15-4.検索対象(リカルィデ)
『探したいのは、農作物、植物、外国との交易に関する書物及び記録です。セゼンジュ食料司長には既にお願いして、あちらでも心当たりを調べていただくことになっています』
『……あ、ええと、農作物と植物、は分かりますが、交易というのは』
『定着していないところを見ると、この土地に元々あった作物ではない可能性があると考えます』
『……』
『スムザさん?』
『え、はい、えええええと、ご、ごめんなさい、もう一度お願いします』
リカルィデの前では、宮部と蔵書師のスムザが探すべき資料について話している。
淡々としている宮部に対し、スムザは相変わらず心ここにあらずな様子。それもそのはず――同じテーブルには江間と、なぜか王弟とオルゲィがいる。まあ、ボルバナとアドガンが帰っただけ、ましと言えなくもないのだが。
『探し物、殿下も手伝ってくださるんですか?』
『お前たちが何をする気なのか、見ている』
『そのついでに手伝ってくださる――ありがとうございます』
『……勝手に決めるな』
ニッと笑いかける江間に王弟は顔を顰めるが、どこか楽しそうだ。
(エマってマジでどっかおかしいんじゃ……?)
先ほどよりはましになったとはいえ、王弟にまだ緊張しているリカルィデとしては、同じように隠し事を抱えておきながら、あんなふうに王弟と接することのできる江間の神経が本気でわからない。
『目当ての種子は国外から来た可能性があるので、交易の記録を』
『っ、あ、はい、そ、そそそうですね、農作物と植物と交易、あ、あとはリバル村のあるホトセルナ地方の歴史はいかがですか』
『地方史もあるのですか?』
『え、ええ、一部だけですが、確かホトセルナはあったかと…』
そう話すスムザの顔は、青くなったり赤くなったり忙しい。
青は王弟と、上役中の上役であり、自分の一族の長でもあるオルゲィの存在による緊張のせい。赤は……多分見目麗しい以外の表現がない王弟と江間が、目の前でじゃれ合っているせい。
『じゃあ、メゼルディセルの地方史もあれば、お願いできますか。あとは……コントゥシャ神殿の記録はどうでしょう? 地方の神殿が地域の文化活動の中心になってきたと聞いています。他の地域でも栽培されていたことがあれば、記録されている可能性があるかと』
リカルィデは宮部の様子を窺うが、彼女に変化はない。江間どころか、見事に王弟もオルゲィも無視している。あれはあれで神経がわからない。
(なんせエマもミヤベもいい性格をしてる……サチコ、私、そういう意味では孤独かも)
リカルィデはこっそりため息をついた。
『各地の神殿の記録は大神殿でまとめて管理されているので、ここには……』
『では、リバル村に行くついでに、大神殿に寄るといい』
『……』
これまで無表情を保っていた宮部が、微かに目を見開いてオルゲィを見た。視線が交わる。
『……では、その際に洗衛石と好水布の寄付をお持ちするのは、いかがでしょう』
『殿下のお名前で頼む。ボルバナには私から話しておこう』
微かな緊張が宮部から漂っている気がして、リカルィデは江間と王弟を窺う。江間は王弟と話して笑っているが、彼の空気も微妙に硬い気がした。
『そろそろ参りましょう、殿下』
『……』
宮部とスムザ、そしてリカルィデが目当ての書物を探しに立ち上がったのを機に、オルゲィが王弟に声をかけた。
その瞬間彼が課題を嫌がる子供のような顔をして、リカルィデは目を丸くした。江間は隠すことなく吹き出している。
『仕事が溜まってお困りになるのは、殿下ですが』
『……有能な臣下のアドバイスには、従うべきだな』
渋々立ち上がった王弟は『ああそうだ』と言って、リカルィデたちの方へと歩いてくる。
『……』
スムザと一緒にリカルィデも息をのんだが、彼の真っ青な瞳が射るように見つめているのは――宮部。
彼女も気づいたらしい。一瞬で二人の間に生まれた異様な空気に、リカルィデは顔色をなくした。助けを求めて江間を見る。
