26-6.シャツェランとゼレゥチェ
オルゲィの部屋を出てすぐ、案の定というか、ゼレゥチェの従者が郁に気付き、どこかへと走り去った。すぐに、ゼレゥチェが姿を現す。
『ご一緒してもいいかしら?』
それでも毎回律儀に確認してくるのが、彼女だ。郁は苦笑を漏らすと頷き、並んで歩き始めた。
『書物棟に行きます』
『なにか調べものですか?』
『鳥です』
『鳥? 鳥の何を知ろうとしているのですか?』
ここで『なんで』ではなく、『何を』と聞いてくるところが、郁が彼女を好む理由だ。つい微笑めば、目が合った彼女も、藍色の瞳の収まる目をほころばせた。
(かわいいよなあ)
しかもものすごく。口さがない連中が、他の妃候補と比べて、容姿が劣ると噂していることを知っているが、一度彼女と話してみればいいのに、と思う。人と話しながら、彼女は表情を豊かに変化させる。そこに見える感情は、いつも素直で率直で、可愛い以外の形容がない。
『人に懐く種がいないかと思いまして』
『懐く……家禽としてなら、卵をとるホロロ鳥、羽毛をとるダフェ鳥、肉とするカガロ鳥とニッケ鳥、ペットとしてなら、カナキー鳥とロックル鳥……』
『カナキー鳥とロックル鳥は、どんな鳥ですか?』
『カナキーは』
『――アヤ』
姓ではなく名を呼ばれて、郁は眉根を寄せると、足を止める。横のゼレゥチェが『アヤ?』と繰り返しながら、振り返った。
『……シャツェラン殿下』
『ゼレゥチェか』
びっくりしたように彼の名を呼んだゼレゥチェに、シャツェランはシャツェランで驚きの表情を返した。
『遊びに来たいと言った割にまったく顔を出さないから、何をしているのかと思っていた。ア、ミヤベと一緒だったのか』
『……はい、色々案内してもらったり教えてもらったり、本当によくしてもらっています』
『こいつのことだ、どうせおかしなことばかり言ったりやったりしているだろう? 無礼な真似はしていないか?』
にやっと笑って郁を指さしたシャツェランに、ゼレゥチェは目をみはると、『無礼なんてとんでもないです。むしろ私の方こそ迷惑をかけていて……それに、驚くことは確かにありますが、すべて理にかなっていて勉強になります』ともごもごと返した。
『……そうか』
彼女の答えにシャツェランが柔らかく笑ったことに気づいて、郁は眉を跳ね上げる。
旅の間、様々な女性たちに接している彼を見たが、こんな風に笑うのを見たことがない。対するゼレゥチェの方も顔が赤いように見える。
「……」
ゼレゥチェはシャツェランに興味がないのかと思っていた。だから、自分と一緒にいるのかと。だが、そうではないのかもしれない。
考えてみれば、ゼイギャク・ジルドグッザが政略のために自分の身内を無理にシャツェランに嫁がせる必要はない。彼自身も彼の一族もシャツェランから絶対的と言っていい信頼を得ている。個人的にもゼイギャクやその奥方様が自分の野望のためにその気のない娘に無理強いするとは考えにくい。
『最近はスオッキはしないのか?』
『ええと、やっています、けど、内緒にしてください。兄たちがいい顔をしないのです』
『八歳ぐらいの時だったか? 私に稽古相手になれと言ってきた時の威勢はどうした?』
『あれは、その、本当に失礼なことを……できれば忘れていただきたいと』
からかうように笑っているシャツェランと、恥じらうゼレゥチェの様子を見ながら、なるほど、王都セルにいた時の知り合いだったのか、と郁は合点する。
そして、シャツェランがまったくの孤独だったわけじゃないと知って、少し胸をなでおろした。
実のところ少しだけ罪悪感があった。昔シャツェランは郁ではなく妹を信じて郁を嘘つき呼ばわりし、郁のみならず祖父コトゥドを罵倒した。それに激怒して郁は彼と縁を切ったのだが、頭を冷やした後にでも一度くらい話すべきだったんじゃないか、と。
(まあ、そうは言っても、夢を繋いでいたシャツェランが望まない限り私にはどうしようもなかった……)
「……」
郁は息を止める。彼が望まない限り、どうしようもない……?
