第5話 深層バトル①
翌朝。
まだ始業前の校庭には、部活の掛け声やボールの弾む音が、ひときわ大きく響いていた。
だけど、フェンスの外に立つ僕の胸は、ひどく落ち着かない鼓動を刻んでいる。
『ここだ。悪意ホットスポット』
イヤホンの向こうで、ヤマトが告げた。
スマホの画面には、校庭の一角に赤く脈打つマークが浮かんでいる。まるでそこだけ空気がよどんでいるみたいに。
「昨日の、グリーンアイの悪意?」
問いかけると、画面のマークが緑に縁どられた。
登録済みの対象――そう、これがグリーンアイの残した痕跡だと分かる。
『通常なら、誰の悪意かまでは分からねえ。だが、登録すれば別だ。
悪意の残滓を「名札つき」で拾えるってわけだな』
ごくり、と唾をのむ。
悪意ホットスポット――そこに残された「過去」を覗くことができる場所。音声や映像が断片的に保存され、時に心の声まで再生されることがあるという。
『さあ、ダウンロードしろ。昨日、あの野郎がここで何を考えてたのか、分かるかもしれない』
指先が、わずかに震える。
それは真実を知るための一歩なのか、それとも踏み込んではいけない領域への入口なのか。
校庭の喧騒を背に、僕は画面の赤いマークをタップした。
【動画データ再生中】
ノイズ混じりの映像が浮かび上がった。
昼間の校庭。フェンスの影に、昨日の男――グリーンアイが立っていた。
一体、どういう原理で撮影されているのだろう。
カメラなんてないはずの角度から、まるで誰かの視点が彼を捉えている。
男の目線の先には、燈がいた。
『……奪う……全部……』『俺だけのものだ。燈は……』
声はかすれ、途切れ途切れだ。
だけど、最後の一節だけは、妙に鮮明に聞こえた。
『……もし邪魔する奴がいたら……』
ガリッ、とノイズが走り、映像は途切れた。
スマホの画面には「再生終了」の文字だけが残る。
『これでハッキリしただろ。あの野郎は、夕波燈に明らかな悪意を抱いている』
ヤマトの声が冷たく響いた。
僕は画面を握りしめたまま、背筋を冷たいものが這い上がるのを感じる。
これはもう、妄執じゃない。殺意に近い悪意だ。
『燈に実害が及ぶのも、時間の問題だろうな』
「そうだとして、僕にどうしろっていうのさ」
怒りにも似た震えが。声に混じる。
ヤマトは、しばらく沈黙してから答えた。
『――裁くんだ』
一語が、フェンス越しの空気を引き裂いた。
「裁くって……どうやって?」
『お前が以前やった方法だ。動画を出して、あの野郎の行為を社会に晒す。
悪意スコアは露出によって下がる。群衆の注視が「消費」してくれるんだよ』
言葉が、突き刺さる。
以前、僕は確かにそうやって――誰かを、晒した。
不正を暴き、正義のためと信じて。
だけど、あのとき僕は、たくさんの人生を壊した。
『単発の晒しじゃ足りない。悪意スコアを効果的に下げるには、決定的な証拠が要る。
映像が断片的じゃ、逆に反撃を招く可能性もある』
ヤマトの声は、機械的な冷静さを保っていた。
けれど、その奥には焦りのようなノイズが混じっている気がした。
「決定的な証拠、か……」
『この動画だけじゃ、全然足りない。
他にもあの野郎のスポットがあるか、アプリで調べて、午後から回ってみるぞ』
今日は土曜日で、授業があるのは午前中だけだ。
「……わかったよ」
以前、自分がやった「晒し」で、僕は誰かの人生を壊した。
あのときの後悔が、今も深く刺さっている。
――だけど、このアプリがあれば、違うのかもしれない。
主観じゃなく、スコアという「客観的な指標」に基づいた裁きができる。
過去の過ちを、正しい形で償うことができるかもしれない。
「このグリーンアイを晒せば、悪意レベルが下がって、街はよくなるんだよね?」
『……まあ、それはそうなんだけどな。アプリの「悪意ランキング」を見てみろ』
ヤマトに促されて、MALICEのランキング画面を開く。
スマホに、東京全体のモンスターリストが映った。
順位、モンスターネーム、悪意スコア。そして、各個体が街に与える「影響度」。
見慣れない名前の列の中に、グリーンアイがあった。
順位はリストの真ん中程度、スコアは82。
画面は、試算してみせる。
仮にグリーンアイのスコアをゼロにすると、街全体の「総悪意指数」は約0.27%低下する、という小さなグラフが描かれた。
『0.27%。小さくはないぜ。けれど、劇的に変わるほどでもないな』
そんなものか。
僕は、画面をより上位へスクロールしていく。
その瞬間、息が止まった。
【JUSTICE::NULL】
リストの上位に、目を疑う文字があった。
表示されたその名前に、思わず硬直する。
――零士さん?
声にならない驚きが、胸の奥で爆ぜた。
息を呑む僕の耳に、ヤマトの声が届く。
『どうした?』
問いかけに、言葉が出なかった。
画面の光が、まるで冷たい監視の目のように手の中で揺れている。
指先がじわりと汗ばみ、鼓動の音がイヤホン越しにも響いていた。




