15-5.食料司
書物棟での今日の調べ物を終えた郁はリカルィデを伴って、メゼル城の東端の食料司棟を訪ねた。先ほどまで一緒にいた江間は、「本ばっか見てると体がなまる」と言ってグルドザたちの鍛錬場に行ってしまった。
(今日も土まみれだな)
郁はそこの廊下を進みながら、足跡だらけの床に苦笑を漏らした。食料師たちが城の外郭すぐ向こうの圃場とここをしょっちゅう行き来しているせいだろう。食料司棟もメゼル城の他の部分と同じように白い石でできているが、そのせいで余計に汚れが目立つ。もう少し掃除してもいいんじゃ?と思わないでもないが、彼らの熱心さを好ましくも思う。
『やあ、ゴデゥヌ、食料司長はいらっしゃるかな』
『よお、ミヤベ。司長なら部屋で作物図鑑とにらめっこしてるよ。……お? 凄まじい美少女を連れてるじゃないか』
『びしょ……』
郁の顔見知りである食料司官ゴデゥヌに目を留められ、郁の陰に隠れるようにしていたリカルィデが顔を強張らせた。
元々人見知りな上に城にまだ慣れていないリカルィデは、ただでさえ気を張っていて、何かにつけハリネズミのようになる。そこに加えての女の子扱い――郁は内心で冷や冷やしつつ、さらっと流そうと決めて、別の話題を振った。
『妹だよ。「犂」、じゃないな、カジャの具合はどう?』
『おー、大分進んだぞ。撥土板の角度を調整して切り込んだ土がきっちりひっくり返るようになった。だから構造的には完成に近づいてるんだが、やっぱり強度がなあ……。土が固いと切りこめないし、結構な頻度で折れるんだ。鉄製に出来れば理想なんだが……』
『鉄処、鉄師に協力を頼むのは?』
『あのな、いくらイゥローニャ人だからって常識なさすぎだ。鉄師様になんて、恐れ多くて頼めるわけねえだろ。このご時世、鉄がどんだけ貴重だと思ってるんだ。基本は武器にしか回されねえよ』
自分より一回り年上のゴデゥヌに露骨に呆れられて、郁はそういうものなのか、と眉をひそめた。それから、鉄師のトップである首鉄師を『じいさん』呼ばわりし、気軽に話しかけてはあれこれしたりしてもらったりしている江間に、ロゥザリ第四師団長が唸り、アムルゼが蒼褪めていたことを思い出して苦笑を零した。
『まあ、効率は落ちるが、少し小型化して素材の木の種類を変えてみるよ。またな』
『うまく行くといいね』
ゴデゥヌは別れのあいさつに右手の拳の甲を郁に向けた後、『嬢ちゃんもまた遊びにおいで』とリカルィデににっと笑いかけ、圃場につながる裏口から出て行った。
食料司長の執務室前に辿り着き、戸槌を鳴らす。この部屋の主、セゼンジュのごく短い応えを聞いて、郁は勝手に扉を開いた。
ここには彼を手伝う補佐官も見習いもいない。セゼンジュの方針、『そんなことをする暇があるなら、圃場に出るなり地方を回るなりしろ』に沿ってのことらしい。
『例の種子の件、書物棟での調査結果をお持ちしました』
その部屋は天井から吊るされた標本や壺に入った種子類、うずたかく積み上げられた書物、栽培記録などで雑然としていて、セゼンジュの姿は今日もその向こうに埋もれていた。
城の地下倉庫で千歯扱きを発見した翌日、そこに残っていた米の種籾をセゼンジュに見せ、何か知らないかと聞いたら、彼は郁が引くぐらい食いついた。
一粒一粒を丹念に見、貴重な種を失っていいものかとブツブツ独り言を呟きながら、悩みに悩みぬいて、その内の一つを分解した。そして、似た植物の名前を十数種挙げた後、どれとも違うと結論を下し、それからずっと調べてくれている。
彼もリィアーレ一族の一人で、蔵書師のスムザの伯父にあたると言う。熱中すると他が目に入らなくなるあたりが、スムザとよく似ている気がした。
セゼンジュは誰もが目に止めるリカルィデに目もくれず、郁が手渡したメモを熱心に読む。そして、唐突に、
『ミヤベ、君はこの作物を知っているんじゃないか?』
と告げた。郁の後ろでリカルィデが息をのんだ。
『……と仰いますと?』
(――ばれた、なぜ? いや、問題はどこまでばれたかだ。これが向こうの世界から持ち込まれたものだと知っている? それを知る私が稀人だということは……?)
心臓が鼓動を増していく。動揺を押し隠し、郁は平静を装って聞き返した。
セゼンジュにそんな郁たちを気にかける様子はない。『例の種子はシガの代替になりうる作物だ』とメモから目を離さないまま続けた。
『来年、再来年はおそらくシガが厳しい。代替できる可能性のある作物であれば、確実に手に入れたいし、できれば、栽培に取り掛かりたい。知っていることをすべて教えてくれ』
そこで、セゼンジュはようやく目を上げ、無表情を保つ郁をしげしげと眺めた。そして、『……ああ、そうか』と呟く。
『それで君をどうこう言うことはない』
そう言って、セゼンジュは肩を竦めた。
『君が、君たちがあれこれ噂されていることは知っている。だが、それがたとえ本当だったとしても、だからなんだ、としか思えないんだ。私たちも色々言われてきたからね』
茶色の髪の間からのぞく、グレーの目が弧を描いた。
『他者がどうであれ、私は私のすべきことをする。そういう人間でありたいし、君にも手伝ってほしい』
≪自分がすべきであると思うことをしなさい≫
(ああ、この人もリィアーレだ……)
郁が祖父から授けられた言葉とそっくり同じ内容を口にした彼に、郁は視線を伏せる。
トゥアンナの逃亡のせいで、こんなに優秀でいい人までも活躍する場を奪われていた。そう考えると、シャツェランがリィアーレ一族を招集したことは、彼らにとってもディケセルの他の人たちにとっても悪いことではないのだ、と初めて思えた。
個人的にはすごく複雑だが、それなら私も自分のすべきことをしなくてはならない、と郁は短く息を吐き出した。
『この植物が私の知っているものと同じであれば、水を蓄えた土地、水たまりのような場所で育ちます。専用の箱で種から苗を育てた後、春、用意した水たまりに数本ずつまとめて植え付けます。収穫は秋の初めですが、温かい環境下であれば、それぞれ時期を早めることができ、うまく行けば年に2回の収穫も可能かと』
『水生か……! 理想的じゃないか! となると、問題はやはり種子の少なさだな。ミヤベ、リバル村に行くんだろう? なんとしてでも探し出して持ち帰れ』
前言の通り、『なぜそんなことを知っているのか』と問わないまま、セゼンジュは『そうか、水生か……。おい、ガーメルを呼んでくれ。確かソヌマーイ川流域にもケケというのがあったはずだ』と一人呟くと、外套をひっつかみ、慌ただしく出て行く。
『ちょ、ちょっと待ってください、シガ、なんでダメになるんです?』
『蟲だよっ。メゼルディセルはまだましな方だっ』
慌てて追いかけた郁に、セゼンジュは廊下の遥か向こうから、叫び返してきた。
「……ねえ、リィアーレ一族って、微妙に変な人、多くない?」
「……それ、私も含まれる?」
「自覚、だっけ? ないの?」
続いて戸口から顔を出し、遠ざかっていくセゼンジュの背を見送ったリカルィデのしみじみとした呟きに、郁は口をへの字に曲げた。




