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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第16章 獅子身中 ―バルドゥーバ―
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16-2.宮宰フクチ(福地)

 湯浴みを終えたウフェルに誘われるまま、福地は彼女の私室に入った。何かの獣の毛皮で覆われた長椅子にゆったりと身を預けた彼女に、血の色の酒、ビンネを注いだグラスを差し出す。

『宮宰の椅子の居心地はどうじゃ?』

『ご期待に、沿う、えるよう、努力しています』

 バルドゥーバ王の執事としてその家政に責任を負いつつ、王の代理として時に政務をも担う――かつてのゲルマン人国家で見られた「宮宰」によく似た役職を福地が与えられたのは、二週間ほど前の話だ。疫病の対策やら聖クルーシデ国の戦後処理やら残党狩りやらで手が回らなくなってきた宰相が、女王と反宰相派の提案を拒み切れなくなってのことだ。

 福地は表向き殊勝な顔で、その栄誉を受けた。

 権力――それを握りさえすれば、この世界はそう悪くない。いや、むしろあちらの世界であくせくと働くよりもよほど快適な人生が得られる。福地のような人間にとっては特に。

 そう確信した時から、福地は目の前のこの傲慢で苛烈な性質の女王に全神経を傾けている。細心の注意を払い、彼女の関心と歓心を買う。それは自分の身を守ると同時に、この世界を自分の理想にする手段でもあった。

『随分と宰相が気を揉んでいるようじゃな』

『はい、先ほどのご命令を含めて、閣下にも、ご心配をおかけしないよう、つ、とめる予定、しょぞん、です』

 面白そうなものを見る顔をして反応をうかがう女王に、福地は苦笑に見えるはずの笑みを浮かべて答える。

 宰相の“心配”は、もちろん福地への気遣いではない。自分から福地へと女王の寵愛、つまり権力が移ることへの危惧だ。

『それは宰相の勧める縁談を受けるという意かの? あれはお前とテラシタを娶せたがっておるようじゃが』

『嫌です……では、足りないです。ええと、死ぬ、死んでも拒絶します、という言葉で、気持ちが伝わりますか?』

 静かに笑って返した。

 彼の子飼いと化した寺下との縁談を、宰相から内々に持ち掛けられたのは昨日のことだ。女王は噛んでいない話のはずだが、彼女は当然のように知っていて、福地もそうであることを予想していた。

『寺下が扱いにくくなってきた、ため、私に押す、押し付けようということだと。同時に遠ざけたい、のでしょう、私を陛下から……』

 困ったように笑った後、真剣な顔を作り、切なげに眉根を寄せてみせた。そして、ウフェルの頬に指を伸ばして触れるか触れないかで腕をおろし、顔を背ける。

 福地の中にはいつも江間がいる。そして、ウフェルが宮部だ。

『失礼いたしました』

『――良い』

 その腕を捉え、自らに引き寄せたウフェルの顔を観察し、思惑通りに事が運んでいることを確信する。

(江間君は宮部さん相手に失敗していた。けれど、僕は成功している――ウフェルなら大丈夫、操れる)

 女王を意のままに動かすために、自分へと“恋愛感情”を抱かせる。知能が高く、計算高い人間をただの愚か者にし、江間をも殺した、あの不合理な感情だ。あれがあれば、この野心と警戒心に満ちたウフェルを操れる――この国に来てしばらくして、福地は自身の野望のためにそう決め、計画を立ててその通りに行動している。

 実のところ福地はその感情がまったく理解できない。本や漫画、雑誌の中で頻繁に扱われるそれが現実に存在するものだと知ったのは中学の頃だ。異性から自分に向けられるおかしな執着と常にない動き、合理性がなく、起伏が大きすぎて通常以上に相手の“心”が読めない――それが恋愛感情というものだと人に指摘されて、福地は衝撃を受けた。

