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ガラクタの国の彼女

作者: 綾奈


 時間が巻き戻せたら。

 もう一度だけ、あの日に戻れたら。

 何度そう願っただろう。

 にじむような暑さの、あの夏の日に。

 幼かった、あの日々に。


早く帰ろ! 広也(ひろや)くん!


不意にそんな声が聞こえる。もちろん、周りに俺を呼ぶ人は誰もいない。その声は、記憶のずっとずっと奥。脳の内側の、記憶の中から聞こえてくる、彼女の声だった。人の流れを泳いで、靴を履きかえると、俺は一人、真夏の空の下へと進んでいった。


はあ、今日もあついねー。少し休憩してこうよ!


出校日の帰り道。木陰のベンチがあった。俺は彼女の言う通り、ベンチに座って雲のない空を見上げた。あの日もこんな真夏日だった。蝉の声が聞こえて、汗のにおいがして、雲一つない空が、天井にかかっていた。


四年前のあの日、彼女は死んだ。

その時からこの声は、耳から離れてくれない。


――そろそろ行こう。こんなところでぼうっとしていてもしょうがない。そう思っていた矢先、こちらに数人、人が歩いてきた。

「はー十キロ走るとか、マジできちー」

「それな! ちゃっちゃと終わらせようぜ」

どうやら陸上部のようだった。ここらはランニングコースになっているようだったから、休憩でもしに来たんだろう。そう思って、立ち上がろうとして、顔をあげた。


「「あっ」」


声が重なり、目があった。

陸上部の集団の中に、見知った顔が一つあった。汗で濡れた紺色の髪、薄い表情――。間違いなく、幼馴染の(ゆう)だった。うっすらと中学時代の記憶が呼び起される。




放課後、教室。夕陽が射しこんでいた。


彼女を失ってから、二年が経っていた。


「――ってことあったよな。えーと、名前が確か」

「おいっ、バカ。祐はそいつと仲よかったんだよ!」

「え、マジで……? ゴメン。オレ、そんなつもりじゃなくて……」

「つ、辛かったよな、大事な友達失ったんだから」

廊下から見ていたので、祐の顔は、逆光でよく見えなかった。


「――別に。過去のことだから」




嫌なことを、思い出してしまった。俺は、祐から目を逸らして、そそくさと立ち去る。

「どうかしたのか、祐?」

「ん、ああ、なんでもない」

「そうか? あ、そういえばさー聞いてくれよー」

背後から、楽しげな会話が聞こえてくる。道を曲がると、俺は全速力で走った。


あいつは、祐は、変わってしまった。

いや、俺が変わっていないだけかもしれない。

それでも、いや、それでもだ。なぜ、彼女のことを忘れて、あそこまで普通に過ごせるのか。笑っていられるのか。


 ダメだよ、広也くん。祐くんを責めちゃ。


彼女の声が聞こえる。


だって、四年もたっちゃったんだもん。忘れられちゃったって、仕方ないじゃん。


「そんなこと……!」

そんなこと、言わないでほしい。だって、ずっと、一緒だったから。四年前までは。三人でずっと一緒だったし、これからもずっと一緒にいると思っていたから。


気づくと歩道橋の近くに来ていた。ああ、ここは。昔よく三人で遊んだ場所だ。特に意味も無く、階段を上り始める。久しぶりに上ったけど、こんなに高かったっけな。


ねえ、広也くん。いつまで囚われているの?


「……え」


 私が広也くんを許したと思ってる? あの日のこと、忘れたわけじゃないよね?


