24-10.カガィエ・レックルズ
『イェリカ・ローダの共食いかあ。でもさ、イェリカ・ローダの体液は他のイェリカ・ローダを寄せないって聞いたよ?』
『正確には、“強いイェリカ・ローダの体液は、弱いイェリカ・ローダを寄せ付けない”じゃないかな。逆に弱いやつの体液を付けていると、強いのに襲われることもあるってレジァダテは言っていた。だから、軽々しくやるなって』
『弱いのを襲って食べるために? つまりイェリカ・ローダはイェリカ・ローダをわざわざ選んでるってこと? レジァダテって、カガィエのところの森番だっけ? 昔、森林境警備隊長だったって言う……』
『僕は見たことないんだけど、レジァダテは何度か見たらしいよ、イェリカ・ローダ同士の戦い。元々森のすぐ横の村で育った人なんだ。無茶苦茶強いし、ドルバンゲみたいに大きくて、イェリカ・ローダを調べるために森に平気で入って行くんだよ。ついて行こうとして僕はめちゃくちゃ怒られたけど、今度は絶対に一緒に行く』
『本気? ええと、カガィエはスオッキとか、しないんじゃ……?』
『しない。スオッキをやると、どっちの手を動かそうか考えてる間に、自分の腕を切っちゃうんだ。兄さんがやめとけって』
『そりゃ、お兄さんもレジァダテも止めるよ……』
『でも行く。だって、もし、もしもだよ、リカルィデ? もし、惑いの森の何かが土蟲に影響しているなら、飢饉を止めるだけじゃなくて、イェリカ・ローダの対策にもつながるかもしれない』
(この世界であれだけ科学的に物を論じる人はいない。リカルィデと同じ年で、誰に教わったわけでもなく、自力であのレベルにまで到ったのか……)
郁は柵にもたれかかり、農園の中で土蟲について論じるリカルィデとその新しい友人、カガィエを眺める。
彼は共食いと太陽光を厭う性質から、大型の土蟲とイェリカ・ローダには何らかの関係があるのではないかと考えている。惑いの森の何かが、普段大人しい土蟲にイェリカ・ローダのような凶暴さをもたらしているのではないか、と。
『……』
「……」
自らの胸元を指しながら、こちらを見てきたリカルィデに、郁は無言で首を横に振った。
月聖石で大型の土蟲が死んだという情報を、カガィエに伝えていいかということだと思うが、色々な意味で危険な情報だ。まだ早い。
(けど、自力でそこまでたどり着く子だ。多分すぐ気付く。なら、いつ、どうやって話すか……)
彼はおもしろい子だ。土蟲を取り除こうと、領地で一人あれこれやっていて、変人扱いをされていたらしい。先ほど彼の父が探しに来て、誇らしさに少しの苦笑を混ぜて、郁にそう教えてくれた。『メゼルのシャツェラン様から来た通知とほぼ同じことを、自力で見つけて、私や兄に対策してくれと訴えていた』とも。
『大きいのが本当に大きいと正しく言えるのか、それに害があると言い切ることは、正しいのか……』
『言いたいことは分かる気がするけど、その疑問、当面の飢饉を回避するのには、役に立たないと思うよ?』
『っ、意味を分かってくれるの? リカルィデ、やっぱり君、最高!』
驚きと喜びを目いっぱい顔に浮かべて、リカルィデにぎゅっと抱き付いたカガィエの身長は百五十センチくらいで、リカルィデより少し高い程度だ。茶色の髪に茶色の目、どこにでもいそうな顔立ちはまだ少年そのもので、声も高く、どこかのんびりとした話し方だ。
小さい二人が楽しそうにじゃれ合っている光景を、郁は微笑ましいと思う。が、対方で同じく二人を見守るコルトナは、顔を引きつらせている。おそらくリカルィデの顔がちょっと赤くなったせいだろう。
横のエナシャがそのコルトナを半分面白そうに、半分めんどくさそうに見ている。
『アヤはその辺の話、詳しい?』
『「統計」と呼ばれるあたりの話になるかな』
母集団、標本、変数、平均、標準偏差、有意差……カガィエが先ほどから気にしているのは、その辺のことだった。おそらくそういう事柄に興味が強いのだろう、と思いながら返せば、彼は目を輝かせた。
『ぜひ! 教えてください!』
「……」
