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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第28章 旧知 ―バハル―
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28-15.解放

 徐々に周囲が明るくなってきた。夜明けはもうすぐだ、そうなれば、光も自分たちに味方してくれる。

 ゆっくりとこちらに移動してくる“切り裂くもの”の遥か後ろで、十名程度のバルドゥーバ兵が、台地上に続く、滝横の階段と走り出したのが見えた。上の騒音はまだ止まない。戦況はどうなっているのだろう。

『みんなと一緒に行って、ギリク』

『でも、ミヤベ……』

『応援が来るまで、もしくは朝日が昇るまで時間を稼ぐだけだ。守りながら戦うのは余計難しい』

『……わかった。気を付けて』


 遠ざかって行く足音を聞きながら、郁は懐の袋からレーザーポインターを取り出す。ついでに、祖父の形見の首飾りを首にかけ、左腕の腕輪を露出させた。祈るような気分だった。

 郁はポインターのスイッチを入れ、赤いレーザーを先頭の“切り裂くもの”の片眼に照射した。歩みが止まる。続いて左の鎌で、顔の前を撫でるような仕草を始めた。徐々に動きが激しくなる。

 もう一つの目へとレーザーの照射先を移す。その瞬間、それは大きく右の鎌を振りかぶり――横にいた“切り裂くもの”にあたった。

「ギャアアアアアアア」

「ギャギャギャギャギャ」

“切り裂くもの”が、互いを攻撃しだした。坂の中途から、逃げ出したバルドゥーバ兵が驚きの混ざった罵声を発している。


 “切り裂くもの”は鎌と腹を突き合わせ、口吻を伸ばしたり広げたりして相手の体の一部を食らおうとする。絡み合う数がどんどん増えていき、やがて巨大な球体になった。

 次第に、玉から脱落し、地に倒れ伏す影が増えていく。

 最後に残ったのは、ひときわ大きな影。仲間の屍の上にうずくまり、口吻を伸ばし、じゅるじゅると音を立てている。


 朝日が地平線から顔を出した。

「……」

 赤みを帯びた光に照らされたそれは、全身血に染まっていた。

 朝日から逃げるように木の陰に隠れ、二つの目玉をバラバラに動かして、辺りをうかがっている。二つの玉がやがて郁を見て、停止した。

「ギジャジャジャジャジャジャッ、キシャーっ」

 郁が担当していた個体だ。恨みつらみがあるらしい。

 陽の光にもめげず、距離を詰めてくる“切り裂くもの”に、ごくりと音を立ててつばを飲み込むと、郁はスオッキと剣を構えた。

「っ」

(――右)

 化け物が振り下ろしてきた鎌を、跳躍しながらなんとかよける。

(――尾、次はまた右、左)

 立て続けの攻撃を、目の動きを見て予測してかわす。だが、まったく近寄れない。

 あの個体は弱っているはずだ。太陽ももう登る。だが、それまで体力は持つだろうか。


 尾の攻撃をかわした瞬間、来ないはずの右の鎌が郁の左脇を襲った。

「……っ」

 スオッキで鎌を挟むと同時に、逆の手の剣でそれを支えた。衝撃を減殺しつつ、力の方向へと受け身をとって転がる。

 右の鎌が立ち上がった郁の首を狙ってきた。身をかがめて外側へとかわすと、郁は左の足を軸に反転し、跳躍すると剣を振り上げる。それの右目へと力いっぱい突き刺した。

 いつか惑いの森でも聞いた絶叫が響く。


(っ、しまった……っ)

 だが、それがのけぞった拍子に、目に刺さった剣から手が離れてしまった。

 その瞬間、尾が下から飛んで来た。

 スオッキを両手で掴み、腹部をガードしたが、減殺し切れない。スオッキごと体を薙ぎ払われ、吹っ飛ぶ。

 背から地に落ち、全身に痛みが走ったが、内臓や頭への動けなくなるようなダメージはない。呼吸を整えて痛みから目を逸らしながら、なんとか立ち上がった。

 ゆらりと殺気がこちらに向いた。片方の目から剣を生やし、血の涙を流しているそれの口の両端がにぃっと上に吊り上がる。鎌が振り上げられ、郁を狙う。

(よく見ろ、失敗すれば死だ――)

「っ」

 汗で滑りそうになるスオッキを握り直し、鎌を受ける。衝撃を殺しながら、三本刃の本刃と側刃で鎌を挟み、軌道を逸らした。円を描いて鎌からスオッキを抜き、化け物の側部へと回り込む。右手を添えて、がら空きの脇腹にスオッキを突き立てた。

「っ、はい、れ……っ!」

(鱗が薄いここであれば、刺さるはず……っ)

 全力でスオッキを押し込み、刃渡りがすべて埋まったそれを、今度は全体重をかけて押し下げる。

 じゃりじゃりっという音と共に鱗が飛び散り、化け物の脇腹が一気に割けた。血しぶきと共に、ひものような物が飛び出し、絶叫が響く。

「……」

 膝が地面についた瞬間、右頭部に風圧を感じた。

 飛び後退ろうと足に力を込めたが、自分の動きも周囲の光景の変わり具合もひどく遅い。

 東雲色の空を背景に、白い弧が煌めき、郁へと飛んでくる。

 それも信じられないくらいスローだった。弾かなくては、と思うのに、体の反応も鈍い。

 頭の中で、祖母がひどく辛そうな顔で何か呟いた。

 祖父が厳しい顔で何かを言っている。

 眉根を強く寄せたシハラが何かを指さした。

 彼らが何を伝えようとしているか、読み取れないまま、皆消えてしまう。

 次いで、浮かび上がってきたリカルィデが顔を歪めて叫んだ。

 その横で優しく笑っていた江間が郁を視界に入れるなり、顔をひどく歪ませ、口を開く――。


「っ、あやーっ!」


「っ」

 名を呼ばれ、郁がびくっと体を震わせるのと、“切り裂くもの”が鎌の軌道を自らの目へと変えたのは同時だった。咆哮が響く。

“切り裂くもの”は、狂ったように鎌を動かして、赤い目に刺さる何かを払おうとする。郁の剣と――矢だ。

「っ、江間……っ」

 その向こうから凄まじい速さで走ってくるのは、本当に彼だった。


 走り寄ってくる彼へと向き直りながら、“切り裂くもの”はその丸太のような尾を振るった。

 直撃すると思って蒼褪めた郁の前で、彼はダンッという足音を立てて静止し、尾の攻撃をぎりぎりでかわした。

 そして、数歩助走をつけて跳ぶと、最上段から刀を“切り裂くもの”の無事な方の目へと振り下ろした。ゾブリという音と共に、また咆哮が響く。砂の大地に血飛沫が降り注いだ。

 着地と同時に、左の鎌が江間に振り下ろされた。江間はそれを見切ってよけると、その付け根を刀で切り払った。

 白銀に輝く鎌が朝日に煌めきながら回転し、郁の目の前の地面に刺さった。


『エマっ、離れろっ』

『掃射っ』

 虹色に光る矢の雨が降り注ぐ中を、身をかがめながら江間が郁へと走ってくる。泣きそうな顔をしている。ちゃんと見ていたいのに、視界が滲んでくる。

「っ」

 体が浮いた。そのまま“切り裂くもの”から、離れていく。

 彼の肩越しに、全身から矢を生やしたそれが崩れ落ちるのが見えた。何人ものグルドザが、なお悪あがく鎌や尾を掻い潜り、それに剣や槍を突き立てる。

「……っ」

 その瞬間、郁は自分を抱える江間へと顔を押し付け、全力で抱き付いた。


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