第16話 壊れた正義④
土曜日の午後。
午前中の授業を終えた校舎は、部活の声を除けば、ひどく静かだった。
ヤマトは単独で、朝から日暮里第一を調べているようだった。
目的は、動画に映っていたスマイル男探しと、朱里の監視だ。
僕と燈は、屋上に近い階段踊り場に腰を下ろし、ヤマトの到着を待っている。
外は雲が流れ、夏の残り香のような光が射し込んでいた。
「ねえ。昨日の子のこと、聞いてもいい?」
沈黙を破ったのは、燈だった。
彼女は足を組みかえ、僕の横顔をまっすぐに見つめてくる。
「……朱里ですか?」
燈が、頷く。
「あの子と朝日くん、何があったのかな? きみを見る彼女の目、普通じゃなかったから」
「そう、ですね……」
今さら隠す話でもない。
その気になって調べれば、すぐにわかってしまうことだ。
僕は、深く息を吐き、視線を膝に落とした。
◇ ◇ ◇
朱里の兄――赤城彬良のことは、物心ついた時から知っていた。
当時も今も、僕にとってはずっと、本当の兄のような存在だ。
幼い頃は、彬良くん・朱里・僕の3人で、浅草の剣道教室に通っていた。
試合に負けて泣いた僕を、大笑いしながら慰めてくれるような――優しくて、強いお兄さんだった。
そんな生活が、僕と朱里が小学校を卒業するまで続いた。
中学に上がってからは、彬良くんとは少し疎遠になったけど、たまに剣道部の試合を観に来てくれるたび、僕は嬉しくなった。
そうして、月日が流れた、ある日。
「……1年前のことです。僕も朱里も、中学3年生でした」
彬良くんは、大学2年生になっていた。
都内の有名大学で、彼は心理学部に在籍していた。
「発端は、彬良くんが通う大学での、とあるゼミ発表でした」
そのとき、JUSTICE::NULL――零士さんが、ひとつの動画を見せてきた。
ゼミでの発表が、別の大学の発表資料にそっくりだと。「これはパクリだ」って。
僕は、正義感に火をつけられた。
彬良くんに迷惑がかかるかもしれない、という考えもよぎったけど、それよりも「不正を告発したい」という誘惑が勝ってしまった。
だから僕は、零士さんが作った告発動画に、協力してしまったんだ。
活動全体を主導したのは、零士さんだった。
だけど僕も、映像の裏取りや編集を手伝って、あの動画に「正義の色」を塗り重ねてしまった。
「動画は、あっという間に広まりました」
その速度は、僕の想像を遥かに超えていた。
「大学ぐるみの不正だ」なんて、根拠のない言葉まで飛び交い始めた。
そして、彬良くんは、その渦中にいた。
本来は無関係だったはずなのに、友だちをかばう発言を切り取られて、矢面に立たされてしまった。
――そうなることは、予想できたはずなのに。
とても強くて、底抜けに優しい人だから――
僕は、零士さんに必死に止めるよう訴えた。
「もうやめましょう。これ以上は、ただの私刑です」
けれど、零士さんは首を振った。
「これが、私たちの『正義』だろう? JUSTICE::ECHO――」
その穏やかな微笑みに、震えるほどの寒気をおぼえた。
結局、僕は何も返せなかった。本当は守りたかったはずなのに。
僕は、彬良くんの背中を、突き飛ばす側に回ってしまったんだ。
――そして。
ある夜、彬良くんは事故に遭った。
線路に落とした荷物を取ろうとした、と言われている。
けれど、なぜ彼がそんな無茶をしたのか。
心が追い詰められていたがゆえに、思考が麻痺していたのか。それとも、自ら逃げ場所を求めてしまったのか。
僕には、答えがわからない。
ただ、彼が帰らぬ人になったという、事実だけが残った。
それから、少しして――
僕たちの発信した情報が、誤報だったことが明らかになった。
「被害者」とされていた大学が、「加害者」であるゼミとよく似た発表をした事実など、どこにも存在しなかった。
零士さんは、事実を捏造したのだ。
彼の正義は他人を守るためではなく、自分が「正義を行った者」と呼ばれるためのものだった。
そこまでして、名声が欲しかったのか。
理由はよくわからない。捏造が発覚してすぐ、彼は失踪してしまったからだ。
この話はニュースでも大きく取り上げられ、僕たち『Judgment Protocol』のチャンネル名は、瞬く間に全国へ轟いた。
それからしばらく、地獄のような日々が続いた。
過去を含めて、僕の動画出演はほとんどないにもかかわらず、僅かな特徴から個人を特定をされ、嫌がらせが自宅や学校にまで及んだ。
朱里は、泣きはらした目で僕を睨んだ。
「あんたが、お兄ちゃんを殺したようなものじゃない」
そう言われて、何も否定できなかった。
彬良くんは、僕のヒーローだった。
強くて優しい、剣道場で一番の、目標の人。
その人を、僕は自分の手で、壊してしまったんだ。
◇ ◇ ◇
話を聞いている間、燈はじっと僕を見つめていた。
その瞳には、冷たい色と温かい色が同居していた。
話を終えると、踊り場に沈黙が落ちた。
窓から差し込む光が、少し赤みを帯びてきていた。
燈が、視線を忙しなく動かし、また何度も足を組み直す。
言葉を選びかけて、口にできずに飲み込む。そんな時間を、彼女は繰り返しているように見えた。
――いきなりこんな話をされても、困りますよね。
いたずらに責めてくるわけでもなく、かといって無責任に励まそうともしない。
いかにも燈らしく、思慮深い反応だと思った。
だけど、この無言の時間が、僕には最もつらかった。
叱責でも罵倒でもいいから、何か言葉が欲しかった。
沈黙を切り裂いたのは、羽ばたきの音だった。
窓の外から、1羽のカラスが舞い降りてくる。
『待たせたな』
ヤマトの声が、スマホから聞こえる。
『スマイル野郎の、バイト先がわかったぜ。昼飯がてら、突撃するぞ』
胸の奥に、冷たいものが落ちる。
過去の罪を語った直後だというのに、今度は現在が牙を剥こうとしていた。




