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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第25章 狐狸 ―バルドゥーバ―
193/255

25-2.唯一

 バルドゥーバ人にとっての不幸である寺下と宰相のそんな失態は、だが、福地にとっては好機だった。

 痺れを切らした女王の命により、福地に疫病対策の権限が移されたのが、昨年静中の期。福地は流行り病の罹患者を王都郊外の荒地に隔離させるよう徹底し、感染拡大を抑え込んだ。

 一方で、貴族などのうち、価値のある者については救って恩を売り、そうでない者は見捨てた。ワクチンや薬がなくとも、胃腸炎の症状を呈する流行り病なのだから、経口補水液を飲ませ続ければ、よほど弱っていない限り、いずれ治る。自分の味方にしたい者には経口補水液を、邪魔もしくは役に立たない者については、ただの水を飲ませた。

 そうしてこちらの世界での最初の年が明けてしばらく経つ頃に病は終息したが、貴族にも死者が出るほどだ。結局、城下町で五から十人に一人が死に、奴隷に至ってはもはや被害の把握すらできなかった。


 疑惑と恨みの目は、宰相より誰より寺下に向いた。そうなるように仕向けたのはもちろん福地だ。佐野――“神聖な音楽を紡ぎ出す稀人”を弑した結果、彼女を遣わした神の怒りを買ったのだと噂を流した。

 寺下は失態を挽回し、汚名を濯ごうと、以前に増して稀人であることを振りかざし、国のあれこれに嘴を突っ込み出した。だが、そのどれもが微妙な成果にしかならず、ついには宰相に疎まれるに至った。

 挙げ句、佐野が生きてディケセルで保護されているという噂を聞き、焦ってコントーシャ大神殿を訪ねて行ったわけだ。


 福地も大神殿を探ったが、噂の人物は神殿の奥深くに匿われ、接する者もごく限られており、それが佐野かどうか判断できなかった。

 だが、今の状態では、バルドゥーバの権威を失墜させるために、彼女を利用されることもないだろう。

 動きがない限り放っておくつもりだったが、寺下がその稀人疑惑のある者を見つけて殺すのであれば、それはそれで悪くないと思って放っていたのだが……。


『テラシタさまでしたら、昨夜お戻りになったと。早速面会の申し込みが来ておりますが、お会いになりますか?』

『……今日の降の四刻は、空いていたかな?』

『承知いたしました』

 寺下は面倒だが、メゼルディセルのリィアメとその妹が大神殿に縁ある者であれば、なにか情報を掴んでいるかもしれない。


 部屋から出て行くイォテビを見送り、福地は机の上に積み上げられた書類を眺めた。

 ディケセルの文字は福地の目には、蔓草が絡まっているようにしか見えない。

 習ってはいるが、日本語と同じレベルというわけにはいかず、必要な場合はイォテビなどに解説を頼むことになるが、それがリスクの伴う行為だということを、福地は誰より良く知っている。何より最終目標――あの女王の目を掻い潜るためには、文字の習得が必須だ。


「江間君が生きている……」

 母国語とは似ても似つかないその文字を指でなぞりながら、福地は独り言をつぶやく。

 生きていたと知ると、確かに彼が死ぬはずがないという気がしてくる。

 自分の野望を考えれば、宮部が良かった気がする。ごく優秀で、常に冷静、波風を立てない分別もある。彼女の親は言語学者で、それゆえ彼女自身片手を超える言語を不自由なく使えるとも聞いた。彼女であれば、この文字もすぐに扱えるようになっていただろう。

 寺下などと違って、福地の手のひらの上というわけにはいかないだろうが、彼女が福地の足を引っ張ることは想像できない。それどころか助力も見込めるし、女王ともそれなりにうまくやるだろう。向こうで彼女はずっと一人だったが、必要な時は福地を含め、誰とでも協力できる人だった。


 その点、江間だと福地の計画に狂いが出る。まず、女王とうまくやり過ぎるくらいにうまくやるだろう。寵愛は確実に福地から江間に移り、それに伴って権力も、福地の元から去っていく。

 福地が対立しつつある宰相とも、彼のあのコミュニケーション能力ならうまくやれるはずだ。優秀さに加えて、皆が口をそろえて褒めたたえる容姿のせいで、妬み嫉みの対象となることも珍しくないようだったが、時にうまくいなし、時に軽くやり込めて、問題が起きないようにコントロールしていた。


