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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第15章 化かし合い、探り合い ―メゼル―
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15-6.米と霧と稀人

『ミヤベ、久しぶりね、書物棟からの帰り?』

『久しぶり、タグィロ』

 食料司を出たところで、郁は内務処官見習いのタグィロに声をかけられて振り向いた。

『妹さん? 初めまして、タグィロと言います』

 郁と共にいたリカルィデに挨拶する彼女の表情は、以前と比べて随分柔らかくなった。硬くひっ詰められていた紫の髪もおろすようになって、日差しを照り返し、美しく輝いている。

『は、はじめまして、リカルィデです』

 話しかけられてびくりと体を震わせたリカルィデだったが、口ごもり、真っ赤になりつつも何とか挨拶を返した。

(さっきはできなかったのに)

 驚きと共にその様子を見ていた郁は、自分をちらっと見上げてきたリカルィデと目が合って、知らず口元を綻ばせた。


『そういえば登用試験、どうだった?』

『ここだけの話だけど、自信は……かなりあるわ』

 並んで歩き出し、茶目っ気を見せて胸を張ったタグィロに郁はさらに笑う。

 郁の予想通り、タグィロがメゼルディセル領の文官登用試験を受けるにあたって、内務処長のオルゲィは申込に添える推薦状をあっさり書いてくれたらしい。アムルゼとエナシャによれば、『タグィロがついに正官になってくれるらしい』と家で静かに喜んでいたそうだ。

 それほど見込まれていたタグィロだ。年が明けた生初の期には、彼女はきっと『見習い』ではなくなっているだろう。

『ねえ、ミヤベのほうは地下倉庫で見つけた種を調べているんでしょう、何かわかった?』

『ガルメナ朝の終わり頃にどこからか渡来したものなんじゃないかと。一時かなりの収量を上げたようだけど、すぐに廃れたみたいだね』

『ガルメナ朝の終わりというと、二百から百五十年ぐらい前ね』

 その時期シガの凶作が頻繁に起きて飢饉が発生したが、“神の御使い”によりもたらされた『コレ』により、その飢饉を乗り切ることができた――色々な書物や文献に書かれた記述をまとめるとそういうことになる。


 『コレ』――これがおそらく米だろうと思う。

 ディケセル語には、日本語の「マ」行や「ラ行」に相当する音がない一方、舌先を上の歯の裏につけ、唇を閉じてから発声する、「マ」行と、「ラ」行もしくは「バ」行の中間のような音がある。

 祖父は祖母によって日本語の発音を矯正されたけれど、時々訛が出ることがあった。その理由を訊ねた時、祖母がそう説明してくれたのだ。祖父の元々の名字『リィアーレ』が、「宮部」になったのも基本は同じ理由――このうちの『リ』と『レ』が、厳密には日本語にない音だからだそうだ。

 もう一つ、同じ時期の記録書に濃霧が頻繁に発生していたという記述を見つけた。

 気になってリカルィデに聞けば、郁たちがこちらに来た今年の生の期も霧が頻繁に出ていたという。

 メゼルディセルなどディケセル国南部では出にくいが、北上する程、そして惑いの森に近い地域ほど霧が発生しやすいとのことで、あのままの状況が続いていれば、今年の北中部の農産物はかなりのダメージを受けているのではないかと顔を曇らせていた。

「霧、か……俺たちがこっちに来た時、向こうでも出てたな」

「祖父の時もそうだったと聞いた。サチコさんの時もって言ってたよね?」

「ハイキング?の最中にショータ、息子さんが山道から滑り落ちそうになって、助けようとしていたって」

「じゃあ、霧が出た時に行き来できる? とするなら、霧が世界を繋ぐのか、世界が繋がる時に霧が出るのか、だな。前者なら、霧の発生が予測できれば帰れる」

「それなら稀人の来訪を予見する神殿をあたるべきだね」

 江間とリカルィデとやり取りしながら、郁は祖父が死んで法要を終え、母なども去って一人になった晩のことを思い出した。

(あの時も霧が出ていた――)