『アヤ』
「っ」
昔のように名を呼ばれて、郁はびくっと体を震わせた。目が合った先の瞳の色も当時と同じで時がわからなくなる。
『ついて来い』
「……誰が無礼だって?」
呆けていたところに行く先も告げず命令されて、思わず日本語が口をついて出た。
そして、不幸なことにそれはシャツェランに通じたらしい。その整った顔で思いっきり睨んできた。
『「シノゴノイウナ」――だったか』
「……」
彼の日本語も郁に通じた。あからさまに顔を顰めれば、シャツェランが『ただでさえひどいのに、見られたものじゃない顔になっているぞ』とふき出して、ムカつきが倍増した。
だが、相手はこの城の主だ、抵抗してもどの道ろくなことは起きない、と肩を落とすと、シャツェランに背を押されて郁は渋々歩き出す。
『悪いが、こいつを借りていく。またな、ゼレゥチェ』
『あ、はい。ご機嫌、よう……』
「?」
(あれ、ついてこない。というか、元気が……)
『走れ、捕まる』
足を止めてゼレゥチェを振り返ったが、角の向こうから鈴を転がしたような可愛らしい笑い声が複数響いてきたことで、シャツェランに背を押し出された。
『捕まる、かぁ。王子さまも大変だね……』
『だから、憐れむなって言ってるだろ! 失礼極まりない!』
そうして人気を避けるようにして、城の外郭外側、圃場のある裏門へと二人で走り出した。
裏門には近衛のグルドザたちが六名ほど待機していた。
「……」
(つまり私を見つける前から計画していた……何を?)
シャツェランの後に続いて郁も門をくぐりながら、シャツェランの意図を測る。
ひょっとしてついに処刑されるんだろうか、という疑念が湧いてきて、半分本気で逃げる方法を考えていれば、シャツェランは圃場にいた食料司官を捕まえて今年のシガの植え付けについての話を始めた。
二メートル越えの大柄な中年の食料司官から、この圃場でも大型の土蟲は出たが、ほぼ駆逐されたから問題はないはずということと、今年は収量の多い品種と病気に強い品種をかけた、雑種第一代のシガを植え付けてみるということを聞いた。
作物だけではなく、家畜でも雑種第一代は親の形質のいいとこ取りをできるのかと問われ、やってみなくては分からないが可能性はあるはずだ、と答える。
『おーい、ミヤベっ』
『ゴデゥヌ、久しぶり』
遠くから声をかけられて、郁は手を振り返す。
『鉄処に声かけてくれたんだって? こないだ、鉄師が来て相談に乗ってくれたんだ。犂を鉄で作ってみてくれるって。剣に使うような質のいい鉄じゃないって言ってたけど、俺たちにゃ十分すぎる』
ゴデゥヌは満面の笑みで駆け寄って来て、『鉄の生産量が上がったって聞いたけど、こっちにもおこぼれが来るとはな』と言い、郁の手を握って『ありがとうな!』とブンブンと振り回した。
食料司官は長を始めとして職務に熱心な人が多い。で、まわりをあまり見ない。
『え、殿下!? 失礼しました』
咳払いしたシャツェランにゴデゥヌはようやく気付くと、慌てて跪礼をとった。
『犂を鉄製にするというのは?』
『犂の性能と効率が一気に上がります』
農業の観点中心に物を見るのも長と同じだ。郁は苦笑しながら、ゴデゥヌの説明を補足する。
『それを可能にしたのが「鋳鉄」、液体状の鉄です。従来のものと比べてもろいですが、型どりをしたり思い通りの形に加工したりしやすいですし、いざという時は集めて再度炉にかければ……』
『武器に鍛え直すこともできる、か』
『できればそんな使い方はしたくありませんが、平時に使えない武器として置いておくより有効活用できるかと』
バルドゥーバが侵攻してくるようなら、武器となる鉄は貯めておくほうがいいだろうし、と郁は顔を曇らせる。
『いずれにせよ食糧の増産は絶対善です』
一方のゴデゥヌはシャツェランに向かってそう胸を張った。陽気な空気に愁いを忘れて微笑む。
彼のこういうところは江間と似ている。そのせいだろう、二人が顔を合わせるといつもひどく賑やかになる。
『農具の改良に新しい作物の探索と普及、土蟲の駆除、食料司の昨今の働きを私を含め皆が注視している。引き続き励め』
くすくすと笑い続ける郁を横目でちらっと見た後、シャツェランはゴデゥヌにねぎらいの言葉をかけ、歩き始めた。
『またな、ミヤベ。今度家にエマと一緒に遊びに来いよ。かみさんが出産祝いにもらった好水布の礼を言いたいってさ。赤んぼの世話すんのに最高だって』
去り際の言葉に頷くと、郁はシャツェランの後を追った。




