第24話 光の戦士④
翌日。
浅草の空は、秋の薄曇りに包まれていた。
今日は土曜日。
午前授業を終えた僕たちは、打ち上げも兼ねて集まっていた。
「花燈庵」――燈の祖父が経営する、和菓子屋の2階。
窓際の座敷には、湯気の立つ急須と、3人分の湯飲み。
「このお店、前は悠やお兄ちゃんと、時々来ていたわね。昔、近くの剣道教室に通っていたから」
と、朱里が言った。
当時の記憶は、僕にもある。
――まさか、夕波先輩の親族のお店とは思わなかったけど。
だから彼女は、たまに店先に立っているのか――
小豆の甘い匂いが、静かに漂っていた。
燈と朱里が、クリームあんみつを注文する。
僕はといえば、動画の編集でまた徹夜をしてしまい、何も頼む気にならなかった。
『ひとまず、一件落着だな。クラッシュ・スマイルの悪意スコアも、ほとんどゼロに戻った。
オマエら、よくやったぜ』
イヤホンを介して、ヤマトが嬉しそうに言った。
窓の外を見ると、カラスが1羽、電線に止まっている。
「うん。今朝アップした動画、かなりバズってるみたい」
僕は、スマホをテーブルに置いた。
動画のサムネイルには、「CRASH SMILE」の文字。
もちろん、小田桐直哉本人が特定されないよう、推測されそうな情報はすべて隠した。
それでも、彼の身近にいる者で、気づいてしまう人は出てくるだろう。
再生数は、すでに10万を超えていた。コメント欄は賛否両論であふれている。
「正義の鉄槌だ」「ざまあみろ」といった声の一方で、「未成年を晒すのはやりすぎ」「またネット私刑か」という意見も少なくない。
「動画では、マイルドな内容に編集されてたけど。
それでも、やっぱり小田桐先輩がしていたことは、客観的に見て異質だったということよね。
あたしや、同じ学校の人たち、感覚が麻痺しちゃってたのかも。
ネットで晒すなんて、できればやりたくなかったけど、仕方なかったのよね……」
と、朱里が言った。
あんみつの寒天を突きながら、目を伏せる。
「仕方ないなんて言葉で、終わらせなくていいと思うな」
燈が、静かに言った。続けて、
「赤城さんは十分、迷ったよ。
ちゃんと相手の痛みを考えて、できればやりたくないって思った。
それでも立ち向かったのは、自分の周りの人を、守ろうとしたからでしょ?
それって、間違いじゃないよ。実際、クラッシュ・スマイルはやりすぎてたと思う」
朱里が、顔を上げる。
そう。クラッシュ・スマイルの件で朱里が泣いたのは、兄の死が公表されることで、周囲を悲しませたくないという想いからだった。
口調はきついけど、心根は誰よりも優しい。
幼馴染である僕は、それをよく知っていた。
「……ありがと、夕波さん」
朱里の声は、少しだけ震えていた。
燈は微笑みながら、湯飲みを両手で包み込んで、頷く。
「――クラッシュ・スマイルも、実際は被害者だったんだよね。
だけど、あの人は他人を巻き込んじゃったから……裁きは受けるべきだと思う。
それでも、彼が必要以上に責められないようにって、朝日くんの頑張り、すごかったね。
動画の編集も上手だと思ったし、あとは概要欄の『編集後記』。あれ、ビックリした!」
僕は、小さく息をつく。
そう。クラッシュ・スマイルが過度な誹謗中傷に晒されないように、動画の投稿主として、どうしても何かメッセージを出したかった。
『■編集後記
誰かを叩くことで、自分の痛みをごまかす人がいる。
誰かを笑い者にして、孤独を埋めようとする人がいる。
そのどちらも、本当は「壊れかけた笑顔」だ。
クラッシュ・スマイル。
彼の名が意味するのは、壊された笑顔であり、壊してしまった笑顔でもある。
我々は、罰を与えたいわけじゃない。
ただ、そこにあった「痛み」を、正面から見つめようとした』
なお、文面を考えたのは、ヤマトだ。
相変わらずキザな文章で、意味不明な部分も多いけど、罰したいわけじゃないという点は伝えられたんじゃないかと思う。
テーブルに置いたスマホの動画が終わりに近づき、お決まりのエンディングが表示された。
【――MISSION RESULT――
ターゲット:CRASH SMILE
ステータス:COMPLETED
メンバー:REBOOT / RAVEN / SERAPHIM / SCARLET
チーム:VALGATE】
『レムナントの名前がないが、本当によかったのか?』
ヤマトが、僕たちの心情を推し量るように言った。
「うん。結局、正体がよくわからないから……」
僕の言葉に、朱里と燈がうつむいた。
MALICEのパーティリストの、最後の一行。
「REMNANT」の名前の横には、灰色のアイコンと〈OFFLINE〉の文字がある。
戦闘が終わった直後、彼は何も言わず、光の中へと消えていった。
けれど、リストからは削除されていない。
まるで、いつかまた戻ってくると言わんばかりに。
――本当に、彬良くんだったのかな?
そんなことを思いながら、僕は息をついた。
しばしの沈黙。優しい店内BGMの中で、遠くの車道の音がかすかに響いた。
すると、朱里が口を開く。
「……悠」
スプーンを置いた彼女が、まっすぐに僕を見る。
「今回のこと、ありがとう。
……正直、最初はあんたのやり方、嫌だった。
正義を言い訳にして、ただ他人を裁きたいだけなんじゃないの? って」
淡い笑みが、唇の端に浮かぶ。
「でも、違った。
ちゃんと、相手を傷つけないように考えてた。
あんたのやってること、正しいかどうかはわからないけど、世の中に必要なんじゃないかって。
動画を観て、あたし、ちょっと考え直したんだ」
「……ありがとう」
自分でも驚くほど自然に、返事がこぼれた。
言葉に重さはなく、ただ静かに、心の奥に落ちていく。
「今のやり方が正しいかは、僕にもわからない。
でも、誰かを守りたいって気持ちを忘れなければ、前みたいな間違いは、きっとしないんじゃないかって思うんだ」
朱里は小さく笑って、「うん」とだけ答えた。
その笑顔が、あの戦いのあと初めて見た、心からの笑みだった。
湯気がゆらめく座敷の空気の中。
秋の陽が障子越しに差し込み、彼女の横顔を柔らかく照らしていた。
その光景を見ていたら、急にまぶたが重くなる。
疲労に根負けした僕の意識は、静かに睡魔にさらわれていった。




