年月日:1984/06/15
居住地:豊島区駒込付近
HEXアカウント:@green_eye_333
HEXパスワード(ロック中):************ 《解除申請》※難易度:ランク1
悪意ログ∶
2025-09-14 駒込駅付近で接近 歪愛(Score82)〈臨界〉
2025-09-14 高校校庭フェンス外から監視 独占/嫉妬(Score81)
2025-09-13 深夜に住居周辺を徘徊 独占/歪愛(Score80)
2025-09-07 和菓子屋前で長時間張り込み 嫉妬(Score77)
2025-08-21 夜間の尾行 歪愛(Score74)
2025-08-03 SNSに隠し撮り投稿 嫉妬(Score71)】
悪意ログは、まだまだ下に続いている。
男はどうやら1年以上前から、燈をつけ回していたみたいだった。
ヤマトが、カラスの姿でスマホを覗き見る。
『悪意ログをタップすれば、当時の動画がダウンロードできるぜ。やったな、もう証拠は十分だ』
「いや……これだけじゃ、ダメだよ」
SNSにアップされた大量の写真が、まだ何も解決できていない。
僕たちがこのHEXアカウントを公開しなかったとしても、このままグリーンアイを晒せば、いずれ皆に見つかってしまうだろう。
「ねえ、彼のHEXパスワードを知ることはできないの? この『解除申請』って何?」
僕が画面の該当箇所を指さすと、目の前のカラスは身震いをした。
『教えてもいいんだけどな。ただ、その方法はけっこうリスキーだぜ?』
……それって、今回よりもハイリスク?
僕は、迂闊に質問したことを後悔した。




