24-16.菊田と福地
シャツェランと並んで歩く圃場の通路。右側に植えられているのは、緑と赤、青色の葉を持つ低木だ。その枝についた30センチほどの筒状の何かがポンと音を立てて、開いた。中から湯気のようなものが吹き出してくる。花粉だろうか?
あまりの珍しさに立ち止まった江間の視線を追い、シャツェランが『あの木の葉は煎じれば薬になる。通常はあんな花は咲かないから、挿し木で増やしていくと聞いた』と説明してみせた。
『サシギって?』
『植物の一部を切り取って、土に差して増やすことだ』
『ああ、「挿し木」か。こっちの植物でもできるんだな。あっちだと近い種類の木にくっつけたりもするぞ』
『……お前たちと話していると時々腹が立つ。何でも知っている、わかっているみたいな顔をする。さっきのは私の知識の深さに感動すべきところだ』
子供のように顔をしかめるシャツェランに思わず吹き出せば、江間に釣られてか、彼も笑い始めた。
『……また噂になるな、暇なことだ』
そんな自分たちへと遠巻きに向けられる視線に気づいて、シャツェランが表情を一変させた。うんざりとため息をつく。
『最近夜会で男が寄ってくるようになった』
ひどく整った顔の男が情けない顔でそうぼやくのがおかしくて、さらに笑った江間の足をシャツェランが無言で蹴る。
そうして再び歩き出し、話題を戻した。
『キクタはこちら側につくと思うか?』
『感情で動くタイプだから、雰囲気次第だと思う。日本語を話せる人間が行くほうがいいと郁が言ったのは、多分その辺が理由だろうな』
『それなら置き去りなどという間柄の郁が行くより、お前の方がよさそうだ。どうせ惚れられていたんだろう?』
シャツェランがからかいを込めて言ってきたが、江間は今度は笑えなかった。
江間と菊田の初対面は、よそから院に入ってきた彼女が、無駄なプライドだけはある連中にそれをいじられて泣きそうになっていた飲み会だった。気の毒でつい介入してしまったのが、きっかけだったと思う。
その後寄せられた好意を気付かないふりで何度かかわしてからは、直接のアプローチはなくなったが、彼女は江間が誰を見ていたのか、気付いていたのだろう。
『……そのせいで郁が嫌がらせをされていたんだとしたら?』
江間は眉根をきつく寄せた。
江間が郁に関わるほど、執拗になる人間は多くて、そのたびに郁との距離が開いていく。放っといてくれと何度恨んだかわからない。
菊田はその代表だ。自分が下手に菊田に関われば、また同じことになるのではないか――江間が菊田を自分にも郁にも寄せたくない理由はここにもある。
出来るだけ当たり障りなくやり過ごそうと努力はするが、実のところ江間は菊田のような形で好意を寄せてくる人間が大嫌いだ。自分の想いのためであれば、周囲はおろか、自分がまさに想っているはずの相手の気持ちすらどうでもいい。
そんな人間を好きになれるはずがないのに、それで拒絶されれば、被害者ぶって周囲を巻き込んでくる。
『非難を承知で言う。郁の安全を脅かしてまで助ける価値を、俺は菊田にも他の稀人の誰にも見出してない』
『そこで非難と言う発想が出るのが、ニホン人だな。確か「ビョウドウ」だったか。ディケセル人の私からすれば、人の価値は皆違う。価値ある者のために、ない者を切り捨てるのは、あたりまえのことだ』
(そんなことを言いながら、さっきだってイェリカ・ローダに対するグルドザたちの安全を気にかけていたくせに)
恵まれた立場にいながら、できるだけ多くの人間の命を救おうと行動する若きメゼルディセル領主に、江間は小さく苦笑を零した。
それから、それは郁の影響なのかもしれない、と気付いて口を引き結ぶ。
『まあ、アヤは要領が悪いし、妬みなんかはもろにかぶるだろうな』
その通りだと思う一方で、シャツェランが彼女を理解していることが面白くない。
『……薫風堂に来た元奴隷の少年だが、生きている』
「っ」
何気ない呟きに江間は目を見開くと、音を立ててシャツェランを見た。
『彼の価値に気付いたギャプフの統官が、バルドゥーバの目をくらますために、医者に見せると言って死んだように偽装したそうだ。店主に似ているのか、薫風堂には真っすぐな気性の者が多いな。皆素直に信じて、大泣きされたそうだ』
彼の真っ青な瞳をじっと見つめた。
