24-15.死よりも
郁が去った後、なんだか移動する気にもなれなくて、江間はシャツェランと共に農園にとどまっていた。
リカルィデの目の前で、カガィエに差を見せつけられたコルトナは、凹んだままのようだが、それでも少し離れたところにいて周囲への警戒は怠っていない。
リカルィデのことで浮足立っているイメージが強いが、大柄で筋肉質、精悍そのもので、実際にはグルドザ全体の中でも相当強いし、経験が不足しているものの、判断力も悪くないと言われている。
なにせいい奴だ。報われるといいと思うが、こればっかりはどうしようもない。そう思ったところで我が身に重なって、江間も凹んだ。
「……」
先ほどまで郁と並んでいた柵にそのまま寄りかかり、腕を組んで考えこんでいるシャツェランを眺める。
そして、郁を彼の妃に考えているとゼイギャクが言ったことを思い返して、目を眇めた。
ゼイギャクはグルドザらしく主であるシャツェランに極めて忠実だ。つまり、彼もシャツェランが郁を好ましく思っていると感じているのだろう。
春を感じさせる風が農園を流れてきて、シャツェランの金の髪を揺らした。長めのそれが目にかかり、彼は鬱陶しそうに手でかき上げる。その姿に知らず見とれた。
江間自身整っていると言われ続けてきた。じろじろと見られたり、良くも悪くも見た目に言及されたりしがちだが、郁がそういう態度を見せたことは一度もない。自分の内面を見てくれるのが分かって新鮮で嬉しかったのだが、単にこいつで顔のいい男を見慣れていたせいかもしれないと、ふと思い当たって複雑な気分になった。
彼も郁にひどく執着している。さっきだってそうだ。郁を引き寄せた江間に、きつい視線を向けてきたし、彼女の手を放すことも拒んだ。
その理由がお互いを理解し合っている幼馴染への情なのか、それとも異性に対する恋愛感情なのか、江間にはわからないし、おそらく彼自身もわかっていないのではないか。
こいつも変なところで鈍いな、そういや郁のはとこにあたるんだったか、と苦笑をこぼした。
『俺、その辺歩いてくる』
気晴らしに歩き出せば、横にシャツェランも並んだ。
『……戻らなくていいのか?』
『明日にはメゼルに向けて発って、帰ったら帰ったでオルゲィが待ち構えているんだ。今日ぐらいゆっくりさせろ』
『あー、大変だな』
『そう思うなら文字の一つでも覚えて、手伝え』
藪蛇だった、と江間は片頬を吊り上げた。
『寺下はどうなった?』
『あれからしばらく神殿で粘っていたが、アヤの見込み通り自分に都合のいい話を勝手に作り上げて、勝手に納得して帰って行った。よくあれだけ自分に都合よく物事を解釈できるものだ。おかげでフュバル、いや、サノだったか、はこの先問題ないだろうが』
シャツェランは『昔からだ』とげんなりした顔で息を吐き出した。
『アヤは相手の表情や言葉から性格や内心を読み取って、行動を予測する。最近は操ろうともするし、どこまでも性質が悪い』
『そこまででもないと思うが……』
(何が『俺が他の人間を選んだら』だ。他の人間を選べるなら、とっくの昔にそうしているっつうの)
俺の内心なんか全然読み取ってくれない、と江間は江間でため息をつく。
『バハルの話もそうじゃないか。ジィガード・フォレッツの性格を把握して、行動を完璧に読んで、私に奴がどういう男か示してみせた』
『……まあな。バハル、どうするんだ? 砂漠の真ん中にバルドゥーバ軍が駐留しているんだろう?』
『何事も起きないであろう僻地の女王の別荘のために一部隊だけな。役に立たない連中が寄せ集められているらしいから、キクタの奪取と馴化中のイェリカ・ローダのせん滅だけを考えれば、大した脅威ではない。問題は、それをきっかけにバルドゥーバやセルとの対立が決定的になりうることだ。できればそれはまだ避けたい』
『そのために、ジィガードたちレジスタンスを前面に出す?』
『ああ。それなりに数もいるようだから、フォレッツに人と軍備を流す方向で行く』
“人”とは兵であり指揮官であると同時に、メゼルディセル側がレジスタンス側に置く監視だろう。
ジィガードはこの話に乗るだろうか、と江間は洗練と粗野を混ぜた不思議な雰囲気の知己を思う。
『レジスタンス側の体制と練度にもよるが、駐留バルドゥーバ軍への準備に二月だな。イェリカ・ローダ、“切り裂くもの”のほうは、工作のために入れる者たちにとってどの程度の脅威になるか……。エマから見てどうだ?』
ゼイギャクに聞いても参考にならん、と言う発言を聞く限り、シャツェランの目から見てもゼイギャクは人外の強さらしい。
『俺は見てない』
『? 惑いの森で“切り裂くもの”とやり合ったんだろう?』
切り裂くものに殺されたように偽装していたじゃないか、とシャツェランは訝しみを向けてきた。
『郁が一人で仕留めた』
『……は? あいつ、そんなに強いのか……? というか……一人だった、ということか、あの森で……』
信じられないものを見るように目を見開いた後、彼は非難の目を向けてきた。
『四人、菊田、佐野、寺下と一緒にいるはずだった。それが洞窟に三人だけ、「パニックってなんだっけ。ええと……」、怯えて混乱した状態になって戻ってきた』
江間は顔を歪めた。あの時の後悔と怒り、恐怖が蘇る。
『郁を夕方の森に置いて洞窟に戻る途中、“切り裂くもの”に襲われたらしい。郁は置き去りにされた時点で、一人で森を出る気だったみたいだけど、なぜか奴らを助けに戻った。奴らはその郁を囮にして逃げたんだよ』
吐き捨てた江間に、シャツェランも『二回置き去り……? しかもイェリカ・ローダの前……』と顔を歪めた。
『なぜ助けに行くのかさっぱりわからない。キクタは知らないが、テラシタはもちろんサノとて、命を懸けてまで助ける価値はなかろう』
『俺にもわからん。郁が奴らを助けているのを見たことはあっても、逆はない。こっちに来てからは特にそうだった。仲がいいわけでもなかったし、あいつは『今の状況を見たら、見捨てたのは自分の方だ』とか言うけど、それも理解できない』
『……馬鹿だな』
侮蔑の言葉を発したシャツェランだったが、声音はひどく柔らかい。そして、『お前が彼女たちをアヤに近づけたがらない理由が、よくわかった』とぼそりと呟く。
『お前はなぜアヤと森を出ることにした? アヤから向こうでは孤立していた、お前とも別に親しくはなかったと聞いた。さっきもアヤは一人で森に出るつもりだったと言っていただろう?』
『どうせ死ぬなら、惚れた女のためがいい。それが叶わないなら、せめて一緒に死にたい』
血まみれの郁を見たあの瞬間、絶望に包まれた。
ずっと好きで仕方がなかった。近づきたかった。けれど、すべて拒絶されてしまって、郁が望まない限りこっちも望まないと意地になった。結果一人で死なせた、一体何をやってるんだ、と自分を殺してやりたくなった。
幸い郁は生きていてくれた。なら、もう二度と離れない、そう決めた。彼女を永遠に失ったと思ったあの瞬間を思えば、死すらもう怖くはない――。
『……そこまで想っているのに想い返してもらえないとなると、さすがに同情する』
『想ってもらってないって決めつけんな』
露骨に睨んだが、シャツェランは軽く肩をすくめただけだった。