24-17.告白
『今晩も夜会だ。もういい加減にしてくれと言ったら、送別なのだから、だと。昨日も一昨日もなんだかんだ言って逃がしてくれなかったくせに……』
『とっとと結婚すれば、逃げられるんじゃね』
『他人事だと思って』
愚痴るシャツェランを部屋まで送って、アムルゼとシドアードに押し付けた江間は、ゼイギャクの城の端、使用人用の建物に戻った。割り当てられた自室に向かって廊下を歩く。
「……」
今度こそ郁と話を、と決めてきたはずなのに、曲がり角の向こうから彼女の声が聞こえてきた瞬間、足が止まった。
『ミヤベも明日には帰ってしまうんですか……? すごく寂しいです』
カガィエの声だ。江間には絶対に言えないストレートな言葉に、思わず眉を寄せる。
(あいつ、さっきも郁のことを可愛いとか、美しいとか言ってたな……)
もやっとしたものが湧き上がってきたのを、一笑に付す。自分より三十センチ低く、声変わりもまだの子ども相手に、いくら何でも大人げない。
『もっとずっと一緒にいたいです』
だが、その言葉を聞いた瞬間、笑いが止まった。見た目はともかく十四、エナシャだって、そんなようなことを言っていた。
『じゃあ、カガィエもメゼルにおいでよ。ねえ、ミヤベ?』
意味深なカガィエの言葉と、リカルィデの無邪気な提案に、江間は再び歩き出すと、足早に角を曲がった。
廊下の中ほどに、リカルィデとカガィエに囲まれている郁が見えた。ひどく柔らかい顔で二人を見ている。
リカルィデはもちろんかまわない。だが、カガィエに対してはなんとなく面白くない。
背後で三人を見ていたエナシャがこっちを見てにやっと笑ったのも、不機嫌に拍車をかける。
『カガィエにその気があるなら、私は是非そうしてほしい。シャツェラン殿下はご賛同くださると思う。ただ、ご両親もお兄さんも心配なさると思うから、よく話し合ってみて』
『行きますっ、ミヤベがそう言ってくれるなら、絶対に両親と兄を説得します!』
(……郁が望むから? てか、是非ってなんだよ、郁?)
『やった、カガィエ、話に行こう!』
二人で礼を言いながら、郁に抱き付くあたりは完全に子供、子供、子供……、と必死に自分に言い聞かせて、顔が引きつりそうになるのを抑える。
だが、カガィエの顔が郁の胸に当たっていることに気付いた瞬間、努力は霧散した。
『あ、エマ、お帰り! カガィエも一緒にメゼルに行っていい?』
『お帰りなさい。あと、ありがとうございました、ミヤベとのお話、楽しかったです。それで僕もメゼルに行きたいですっ』
顔を強張らせる江間に気付いた二人が、走り寄ってきた。興奮と喜びを混ぜて話す二人に息を吐き出すと、江間は色んな意味で苦笑を零す。
『一緒に色々できたら楽しそうだな。けど、郁も言っただろう? まず、ご両親に相談しておいで』
『はい!』
茶色の頭に手をとん、と置くと、幼い顔が元気に笑った。
カガィエの父を説得しに行くと言って、そのまま走り出て行く二人と、『今度こそ頑張れ』と言い残して、二人に付き添っていったエナシャを見送った。
「……」
途端に静かになった廊下で江間を見、郁が気まずそうな顔をする。
「話せるか?」
痛み出した胃に気付かないふりで誘えば、彼女は眉根を寄せたまま小さく頷き、すぐ背後の扉を開けた。
小さな部屋で落ち着いて座って話ができる場所は、ベッドだけだ。
昨日のことを思い出してしまって落ち着かなくなったが、いつもそうしているのだから逆に不自然と判断して、江間はそこに座った。
だが、横に来るはずの郁は近寄ってこようとせず、ベッドの対面の壁際に身を寄せた。
「ゼイギャクの話、なんだった?」
視線が交わらないまま、郁が口を開いた。
「シャツェランの婚姻について、意見を聞かれた。本人の意思を尊重するべきだと返して、彼も賛同した」
言わないことも言えないこともある――江間は、シャツェランと誰との、と言わずに話を流し、郁の様子を観察する。
「そう……」
彼女は無表情を保って突っ立ったまま、目を合わせようとしない。やはり警戒されている。
