表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/25

第1話 悪意スコア①

 正しいことをしたはずだった。

 それでも結果として、僕は人を傷つけ、すべてを失った。


 中学生の頃、世直し系インフルエンサーとして活動していた僕――朝日悠(あさひひさし)

 「正義」の名のもとに誰かを裁き、その代償として、社会的に大きく炎上した過去がある。


 だから今は、目立たず波風を立てず、ただ「普通」に生きることだけを考えていた。


 ――なのに。


『オマエ、朝日悠だな?』


 どこかから、聞きなれない声がした。


 夕方の、JR巣鴨駅。

 他の駅で人身事故があったようで、山手線は今、運転を見合わせている。


 そのせいで、駅の周囲は買い物帰りの老人や、仕事帰りのサラリーマンでごった返していた。

 自分と同じ高校の制服を着た、学生の姿もちらほら見かける。


 ――誰かに呼ばれた気がしたけど。


 湿ったアスファルトの匂いと、電車のブレーキ音が混じったような空気。

 ビルのガラスに夕陽が滲んで、街全体が赤く曇って見えた。


 頭上では、カラスが1羽、やけにけたたましく鳴いていた。


 騒音や人ごみに疲れた僕は、騒ぎの中心から少しだけ離れて、スマホを取り出した。

 音楽でも聴いて時間を潰そうと、Bluetooth接続のイヤホンを耳につける。


【山手線 運転再開見込み:未定】


 電光掲示板の文字が、やけに冷たく見えた。

 ざわめき、ため息、遠くの駅員の声。それらが次第に混じり合って、ひとつのノイズみたいに聞こえてくる。


 イヤホンの電源を入れた瞬間、奇妙なことが起きた。

 世界の雑音が、すっと引いていく。まるで、自分だけが真空の中に取り残されたような感覚。


 その静寂の中で、声がした。


『こっちだ、朝日悠』


 僕はびくりと肩を震わせ、イヤホンを外しかけた。

 でも、辺りを見回しても、誰とも視線が合わない。何人かのクラスメイトも目に入ったけれど、誰も喋っていない。


「……誰?」


 返事はない。

 かわりに、スマホ画面の片隅に、見慣れないアイコンが光っているのが目に入った。


 ――MALICE?


 たしか、「悪意」って意味じゃなかったっけ?

 そんなアプリ、入れた覚えないけど。更新のときに、勝手に入った?


 普段は、そんなことはしない。

 けれど疲れていたせいもあり、僕は深く考えず、そのアイコンをタップした。


 瞬間、イヤホンの奥でざらついたノイズが走り、再び声が響く。


『上を見ろ』


 ――上?


 見上げた空に、黒い影があった。

 さっきまであんなにうるさく鳴いていたのに、今はただ静かに、こちらをじっと見つめている。


「――カラス?」


 黒い瞳が、真っすぐ僕を射抜く。


『そう。やっと見つけたぜ』


 その声は、少年のようにも、大人のようにも聞こえた。

 ノイズの奥に、かすかに「温度」がある。まるでスピーカー越しに、呼吸の音が混じっているような……


『オレはヤマト。カッコつけた名前だろ? でも気に入ってるんだ』


 その軽い調子に、なぜか鳥肌が立った。


 ――カラスって、人の言葉いけるんだっけ?

 知能が高い、というのはよく聞くけど――


 もしかして、このMALICEというアプリ、カラスの言葉が翻訳できるすごいソフトだとか?

 それとも、誰かのいたずら?


 頭の中で、あり得そうな理由をいくつも並べてみる。

 けれど、どれもピンとこなかった。


『聞け。オマエ、「JUSTICE::ECHO」だな?』


 ――っ!


「ど、どうしてそれを!?」


 心臓が、跳ねる。そのコードネームは、中学のころ使っていたものだ。

 とある「世直し系インフルエンサー」の右腕として、彼を支えていたときの、裏アカウント名。


 最終的に、僕たちは大炎上した。「正義」を掲げて晒した相手が、無実だったのだ。

 事件の真相が明らかになるころには、僕らはすっかり「加害者」として扱われていた。


 また、その話を掘り返されるのか。

 頭の中が、真っ白になる。


『オマエと、相棒の「JUSTICE::NULL」は、過去に大失態をやらかした。世間に大迷惑をかけた。そうだな?』


 唇を、ぎゅっと噛む。


「……もう、1年も前のことだよ」


『まだ1年、だろ?』


 その言葉に、胸の奥がざわついた。

 目の前の人波が一瞬、遠くに霞んで見える。


 JUSTICE::NULL。兄貴分みたいに慕っていた彼。

 正義を掲げ、声を上げることが「良いこと」だと信じていた。


 彼を手伝って、僕は動画の編集をし、現場にも同行した。

 スマホを片手に、私人逮捕狙いの突撃取材をして、警察に止められたことも一度や二度じゃない。


 それが、どれほど危ういことか。

 気づいたのは、ずっと後だった。


「……わかってる。二度としないよ。だからもう、僕たちのことは放っておいてほしい」


『それで話が済むと思ってんのか?』


 ヤマトの声が、急に低くなった。

 その言葉で、僕の頭にかっと血がのぼる。


「――うるさいな!」


 思わず、声を上げていた。まわりの人たちが、驚いたように振り向く。

 僕は慌てて顔を伏せ、震える声で続けた。


「もう十分だろ! 僕だって後悔してる!

 今も、毎日あのころのことを思い出して、全然眠れないんだよ……」


 視界が、にじんだ。

 人ごみの中にいるはずなのに、急にひとりぼっちになり、世界から置き去りにされたような気持ちになる。


「僕はもう、普通に生きるんだ。正義とか悪意とか、そんなの関係ない」


『……普通に生きる、ね』


 ヤマトの声が、少しだけ笑った気がした。

 けれど、その笑いに温度は感じられない。


『JUSTICE::ECHOの罪は、まだ終わっちゃいない。

 オマエたちのせいで、東京の「悪意レベル」は飛躍的に高まった』


 ――悪意レベル?


 耳慣れない言葉に、眉をひそめた。


『この街は、まだ怒ってるぜ。オマエたちのこと』


「意味がわからない。僕にどうしろっていうの?」


 頭上のカラスが、大きく翼を広げた。


『オレに、協力しろ』


 ざわめく群衆の頭上を、真っ黒な影が大きく弧を描いて、舞い上がっていく。


「……協力?」


 その問いに、返事はなかった。

 人ごみの喧騒が戻り、電光掲示板には新しいアナウンスが流れている。


【山手線 運転再開見込み:20時30分】


 僕は、その場から動けないまま――

 「普通に生きる」という願いが、脆く崩れ去っていくのを感じた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