第11話 再起動③
怪物の虹彩は、確かに僕を見据えていた。
触手の奔流はすべてこちらに集中し、セラフィムとレイヴンの周囲にわずかな余裕が生まれている。
「いいぞ、このまま押す!」
レイヴンが声を張り上げ、翼をはためかせて宙を駆ける。
槍の閃光が、眼球の縁を穿ち、飛沫のような緑の粘液を散らした。
「回復魔法!」
セラフィムの杖から柔らかな光が溢れ、僕の傷が癒されていく。
――よし、戦況は安定した。
そう思ったのも、束の間だった。
床の赤いひび割れが、みしりと大きく走った。黒水が泡立ち、そこからぼんやりと人影が浮かび上がる。
――夕波先輩?
セラフィムが、小さく息を呑む音が聞こえた。
現れたのは、彼女自身の姿だ。けれど、純白のローブ姿ではなく、現実の彼女――制服姿の燈。
その幻影が、虚ろな目でこちらを見つめている。
目の奥には光がなく、まるで誰かに操られているようだ。呼吸をするたび、胸の奥が締め付けられる。
「本物の彼女」を攻撃するような錯覚が、僕の腕を重くする。
――なっ……
さらに、もう一人。
鏡面から這い出してきた、燈と同じ制服を着る男子生徒――僕だ。
制服姿の僕が、ゆらりとこちらに歩み寄る。
『……守れなかっただろう……あの日も……』
掠れた声が、耳を打つ。
胸の奥に鈍い痛みが走り、思わず手を止めてしまった。
幻影は、僕の内側を正確に突いてくる。
まるで、心の奥の「罪」そのものが、形になって立っているかのようだ。
「リブート! 気を取られるな!」
レイヴンの声が、鋭く響く。
同時に、燈の幻影がセラフィムに顔を近づけ、囁く。
『……あなたのしていることは……ただの偽善よ……』
セラフィムの杖がわずかに揺らぎ、詠唱が途切れた。
皆を鼓舞するかのように、レイヴンが大声で叫ぶ。
「あれはただの幻影じゃない! 奴が現実に知っている顔だけを再現して、精神に干渉してきている。
動揺して動きを止めてしまうと、詠唱が中断したり、体が硬直して動けなくなるぞ!」
「じゃあ」セラフィムが声をもらす。「レイヴンに幻影が出てこないのは……」
「ヤツが、オレの本体を知らないからだろうな」
――つまり僕は、敵に顔を覚えられていることが確定?
だとすればこの戦い、ますます負けるわけにはいかない。
これまでのやりとりがグリーンアイ本体の記憶に残ってしまえば、今後挽回するチャンスは訪れないかもしれない。
「よくわかったわ。でももう、まったく動けない……」
セラフィムの言うとおり、この幻影たちは断続的に「スタン」のデバフをかけてきていた。
その合間を縫って、さっきから自分の幻影に攻撃を加えているけど、まったくダメージが通らない。
『……守れなかった……また繰り返すんだ……』
幻影の僕が、そう言った。
――守る? もしかして……
僕は、スタンが途切れるタイミングを狙い、幻影に向かって走り出した。
自分のものではなく、燈のものに。
――夕波先輩と同じ姿の敵を倒すなんて、気が引けるけど。
僕は、両手剣を振り抜いた。
黒い斬撃が閃き、幻影の燈は、無言のまま砕け散る。
その瞬間、セラフィムの体が解き放たれたように動きだした。
「セラフィム! 自分の幻影は、自分では倒せません。僕のほうをお願いします!」
「――なるほど。そういうこと!」
聖杖から水の矢が放たれ、幻影の僕を貫いた。
制服姿の悠が、静かに崩れ、鏡面の床へと溶けていった。
「……チッ。オレはそろそろ限界だぜ……」
レイヴンが、槍を払いながら言った。
動けない僕ら2人を守るため、無数の触手を相手にひとりで戦っていたのだ。もうHPが残り少ない。
「セラフィム、レイヴンに回復を!」
彼女が、詠唱を始める。
それを見届けるより早く、僕はレイヴンの前に出て、触手たちを素早く斬り伏せた。
レイヴンから、安堵のため息が漏れる。
――よし、耐えきったぞ!
「反撃に出ましょう! 全員、突撃!」
「「了解、リーダー!」」
机や椅子の残骸が、狂ったように飛び回り、グリーンアイの周囲を覆い隠した。
けれども、レイブンは怯む素振りすら見せず、宙を駆けながら相手に突進する。
「退けぇっ!」
連撃で無数の残骸を吹き飛ばし、本体の目玉が露わになる。
その一瞬を逃さず、セラフィムが杖を掲げた。
「第2位階土魔法!」
頑強な石槍が放たれ、緑の眼窩へ突き刺さる。
粘液が爆ぜ、グリーンアイが苦悶の声を上げた。
「今だ、リブート!」
レイヴンの叫びに応じ、僕は大剣を構える。
黒き炎が刃にまとわりつき、視界を焦がす。
「――断罪・ゼロカット!」
渾身の斬撃が、暗黒の奔流となって虹彩を真っ二つに裂いた。
凄まじい衝撃が空間全体を揺らし、鏡の床に走っていた赤いひび割れが、一気に広がる。
怪物の断末魔が、歪んだ笑い声と混じって響いた。
『……は、はは……燈……また……見て……』
声はそこで途切れ、緑の眼球は崩れ落ち、黒水の中へ沈んでいった




