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ピッ―ピッ―ピッ―ピッ―……
単調な電子音。視界がぼやけている。一旦目を閉じて、もう一度ゆっくりと開いた。焦点が合ってきた。白髪の老人の顔。その向こうにもう一人。女の後ろ姿。微かに感じる甘い香水の匂い。
「目が覚めたか。思ったより早いな。私の顔が分かるかね?」
短く切った黒髪の女は、問われて、小さく頷いて上体をおこす。細い体にぴったりした黒いスキンスーツが、色白の肌とくっきりとしたコントラストを成していた。
「まだ無理はせんほうが良い。私はシルバー。医者だ。君の名前は何というのかな?」
「ジュン。ジュン・カトウ」
瞬きをして開けた瞳は黒く、潤んでいた。
「君がカトーか。他の乗員は?」
「探査艇で外へ出てから帰って来ない。ここは?」
「タイタン四号という民間の定期連絡船だ。君の乗っていた船の救難信号をキャッチして救助したんだ。まだ寝ていた方がいいな。話はもう少し落ち着いてからにしよう」
頷いてジュンはポッドへまた体を沈めた。シルバーの見ているパネルは、彼女のバイタルサインが眠りから目覚めて活動的になってきていることを示していた。
医療室のチェックでは、ジュンは異物の無い生身の人間で、肉体的には弄った痕などは無かった。その割には、医療ポッドの助けを借りているとはいえ、回復が早かった。新しい世代の、DNAから操作された人間なのだろうか。
ジュン・カトー。科学アカデミー天文部研究員。女性。年齢27歳。ホイヘンス基地経由で連邦宇宙局から入手した個人データではそうなっていた。シルバーの目には、少女のようにしか見えなかった。地球にいた頃にはモンゴロイドの血を引いた女たちを見慣れていたが、一様に若く見えたものだった。
独りだけの生存者。どこか得体の知れない者のような、そんな微かな感情も、か弱く儚げにも見えるジュンの前に何処かに消えてしまっていた。
ヘレンを従えて医務室を出ると、シルバーはブリッジへ向かった。
「ああ、ドクターか。どうだね。目が覚めたのか? ええっと」
カニンガムが笑顔でシルバーを迎えた。シュミットは座席に着いたまま身動きしない。ミゲルがちらっとシルバーたちを見て顔を逸らした。
何か、ひと悶着あったのかと思ったがシルバーは気にしないことにした。
「彼女の名前は、ジュン・カトーという言うらしい。残りの乗員のことは回復してから追々聞くことにした」
「そうか。アカデミーの研究員は外に出て行方不明になることもあるかもしれないが、向こうの船の船長たちまで居ないというのは良く分らんな」
「彼女に聞いてみてても詳しいことは分からないかもしれない。元より我々は事件の捜査をしに来たわけじゃないしな」
「それはそうだ。こちらとしては、何時も通り地球からの荷を基地まで届けられればいい。遭難者は基地で引き渡して、それでお役御免といきたいものだね」
カニンガムとしては、遭難したオラトスケイラα号のことで航路部等から質問を受けたり情報提供を求められたりするのは面倒なのだろう。日々の業務など、何事も無く終わればそれで良く、必要以上のことはしたくも無いという態度だった。元々カニンガムは地球生まれで、地球近方での客船の乗員だった。外圏の土星空域などという”辺境”からはおさらばしたいと常々思っていた。しかし、”辺境”にまで流れて来たなりの理由というものもあり、中央への復帰など、なかなか叶うものでは無かった。
こういったところが、”辺境”で生まれ育ったシュミットとは性格だけではなく折り合いの悪いところなのだろう。
カニンガムの思いはシルバーにも分からなくはないが、とうに生活に対する熱意など消え失せた今となっては、自分が”辺境”にやってきた頃にどんな感情を抱いていたかどうか思い出せなくなっていた。
「もう立っても平気なのか?」