おかしい。今日はやたらと彼女の声が強い。なんだか、気持ち悪くなってきた。


 そんなことやってる広也くんなんて、


風が強く吹き始める。めまいまでしてきた。こんなところに居たら、危ない。さっさと降りよう。そう思って、階段に足をかけた時だった。


 ――地獄に堕ちてしまえばいいのに。


次の瞬間、体が浮遊感に包まれた。時間がやけにゆっくりと流れる。そのまま俺は歩道橋の階段から地面に転がり落ちていった。このまま、地獄に堕ちるのだろうか。


意識を失う直前、見覚えのある黒猫が、歩道橋の上から俺を見ていたような気がした。






 「――広也くん。広也くん、起きて!」


彼女が、俺の名前を呼んでいた。


ゆっくりと瞳を開けると、そこには――。



「あ、起きた! おはよ、広也くん。よかったー、目が覚めて!」


栗毛色のセミロングヘア、温かい笑顔、澄んだ声。

幻聴でも、幻覚でもない。

四年前に死んだはずの、彼女が、あゆみが、そこにいた。




*side祐


 走り込みが終わり、他の部員たちがそれぞれのトレーニングに入る中、オレは部室で着替えていた。

「あれ、祐? もう帰るのか?」

「ああ。今日はちょっと寄らなければいけない場所があるから」

「ふーん。あ、そういえばさ」

「なに?」

オレは荷物を片付けながら、背中越しに返事をした。

「さっき走り込みの時に会ったあいつ、知り合いなのか?」

それを聞いて、オレは手を止めた。


広也――。

あいつと顔を合わせたのは、たぶん二年ぶりだ。




 広也とあゆみとは、物心ついた時にはもう一緒に遊んでいた。

幼稚園も、小学校も一緒だった。

人生の月日の半分以上を同じように過ごした仲だった。

でも――それも全部、四年前にあゆみが死ぬまでの話だ。




「別に、ただの幼馴染」

広也とは、中学生の時に関係がこじれてからは、ほとんど会っていない。中学になじめなかったのか、広也は途中から、学校に来なくなってしまった。同じ高校に進学したのは知っていたが、お互いにそれだけだった。


 オレは荷物を片付けながら、制服の胸ポケットに入っている、小さな巾着袋を取り出した。刺繍で、「YU」と縫ってある。

「ふーん、ん? なんだ、それ?」

「お守りだけど」

「なんだよープレゼントか? もしかして女?」

「ん、ああ。中学の時に」

「え、マジで⁉」

巾着の中身を確認してから、オレはそれを握りしめて部室を出た。

「じゃあ、また明日」

「おう! じゃあな!」




斜陽が照りつける。まるであの日みたいに。

でも、全ては過去のことだ。三人で遊んだのも、仲が良かったのも。

だから今さら、広也に会ってどうこうなんてことはない。今のオレは、昔とは違う。


影法師がぐらぐら揺れる。その中に、一つの小さな黒い影があった。あれは――――。


「――猫?」


こんなに暑いというのに、路傍で黒猫が一匹、こちらを見据えていた。不吉なことこの上ないのだが、そちらを通らないと目的地にたどり着けない。しょうがないので、猫の横を通り過ぎる。振り返ると、猫は同じ体勢のままこちらを見ているだけだった。まあ、何もないよな。そう思って、そのまま行こうとしたその時だった。


不意に猫が俺の腕に噛みついてきた。

痛みでオレは、お守りを地面に落とす。

すると、猫はそれを咥えて裏路地へと走っていく。


「あっ、」


オレは急いで猫を追いかける。

猫は何度も十字路を曲がりながら、逃げていく。異常にすばしっこく、なかなか追いつくことが出来ない。

そのまま追いかけていると、ついに黒猫は、細い路地の奥へと進んでいってしまった。

「はあ……」

回り道できるといいのだが、あいにく猫を追いかけていたせいで、ここがどこなのかわからない。オレは体を建物の壁の間に沿わせながら進んだ。物音で後ろを振り返ると、何かが倒れて戻れなくなっていた。しょうがないので路地を抜けると、視界が開けた。そこには目を疑う光景があった。


記憶の中に今もありありと残る、昔遊んだ商店街、通学路。

ただ、建物やアスファルトは、ピンクや紫などのビビッドカラーに染まっている。

はっきり言って異様な景色だが、そんなことよりも視界の隅に映ったものを見て、オレは困惑した。





そこには、呆然とこちらを見る広也と。

成長した姿の――あゆみがいた。



*side広也


 「……」

突如町角から現れた祐は、呆然とこちらを見つめていた。たぶん、今の俺も同じような顔をしているだろう。まさか、祐まで現れるなんて。


カラフルに染まった町並み。人一人いない。それなのに空だけが、不釣り合いに済んだ水色をしている。


「不思議の国のアリス」――自然とそんな言葉が連想された。


そして、俺の目の前には、死んだはずの幼馴染が、あゆみが座っている。


「祐くんも⁉ やった! これで三人せいぞろいだね」

あゆみは顔をほころばせて、祐のもとに駆け寄った。正直まだ、何が起きているのかはさっぱりわからない。ただ、一つだけわかる。あゆみが戻ってきたのだ。俺たちのところに。