怖がらせたことを後悔する気持ちが湧き上がるのと同時に、それでも避けないでくれる彼女がますます愛しくなった。それゆえさらに後悔が強まる。
無言のまま見つめてしまっていたらしく、郁は江間を見、困ったような顔をした。
「……」
同じ顔をしながら江間は郁の腕へと手を伸ばし、引く。腕の感触で彼女が微妙に嫌がったのがわかったから、同時に立ち上がり、場所を交代した。
肩を押してベッドに座らせれば、郁が焦ったように口を開く。
そこから言葉が出る前に、江間は謝罪を口にした。
「昨日ごめん」
「っ」
江間を見上げたまま、郁は泣きそうに顔を歪めた。江間はもう一度「ごめん」と口にしながら、その顔を見つめる。
「俺以外の男がお前に触れたと聞かされて、嫉妬した」
黒茶の目を見開いた後、郁の白い頬が見る間に朱に染まっていく。
「今も嫉妬してる」
「……」
落ち着かない様子で視線を揺らし始めた彼女が、口を開くのをじっと待った。
「その……嫌、なんじゃなかった……?」
「お前に他の男がいたってこと? 嫌に決まってる。嫉妬で気が狂いそうだ」
「え……あ、そう、じゃなくて、逆……いた方がいい、んじゃないの……? でないと、重いって……」
半泣きで困惑を露にする郁を、江間はまじまじと見つめた。
≪処女だと尽くしてくれそうじゃん。宮部とか、惚れさせたら言いなりになりそうだし、俺、狙ってみよっかなー≫
≪そうか? いかにも処女って子は重たすぎて論外。宮部とか≫
「……」
いつかの飲み会での会話が蘇った瞬間、全身から音を立てて血が引いていくのがわかった。
床へと片膝を落とすと、江間は左手の甲を顔にあてる。
「江間?」
郁の驚きが聞こえてきたが、顔をあげられない。心臓が痛い。変な汗が出てくる。
(ああ、でもまた心配させる、それは嫌だ――)
「一年、の、学祭後にやった、専攻の飲み会、で、合ってるか……?」
何とか声をふり絞れば、郁が息を飲んだのがわかった。
やっぱり、と思うのと同時に、自分の馬鹿さ加減を思い知って、地の底に沈みこんでいく気がした。
「宮部が論外って言ったのは、ごめん、大嘘だ」
いないのは確認していたはずだ。しばらくして戻って来た時の郁の態度も普通だった。なのに、まさか聞かれていたなんて……。
(何が「いくら想っても伝わらない、拒絶される」だ。あたりまえじゃないか、俺が先に拒絶した、少なくとも郁はそう思った――)
江間は腕で顔を隠す。多分どうしようもなく情けない顔をしている。郁だけには見られたくない。
「な、んで……」
長い沈黙の後、聞こえてきた声はかすれていた。その音で余計苦しくなる。
「お前に惚れてるって、加藤と、特に小河にばれたくなかった」
「え」
小河は騒がしくて人付き合いを好む、江間と似たタイプの人間だった。「キャラがかぶるよな」と笑いあったこともある。
その彼が軽い口調とは裏腹に、郁を本気で落とそうとしていることに、江間は気付いていた。郁への純粋な好意もあったと思うが、江間へのライバル心もしくは嫌がらせの意図があったことも確かだった。そう口にして、興味はないのだと思わせたかった。
「あー……ほんと、マジでごめん……てか、馬鹿すぎる……」
人生で最大級に落ち込んで、江間は呻くように謝罪を繰り返した。
六年間だ。あの言葉さえなければ、と思わずにはいられない。もちろん郁の妹の存在は変わらないが、郁が望んでくれさえすれば、その権利さえ認めてくれれば、あんなの何とでもしたのに。
「あの時の処女がって話も、郁に関してだけは嘘だ」
郁には絶対に言わないが、かつて付き合った人に初めてだったことを盾に、別れ際ごねられたことがある。好きでもない女に「初めてをもらって」とか詰め寄ってこられるのも、真剣にきつい。付き合っている相手であっても、抱くのに気を使わなきゃいけないのは、正直面倒で億劫だった。だが、郁だけは……。
「お前に俺じゃない男が触れていたとか、想像するのも嫌だ」
たとえ過去の話であっても――。