昼食後に医務室に寄ったシルバーは、医療ポッドから出て、周囲の設備を眺めているジュンに言った。船内に在ったユニバーサルサイズの船内スーツは華奢で小柄な身体を際立たせていた。
「ええ。ポッドに籠るのも何だし、この船の設備を使わせて貰えないでしょうか?」
「そうだな。あとでヘレンに案内させよう」
短い黒髪の顔はさほど疲れた様子もなく、声や態度は落ち着いていた。
「ここは医務室でしたか。客船でもないのに、船医が居ると言うのは珍しいですね」
微笑みを浮かべてジュンが訊ねた。
「私は船医じゃない。たまたまホイヘンス基地に用があって乗り合わせているだけだ。この船は定期航路貨物船で、客の私とヘレンのほかは、船長含めて乗員は3人だ」
それを聞いてジュンは訝し気な顔になった。
「客人に遭難者の相手をさせて、乗員は何をしているんですか?」
「私は医者でもあるし、この航路を利用して長いからな。乗員よりも古株なんだよ」
シルバーは苦笑いしてそう言ったが、普通なら船長は一度くらいは顔を見せるものだろう。
「君は、どうして一人でポッドに入っていたんだ?」
話が出来たところで、シルバーは単刀直入に聞いた。
「月から長い間航行してきて、小惑星の実地観測で外に出ていることも多くて、疲れも溜まっていたので。それがこんなに長くなるとは」
ジュンは言葉を切ってシルバーから顔を逸らした。
「他の人たちは?」
「探査艇でアカデミーの研究員は外に出ていました。私が最初にポッドに入る前は、船の乗員もいました。八時間程疲労をとるつもりでポッドに入って、目が覚めてから外へ出ると誰も居なくて。船のAIは操船システムの異常で航路を外れているとだけ言うだけで、居なくなった人の情報はなくて。まだ、見つかってないんですか?」
「ああ。君以外は誰も。その後も、ずっとポッドに入っていたのか?」
「はい。私には船を動かすことは出来ないし、状況は中継ステーションへ連絡しましたが、助けに来るにしても二週間は掛かると言われて。何もできずにずっと独りでいるよりはポッドで眠っていた方がいいだろうと思ってそうしました」
ジュンの話ぶりは特におかしいところも無かった。シルバーの知っていることと大差ないようでは、真実は闇の中とでも言いたくなるような状態ではあったが。
表情からは特に怯えも恐れもなく、失踪した同僚のことを聞いた時だけやや不安げな表情を見せたくらいで、小柄でか弱く見えるが、精神的には安定しているように思えた。
「この船は三日後にはホイヘンス基地に着く。君はそこで降りて貰って科学アカデミーだか、連邦宇宙局だかの要員が来るまでは待つことになるだろうな。その間に情報も集まってくるだろう。何分、ここは”辺境”だからな。何をするにも時間がかかる」
シルバーはそう言ってジュンに笑いかけた。頷いたジュンも、力なく微笑んだ。
「もう少し、休むかね?」
「いえ。気分転換に歩いてみたいです」
「そうか。ヘレンを呼ぼう」
シルバーはこめかみに手を当てるような仕草をして、ヘレンと連絡を取った。軍人だった頃に体内に埋め込まれた通信装置だった。退役して長くなるが、当時の装備はほぼそのまま体に残していた。
ジュンはそんなシルバーを黙って横目で見ていたが、部屋の一角に据えられた医療ポッド脇に立って壁に背を凭せ掛けた。
「ドクター。お呼びですか?」
ヘレンは思いのほか早くやってきて、明るい口調でシルバーに笑いかけた。
「ああ。ちょっと、彼女に船内を案内してもらえないか。私は船長に話があるんでな」
「わかりました」
真顔で右手で敬礼のポーズをとった後、笑顔になってウインクした。少しおどけた様子で肩をそびやかして出ていくシルバーを見送ると、ヘレンはジュンに向き直った。
「ヘレンです。前に一度会ってますけど、覚えてますか?」
「ええ。ポッドから起きた時にドクターと一緒にいた人ですね」
ジュンには少しきついと思える香水の匂い。笑顔で話しかけるヘレンをじっと見つめると、多少不躾とでもいえるような調子で上から下まで見やった。
