第3話 やぁやぁまた会ったね
こんにちは
「また明日ねって言われても、何時にどこに行けばいいんだよ……」
愚痴を零しながら、イヤホンを耳に押し込む。
流れてくるのは、低音の効いたヒップホップ。
午前10時過ぎ。今日も空は相変わらず灰色の雲に覆われていて、どんよりとした景色が広がっている。
昨日と同じ空気の中、俺はICカードを取り出し、改札を通った。
ピッ──
電子音が鳴り、ゲートが開く。
構内はさほど混んでいない。
時間帯的に、通勤・通学のラッシュはすでに終わっていて、歩いているのはまばらな人影ばかり。
スーツ姿のサラリーマン、スマホを見ながら歩く女子高生、小さな子どもの手を引く母親──
誰もが、それぞれの時間を生きている。
俺は適当に自販機に寄り、イヤホン越しに響くビートに身を任せながら、水のボタンを押す。
キャップを開け、一口だけ飲んだ。冷えた水が喉を通り、ぼんやりしていた頭が少しだけスッキリする。
そのままペットボトルを片手に持ち、俺はホームへ向かう階段に足をかけた。
階段を下ると、温かい空気が肌を撫で、昨日と同じホームが広がった。
昨日と同じところで電車を待つ。
イヤホンから流れるヒップホップのリズムに軽く指先を乗せながら、俺はスマホをいじっていた。
次の電車まではまだ少し時間がある。SNSを眺めたり、メッセージの通知を確認したり、なんとなく時間を潰していると──
突然、背後から声がした。
「だーれだ!」
明るく弾んだ声が耳元で響く。
驚きで一瞬体がこわばるが、聞き覚えのある声だった。
昨日知り合った、あのやたらテンションの高い、よくお姉さんぶる先輩の声。
「うおっ…」
反射的に声を上げる。
「だーれだ!あ、後ろ振り返っちゃだめからね?」
……どうやら、俺が正解を言うまでやめるつもりはないらしい。
「リナだろ? 俺と同じ高校の3年のリナ先輩だろ」
俺がため息混じりに答え、振り返ると、目の前には嬉しそうに微笑むリナの顔があった。
「ふふっ、正解。驚いたかい?」
「びっくりしたわ急に!」
呆れながらも心臓の鼓動が少し早まっているのを感じる。
驚いたせいなのか、それとも周囲の視線を意識してしまったせいなのか。
「やぁやぁ、また会ったね。会えて嬉しいよ! おはよう、大成くん」
リナは相変わらずのテンションで、満面の笑みを浮かべながら俺の顔を覗き込んでくる。
俺は軽くため息をつきつつ、イヤホンを片耳だけ外した。
「おはよう……ていうか、また会ったねって……また明日会おうって言ったのは誰っすか?」
少し眠気の残る頭で、昨日のやり取りを思い出しながらぼやく。
こっちはどこで待てばいいのか分からず、適当にこのホームに来たんだ。
もし違う場所で待っていたら、どうなっていたんだか……。
「いつも会ってる人と、いきなり会えなくなるってことは悲しいけど起きてしまうんだぜ。…私はこうやってまた君と会えて、とても嬉しいよ」
「いきなりなんだよ……いつも会ってるって言っても、俺ら昨日初めて会ったんだけど!?」
リナは何かを悟ったような顔をして、頷きながら俺を見つめてくる。
なんだその余裕の表情は。
「君もこんな可愛いお姉さんと会えて嬉しいんだろ? ほら、言ってみろ、嬉しいって。さぁ! さぁ! 高校デビュー君!」
ニヤニヤとしながら肩を揺らしてくるリナ。
やっぱこの人、俺をからかうのが楽しいんだろうな……。
「高校デビューゆーな! 嬉しいっていう感情より、また明日って言っといて、会う場所と時間が指定されてなかったから、こっちは合流できるか心配だったんだよ!」
「ごめんごめん。言うの忘れていたや」
軽く笑いながら肩をすくめるリナ。
本当に悪いと思ってるのか怪しい。
「じゃあ、イ〇スタ交換するかい?」
スマホを取り出しながら、リナが俺に向かって画面を差し出す。
「……え、交換する流れなんすか?」
「だってそのほうが連絡しやすいだろ?」
「まあ、それは……そうっすけど」
リナはスマホを持ったまま、俺が画面を見るのを待っている。
その表情はいたずらっぽい笑みを浮かべているけど、どこか期待しているようにも見えた。
俺は少し迷いながらも、スマホを取り出して、画面に映るQRコードを読み取った。
「リナって有名人? フォロワー500人もいるじゃん」
スマホの画面をスクロールしながら、思わず口に出す。
俺のフォロワー数は37……。
争ってるわけじゃないけど、数字を比べるとなんか悔しい。
「わからないけど、普通じゃないかなぁ。同じ学年の女子のアカウントはだいたいみんな知ってるよ。前はもっといたけどね」
「ふーん……」
適当に相槌を打つが、そんなものなのか?