『……今それを言い出したのは、彼をバハルにやる気だからか?』
『ああ。本人が望んでいると言うし、何より日本語を話す人間ではないが、キクタを説得できる』
江間は長々と息を吐き出すと、天を仰ぎ、『郁には黙っておいてくれ』と呟いた。
『そのつもりだ。あの馬鹿は、子供を行かせるぐらいなら、自分が行くと言い張るだろうからな』
シャツェランはシャツェランで、空へと視線を移した。
『バルドゥーバの、特に福地に動きは?』
『宰相との対立が表立ってきたようで、中々忙しいようだ。宰相にとって最大の見込み違いは、女王が完全にフクチに入れ込んでしまったことだろうな』
『……いれこむ?』
『恋情を持っている、といえばわかるか? 毎夜毎夜、夜伽……は分からないか、子作りに勤しんでいるらしいぞ。フクチに随分とご執心のようだ』
悲惨な男だ、と人悪く笑ったシャツェランに、江間は訝しみの視線を向けた。
『? なぜそう妙な顔をする? どうしようもなく醜い男というわけではあるまい?』
『あー、見た目はかなりいい方だと思う。けど、なんて言えばいいんだ? 人を好きになるとかあるのか、って感じの奴なんだ。「共感」は、ええと、誰かの気持ちに寄り添う?とか、できるのかな、あいつ……』
――その彼に女王が惚れている?
穏やかで礼儀正しく、優しい彼に惚れる女は多かった。大人しい、控えめな子が多かったように思う。
だが、しばらくすると、多くの子が離れて行った。その理由が江間にはなんとなくわかった。福地と長く付き合っていると、ロボットと接しているような気分になる時がある。こういう時はこう声をかける。こういう表情をされたら、こう反応するというふうに、マニュアルの様なものに沿って、動いているように見えるのだ。
福地自身誰かに執着している様子はなかったし、それまで彼に好意を寄せていた子が離れて行ったところで、気にする様子もなかった。
彼が一番興味を見せていた女性は郁だ。「宮部さんは優秀だ」と言い、よく見ていたし、話もしていた。他の子に対するよりはるかに気を払い、親切に接してもいた。
江間がそれを気にすることがなかったのは、本当にそれだけだったからだ。彼の郁への態度には、恋愛感情はおろか妬みなどの負の感情もまったく見えなくて、そこには観察と計算があるだけだった。その証拠に福地はその郁に対しても、自分の損になることは絶対にしなかった。
それは江間に対しても同じだった。彼はいつも気付いたら横にいた。履修する講義もほとんどかぶっていたし、研究室も江間と同じところだった。
ただ、同じような行動をしてくる他の人間と違って、本当に観察しているだけという感じで、害がなかったから、気にしないようにしていたが……。
『バルドゥーバ女王が誰かに、い、入れ込む? ことがあるとは、これまで思っていなかった――合ってるか?』
『ああ。そういうタイプには見えなかった。決まった男がいると聞いたことはなかったし、ありとあらゆるタイプの男を侍らせて、日替わりで相手をさせているそうだ。そのくせ私との婚姻話を臆面もなく持ちだしてくるあたり、遠くない未来に殺してやると誓っている』
シャツェランにとっては耐えがたい屈辱だったのだろう、一瞬憎悪を露に微笑んだ。
本来移り気で色好みだった女王が、その福地に本気で惚れているとするなら、可能性は三つ。一つは女王が福地のような、例えば、感情の起伏が少なく、物静かな男を好む。二つ目は運命の出会いとやらで、福地が本気で女王に惚れ、それに女王が応えた、もしくはその逆。だが、江間の持つ福地の印象と、シャツェランの女王評から考えると、その二つの可能性は低い。なら、残るのは三つ目――。
『操る気で計算して惚れさせた、か……』
目的のために、計算しつくして細心の注意を払い、女王に接している――利用価値があると判断した江間や郁に対して、かつて彼がしていたように。
『……そういうことができる男なのか?』
『しようとする男ではある』
(独裁者を自分に惚れさせて、操って……何をする気だ……?)
徹底して自分のために行動する福地の柔和な微笑を思い浮かべて、江間は眉を顰める。
『福地の動向をマメに教えてもらっていいか? 特にこっちの人間には、意味が分からない、奇妙な行動があれば、それが知りたい』
江間の頼みに、シャツェランは鋭い目つきで頷いた。