尊敬を含んだキラキラした目に見上げられて、郁は顔を固くする。
自分の情けなさを昨日思い知った、しかも色んな意味で大人になれない身に、その視線はきつい。
『? 元気ない? ひょっとして、まだ疲れてる?』
『あー、ちょっとそうかも』
『ごめん、引っ張り出しちゃって……』
『そこまでじゃないよ。気にしなくて大丈夫』
実は疲れのせいじゃないとはもちろん言えず、郁は咄嗟に嘘をついた。
だが、鋭いリカルィデのことだ、すぐにでもばれるだろう――普段なら。
『リカルィデ、セケルがあった!』
『本当!? 食べさせてみよう』
郁へと微妙に怪訝な顔をみせたリカルィデは、けれどカガィエの声に一瞬で郁の存在を頭から消した。
(……リカルィデの裏切り者、「私もきっと「モジョ」で「インキャ」だ」とか言っていたくせに)
きゃいきゃいと話し始める二人を半眼で見つつ、郁はため息を吐き出す。ついでに、コルトナに同情の視線を送れば、彼はがくりと肩を落とした。親近感を覚える。
天から降り注ぐ陽の光も、リカルィデたちの楽しそうな様子も、何もかも眩しすぎて見ていられない。
「……」
視線を伏せれば、昨日の記憶が浮かび上がってくる。郁は農園の柵に腰掛けたまま、顔を少しずつ赤くしていく。
江間の指が、唇が、舌が全身に触れ、話をするつもりでいたのに、思考も言葉も何もかも奪われた。
その時の感触が蘇って、郁は自分の体を抱きしめると身を震わせる。
知らぬ間に身につけていた物がすべて取り払われていて、焦って隠そうとしたのに、「見せて」と甘えるように言われて、抗いきれなかった。
不安になって江間を見れば、いつもみたいな余裕のある顔でも柔らかく笑う顔でもなく、何かを狙うような目線で見られて、深い口付けが始まり、ますます訳が分からなくなった。意味をなさない声だけが勝手に口から漏れ、勝手に体が震えた。
自分で見ることすらできないような場所にも、江間は躊躇なく舌や指を這わす。体のあちこちで湿った音が立ち、恥ずかしさと驚きでパニックになりそうだったのに、それすらも強い刺激と甘やかすような囁きで、流されてしまった。頭が真っ白になるような強い快感が、何度も全身に広がった。自分の体なのに完全に江間に支配されて、何もかも思い通りにならなくて……。
何とか状況が把握できたのは、郁の足の間に江間が身を入れた瞬間だった。怯えたのがばれたのだろう、目が合った彼は小さく笑って、郁の額に張り付いていた髪をかき上げてくれて、「優しくするから」と。
焦った。負担に思われたくなくて、「気にしなくていい」と平静を必死に装った。
怪訝な顔をされてさらに焦って、「初めてじゃない」と言った瞬間、彼の空気が変わった。
「――相手は誰だ」
押し殺したような声とひどく暗い目で問われ、動揺した。これまで怒ったのを見たことはあったけれど、あんな顔を見たことはなくて、もっと焦って「江間には関係ない」と口にすれば、彼は「……本気で言ってるのか?」と薄く笑った。
再び覆いかぶさってきた彼に、嬌声をあげてしまう場所ばかりを執拗にいじられ、「こんな顔を見せたのか、そいつに」と問われた。
あちこちで淫らな水音を立てられ、全身をついばまれる。そのたびに走るのは小さな痛みなのに、それすらも快感になって、頭がまた真っ白になっていった。何度も何度もそれが繰り返される。やめてと頼んでもやめてくれない。
怖くなってきて、強すぎる快感から逃れたくて、絶対に言わないと決めていたはずの言葉が漏れてしまった。「江間の相手なんか、それこそたくさんいるくせに」と。
その言葉で、江間の動きが止まった。目をみはったその顔を見たら、何かが自分の中から湧き上がってきた。
江間こそあんな顔をして、彼女たちに触れ、あんな風に囁いていただろうに。郁は情けないくらいいっぱいいっぱいなのに、江間は余裕で慣れていて、それも全部郁じゃない相手とじゃないか、と思った瞬間泣き出しそうになって、服を掴んで部屋を飛び出した。
「っ、郁っ」
名前を呼ばれたけど、無視して……――。