俺は自分からフォローを増やそうとか考えたこともないし、今いるフォロワーだって入学式の時に周りが交換していたから、適当にそのノリに乗っていただけだ。
けど、リナみたいなタイプは違うんだろうな。
顔も広そうだし、きっと友達も多いんだろう。
「これでいつでも連絡取れるね! 前の話で私のこと学校で探してたって言ってたけど、これで直接じゃなくても話せるようになったね!」
「いきなりメタいこと言うな!?」
リナはくすっと笑いながら、俺の肩を軽く小突いてくる。
本当に楽しそうだな、この人。
「……夜、お姉さんと電話してくれてもいいんだぜ?」
「…まぁ……気が向いたらな……」
言いながら、なんとなく視線を逸らしてしまう。
べつに深い意味はない、ただちょっと、こういうのに慣れてないだけだ。
「ひどっ! ここは“毎日しましょ!”って言うところじゃないのかい?!」
リナはわざとらしく胸に手を当て、ショックを受けたような仕草をする。
「毎日って……カップルか!」
思わずツッコむと、リナは大げさに笑いながら肩をすくめる。
「そんなの気にしないで、毎晩お話ししようよう!さみしいんだよう! な?高校デビュー君!!」
「高校デビューゆーな!」
軽口を叩き合いながら、俺たちは電車を待つホームに並んだ。
相変わらず曇り空は重たく、遠くからは電車が近づく音が聞こえてきた。
*
電車に揺られながら、俺たちは並んで座っていた。
今日も時間のせいか、車内は空いていて、座席にはポツポツと人が座っている程度。
「イヤホン貸して」
突然リナが手を差し出してくる。
昨日と同じ流れだな、と思いつつ、俺は素直に片方を渡した。
イヤホンを耳に装着したリナは、少しの間じっと曲を聴いていたが、ふっと笑った。
「大成はこのアーティスト大好きだね」
「まぁ……ね。雰囲気が好きなんだよ」
スマホの画面を見ながら、適当に答える。
このアーティストの楽曲は、リリックのリズム感もいいし、雰囲気が心地いい。
俺にとっては、朝の憂鬱な気分を和らげてくれる音楽の一つだった。
「こういう感じの曲、昨日初めて聴いたんだけど、私も好きになっちゃったよ」
リナは満足そうに微笑む。
イヤホンを通して同じ音楽を共有しているせいか、いつもより少し距離が近く感じた。
「なんか……」
口をついて出そうになった言葉を、俺は慌てて飲み込んだ。
“なんか嬉しい”――そう言いかけたけど、絶対にからかわれると思ったからやめた。
「なんか……?」
リナが興味深そうにこちらを覗き込む。
表情には、からかう気満々な感じが滲んでいた。
「なんでもない」
「そっかそっか……」
リナは何か企んでいるような顔をしながら、それ以上は何も言わなかった。
会話が途切れ、電車は次の駅に停車する。
乗り降りする人は少なく、すぐにドアが閉まった。
車内には低く流れるアナウンスと、線路の上を滑る電車の音だけが響く。
俺は何気なくスマホを手に取り、画面を眺める。
すると――軽く振動が伝わった。
ポケットからスマホを取り出し、画面を見てみる。
『きこえますか…あなたの脳に直接呼びかけています』
送り主はリナだった。
――え、隣にいるのに?
少し驚きながらも、俺は返信を打つ。
『 なんでイ○スタ?』
送信すると、すぐにまたスマホが震えた。
『いいじゃないか!』
横を見ると、リナがいたずらっぽい笑みを浮かべながらスマホを操作している。
なんだ?……と思いつつ、なんとなく俺も笑ってしまった。
イヤホンから流れるビートに合わせて、無意識に足でリズムを刻みながら、リナとのメッセージのやり取りを続けていた。
『大成くんの好きな食べ物はなんだい?』
突然の質問に、少し考える。
好きな食べ物……別に特別なものはないけど、子どもの頃からずっと好きなのは――
『うーん……オムライスかな』
送信してから、なんとなく恥ずかしくなった。
もっとカッコつけた答えのほうが良かったか?
すぐにリナから返信が来る。
『可愛らしいね』
「うるさ! 別にいいでしょ、美味しいし」
思わずスマホを見ながら小さく呟く。
横を見ると、リナが肩を震わせながら笑っていた。
どうやら俺の反応を読んで楽しんでいるらしい。
『お姉さんもオムライス好きだぜ。どこのお店のオムライスが好きなんだい?』
どこのオムライスが好きか……?
「あー、えっと……」
言葉に詰まる。
どうしよう、正直に答えるべきか。
でも、言うのがなんか恥ずかしい……。
『まぁ…どこも美味しいっすよね』
適当に誤魔化したつもりだった。
だけど、リナの視線がじっと俺に向けられているのがわかる。
さっきまでの軽い雰囲気とは違う、何かを見抜こうとするような目つき。
「ふーん……」
その含みのある声に、思わず顔をそらす。
なんだよ……何か言いたげな顔しやがって。
『もしかして、君の一番好きなオムライスは……君のお姉さんが作ったオムライスってとこかね?』
「っ!!」
図星を突かれて、心臓が跳ねる。
なんでわかった? こいつ、もしかして心でも読めるのか?
