24-13.統計と不信
『つまり取り出した一部が、調べたいもの全体を代表しているかどうかが大事……』
『そう。だから取り出す時に、意識の有無に関わらず偏りがあったり、取り出した一部が少なすぎて偏っていたりすると、全体の性質を見間違えてしまう』
『……偏ってるかも。やっぱり大きい方が目立つし、興味もあったから、なんとなくそっちばっかり拾っていた気がする。森に近いほど大きいのが多いってのは、感覚的な話なんだ。さっきリカルィデが一定の面積にいる土蟲を全部拾って数えるように言ったのは、そういうことだったんだね』
『元々はアヤがそうするようにって。私も理由は今初めて知った』
サンプルの取り方についての説明を聞いたリカルィデとカガィエは、顔を見合わせる。
『じゃあ、さっき取った、ええと「デエタ」? で、試してみよう。ここはうちの領地に比べて、明らかに大きい土蟲の割合が低いと思ってるんだけど、それが数字で証明されるかどうか』
巻頭衣のポケットから、土汚れのある紙を引っ張り出し、窓際の小さな机の上に広げ、二人は計算を始めた。
その様子を見、郁は幸せな気分になる。興味のあるものを一緒に追及できる人がいるというのは、すごく幸せなことだ。二人とも全身がキラキラして見えて、本当に可愛らしい。
それに引き換え、と我が身を見……ると、また落ち込むので、郁はコンソールに用意していた香草茶を二つのカップに注ぎ、護衛として部屋の入り口で子供たちを眺めているエナシャへと歩み寄った。無言でカップを差し出す。
リカルィデは部屋の中だから護衛はいらない、と言ったらしいのだが、コルトナの愚痴に付き合うのがめんどくさくなったらしい彼は、そのまま彼女たちに付き添ってきたそうだ。
『あんな話の何が面白いのか、さっぱりわからん。お疲れ』
『私も好きなわけじゃない』
苦笑しながら言えば、エナシャは『好きじゃないのにできるってのも、妙な話だぞ?』と呆れたような顔で、茶を受け取った。
『そうかもね』
日本では大なり小なり、そういう教育を受ける――嫌いな授業を受ける時は、死んだような気分だったけれど、祖国を出て初めて価値がわかったことも多い。
昔の人たちが苦労して、それをどうにかしようと知恵を絞った結果、学問は生まれたのだ、と実感させられる
(感謝はするけど、だからと言って勉強大好きになれるかはもちろん別の話)
いくつかの苦手教科を思い出し、郁は肩をすくめる。
『そういやエマと喧嘩したんだって? さっきも仲直りし損ねてただろ? 朝も相当凹んでたし、いい加減許してやれって』
『……何があったか聞いたの?』
『いや全然』
まさか昨日のことを……?と血の気が引いたが、エナシャにあっさりと否定されて、胸をなでおろす。そして、疑ったことを後ろめたく思った。郁が嫌がると知っているだろう江間が、そんな話を人にするはずがない。
『殿下が宥めてくれるかと思ったんだけどなあ』
『そんな気を回すわけがない』
思わず本音を漏らせば、しまったと思うより先に、エナシャが吹き出した。『確かに』と笑う。
『けど、普通言えないって。エマもだけど、ミヤベ、お前も殿下と仲いいよな』
『仲、が、いい……?』
妹と郁を比較してどちらも無神経に傷つけた挙げ句、よく覚えてないとかのうのうと言い、人が気にしているまさにその時にわざわざ色気がないと面と向かって言ってのけ、江間とリカルィデを有力なところに縁付かせて勢力を拡大しようと企み、そのために江間と郁に別れろとしつこく言うあの男と、仲がいい……?