楽しそうに笑いかけるあゆみに反して、祐はまだ戸惑っているようだった。俺はあゆみのもとへ駆け寄った。

「えと……あゆみ? あゆみ、なんだよな?」

あゆみは俺の方を振り返って言った。

「うん! そうだよ、広也くん! 私はあゆみだよ」

あゆみはにっこりと笑みを浮かべた。この笑顔は、やっぱりあゆみだ。見間違えるはずがない。

そこで祐がいぶかしむように口を開いた。

「……どうしてこんなところにあゆみが? それに、ここはいったい?」

辺りを見回す。色とりどりに染まった建造物は、とても現実のものとは思えない。

「ごめんね。この場所のことは、私もよくわからないの。何で、ここにいるのかも……。あっ、でも、私が本当は死んじゃってるんだってことは、わかってるから、大丈夫だよ」

「じゃあ、幽霊ってことか?」

「幽霊って……そんな」

祐は余計に混乱している。確かに、ああ、そうなのかと受け入れられる方がおかしい話だ。今ある、この状況も含めて。常識は通用しなさそうである。

「ま、いいや。そういうことにしておく。それより、今はどうやって元の場所に戻るかのほうが大事だと思う」

そう言って、祐はカラフルな街を歩き始めた。

「行こ! 広也くん!」

あゆみはそう言って、スキップしながら祐を抜かして、先頭を歩き出した。俺もその後に続いた。




 「そういえば、ずっと疑問に思ってたんだけど」

歩きながら、祐は口を開いた。

「なんで、あゆみ、成長した姿なんだ?」

「そういえば、そうだねー。なんでなんだろ?」

確かに。今のあゆみは俺たちと同じ学校の制服を着ているし、体も多分、俺たちと同じ歳の女子くらいに成長している。

――もしあゆみが生きていたら、こんな感じだったんだろうな。




 商店街を抜けると、見覚えのある公園へと出た。これも色とりどりに染まっている。

ただ、公園のあちこちにガラクタが積み上げられていた。

「これって……」

俺はガラクタの山の中から、あるものを見つけた。

「何か見つけたのか――って、うおっ」

俺は持っていた銃を祐に突き付けた。動きを止める祐を見て、俺は笑う。

「おもちゃだよ。ほら、昔よくこれで戦闘ごっことかしただろ?」

「ほんとだ! うわー懐かしいね。あっ、これもじゃない?」

あゆみは山の中から、おもちゃの刀を取り出した。よく見ると、ガラクタの山は、おもちゃの山のようだった。しかも見覚えのある物が多い。

「あっ、これ……昔失くしたと思ってたやつ!」

俺は、昔よく遊んだゲームのカードを見つけた。レア中のレアカードで、運よく手に入れたものだった。カードの裏に、自分の名前を書いておくほど大事にしていた。このまま、持って帰ってしまおうかな。

「二人とも! これ見て!」

あゆみの声のした方を見ると、いきなり顔面を水が直撃した。

あゆみのかん高い笑い声が聞こえる。

「見て見て! 水鉄砲! あはは!」

容赦なくあゆみは水鉄砲を発射してくる。俺も近くにあった水風船を手に取って反撃する。祐が近くで傍観していたので、ついでに当ててやる。水風船が割れて、制服がびしょびしょになっていた。

