第21話 光の戦士①
翌朝、午前六時。
まだ外は、夜と朝のあいだのような薄青の光に包まれていた。
朱里から、家の前に着いたとのチャットが来る。
僕は近所の静寂を妨げないよう、彼女を小声で招き入れて、自室に通した。
「おはよう。眠れた?」
「ぜんぜん眠れなかったわ……」
朱里は、すでに疲労困憊といった表情を浮かべていた。
「夕波さんと、ヤマトは?」
「さっき連絡があった。もう準備してるって。接続すれば、すぐ始められるよ」
昨日、何度か模擬戦を繰り返し、4人の連携を確認した後……
今日の登校前に、クラッシュ・スマイルとのバトルに挑もうと、事前に話していた。
そのあと学校へ行くことも考えて、朱里は僕の家から、残り2人は燈の家から参加するということも、あらかじめ決めてあった。
決戦を前に、気分を落ち着かせようと深呼吸をした。
すると、朱里が口を開く。
「ねえ、悠。このアプリの悪意スコアって、本当に信用できるの?」
その声には、不安よりも、確かめるような響きがあった。
「悪意を見える化するなんて、人の心を数値で裁くみたいで……
もし、間違ってたら? また、誰かを傷つけるだけなんじゃないの?」
僕は、答えられなかった。
スマホの画面に映る悪意スコアの数字が、急に重たく見える。
「……正直、僕にもわからない」
このアプリが示す数字が、どこまで真実を反映しているのか、確証なんてない。
例えば誰かが、ほんの一瞬の苛立ちや恐怖を抱いたとして、それが悪意スコアに計上されることもあるんじゃないか。
なら、どこからが罪で、どこまでが人間の弱さなんだろう。
僕が過去に炎上したとき――
あのときも、僕は「正しい」と信じていた。
歪んだ正義感で誰かを叩き、結果的に、取り返しのつかないことをした。
それからずっと、自分の中で「正しさ」という言葉が、少し怖い響きを持つようになった。
だから、二度と同じ過ちは繰り返さないと決めた。
今の僕は、感情ではなく、証拠と数値と、冷静な判断で動いているつもりだ。
でもそれでも、スコアが示す「悪意」の境界が、本当に絶対的なものなのか
――そう問われると、答えは出せなかった。
けれど、目の前に朱里がいる。現実に、彼女が恐怖と不安の中にいる。
その事実だけは、疑いようがなかった。クラッシュ・スマイルの行動が誰かの人生を踏みにじっている。それもまた、事実だ。
「――誰かを裁くためじゃない」
誰かを救うために、僕たちは戦う。
その結果として、クラッシュ・スマイル自身にも、過度な制裁が下らないように。
そういうやり方を、今回は貫こうと思っている。
たとえそれが、少し甘い判断だとしても。
「……わかったわ」
朱里が、ゆっくりと頷く。
「あんたの言葉、信じる。あたしも、一緒に戦うわ」
その言葉に、胸の奥が熱くなった。
迷いは、まだ完全には消えない。けれど、それでも前へ進む理由は、確かにある。
朱里が、スマホを手に取る。
画面の中央に、MALICEのロゴが淡く光った。
「……準備はいい?」
「うん。始めよう」
僕たちは視線を合わせ、アプリの通話機能を起動した。
『――こちらセラフィム。通信良好、いつでも行けるよ』
『レイヴンも同様だ。目標は、クラッシュ・スマイル』
ヤマトと燈の声が重なった瞬間、部屋の空気が変わった。
電子音が低く響き、パーティー情報がスマホに表示される。
【ユーザー:朝日 悠〈リーダー〉
コードネーム:REBOOT
ジョブ:Shadow Bringer
ロール:Tank
ユーザー:夕波 燈
コードネーム:SERAPHIM
ジョブ:Light Mage
ロール:Healer
ユーザー:赤城 朱里
コードネーム:SCARLET
ジョブ:Blade Dancer
ロール:DPS
ユーザー:ヤマト
コードネーム:RAVEN
ジョブ:Sky Lancer
ロール:DPS】
朱里が、短く息を呑んだ。
僕は、言葉の代わりに頷く。
「行こう。VALGATE:《ロック申請》開始」
画面が、赤に染まる。
決戦の朝だった。
◇ ◇ ◇
そこは、巨大なテーマパークのような場所だった。
観覧車、噴水、カラフルな看板――どれも鮮やかに輝いているのに、どこかおかしい。
動いているのは、人ではなくマネキンたちの笑顔。
作り物の笑みを浮かべた群衆が、ぎこちなく拍手し、手を振り合っている。
音楽が流れている。
だけど、メロディは途切れ途切れで、途中から不協和音に変わった。
「……ここが、クラッシュ・スマイルの深層領域か」
レイヴンの声が、低く響く。
空は、青すぎるほど青い。だけど、雲の形が、全部「笑顔」のマークをしている。
その一つひとつが、こちらを見下ろして嗤っていた。
「笑いすぎでしょ……」
スカーレットが、顔をしかめた。
ブレイドダンサーである彼女は、深紅を基調とした戦装束をまとい、腰には片刃の刀を携えている。
その瞬間、足元の地面。カーニバルのような床絵が、歪んだ。
中央のスマイルロゴが膨れあがり、異形の怪物へと変貌する。
白いノイズに包まれた輪郭。異様に大きな口。
そこから、電子ノイズのような声が響いた。
『ようこそ、みんな! 今日もハッピーに、スマイルしよう!』
声の主が、ゆっくりと手を広げた。
背後の建物――学校、会社、家庭を模した「幸福の舞台装置」が立ち上がり、無数のスクリーンが点灯した。
その一つ一つに、笑顔が映る。
誰かの投稿。誰かの宣伝。誰かの「いいね」を乞う動画。
「見て……これ、全部『作られた笑顔』よ」
セラフィムが、息をのんだ。
スクリーンの中で、人々は延々と笑っている。
だけど、目だけが笑っていない。
瞳の奥は空洞で、奥に「助けて」と書かれたテキストが一瞬見えた。
『笑っていれば幸せになれる! 笑わない人間は、不幸なんだ!』
クラッシュ・スマイルの口が、ありえないほど裂けた。
声の奥に、かすかな呻きが混じる。無理に笑っているような、押し殺した泣き声。
地面が割れ、地下から「笑顔マスク」を被った影たちが這い出てくる。
彼らは皆、笑いながら泣いていた。
スカーレットが一歩、前に出た。
そんな彼女に一瞬、彬良くんの姿が重なる。
「アンタの『笑顔』なんか、誰も求めてない!」
その声が響いた瞬間、周囲のマネキンたちの顔が一斉にひび割れた。
クラッシュ・スマイルが苦痛とも狂喜ともつかぬ声を上げ、両手を広げる。
『ボクは救ってるんだ! 世界を、笑顔で満たすために!』
空の雲がざわめき、無数の「笑顔アイコン」が雨のように降り注ぐ。
当たった地面が次々と歪み、現実の街の断片――学校、交差点、リビングルーム――が入り混じって再構成されていく。
それは、彼がSNSで「幸せな人生」として、演出してきた投稿群だった。
僕は、拳を握る。あの虚ろな幸福の裏で、どれだけの人が苦しんだのか。
彼の過去にある「笑顔の強要」が、今、この歪んだ世界を形作っている。
「行こう。――戦闘開始!」
放たれた斬撃が、黒い波動となって、怪物に直撃する。
戦いの火蓋が、切って落とされた。




