第13話 壊れた正義①
グリーンアイの一件から、数日が経った。
対象者――菅原智は炎上に耐えかねて、ネット上のあらゆるアカウントを削除していた。
今はもう、燈の前に現れることもない。
近ごろの日常は、平穏そのものだった。
――僕がクラスで浮いているのは、相変わらずだけど。
それでも、今日も学校へ行こうと、一度大きく呼吸をして靴を履いた。
家を出てすぐの角で、見覚えのある姿と出くわした。
赤城朱里。同い年の幼馴染で、けれど今はもう、僕に笑いかけてはくれない少女――
「……おはよう、朱里」
おそるおそる声をかけた。
でも、彼女は一瞬こちらを睨んだだけで、返事はない。
少しの間、通学経路が重なる。
電車通学のため駅へ向かう僕とは対照的に、彼女が通うのは地元の高校――日暮里第一学園だ。
「最近、また誰かを断罪する動画が流行ったわね。しかも、わりと近所で」
朱里が、ぽつりと言った。
声は低く、氷のように冷たかった。
「悪いことしてる、なんて言って他人を晒して、正義の味方気取り……
ああいうの、本当に正しいと思う? 警察官でも裁判官でもないのに」
心臓が跳ねた。
VALGATEのことを言ってるんだろうか?
僕が関与しているなんて、彼女は知らないはず。
けれど、その言葉は、まっすぐ胸を貫いてくる。
「忘れてないわよね。1年前のこと」
朱里が、足を止めて、こちらを振り返った。
その瞳には、かつての人懐っこさは欠片もなく、ただ敵意だけが宿っていた。
「彬良お兄ちゃんが、どうなったか。
誰のせいで、あんなふうに追い詰められたのか」
僕は唇を噛み、言葉を失う。
もちろん、忘れてない。あの事件以来、そのことを考えなかった日はない。
――だって、彬良くんを殺したのは、僕だから。
「悠。あんた、また同じことしてないでしょうね?」
朱里の声が、鋭く突き刺さる。
僕は、彼女の顔を見ることができなかった。
少しの沈黙のあと、朱里は背を向けて、足早に通りを渡っていく。
残された僕は、立ち尽くしてしまう。
胸の奥に沈んでいる罪悪感が、冷たい泥のように広がっていった。
この数日、自分は少し浮かれていなかったか。
グリーンアイという悪者を倒して、いい気になっていなかったか。
――僕はまだ、誰からも許されていないのに。
気持ちは、奈落の底へと真っ逆さまに落ちていくようだった。
鉛のような両足を懸命に動かしながら、僕は日暮里駅へ歩き出した。
◇ ◇ ◇
休み時間。
僕は教室の自席で、机に突っ伏していた。
ざわざわとした空気の中、誰も僕には話しかけない。
炎上くん、そう蔑まれるのが日常になってしまった。
――仕方ない。自分は、それだけのことをしたんだから。
胃の奥が、キリキリと痛み出した、そのとき。
「朝日くん」
澄んだ声が、喧騒を切り裂いた。
顔を上げると、燈が教室の入り口に立っていた。
一瞬で、空気が変わった。
クラスの誰もが、憧れの生徒会長を目にして、押し黙る。
そして、彼女がまっすぐ僕の方へ歩いてくると、一気にどよめきが広がった。
(え、なんで炎上くんに……?)(うそでしょ、あの夕波先輩が……?)
耳に入る囁きが、痛いほど鮮明だ。
「少しいい? 朝日くん、なかなか既読にならないから」
燈は微笑みを崩さぬまま、僕の耳もとに顔を寄せてきた。
教室中の視線が、致死量を超えて僕の背中に突き刺さる。
(ヤマトが、話したいって。……場所を変えない?)
僕は、息を詰める。
拒めるはずもなく、ただ頷いた。
◇ ◇ ◇
校舎裏のベンチに、僕と燈は腰かけた。
まだヤマトは来ていないみたいだった。
「……夕波先輩。僕の教室には、あまり来ないでください」
「クラスで浮いているのを、見られたくないから?」
燈が、まっすぐにこちらを見た。
僕は、思わず視線を逸らしてしまう。
「僕と仲良くしている、なんて勘違いされると、先輩にも迷惑がかかります」
すると、彼女が空を見上げて言う。
「前に、きみが大炎上したこと――詳しいわけじゃないけど、わたしも少しだけ知ってる。亡くなった人もいたんだよね?」
「……はい」
「きみは、そんなつもりはなかったのかもしれない。
朝日くん1人の責任ではなかったのかもしれない。
でも、発端となってしまった、その事実は消えないよ。
だからきみは、してしまったことの後悔や、遺族の人たちの悲しみを、背負っていくしかないんだと思う」
――背負っていくしかない。
それは、見方によれば、冷たく突き放されたように聞こえるかもしれない。
けれど、今の僕の胸には、すっと染み込んでくる。
気休めで慰められるよりもずっと、腹の奥底まで届く。そんな言葉だった。
「それに、この学校でわたしだけは、朝日くんが再起動したことを知ってるから」
「……ありがとうございます。そう言ってもらえて、少し救われました」
そうして、僕たちは微笑みあう。
彼女の周囲に人が集まる理由が、少しわかったような気がした。
『――話は終わったか?』
タイミングを見計らったかのように、スマホから声がした。
直後、背後にある木から1羽の黒い影が飛び出し、ベンチの背もたれにとまる。
『聞け。今後の活動方針を、いくつか考えた』
ヤマトの声に、僕と燈は、神妙に頷いた。