 論理性に欠け、予測しにくいそれを福地は内心で嫌悪しているが、一方で論理性に欠けるからこそ、うまくやれば相手を操作できることにも気づいた。思い通りにいくことばかりではなかったが、大学に入って江間に出会い、その視線の先にいる宮部を見つけてからは成功率が上がった。おかげで今の状況があるわけだ。

(寺下さんにも好かれていたようだし、もう少し丁寧に接しておけば、あそこまで扱いにくくならなかったか……。いや、中途半端なことをすれば、ウフェルは気付く……)

 やはり目の前のこの女に集中すべきだと、確かめ直しつつ、福地は苦しそうな表情を顔に貼りつけた。

『しかし、稀人では、陛下の、お役に、立てないと……』

『……それは宰相の言か?』

 悲しそうに言ってみれば、ウフェルの声が微妙に尖った。

 ウフェルには子がいない。十三の頃からありとあらゆる種族の男を、胎内に迎え入れてきたが、数少ない妊娠もすべて早い段階での流産に終わったとのことだ。当初ウフェルはそれゆえに稀人である福地に目を付けたようだが、毎日のように伽をこなしているにもかかわらず結果は変わらない。

 稀人の神通力などを信じていない福地からすれば、科学的に考えて当たり前のことだった。稀人、あちらの人間とこちらの人間が子を成した記録は、これまでの歴史の中で、たった四例、うち、育ったのは二人。ただでさえこちらの人間とあちらの人間の相性が悪いのだから、なおさらだろう。

 福地はウフェルがこの世界で妊娠することはないと見ているが、それは他の者も同じなようで、そろそろ福地もお役御免だろう、と噂している。

 宰相としては寺下の厄介払い以上に、不妊に託けて福地を女王から切り離したい思惑であるはずだ。

 もちろんそれに乗ってやる義理はない――次に邪魔になるのは、あの男なのだから。

『宮宰の位を、お与えくださったこと、心から、感謝して、います』

 福地はウフェルの体を引き寄せ、『こうして、触れることが、許されな、くなる時が来ても、お側にいられる』と小さくつぶやく。

≪一生触れられないとしても、側にはいられる。そんな方法があれば、飛びつくかもな……≫

 いつだったか、徹夜明けに寝入ってしまった宮部を見ながら、福地に向かってそう零した時の江間の顔と言葉を真似てみる。だが、そうしたところで、彼の気持ちはまったく理解できない。

 理解できないのが当たり前だ、江間のあの部分だけは、どう考えても狂っている。そう思う一方で、時々何かが落ち着かなくなる。自分には何かが欠けていると実感してしまう。これだけ努力しているのに、まだ届かない、そう思い知らされる。

『……テラシタはいらんのか。あれはお前を好いておろう』

 なぜここで寺下が出るのか。小説やドラマ、ハウツー本、これまで周囲で見聞きした経験――人間関係について詰め込んだ知識を引っ張り出し、「嫉妬」という言葉を探り当てた。

(ちょうどいい、そろそろ寺下さんにも消えてもらおう)

 すべてが順調に進んでいることを確認して、福地は目下の話題について考える。


 大人しくバルドゥーバについて学び、福地の意図通りに動く寺下は、ここに来た日本人の中では、当初それなりに使い出があった。ぎゃあぎゃあ不平不満を騒ぎ立て、足を引っ張るしか脳のない菊田を砂漠に追いやる悪役をまんまと引き受け、稀人として見世物になる愚にもつかない役割も率先してやってくれた。そうして、宰相のお気に入りになり、福地にその情報を流してくるようになったあたりまでは良かったのだ。そこから万事控えめだった彼女は、おかしくなっていった。

 愛らしいと散々言われていた見た目と性格、福地が知らなかった音楽の才能で、女王の従弟にあたる青年の心を射止め、婚約するに至った佐野を、寺下は宰相と共謀して陥れ、処刑するよう主張した。