てか、めちゃくちゃ恥ずかしい!!
『なんでわかったんだよ?』
開き直るように問いかけると、リナは少し得意げな顔をして肩をすくめた。
『有愛の手料理は何度か食べたことあるんだよ。あの子、料理上手だよね。さすがだよ』
『あー……そうなんだ』
妙に納得してしまった。
確かに、姉は何でも器用にこなすタイプだし、料理も得意だった。
でも、なんでこいつが姉の手料理を食べたことあるんだ……?
『うちの姉は何でもできるからなぁ……』
少し拗ねたように言うと、リナはクスクスと笑う。
『それはそうと、実の姉が作るオムライスが好きだなんて、とっても可愛らしいね。 お姉さんは見た目とのギャップで恋に落ちそうだよ』
『うるさいうるさい!』
俺の反応を見て、リナは楽しそうに笑う。
「かわいいねぇ……………大せi……シスコン高校デビュー君…」
「やめろって!」
頬が熱くなるのを感じながら、俺は思わずそっぽを向いた。
そんな俺を横目に、リナは相変わらず楽しそうに笑っていた。
*
電車の揺れに合わせて、微かに軋む音が響く。
イヤホンから流れる音楽は、さっきまでの会話の余韻にかき消されていた。
「そういえばさ」
ふと、俺は思いついたことを口にした。
「? どうしたんだい?」
リナが首を傾げて俺を見る。
「今10時半ちょっと前だけど……遅刻確定だけど、リナは平気なの?」
一瞬、リナの表情が曇ったように見えた。
けれど、すぐにいつもの笑みを浮かべる。
「……うん。平気だぜ」
軽い口調だけど、その「平気だぜ」がやけに引っかかった。
本当に平気なのか? でも、これ以上突っ込むのは野暮か……。
「そっか。……あー、いやさ、リナは3年生じゃん? 大学受験とか将来のこととか、今大事な時期だからさ、大丈夫なんかなぁって思って」
俺がそう言うと、リナは少しだけ目を見開いて、それからふっと優しく笑った。
「私のこれからのことより、君と会う方が大事で、大切なことだからね。お姉さん、今日またこうして話せて、とってもうれしいんだぜ?」
その言葉と共に、真っ直ぐな瞳が俺を射抜く。
冗談っぽく言っているけど、本気でそう思っているのが伝わってきた。
正面からそんな風に言われると、なんか気恥ずかしい。
俺は無意識に目をそらしてしまう。
「……そっか」
「うん。久しぶりなんだ。こんなに楽しい時間を過ごすのは」
遠くで車輪がレールを踏み鳴らす音が響く。
ガラス窓の向こう、白く曇った空は相変わらずどこまでも広がっている。
この天気のせいか、なんとなく気持ちまでぼやけそうになる。
「そっか……」
電車内にアナウンスが流れる。
高校の最寄り駅まで、もうすぐだ。
「そ、そういえば今日は一緒に登校する友達いないんだな」
自分でもよく分からないけど、なんとなく話題を変えたくて口を開いた。
「あ、……うん、そうなんだよね……」
リナの声が少しだけ沈んだ気がした。
何かを言いかけて、でも言葉を飲み込んだような、そんな感じ。
それ以上何かを聞く前に、電車はゆっくりとホームに滑り込んだ。
俺は席を立ち、スクールバッグを肩にかけ直す。
電車のドアが開く。
電車を降りて改札へと続く階段に向かおうとしたその時、ふと振り返ると――
リナはまだ電車の中にいた。
「? 降りないの?早くしないと扉閉まっちゃうぞ」
そう声をかけると、リナは一瞬はっとした表情を見せる。
「……そうだね……」
でも、なぜか動こうとしない。
――プシュー
次の瞬間、ドアが閉まり、俺とリナの間に境界線ができた。
閉まる寸前まで、リナはただ俺を見ていた。
その表情は、どこか寂しげで、でもどこか安心したような……。
スマホが震える。
ポケットから取り出して画面を見ると、リナからのメッセージだった。
『ぼっとしてたら降りれなかったや笑』
俺は思わず肩をすくめながら、返信を打つ。
『なにしてんだよ笑』
目の前で電車がゆっくりと動き出す。
リナの姿は、少しずつ遠ざかっていった。
『私のことはいいから先に高校行きなね』
『お、おう。じゃあまた』
『うん、また』
俺はスマホをポケットにしまい、駅のホームを歩き出した。
どんよりとした曇り空の下、なぜかさっきまでの会話が頭の中で繰り返される。
――「久しぶりなんだ。こんなに楽しい時間を過ごすのは」
あの言葉の意味を考えながら、俺は校門へと向かう道を歩き出した。
またお会いしましょ