「……狙って向こうに行ったトゥアンナの場合は多分後者だ。こっちは狙い通りシャツェランに探りを入れよう」

「あいつ、多分俺が稀人だって、もうわかってると思うんだよなー。向こうに帰ろうと企んでいると悟られずにどう探るか…」

「私がやろうか?」

「いや、俺がやる。前も言った通り、宮部はできるだけあいつに関わるな」


 数日前のやり取りを思い出して、郁は静かに息を吐き出した。シャツェランを探るのは、彼の周りにいる見聞処長などの存在に加え、彼自身が日本に詳しいこともあって、かなり神経を使うはずだ。

(江間に負担をかけすぎている気がする。……無理をするのが当たり前になっているんだろうな)

 彼はいつも大丈夫と言って笑うけれど、それが必ずしも本当じゃないことを郁は知っている。できるだけ神殿や別の方面から情報を取れないだろうか、とタグィロに話を向けた。

『あの種、コレという名前のようなんだけど、タグィロは故郷で聞いたこと、ない?』

『コレ? 土地神様の名前と同じだけど……』

『土地神?』

『外から来るものを敬うように、と村では教わるんだけど、その時に語られるのがその土地神様にまつわるお話なの。ある日、始まりの神コントゥシャ様に言いつけられた、川の神バルナが御使いを村に遣わしてくださった。御使い、コレ様は村に実りをもたらして豊かにしてくださり、村の娘と恋に落ちて結婚した』

 タグィロは『そこで終わればいいんだけど、ね』と苦笑する。

『けれど、意地悪な村人のせいで彼は天に帰ってしまい、村の実りも元通り、でおしまい』

『神様が土地の人と交わるという話は、ディケセルではよくあるの?』

『ええ、珍しくないわ。コントゥシャ様も人との間に子供をもうけて、初代ディケセル王となったと言われているくらいだから』

『そう……』

 『コレ』が米だとすると、リバル村の土地神コレのモデルは、米をもたらした稀人ではないか。川沿いの低湿地を利用して、持ち込んだ米を栽培し、成功した。そして、村の娘と結婚したものの、何らかの原因で排除された。その後、米の栽培技術は失われたのだろう。

「……」

(うまくこの世界に溶け込んだように見えても、やはり排除の対象になりうるらしい)

 自分たちの素性を隠す必要性を改めて確認しながらリカルィデを見れば、彼女はタグィロをすがるように見ていた。

『天に帰った……つまり御使いのコレ様は死んじゃった?』

『どうかしら。こういう言い伝えだと、そういう直接的な表現は使わないから。このお話も『霧となって天に帰った』としか伝わっていないの。でも……どこかに去っただけならいいのに、と思うわ。娘も共に行ったという話だから』

(霧になって消えた、娘も一緒に……?)

 心臓がドクリと音を立てた。思わずタグィロを見れば、彼女は『子供じみてるって笑う?』と頬を染めた。

『……いや、私もそうだといいと思う。教えてくれてありがとう、タグィロ。おかげでリバル村に行く価値が、また一つ上がった』

 気を取り直して微笑みかければ、彼女は『私も一緒に行けたらいいのだけど』と視線を揺らした。

『本当に? もしそうしてもらえたら助かる。けど、叔父さんはまだリバル村の統官なんだろう? 会うのは平気?』

『……ミヤベ、がいるなら。あ、その、ええと、久しぶりに故郷にも行ってみたい、し』

『ミ、ミヤベ、でもタグィロさん、来月から正式に内務処官になるんなら、最初からいなくなっちゃうと仕事に差し支えない? 所属もわかんないだろうし』

 焦って心配を口にしたリカルィデに、タグィロは眉を跳ね上げた後、『それもそうね』としょんぼり肩を落とした。

 リバルに詳しい彼女にいて欲しいが、彼女の念願がようやく叶おうとしているのだ。無理をしてほしいとは言えない。

『じゃあ、あらかじめリバルのことを教えてもらえるかな。明日、お昼一緒にどう?』

『え、ええ、ぜひ』

 目を丸くした後、嬉しそうに承諾を返してきたタグィロに郁もつられて微笑み、それから友達と一緒にランチを食べるなんて十年以上なかった、と苦笑した。

 その耳にリカルィデの呻き声はあいにくと届かなかった。


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