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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第25章 狐狸 ―バルドゥーバ―
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25-5.蛇宰相

『宮宰どの、ご機嫌麗しく』

『宰相閣下におかれましても、ご壮健のご様子、お慶び申し上げます』

 入室する福地と入れ替わりに女王の執務室から出てきたのは、宰相だ。


 惑いの森からこの国に至るまで、随分と世話になった。彼が福地に与えてくれた情報は、福地がこの国でやっていくためにひどく有用なものばかりだった。福地が女王からの寵愛を受けるよう仕向けたのも、元は彼だ。

 徹底して現実的で戦略的、そして冷酷――政敵の排除の際などで、その性質が顕著に表れる。

 佐野と息子の婚姻を進めようとしていた政敵のアゾルヴァイ家を貶めるために彼がとった手段は、彼の性格を反映して完璧だが、同時にひどく露骨で残酷なものでもあった。

 アゾルヴァイ家の資産と人を狙い、そちらに目を向けさせる裏で、佐野を処刑するための布石を打ち、気付いた時には陽の位、女王の伯母の嫁した家であっても抵抗することができない状況を作り上げた。


≪サノに手を出すなっ≫

 元はグルドザだったという老い始めてなお精悍なこの宰相に向かって、彼が追い込んだアゾルヴァイ家の三男、テュオル・アゾルヴァイが激昂していたこと、それを見て宰相が薄笑いを浮かべていたことを、福地は思うともなしに思い出した。

 サノの相手のテュオルは、線の細い二十代後半の男で、思慮深い性質の穏やかな人のようだった。自分たちにつけられた世話人のほとんどは、福地の世話人のイォテビを含め、稀人に接することに何かしらの野心を持つ者ばかりだったのに、彼だけはその役目を厭うているように見えた。

 何度か話したが、知処に所属していたことが示すように、知識欲の強い学者肌の男だという印象を持っている。

 一方でひどく面倒見のいい性質だったようで、菊田同様にこの国に中々馴染めなかった佐野を根気よく諭していたのも知っている。

 いつから佐野との婚約するような仲になったのかは知らない。だが、いつだったかの夜会で佐野を見る彼の表情が、宮部を見る江間の顔に重なって、驚いた記憶がある。江間と違って、物静かで本にしか興味がなさそうだったのに、と。

 佐野の処刑が噂されるようになってからの、アゾルヴァイ家の、特に彼の抵抗はすさまじかった。福地も何度も相談を受けたし、女王への嘆願もあったようだ。『あのおとなしいのがのぅ……』と女王が意外そうに呟いたのを、福地は聞いている。


≪どうしても彼女を連れて行くというのなら、私も一緒に連れていけ……っ≫

 処刑の前日に、佐野の元へ兵が差し向けられる段になった時には、グルドザたち相手に体を張り、怪我を負ってなお一歩も引かなかった。およそ暴力などとは無縁、叫ぶことすらなかった人生だっただろうに、無駄なことがわからない頭ではないだろうに、血まみれになりながら、意識を失うまで。


 大学で四回生になった頃だっただろうか、何かの飲み会の二次会の帰りに、宮部に対する不埒な試みを面白半分に話している連中がいた。孤立している宮部であれば、誰にも訴えられないだろう、と。

 それを耳にした江間の顔からは、血の気が一瞬でなくなった。続いて恐ろしい形相で、言い出した人間を無言で殴り倒す。周囲皆が押し黙り、数人の女子が泣き出したが、普段の江間ならあり得ないことに、彼らにも一切気を払わず、倒れた男の髪を鷲掴みにして引きずり起こすと、「もう一回口にしてみろ。まともに歩けない体にしてやる」と言い放った。そして、一緒に笑っていた連中を「冗談とか酒が入ってたとか、くだらねえ言い訳すんなよ? お前らもよく覚えとけ」と殺気を込めた目で睨んだ。

 その時の江間と違って、テュオルに勝ち目はどう見てもなかったのに、それでも彼らは同じ目をしていた。どこか狂気を感じさせる、だが、信念も見える、不思議なものだ。


 処刑の場で佐野がドルラーザに呑まれて死んだという公式の話を聞かされたテュオルは、自殺を試みたという。

 不憫に思ったのか、それともアゾルヴァイ家の反目を考慮したのか、女王は彼に自分のバハルの別荘への滞在許可を与え、今彼はそこで療養している。

 一連の彼の行動は、やはり江間を思い出させる。非合理的で非論理的。全く理解できない。


『そういえば、ディケセルから帰ったテラシタと既に歓談をすませたと。やはり稀人は稀人同士、というところかな』

『宰相閣下にも、既にご報告が済んでいる件かと』

『人払いをしてニホン語で話していたと』

『やむを得ぬ、こととはいえ、亡くなったと、改めて確認したのは、同郷の友人です。しのぶ、には、ディケセル語では、足りぬこともございます』

(監視していることを隠そうともしない)

 自分の優位を確信している人間の行動だ、と分析しつつ、福地は悲しそうに見えるはずの微笑を顔に浮かべて見せた。そして、そっと顔を伏せる。


 この男は頭が切れる。権力の使い方も知っている。だが、自分以外の人間が感情を持つということを、あまりに軽視し過ぎている――。

 他者の感情を読む力を欠いて生まれてきたわけではあるまいに、それを自ら捨てる愚かさが、福地には信じられない。

 今もそうだ、暗に同胞の佐野を悼んでいるとほのめかした福地には、同情の視線が集まり、宰相には嫌悪が集まっていく。

 彼はやりすぎるのだ、アゾルヴァイ家、テュオル・アゾルヴァイにそうしたように。

 そして、募った嫌悪はいずれ憎悪となり、静かに彼の場所を蝕んでいくのに、そこに考えが及ばない。賢いが驕り過ぎている。


『同郷人が恋しいのであれば、それこそテラシタと』

『――陛下がお待ちです』

 女王の侍従が扉を開けて、宰相を遮った。

『では』

 福地は柔和な笑みを浮かべ、その大きな扉の向こうへと足を踏み出した。

『待て。家畜小屋だのなんだのへと、人をやっているそうだな。肥溜めを熱心に探っていると――高貴なる稀人さまが一体何を考えている?』

『食糧を増やします。昨年も今年も、きょうさく、が予測されると。肥に含まれるものが、植物の生長には、役立ちますので』

 福地は背後からの声に振り向くと、宰相の白眼の目立つ瞳を見つめた。

 暗いバルドゥーバ城の廊下で、彼のぎょろついた眼はひどく目立った。

(ここまで嫌われる覚えもないんだけど……)

 彼から向けられる強い感情を憎しみであると判断すると、見た目とその執拗さから彼が蛇宰相と呼ばれていることを実感する。

『そんなものは、奪えばよかろうに』

 嘲笑われて、福地はただ微笑を返した。

 そこは同意する――であれば、気づけばいいものを。目的は食糧増産などではないと。


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