第19話 笑えないスカーレット③
日曜日の朝。
薄曇りの空の下、日暮里の自宅近くの公園。
芝生広場の隅にあるベンチに、僕は腰かけていた。
呼び出した朱里が姿を見せるのを待ちながら、胸の奥の言葉を繰り返し練っていた。
やがて、制服姿ではない朱里が現れる。
少し大きめのパーカーにジーンズ。人目を避けるように歩いてきて、隣に静かに腰を下ろした。
「ごめん。急に呼び出したりして」
「……ふん。で、何の用?」
朱里が、そっけなく言った。
僕は、単刀直入に切り出すことにする。
「小田桐直哉さん、って知ってるよね? 日暮里第一の、3年生だと思うけど」
そう尋ねると、彼女はわかりやすくうろたえた。
目を丸くしたあと、自分を落ち着かせるかのように視線を落とす。
「……知ってるわ、もちろん。あの人、有名人だから」
――有名人?
「小田桐先輩は、うちの高校の、名物風紀委員なの。
1年生のころからずっとやってて、みんなを明るくする『笑顔プロジェクト』っていうのを推進しているわ」
――笑顔プロジェクト。
なんとなく、彼が言い出しそうな活動ではあるけど。
「校内だけでなく、街でもみんなに『笑顔』を呼びかけたりしていて。
そうした活動をSNSにもアップしてる。フォロワーもそこそこいて、わりと好評みたい」
朱里の口ぶりは淡々としていて、けれどその声の奥に小さな棘が混じっていた。
「好評みたい」という言葉の響きに、ほんのわずかな皮肉が滲んでいる。
僕は、その違和感を逃さなかった。
「――朱里は、その活動に困らされてるんじゃないの?」
問いかけると、朱里の肩が一瞬だけ揺れた。
彼女は視線を落としたまま、返事をしない。
「僕は見たよ。人気者だろうと、風紀委員なんて肩書があろうと……
彼の活動は、笑顔を強制して、人を追い詰めるやり方にも見えるよ。違う?」
朱里は唇を噛みしめ、両手を膝の上でぎゅっと握った。
それが肯定の答えだと、僕は直感した。
「……でも、あたしからは何も言えない」
小さな声が落ちた。
「どうして?」
しかし、沈黙。
少し経ってから、朱里が微かに笑ってみせた。
けれどそれは、凍りついたような笑みだった。
「……お兄ちゃんのこと、晒されちゃうから」
そう言って、瞳を潤ませた。
「お兄ちゃんって、彬良くんのこと?」
僕の問いに、彼女は頷く。
ゆっくりと、言葉を紡ぎ始めた。
「……あたし、お兄ちゃんが死んじゃって以来、うまく笑えないの。
別に、自殺ってわけじゃないんだろうけど。
お兄ちゃんの心がすり減っているの、わかってた。強がってるの、気づいてた。
あたしが、もっとちゃんと、寄り添ってあげてたら。
電車に轢かれるなんてこと、なかったんじゃないかって、今でも時々思うの」
朱里の声が震えるたびに、胸の奥が締めつけられる。
彼女の言葉の端々には、まだ癒えていない傷がにじんでいた。
「そんな中、小田桐先輩に『笑って』って言われて……
無理に口角を上げようとすると、胸の奥がざわつくの。
だから、いつも黙ってすり抜けてた」
その横顔は硬く、声は震えていた。
「最初は『気難しい子だな』ってからかわれる程度だった。
けど……だんだん粘着されるようになって。
通学路で待ち伏せされたり、スマホで顔を撮られたり。
『どうして笑わないの?』『みんなのために笑顔を見せてよ』って……」
朱里は小さく息を呑み、視線を逸らす。
「そして、小田桐先輩は、知っちゃったの。
死亡者が出たっていう『Judgement Protocol』の炎上事件――
その死亡者の妹が、あたしだってこと」
胸の奥をえぐるように、朱里の声はかすれた。
「『笑えないのは、兄の死を引きずってるからだろう?』って。
『だったら公表して、過去と決別しよう。前向きに生きよう』って……
お兄ちゃんのこと、SNSに上げるって、ずっと言っててくるの」
僕は、息を呑んだ。
朱里が背負ってきたものの重さに、胸の奥が沈んでいく。
笑えない理由。
その陰には、彼女が抱えてきた罪悪感と、喪失感がある。
――それをネタにして弄ぶなんて。
そんなものが、正しい「笑顔」のはずがない。
拳を握りしめる。
同時に、朱里の前髪越しに見せる瞳の震えが、怒りよりも強く僕を縛った。
「別に、お兄ちゃんの話を知ってる人なんて、他にも学校にたくさんいるわよ。地元の高校なんだし。
だけど、みんなあえて触れないようにしてくれてるの。『つらい思いをしてきただろうから』って。
なのに、次もネットで騒がれちゃったら、またみんなに気を遣わせちゃうじゃない。
今の友だちの中には、まだ知らない人もいるのに……」
彼女の声が途切れ、ひとすじの涙が頬を伝った。
それを見て、僕の中で何かがはっきりと形を取った。
――許せない。
その時、短い電子音とともに、スマホが振動した。
【クラッシュ・スマイルに、新たな情報が追加されました】
画面を見ると、彼の詳細情報に、確かに項目が追加されていた。
それを見て、僕は決意を固める。
「話は、よくわかったよ。心配しないで。必ずなんとかするから」
そう話すと、朱里が潤んだ目でこちらを見つめてくる。
『やるのね、朝日くん』
『そりゃあいいんだが、この新着情報――今度のバトルは、かなりきつそうだぜ?』
燈とヤマトの声が、スマホからした。
たしかに、もう少し戦力が必要かもしれない。
「あんた、何する気? また変なこと考えてるんじゃないでしょうね?」
朱里と視線を合わせながら、僕はこのあとの展開に、思考を巡らせていた。




