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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第25章 狐狸 ―バルドゥーバ―
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25-4.陥穽

 寺下と一緒に部屋を出、女王の待つ部屋へと続く螺旋階段で、彼女と別れのあいさつを交わす。

『……大変ね』

 彼女のその表情にも、変化が生まれていることに気づく。今までは眉根を寄せた悲しそうな顔、名残を惜しむと呼ばれるような表情だったのに、今回は同情や蔑みがあるような気がする。

 なんにせよ愚かなことに間違いはない。そんなセリフを誰の目があるかわからないこの場で言ってしまうこと、そして、寺下程度の能力で福地を見下していること――。

『忙しいけれど、充実しているよ』

 気付かないふりをしながら、福地は幸せに見えるように微笑み、階段に足をかけた。


「……」

 上に上がっていく自分の足音と、下っていく寺下の足音が真っ黒な石でできた階段の壁に反響して、実に耳障りだ。


 そこから意識を逸らすべく、福地は寺下の脳内を量る。

 なんとなく見えてきた。

 寺下はディケセル、いや、メゼルディセル領主シャツェラン・ディケセルに傾倒しつつある。おそらく宰相ともうまくいかなくなっているこの国ではなく、彼の下に移りたいのだろう。

 それゆえに、彼の下にいる宮部が気に入らない。宮部の存在を隠すのも、菊田や佐野に対してやったように、多くの者が彼女を認知する前に消してしまいたいからではないか。

 ――その程度の思考が寺下にはせいぜいだ。

「……あれでよく僕を見下せる」

 クスリと福地は笑いをもらした。


(だが、エンバとリィアメについては、寺下の邪魔を脇に退けて、もう一度考える必要がある……)

 こっちはおそらく寺下とは比較にならない脳の主が、作意を持って関わっている可能性が高い。

 鍵はあのウフェルが一目も二目も置いている、メゼルディセル領主だろう。

 彼は最初から稀人を稀人でない存在として、獲得したかったのではないか。セル、ひいてはバルドゥーバに奪われないために。

 そのために、彼は独自にあの森に人を潜ませた。その者たちがイェリカ・ローダに遭遇した宮部を救い、森を抜けて、メゼルディセルに連れて出る。ディケセルの応接使に入り込ませた双月教の神官が襲われたのは、多分その過程のことだ。

 メゼルディセル領主はそうして得た宮部の性別を偽り、バルドゥーバが厭う民族の出自とよくある名を与えて、彼女の素性を隠しつつ、リィアメは言葉に困っていないという嘘の噂を流した。

 彼女のサポートにつけられた神殿の日本語話者エンバ――彼の名はおそらくバルドゥーバを攪乱するためのフェイクだろう。宮部の知識を利用していく中でメゼルに稀人がいるのではないかと疑われた場合、人々は真っ先に福地なり寺下なりにその確認を求めるはずだ。話を聞いた福地がそうだったように、エンバという名の響きから福地たちは彼こそが江間ではないかと推測する。だが、実際には違う。一度疑いを拭ってしまえば、その周囲には目が行きにくい。

 メゼルディセル領主が宮部をしばらく僻地の村に置いていたのも、稀人ではなくイゥローニャ人だという触れ込みを、周囲に印象付けるためなのではないか。少数民族であれば、少々この世界の常識に疎かったり、変わった行動をとったりしても、素性を疑われにくい。バルドゥーバ人のイゥローニャ族への拒否感は、かなりのもののようだから、軽々しく手に入れようと画策させないため、という意図もあるかもしれない。


「……」

 福地は小さな窓しかないバルドゥーバ城の薄暗い階段で、夜の惑いの森へと思いを馳せる。

 あの晩、佐野の案内でトカゲの背に乗って着いた場所では、巨木が月明かりに照らされていた。周囲におびただしい量の血が広がり、幹には血塗れの宮部の髪と、江間の大きな手形があった。五指の鮮やかなその手形の血痕は、そのまま下へと軌跡を描いていた。彼女をかばい、そのまま崩れ落ちたかのように。

「江間君じゃ、なかったのか……」

 寺下と会うまで確かにあった奇妙な高揚感が消え、失望というような感情が沸き上がってきたことに、福地は驚く。そして、自分は江間に生きていてほしかったのだ、と気づいた。


 自分で国を作りたい――その野望に対する江間と宮部の価値は、それぞれメリットとデメリットがあるが、予測可能な分、宮部の方が福地にとってはむしろ好ましい。

 だが、福地は江間のほうにより強い興味があった。彼は福地にないものをたくさん持っているように見えた。


≪宮部がここのところ来ていないんだ。福地、何か知っているか? 連絡先、知ってるか?≫

 大学三年の時だった。何が起きても余裕な感じで笑っているのに、あの時の彼は見たことのない顔をしていた。焦燥と言われるものだったように思う。

 一週間後ぐらいに宮部が大学に来たのを見た時、彼が嬉しいのか苦しいのか泣きたいのか、判別できない顔を一瞬したのも見た。

 そのすべてが福地には理解不能で、それゆえ未知そのものの“感情”だった。

 福地は相も変わらず、ウフェルに対して江間の宮部への態度を、表情を真似ている。その度に彼が何を思っていたのかと考えてしまって、だが理解できなくて、自分はやはり何かが欠けていると思い知らされる。

 あの非合理的で非効率的で論理も何もなく、際立って賢いはずの江間をただの愚か者にし、死に追いやった、あのおかしな感情――江間が生きていてくれれば、いつか答えが分かったかもしれないのに。


(……宮部さんに接触すべきだろうか)

 女王のフロアに足を踏み入れながら、福地はぼんやりと考える。生きているのが江間だと思った時はそうすべきだと思ったのに、彼女に関してはそこまで思えない。

 メゼルディセルがこれまで目立った変化を遂げていないこと、そして、宮部の、他人と関わりたがらない、物静かな言動を考えるに、彼女はこの世界で積極的に知識を活用していく気はないのではないかと思う。となると、彼女が福地の脅威になることはおそらくない。江間がいない今、放置してもかまわない気がする。


 江間が見つめ続けていたその宮部は、エンバという江間によく似た男と共に行動していて、婚約もしたと寺下が言っていた。

 宮部は江間とタイプは違うが、やはり福地より頭のいいところのある人だった。彼女の行動はいつも冷静かつ論理的で合理的。なのに、福地には彼女も時々理解できない。彼女を置き去りにした寺下たちをわざわざ助けに行くなどという愚行は、その最たるものだ。

 江間を避け続けていた宮部が、なぜ嫌っていた彼と似た男と婚約するに至ったのだろう。

 ひょっとして、メゼルディセル領主はそれを狙って江間に似た男を宮部の世話人としたのだろうか?

 死んだ江間が、もしその宮部を見られるとしたら? 彼は一体何を思うのだろう――聞いてみたい気がした。


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