≪福地は、嫉妬とか、あんましないタイプだろ? 一緒にいて気楽だ≫

 ――「嫉妬」をしないんじゃない、「嫉妬」が何なのか、わからないんだよ、江間君。

 そう口にすることができず、ただ曖昧に微笑んで見せた福地に、江間は分類不明の顔で笑った。

 その後、彼がその顔を時々――相手は宮部のことがほとんどだったが――していることに気付いて、いわゆる“屈託のない笑い顔”と形容されるものだったと知る。

 福地にその顔で笑いかけてきた人は、後にも先にも江間しかいない。それは世界が変わっても同じだった。


(なら……この世界で、彼がいれば?)

 そう思いついた瞬間、鳥肌が立った気がして、疑問に眉根を寄せる。何か妙な感覚があった気がする。

 思考に集中しなくては、と福地は頭を振った。

 問題は権力――今バルドゥーバ宮宰として福地が握りつつある、この世界における権力は、いずれ福地ではなく、江間に行くだろう。

 福地は自分の思い通りの国を作りたい。整った国土、街があり、そこでちゃんとした人々が、福地の指示に従って、分を弁え、自らの責任を福地の期待通りにこなし、整然と存在している、理想の国家だ。そのためにウフェルを利用して、その土台を築く。

 だが、江間が同じ目的を持ってくれるなら……? 見せかけ上、上に立つのは自分でなくていい。いや、むしろ、それが最も理想的なのでは?


「江間君、連絡を取りたいな」

 奇妙な高揚感に包まれ、福地は知らず口の端を上げる。

 戦略の練り直しはいるが、江間がいるのであれば、むしろ野望の実現は早まるはずだ。

 江間が稀人だということが隠されているのは、神殿もしくはディケセル王弟の指示だろう。つまり彼らは稀人に権力を持たせたくない。

 であれば、江間は福地の“理想の国家づくり”という目的に賛同するはずだ。優れた自分たちが未開の民を導くと同時に、自分たちの自由と安全を確保できる国を作る――これこそが合理的なのだから。


「……?」

 扉の開く音に続いて、部屋の入り口付近が騒がしくなった。

『困ります。フクチさまは、この後、女王陛下とのお約束がございます』

『少しの時間です』

『ですが、』

『控えなさい、私は稀人です。ど、同朋の、彼に会う権があり、る、はずです』

 ――寺下だ。

 余りに居丈高な物言いに、福地は眉を跳ね上げたあと、苦笑を零した。本当に彼女は変わってしまった。いや、ひょっとしたら元々こういう性格だったのかもしれない。


「福地君」

『やあ、寺下さん、お疲れ様。ディケセル、いや、今度はコントーシャ大神殿だったね? どうだった?』

 柔和に微笑み、福地は寺下を出迎える。

 そして微妙な違和感を覚えた。こういう時彼女は福地に対して、いわゆる「恥ずかしそう」という顔で顔を赤くしたり、視線を逸らしたりするのに、いつもよりあっさりしている気がした。

『とても美しく場所、でした。晴れ、も良く、青空を、久しく、目に入れました。あっちは雨期が、ない、です』

 おかしなディケセル語でそう言った後、寺下は口をつぐみ、こちらを見る。

(……この目は何かを期待する時のもののはず)

『どうぞ』

 着席を促せばあたったらしい、満足そうと分類される顔で寺下は、福地の執務室にある応接セットに腰掛けた。

 実に図々しくなった、と福地は笑顔の下で、寺下に対する嫌気を加速させる。


 福地ははっきり物を言わず「察してほしい」という行動をとる人間が嫌いだ。

 察するのが苦手な自分が悪いと思ってずっと生きてきたが、ある時江間が「自分の考えを伝える努力を放棄して、その分の努力を相手に要求する。察してその通りにしても、結果が気に入らなかったら、責任を引き受けないで逃げる、ひどけりゃ責めてくることも珍しくない――つまるところ、卑怯なんだよ」と評しているのを聞いて、そう思ってもいいのだ、と安堵した。


(……江間君が生きているなら、なおのこと彼女はさっさと消しておくべきだ)

 口元に笑みを浮かべて茶菓子を勧めながら、福地は自室の長椅子の上で出された茶に不満を漏らす寺下を冷めた目で眺めた。


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