「おい……はあ、全く」

それを見て、俺とあゆみは笑った。呆れ笑いしながら、祐も反撃を開始した。笑い声だけが、空に響いている。しばらくの間、俺たちはそうやって遊んでいた。




ああ、本当に、あの頃に戻ったみたいだ。

ただ、楽しかった。あの頃に。


――ずっと、ここに居られればいいと、自然に思っている俺がいた。




 一通り遊び疲れて、俺と祐はベンチに座っていた。あゆみはまだ、ガラクタの山の中にあった人形で遊んでいる。


「ここは、本当はどこなんだと思う?」


祐は突然、俺に聞いてきた。

「なんだよ、急に」

「オレ、黒猫を追いかけてここに来たんだ。それで今思い出したんだが……」

祐は遠くを見るように言った。


「あゆみって確か、黒猫、飼ってたよな」


俺は記憶をさかのぼる。幼かったあゆみ。

その胸に抱えられた、小さな黒猫。

小さな少女に寄り添うように、黒い子猫は、常にあゆみの傍にいた。


それは、俺が歩道橋から落ちる瞬間に見た、あの黒猫によく似ていた。


「だからなんだっていうんだよ? そんなの、今のこの状況と何も関係ないだろ?」

祐はため息を吐いた。

「……お前、本当はこの場所から帰る気ないだろ」

祐は冷たく言い放った。先ほどまでの楽しさはどこかへ消えている。冷たい言い草に、抑え込んでいた怒りがこみ上げてきた。

「だから、なんだよ。全部忘れて、遊んでたお前なんかよりは、ずっとマシだろ……?」

「は?」

祐の目つきが、より鋭くなる。

「いつまでも、あゆみに囚われながら、死んだ目をして生きてる奴なんかに言われたくない」

「っ!」

俺はベンチを立った。

「なんなんだよ、その態度。その程度だったのかよ、お前にとって! 俺たちの存在って!」

祐は下を向いたまま黙っている。顔はよく見えない。怒りのままに、俺は吐き捨てた。


「あの日も――なんにもしなかったくせに。偉そうにそんなこと言うなよ!」


祐が息をのんだ。俺はそのまま、祐から離れて、不安そうにこっちを見ていた、あゆみの手を掴んだ。

「行こう、あゆみ」

「え? う、うん」

俺はあゆみの手を引いて、公園を出て行った。



*side祐


「そう言えば、二年くらい前か? 東小で女の子が誘拐されて殺されたってことあったよな。えーと、名前が確か」

「おいっ、バカ。祐はそいつと仲よかったんだよ!」

「え、マジで……? ゴメン。オレ、そんなつもりじゃなくて……」

「つ、辛かったよな、大事な友達失ったんだから」


「――別に。過去のことだから」


その時、何を考えていたのかはわからない。

でも、もう思い出したくなかったんだと思う。

口からは、自然と言葉がこぼれた。


そして、廊下を走っていく広也の姿が見えた。




「そんなところで何やってるの?」

一つ、足音が近づいてきた。オレは顔をあげる。


「――オレ?」


紺色の髪と、切れ長の目、薄い表情。

少年だったころのオレが、そこに立っていた。


「そうだよ。おれは祐」


少年はそう言うと、オレの隣に座った。

いよいよ何でもアリだなと思って、乾いた笑いがこみ上げてきた。少年は続けた。

「なんでって、思ってる? それはここが『あの日』だから。四年前の、八月十日。だからおれは、あの日のお前」


あの日――。

熱が、暑さが、こみ上げてくる。

あの日の記憶が。あの夏の温度が。蘇ってくる。




あの日も三人で、いつもみたいに公園で遊んでいた。

あゆみが鬼で、鬼ごっこをしていた。


あゆみが広也を追いかけて、路地の奥へ進んでいった。

すぐに戻ってくると思っていた。

でも、二人はなかなか戻って来なかった。

心配になって、オレも路地の奥に行ってみた。そしたら――。


封じていた記憶がよみがえる。


黒い車、見知らぬ男たち、連れて行かれる、広也とあゆみ。



それを見たオレは――一目散に逃げ出した。



ただ逃げて、家のベッドにもぐりこみ、布団の中で震えていた。

気づいた時には、全て手遅れだった。

その夜、廃倉庫から、怯えきった広也と、血を流して倒れている、あゆみが見つかった。




「思い出した?」

少年はオレの顔を覗き込んだ。

ガラス玉みたいなその眼は、オレを責め立てているように見えた。

「おれがすぐに、誰かに報告してれば、警察に連絡してれば。あゆみは死なずに済んだかもしれない」

「仕方ないだろ……。怖かったんだ。恐怖で、何も見えなくなってたんだ」

「おれが二人と一緒に誘拐されていれば、おれが代わりに死んで、あゆみは助かっていたかもしれないのに」

