第15話 壊れた正義③
日暮里駅前の、ファストフード店。
歩き疲れた僕たちは、ひとまず情報を整理しようと、すぐに入れそうなここへ立ち寄った。
「わたし、あまりこういうお店、来たことなくて」
珍しそうに、店内を見回す燈。
その仕草が少し新鮮に映った。
混雑を避け、僕らは窓際の席に腰を下ろす。
テーブルの上では、さっき集めた動画が再生されていた。
イヤホン越しに、ヤマトの声がする。
『もう晒しちまえばいいんじゃねえか? 何度も出てきてるんだろ、そのスマイル野郎』
すると、燈が眉を寄せる。
「……でも、朝日くんの言うとおりかも。こんなに顔も声も不鮮明じゃ、出来の悪いフェイク動画だと思われて終わりだよね」
「そう。むしろ、僕らが信用を失う」
過去の失敗が脳裏をよぎる。
中途半端な証拠で踏み込めば、相手を追い詰めるどころか、自分たちが炎上の渦に巻き込まれるだろう。
そのときの惨状は、いまでも鮮明だ。
コメント欄で浴びた罵声。身に覚えのない誹謗。
「偽善者」「炎上商法」「注目目当て」――
あの日、画面越しに投げつけられた言葉は、今もどこか胸の奥に刺さっている。
もう二度と、あんな目には遭いたくなかった。
だからこそ、慎重でなければならない。
『なら、ネットで呼びかけろ。「この人物に、心当たりのある人はいませんか?」ってな。顔がモザイクでも、持ち物や声の調子でわかる奴はいるだろ』
「ダメだよ」
僕は、きっぱり首を振る。
「まず、対象者に警戒される。今後、このあたりでの調査がやりにくくなると思う。
それに、この映像からじゃ、相手の非が読み取れないよ。そんな状態で個人の特定なんて呼びかけたら、逆に僕らが非難されかねない」
『捨て垢でもなんでも、使えばいいじゃねえか』
「それでも、リスクは残るよ。いずれVALGATEで晒し動画を上げた際に、関連を疑われるかもしれない」
『なんだよ。じれったいぜ』
ヤマトが、不服そうに言った。
気まずくなった僕が、燈に目をやると、彼女は静かに頷いた。
「わたしは、朝日くんの判断に従う。過去の反省があってのことだと思うし、わたしたちのリーダーはきみだから」
そのまっすぐな言葉に、胸の奥が僅かに軽くなる。
彼女の信頼に、僕は少し救われたような気がした。
彼女の声には、不思議な強さがあった。
どんな場面でも決して他人のせいにしない、そんな芯の通った響き。
ヤマトが皮肉混じりに笑いを漏らす気配がしたが、僕は気にせず、ただその言葉の余韻を噛みしめていた。
リーダー。
いつの間にか、そう呼ばれることに責任を感じ始めている自分がいた。
◇ ◇ ◇
テーブルを片づけて、店を出た。
日暮里駅前は、すでに夜。
街灯やコンビニの明かり、看板のネオンが混ざり合い、ざわめく人波を照らしていた。
その雑踏の中で、声が飛んだ。
「……悠?」
振り向けば、制服姿の少女が立っていた。
部活終わりなんだろう。剣道部に所属する彼女の髪は、汗や防具のあとで少し乱れていた。
冷え切った視線が、僕をまっすぐ射抜く。
「朱里……」
彼女が、僕と燈を、交互に見る。
「――そう。あんたなりに、楽しい高校生活を送ってたのね。可愛い彼女連れて」
「この人は、そんなんじゃないよ」僕は首を振った。
「別に、否定も肯定もいらないわ。過去に大炎上したといっても、犯罪者ってわけじゃないんだから。
いいんじゃない? デートくらいしても」
朱里が、不機嫌そうに言った。
すると、様子を窺っていた燈が、僕に小声で尋ねてくる。
(ねえねえ。この子、誰?)
(――幼馴染です。家が近所で)
(あの制服、日暮里第一だよね?)
(そうです)
(例の男子生徒の話、聞けない?)
(すみません。彼女とは少し事情が複雑で……)
「何が複雑なの」
朱里が、苛立ちを隠そうともせず、言葉を割り込ませてくる。
「いいのよ。生きている限り、今を楽しむ権利は誰にだってあるわ。
もっともお兄ちゃんは、その前提の『生』すら奪われたんだけど」
朱里の言葉が、胸に突き刺さる。
僕は、何も返せない。声が出なかった。
その沈黙を破ったのは、燈だった。
「ひとつ、聞いてもいいかな?」
朱里の鋭い眼差しが、燈に向かう。
しかし、我らが生徒会長は、ひるむことなく口を開いた。
「――ひび割れたスマイルマークに、心当たりはある?」
ざわめく夜の駅前で、その問いかけだけが、やけに鮮明に響いた。
朱里の表情が、一瞬だけ揺らぐ。
だがすぐに、冷笑を浮かべて言い放った。
「……知らない。そんなマーク、この街にいくらでも転がってるでしょ?
落書きでもシールでも、探せばどこにでもあるんじゃない?」
否定の言葉は強かったが、妙に言い訳じみていた。
普通なら「知らない」で済むところを、余計な説明をつけ加えている。
その違和感を、たぶん僕たち全員が、はっきりと感じていた。
「そっか。ありがとう」
燈はそれ以上追及せず、目を細めた。
朱里が、踵を返して人波の中へ消えていく。
その背中は、どこか逃げるようでもあった。
『嘘が下手だな。泳がせてみるか?』
イヤホン越しのヤマトの声が、妙に冷たく響いた。