異常を江間も悟ったようだ。顔を固くして立ち上がり、こちらへと踏み出してきた。
だが、王弟は彼にかまわず宮部のごく近く、息の熱が伝わる位置まで来て、彼女を見下ろした。宮部は無言のまま、ひどく冷たい視線で彼を見返す。
『……』
王弟はその彼女に目を眇めると、顔を寄せ……、
『――稀人』
そう耳元で囁いた。宮部の目が鋭く尖る。
王弟は彼女へと顔を動かし、至近距離にあるその目を覗き込むと、『……の資料も探すといい』と付け加えた。
瞳に剣呑な光を宿したまま、宮部は横目に彼を捕らえ、口を開く。
『っ』
「っ」
瞬間、宮部の身体が傾ぎ、江間の腕の中にすっぽりと収まった。
目をまん丸にした宮部は呆然と彼を見上げた後、「……江間」と呟いたが、江間の目は王弟から逸らされない。
『ご助言感謝いたします。が、冗談…じゃないな、遊び?は無しで』
目が全く笑っていないという顔で江間が、目をみはっている王弟に笑いかける。
『……なるほど』
しばしの見つめ合いを解したのは、王弟の方だった。
『いつも一緒にいると聞いていたが』
『婚約したばかりで、一時であっても離れがたいので』
しれっと言い放った江間に、「は?」と思ったのはリカルィデだけではないようで、宮部が江間を見つめ、パクパクと口を動かした。
(ついこの間決まった「付き合っているふり」が、すぐ「付き合っている」ことになり、今日には「婚約」――明日はきっとエマとミヤベの結婚式だ……)
と思ってしまっているこれが、サチコの言っていた「ゲンジツトウヒ」というものなのかも、とリカルィデは顔を引きつらせる。
『……』
「……」
眉間に深い皺を寄せて江間と宮部を見比べる王弟と、相変わらず目だけ笑っていない江間。その二人のやり取りを見ているスムザは、今にも倒れそうな顔をしている。オルゲィを見れば、彼にも予想外だったらしく驚いた顔をしていた。
『というわけで、宮部に手を出さないでいただきたい』
『では、お前に手を出すのはありなわけだ』
『遠慮します。心から。色んな意味で。謹んで』
『どっちも嫌とはわがままな。一つぐらい差し出せ』
『殿下こそ。好きなように選ぶ、じゃないな、ええと、選びたい放題? のお立場でしょう。欲張りすぎると、なんだっけ? 噂?評判?に関わってくるのでは?』
『欲張りだからこそこの立場にいる。というか、お前は『謹んで』の言葉の意味を調べ直すといい』
にこやかに、軽い調子で会話を再開させた江間と王弟にリカルィデはついていけない。雰囲気的にも内容的にも。
江間の腕の中の宮部を見れば、とっくに立ち直っていた。うんざりした顔を隠そうともせずため息をついて江間の腕を外すと、無表情に姿勢を正した。
『……そういう台詞は、一人ぐらいお娶りになってから仰ってください』
ため息を吐いたオルゲィに、『お話は山のように来ているでしょう』と心底呆れたように言われて、ようやく王弟は嫌そうな顔で口を噤んだ。
『……』
子供のようなその顔にリカルィデは目を瞬かせる。雲の上の方だと、恐ろしいと思っていたのが少しだけ和らいだ。
『リカルィデと言ったな? 本は好きか?』
『は、はい』
『では、今回の調べものに関係なく、ここに出入りする許可を与えよう』
『え』
去り際の王弟にかけられた思いもよらぬ声に、リカルィデは呆気にとられた。
金の長い睫毛に縁取られた、大粒の青色の瞳――その色が自分のものとひどくよく似ていることに気づく。
『あ、りがとうございます』
緊張で声を上ずらせながらなんとか返せば、彼は小さく笑って通り過ぎていく。背後に続くオルゲィと一瞬目が合い、『励みなさい』と声をかけられた。
『……』
サチコが王弟を頼れと言った理由が、少しわかった気がする。
リカルィデは振り返ると、堂々とした足取りで入り口の扉へと遠ざかっていく“叔父”の背を見送った。