『なんつー顔だよ……。それ、他でやるなよ?』
内心が出てしまったからだろう、今度こそエナシャは呆れた。だが、そこに非難がないのはエナシャだからこそだ。
『エナシャこそ気に入られている。私とシャ、殿下の仲がよく見えるとすれば、その理由と多分同じだよ』
『俺、気に入られてる?』
目をぱちくりさせる彼には、その自覚がないらしい。
シャツェランは、彼を指名してリバル村に呼びつけたと聞いた。正体の分かったリカルィデの護衛を、念のため増やしたかったのだろう。
今いる人間の誰でもなく、わざわざメゼルからエナシャを呼んだ理由の一つは、リカルィデが緊張しないですむということ。もう一つは、万が一彼女の正体を知ることがあったとしても、彼なら気にしないというのをシャツェランが知っているからだと思う。
リカルィデが王族だった、死んだことにされたと聞かされても、多分エナシャは『マジで? 大変だったんだなぁ』程度で終わると、郁も思う。
『エナシャは内務処長やアムルゼと違って、忠誠心っていうのかな? あまりないだろう?』
『……さらっと問題発言、すんじゃねえよ』
思いっきり顔をひきつらせ、周囲を見回した彼に、郁は『当たっているだろう』と笑いをこぼした。
シャツェランは我がままだ。王子もしくは領主として敬えと、他人に明に、暗に要求しておきながら、そうされることが実は好きではない。エマと話していて楽しそうなのもエナシャが気安く話すことを許すのも、彼らがシャツェランの『王』や『領主』以外の部分を見ると知っているからだ。
『それと同じ理由って……お前、本当にいい性格してるよなあ』とぼやいたエナシャは、『その辺は兄貴より気が合いそうだな』と複雑な顔を見せた。
『俺たちさ、八、九年前まで、ここからずっと西に行ったところにある、ガリジェーナって村にいたんだよ。毎日畑耕して、水汲んで、魚取って、木の実や山菜探して……。で、夜帰ったら、そっから爺さんや親父に勉強させられて。俺、兄貴と違って、『こんなことして何の役に立つんだよ』って反発しまくってたんだ』
エナシャは苦笑した。
『爺さんも親父も『リィアーレさま』とか呼ばれて尊敬されて、村どころか外からも、わざわざ人が相談しに訪ねてくるけど、貧乏なのは変わらなかったし、青月の位がある元は由緒ある王都の名門貴族だって言ったって、それで食えるわけじゃない。全部爺さんの弟のせいだって言ってくる奴がいて、爺さんはそれを否定してたけど、俺は生まれた時からその暮らしだったし、『だから何だ、どっちだって変わんねえよ』としか思えなかったんだよなあ』
そう言いながら、彼は頭をガリガリとかいた。
『そんで、ある日俺らと同じくらいの年のめっちゃくちゃエラそうな、キラキラした奴が訪ねてきて、メゼルに来て仕えろって。隙間風だらけのちっさい荒れ小屋にあの殿下……すさまじい違和感だったぞ』
小さく笑った後、彼は『そっから生活が一変した』とどこか遠くを見るような目をした。
『ありがたいとは思ってるんだけどさ……なんか冷めてるんだよ。王都から追い出されたのも国王陛下の意向一つなら、メゼルで立て直せたのも殿下の意向一つじゃねえかって』
郁はエナシャの独白を聞きながら、そう言えば、彼と自分の年は同じだったな、とぼんやりと思い出す。
『殿下が嫌いとかじゃないぞ? 俺、仕えるのがあの人でよかったと思うし、尊敬もしてる。支えていきたいとも本気で思う。けど、なんて言ったらいいんだろう……』
困った顔をしたエナシャに、郁は苦笑した。
『権力への不信と言うんだ、そういうの。一人の自由な人間として、至極健全な感覚だよ。多分他の人には理解されにくいだろうけど』
この世界ではなおさらそうだろう。
『……お前、難しい言葉、知ってるよなあ。稀人だからか?』
感心しているのか、あきれているのかわからない顔を向けてきたエナシャに、郁は吹き出す。
『さすがだ。そこまでストレートに聞いてきた人はいなかった』
妙に感心しながら、『まあ、いいんじゃない? はっきりさせなくても』と笑えば、彼は『それもそうだな』とあっさり頷いた。
『それで思い出した。コルトナもだけどさ、兄貴がお前が女だと知って驚いたって、昨日わざわざ俺に言いに来たんだ。俺はそれにこそ驚いたぞ。あいつ、本気で鈍くね? メゼルに帰ったら、チシュアと一緒にもうひと笑いしてやる予定』
『……内務処長はどう?』
『!? 怪しい、親父も絶対怪しい!』
そう言って大笑いするエナシャの様子に、郁はオルゲィとアムルゼへの同情を新たにする。もっとも……彼らは、代わりに郁と血のつながりがあることを知っているのだが。
『何、どうしたの?』
『にぎやかですね』
エナシャが派手に笑ったからだろう、リカルィデとカガィエがこちらを向いた。
『ミヤベを女だと気付く奴が、案外少ないっていう話』
『コルトナさんもそうでしたね。こんなに美人なのに、なんでだろう』
『びじ……』
あり得ない言葉を聞いて固まる郁ににこりと笑い、『はい。しかも知的で、すごく憧れます』と少し頬を染めてカガィエは言ってのけ、『リカルィデもそこがすごく似てる』とそつなく横を振り返った。
『天然のタラシだ……』
笑いを引っ込めて顔をひきつらせたエナシャに、郁は確信する。
『タラシ』がなにかは、分からないが、多分如才ないとか、その辺の意味だろう。
見た目ではなく、リカルィデの頭脳を褒めるあたりといい、郁もカガィエを『タラシ』だと思う。その証拠に褒められたリカルィデが照れたように微笑んでいる。