 宰相と対立する一派である、女王の伯母の嫁ぎ先の家を押さえる好機として、その縁組を陰で推し進めていた福地にとって、迷惑以外の何物でもなかった。

 福地は「そんなことでは病は止まらない。その場合のリスクが大きすぎる」と寺下の懐柔にかかったが、彼女は「稀人を生贄に捧げるのだから止まる」などと欠片の合理性もない論理で拒んだ。

 続いて、佐野が気の毒だ、やっていいことではないと大半の日本人なら共感するだろう倫理を唱えて止めようとしてみたが、寺下は「疫病の責を押し付ける相手を、皆探しています。このままだと私たちはもちろん、最悪陛下にまで……。佐野さんには尊い犠牲になっていただくしか……」と悲しそうと分類される顔をして、結局福地の諫めに耳を傾けなかった。

 当初乗り気でなかった女王もそうして最後には押し切られたのだが、宰相とその派閥の大臣たちとともに寺下が佐野を処刑する手段として選んだのは、聖クルーシデから連れ帰った化け物、ドルラーザによる嬲り殺しだった。

 あの雨の日、城のバルコニーから見えた佐野は、飢えと傷で狂暴化した巨大なドルラーザを前にしながら、自分たちをまっすぐ睨んでいた。

「かわいそう」

 その佐野を見下ろしながら寺下がそう薄く笑ったのを、福地は確認している。もっともドルラーザが暴れ出したことで、その笑いは引きつれたものに変わったのだが。

 寺下に何があって変化したのかはわからない。だが、有害な存在になったことに間違いはない。

 菊田や佐野に対してだけではない。彼女は周囲の人間たちに傲慢なふるまいを見せるようになっており、中にはいじめられたり、理不尽な言いがかりを付けられたりで死に追い込まれた者もいると聞いた。彼女の身の周りの世話につきたがる者は、いなくなりつつある。

 そこに加えて佐野の処刑だ。同じ稀人で、友人でもあったはずの佐野を殺すことを望んだ寺下の残忍さは、バルドゥーバ人ですら理解しがたいらしく、その噂が広まるにつれ、同じ主張をした宰相より強く嫌悪されるようになった。

 佐野の処刑後、疫病が治まらなかったことも、それに拍車をかけている。


(当初使えると思った寺下さんがただの害悪と化し、使えないと思って処分したはずの菊田先輩が追放先の地で家畜と化け物の馴化に成果を上げているのは、皮肉以外のなんでもないな)

 そうぼんやり思いながら、福地は腕の中のウフェルへと意識を戻す。

『先ほども申しましたが、テラシタなど……』

 ウフェルの今の表情に“嫉妬”と言うタグをつけて記憶しつつ、嫌そうに見えるはずの顔で福地はかぶりを振った。

 それから、イェリカ・ローダに殺された宮部を見つけた時の江間を想像する。江間なら同じように大事な人を失ったテュオルに、どんな顔を向けるだろう――。

 ウフェルを抱きしめたまま素早く計算し、福地は“同情”“悲痛”“共感”を混ぜて顔に貼りつけた。併せて声音を調整する。

『むしろ、テュオルさまの今のお心を、想像して、苦しいです』

 ウフェルは佐野と恋仲となった自らの従弟に、それなりに目をかけていたはずだ。数多くいる従兄弟の中で、彼については名前のみならず性格も把握していたし、知処博士として、王の諮問機関である知処に所属していたことも知っていた。

 佐野についても同じだ。彼女の吹く横笛に、ウフェルには珍しいほどに感嘆を露にしていた。

(戦略的に彼らを切り捨てたのは知っている。だが、“感情”はどうだ……?)

『もし、私が、大事な人を失ったら、と……』

 心持ち拘束を強め、今抱き合っていることでウフェルに生まれているであろう感情をテュオルの恋情に重ねさせて、寺下の処分をあおる。

『あれも気の毒なことよ。慰めてやらねばな……』

 腕の中から響く声に、福地は口の端を吊り上げた。


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