「どうかしましたか?」
特に気にした様子もなくヘレンが訊ねる。
「いえ。べつに。あなたはこの船の乗員ではないんですよね?」
「はい。ドクターの助手です。ドクターの医療行為のお手伝いをします。それ以外では秘書のようなこともしていますよ」
ヘレンは屈託なく話す。
「どこから案内しますか?」
「お任せします」
にこやかに話しかけるヘレンにジュンは取り繕ったような笑顔で答えた。
「ではこちらから。ブリッジは、船の乗員以外は呼ばれない限りは入れないので、それ以外の施設を案内しますね」
へレンは医務室から外へ出ると、船首の方向に先に立って歩いて行った。
「医務室の向かい側は船員の個室です。私と船長は船客なので、奥の方。この先まで乗員用で、船長室だけはブリッジ横にあります」
廊下を歩きながらへレンは向かいの部屋を指差しつつ、楕円形の通路を歩く。少し歩くと階段があってそれを上がる。
「ここは食堂。セルフサービスです」
テーブルが三つ並ぶ部屋は片隅にクッキングマシンが設置されていて、好みの(メニューにある中で)料理を選択し、トレイにいれて席について食事をするという地球でも公共施設の簡易食堂として使用されているものと大差なかった。定期航路の貨物船としては、少々贅沢とも言える設備だった。壁には手描きらしい地球の風景の油絵も掛かっている。
「ここは船の頭脳のメインシステムがあるところ。私たちは入れません。この先がブリッジになります」
へレンとジュンは、ハンマーでいうと頭部と柄の部分が繋がる辺りに立っていた。操船に関する主要施設は頭部の左側に集中していた。
「戻りましょうか」
へレンがジュンの脇を抜けて来た道を逆に辿る。ジュンは暫くブリッジ方向を見ていたがへレンに続いた。
「向こうは?」
医務室の前まで戻ると、船尾方向をジュンが指さした。
「この先は格納庫がずっと続いてて、一番最後が機関室ですね。最初のところは入れたかな」
へレンが隔壁の横のドアの前に立つと、スッと左右に開いた。へレンに続いてジュンが入ると、通路は壁面に沿うように変わり、円筒形の広い空間になっていた。その空間にトラス構造の枠組みがあり、コンテナがぎっしりとはめ込まれていた。
「この先四ブロックは同じような格納庫になっています」
手すりにつかまってへレンが奥を見ると、奥のドアが開いて人が出て来た。二人を見ると、少し戸惑ったように立ち止まっていたが、歩き出して向かってくる。
「こんにちは。ミゲル。機関室の点検ですか?」
へレンの言葉に、ミゲルは頷いて通り過ぎた。ジュンとヘレンをちらりと見て通り過ぎたが、
「あの、ここに長居はしないで下さい。この先の格納庫はロックされてますけど、船長が煩いんで」
立ち止まって思い出したようにそう言うと、目を合わさずに振り返って歩いて行った。
「今の人は?」
「機関士見習いのミゲルです。ドクターはシャイな奴だって言ってました。私の顔もちゃんと見ないんですよ」
へレンが笑う。
「シャイ?」
ジュンは初めて聞く言葉の様に当惑した顔でドアの向こうへ消えたミゲルを見ていた。
シャイと言うか……
へレンも客なら、ジュンも居るはずのない女だった。それを過剰に意識しているようにジュンには見えた。
「ミゲルも言ってましたし、戻りましょう」
へレンの後ろを歩いてドアの前にきたジュンは、ドアの横に大きなレバーのようなものが設置されているのに気が付いた。
「これは、なんです?」
ジュンの指さした方向をへレンが見やった。
「ああ。たしか、非常時に使う、斧だとか」
「斧? 何のために?」
「ドアロックされたまま閉じ込められたときに、破って開けるためだとか。ドクターの話では、前の船長が取り付けたものらしいですよ。地球の、水の上を走る船には、こういうものがあるとか?」
「非常時でも、重力制御は機能していることが前提ね。使うとしたら」
ジュンが呆れたように言った。
「装飾みたいなものでしょう」
へレンは気にした様子もない。