「そんなの……そんなの、もしもの話だ! 今さらどうしようもないだろ」

「どうしようもない? ううん。そんなわけない」

息が苦しい。少年の瞳から、光が消える。

がらんどうの眼は、あの日の俺の眼そのものだった。



「お前は、何もできなかった、何もしなかった。だから、あゆみは殺されたんだ」



それは、おれの、オレ自身への言葉だった。

本当は情けなかった、後悔した。

あゆみに、広也に合わせる顔が無くて、忘れようとしていたんだ。



 少年は、じっとオレを見つめていた。

返す言葉も無く、オレはベンチに座っていた。


きっと、これは罰なんだ。

あの日から逃げ出した、オレの――。





「それはここが『あの日』だから。四年前の、八月十日。だからおれは、あの日のお前」





少年の言葉が思い出される。ここは、あの日だと。





四年前のあの日。

路地の奥へと進んでいく、広也とあゆみ。

見ているだけの、オレ。




その姿が、さっきの公園でオレたちの姿に重なる。




また繰り返すのか? 後悔したあの日を。










――そんなの、嫌だ。





 オレはベンチから立った。

少年が驚いて、腕を掴む。「どこに行くつもり?」と、オレを睨んだ。


「どこでもいいだろ」

オレは叫んだ。






「もう、お前なんかには囚われない」






オレはそのまま、思い切り腕を振り払って、公園の外へと走った。



*side広也


 あゆみを連れて、路地を進む。

辺りの景色はカラフルで相変わらず不気味なのだが、徐々に暗い場所へ向かっている気がする。ずっと、外にいるのに、おかしなものだ。

「……祐くん、おいてきちゃったけど、いいの?」

「いいんだよ、別に。あいつのことなんか」

あゆみの手を掴んで、奥へと進む。

路地を抜けると――廃倉庫のような場所に出た。

他の道はなく、どうやら、倉庫の中に進むしかないようだった。


 「ほんと、何にも変わらないよねえ、広也くんは」

倉庫の奥へと進みながら、あゆみはつぶやく。

「……何がだよ?」

「だって、すっごい意固地なんだもん。怖いもの知らずで、いつも勝手にどこかへ行っちゃうし」

「うるさいな」


「――あの日、誘拐されちゃったのも、広也くんのせいだよね? 戻ろうって言ってるのに、広也くんがどんどん先に行っちゃうから」


あゆみはそのまま言葉を続けた。


「あの日、私たちは、見ちゃいけないものを見た。今なら、わかるよね。たぶん、何かの取引の現場。そして、私たちは、口封じのために誘拐された」


あゆみは俺から手を離し、奥へと進んでいく。

俺も後を追いかけた。

たくさん積まれたコンテナの奥に、「それ」はあった。



 栗毛色のセミロングヘア、

 温かい笑顔も、澄んだ声も無く、

 瞳を閉じたまま、人形のように眠っている、

 四年前の、あの日の、幼いあゆみが、そこにいた。



「最初に言ったよね? いつまで囚われているのって。私が広也くんを許したと思ってるのって。あの日のこと、忘れたわけじゃないよねって」


成長した姿のあゆみが、そんな風に俺に笑う。

その姿がぶれて、一瞬、黒猫のようにも見えた。


「成長した私なんて、幻想でしかないんだよ。それなのに、ここまで過去に囚われているなんて、笑っちゃうよね」


ゆっくりとした足取りで、彼女はこちらに近づいてくる。

その姿が、男の姿に変わった。

手にはナイフを持っている。




 倉庫で目を覚ました時、男はナイフを持っていた。

幼心にも、自分がこれからそれで刺されるだろうことはわかった。男は、まずはお前だとばかりに、俺に向かってナイフを振り下ろした。



次の瞬間、視界が紅く染まった。

瞳を開けると――目の前にナイフに刺されたあゆみがいた。




――あの日、俺が代わりに死ぬべきだったんだ。

あゆみの代わりに。

臆病な俺は、それが出来なかった。

だから、忘れられないまま、ずっと囚われて生きてきた。




「死んでよ。あの日私を、救えなかった代わりに」




もとはあゆみの姿であった男が、俺に向けてナイフを振り上げた――――。










 ドンッ



 鈍い音がした。何かがぶつかる音。

目の前にいた男が、何者かに抑えられて倒れこんでいた。



――祐だった。



男は祐を振り切って、再びナイフを掴む。ふと、あの日の光景が浮かぶ。


小さな体で、俺を守ろうとするあゆみ――繰り返したくない。

後悔したくない。

もう、二度と、あの日を。




 俺は近くに落ちていた鉄パイプを拾うと、男の体に向かって振りぬいた。




けたたましい猫の鳴き声と共に、男は倉庫の壁に打ち付けられた。

倒れこんだ男は魔法が解けるみたいに、黒猫の姿になった。


静寂の中、俺たちはしばらく呆然と、黒猫を見つめていた。












「たぶんその子は、私の願いを叶えてくれようとしただけなんだと思う」


不意に声が聞こえて、振り返る。


そこには、眠っていた幼いあゆみが、小さな体を起こしていた。

そして、そのまま立ち上がると、歩いていって、倒れこんだ猫を優しくなでた。


「いつまでもこんな二人を見ているのは、いやだったんだ。その想いが、この子に通じたのかな。ごめんね、危ない目にあわせちゃって」

黒猫は瞳を開けると、愛おしそうにあゆみを舐めた。


あゆみは歩いてきて、祐に袋のようなものを渡す。

「はい、これ。この子がもってたの」

祐は袋の中から、青いガラス玉を取り出した。

それは昔、俺たちが三人で買って、それぞれお守りにしたものだった。

赤色が俺、青色が祐、そして、黄色があゆみ。あゆみが、うれしそうにガラス玉を見つめていた。

彼女は幻影なのか、それとも。もしかして。



「なあ、お前は――」

言おうとした言葉を、あゆみは制止した。



「もう、何も言わないで。私、死んじゃったから。忘れられたガラクタたちは、もう、持ち主のもとに帰ることなんてできないよ。私は過去の人だから」



俺は公園のガラクタの山を思い出した。

あのカードも、水鉄砲も、拳銃も。持って帰ることは出来ない。


「わかった」

祐はそうつぶやいて、ガラス玉を胸ポケットにしまった。

俺もうなずいて、あゆみに笑った。

それを見て、あゆみも心底嬉しそうに笑った。

















「ありがとう――さようなら。元気でね」




















 「起きてください、大丈夫ですか⁉」

むせるような熱気。

肩を揺さぶられて、ゆっくりと目を開ける。

若い男性が、心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。辺りを見回すと、隣で祐がゆっくりと目を開けていた。

「ああ、よかった……意識があって。二人とも、そこの交差点に倒れていたので、急いで日陰に運んだんです。あの、大丈夫ですか? 念のため救急車呼びましょうか?」

俺は祐を見る。祐は首を横に振った。

「いえ、大丈夫です。このまま、帰れるので。助けてくれて、ありがとうございました」

「そうですか? では、僕はもう行くので、熱中症には十分気を付けてくださいね」

男性は、そのまま足早に立ち去って行った。その場には、俺と祐だけが残された。





「……なんだったんだろうな」

もしかして、全部夢だった、なんてオチなのだろうか。祐は胸ポケットを探って、小さな巾着袋を取り出した。

「ちゃんとガラス玉はある」

「みたいだな。そういえば、その袋……」

「ああ、これ。ガラス玉だけ裸で持ってたら危ないだろって、母さんが」

なんだ、そういうことか。「YU」なんて縫ってあるから、てっきり女の子からもらったのかと思ってしまった。

「どっから夢だったんだろうな」

「さあ。でも――」

祐は立ち上がって伸びをした。

「黒猫には不思議な力があるって、昔からよく言われてるし、もしかしたら、全部現実だったのかもしれないな。あの日に行ったことも、あゆみに会ったのも」

祐があまりにも真面目な顔で言うので、思わず笑ってしまった。それを見て祐が、「ただの想像だから」と付け加えた。

「結局、本当にあったのか、ただ暑さにやられてただけなのか、どっちなんだろうな」

でも、今はもうそんなこと、別にどっちでもいいのかもしれない。


「なあ、祐。ごめん」


俺は素直に、祐に謝った。

ずっと、祐は全部忘れてしまったのだと思ってた。

でも、そんなことはなかったんだ。俺がわかっていなかっただけだった。


「広也が謝ることじゃない。それにオレも悪かった」


祐は、ふっと笑ってそう言った。


「ほら、そろそろ行こう。今日、八月十日だろ」

「ああ。って、ん、どこに?」

祐は近くに置いてあった自分の荷物を待つと、俺の方を振り返った。



「――墓参り。あゆみの。今日、命日だから」



頭の奥から響くあゆみの声は、もう聴こえない。

その代わりに、どこか遠くで猫の鳴き声が聞こえた気がした。


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