24-6.因縁と探り合い
『久しぶりにお前と話した気がする』
どれぐらいそうしていたのだろう、話にきりがついた時、シャツェランが『やっぱりエマ以上に遠慮がない』と苦笑を漏らした。
『周りに人がいたら、絶対にこんなふうには話せない。それこそ処刑される』
江間なら許されるだろうけど、と思いながら肩をすくめた郁に、『……しないし、させない』と、シャツェランは眉間に皺を寄せながら返してきた。
『確かにシャツェラン、昔より怒らなくなったね』
『……体だけじゃなく、他も成長してるんだよ』
からかいを込めて言えば、渋面になってしまったが。
ふと会話が途切れた。日が傾き始めたことに気付いて、郁は息を吐き出す。
そろそろ戻らなくてはならない。江間との約束がある――。
気が進まないながら意を決して、『じゃあ、そろそろ行くね』と立ち上がれば、腕を引っ張られた。
『お前が言ったんだろ、ヨシノの件で話を聞かせろって』
『ひょっとしてそのために?』
『……暇だったからな』
『……ありがとう』
郁は目を丸くして、ぷいっと顔を背けた幼馴染を見つめる。大神殿での話だ。そう頼んだはものの、彼が自分の願いのためにわざわざ時間を取って来てくれるとは実のところ思っていなかったから、ひどく意外だった。
『……というわけで、何があったんだろうと思って』
郁はシャツェランと喧嘩別れしてからの妹の佳乃のことをざっと話して聞かせた。
彼女が自分を見下していたのが昔からだったというのは、もう分かっている。実の両親と父方の祖父、そして彼らの敬愛するトゥアンナが不要と判断して、捨てたのが郁だ。そう思うのは当然だろう。
知りたいのは、ある時を境に彼女が郁の人間関係に執着し出した理由だ。見下す人間の友人になぜ興味を持つのか、さっぱりわからない。
江間に言われて気付いたが、付きまといは確かに郁がシャツェランと喧嘩別れして一年後ぐらい、祖母が入退院を繰り返すようになった頃に始まった。それどころじゃなかったからまったく取り合わなかったが、当時彼女はシャツェランに会えなくなったと取り乱していた。
ちなみに、彼女は郁の周囲の人なら、すべてちょっかいをかけたわけではない。同年代の人の他、先生や教授などが対象で、例えば、中高でボッチだった郁を心配してくれて、色々気にかけてくれたパート事務の香川さんや、大学で仲良くなった用務の山口さんなどには興味がないようだった。あとの例外は福地だ。何度かの接触の後、佳乃は彼にだけには近づかなくなった。
『じゃあ、テラシタがお前を下に見ていたというのも、エマがキクタやフュバルを嫌うのも、元はヨシノが原因だと?』
『あちこちで悪口を吹き込んでくれたみたいだし、途中からはめんどくさくなって否定もしなかったし、そのせいでずっと一人だったから。集団の中で扱いが悪くなるの、ある意味当然でしょ』
『……エマは違った?』
『時々、いや、今思うと頻繁にかも……ええと、なんせ助けてくれたけど、特に親しくはしてなかった。一緒の「学科」、ええと、「大学」は昔話したっけ? そこで江間と私は同じことを学んでいたから、佳乃の被害に一番遭ってるの、江間だったし』
『そうなのか』
そう言うと、シャツェランは黙り込んでしまった。
一際強い風が吹いてきた。虹色の種を持つ大きな綿毛が気流に乗って青空に舞い上がる。赤子の頭ほどの大きさの白い傘がくるくると螺旋を描きつつ、互いに距離を縮めたり離れたり……まるで遊んでいるかのようだ。
『ヨシノのことだが、実はあまり覚えていない』
『……本気で言ってる?』
あれほど人に不快な思いをさせておきながら、覚えていない……?
沈黙の後、横から響いてきた言葉に唖然とする。思わず凝視すれば、さすがに気まずさがあるらしく、青い目がさっと逸れた。
『あー、見た目が整っていたのは覚えている。後は……お前と違って頭が悪かった、とか? 話もつまらなかったし』
『その“お前と違って”の部分を本人に言った……』
『さあ?』
『――言った。多分じゃなくて絶対。だって、シャツェラン、私にも言った。佳乃と比べてお前は、って』
『……そうだったか?』
だからか、と郁は呻き声をあげた。
佳乃は、自分はこの世の誰より価値がある、それゆえ愛されて当然、と意識することすらなく思っている。なのに、よりによって見下していた姉より下だと、憧れの“王子さま”に言われた。
それが許せなかったのか傷ついたのか、なんにせよ彼女は自分の方こそが愛されるべき人間であると、郁の周囲の人間で確認しようとしているのではないか。
不意に両親とトゥアンナたちは、人形を愛でるのと同じようにあの子を扱っていたのだろう、と悟った。
何度も様子がおかしいと言った。あんな行動をしていたらあの子自身まずいと思って、それも伝えた。けれど、両親たちが対処している様子はなかったし、それどころか彼女が郁の身辺を調べるための費用も、やって来る際に使う旅費も、郁の友人・知人にばらまくための買い物代も交際費も、好きなだけ与えていたようだ。
(何かの原因があって行動がねじ曲がっていったのに、心配もされることも咎められることも正してもらえることもなかった――)
郁は深々とため息をつく。
『教えてくれてありがとう。お礼兼嫌味で一つ――この先は誰かと誰かを比較して、挙げ句それを口に出すなんて真似をしないほうがいい。結婚する気があるなら、その相手に対しては特に』
『嫌味と言ったか、今?』
『気を使って“嫌味”程度でとどめてやったのに、それすら気に入らないなら、本音のまま罵ってやろうか……?』
それを咎める気なら、本気でメゼルから出て行こうと決めて、郁はシャツェランを睨んだ。
『…………悪かった』
『“悪かった”は事実に対しての評価であって、謝罪じゃない』
『一緒だろうが』
相変わらずごめんと口にできないらしいが、小声で反論してきたシャツェランの表情はいつになく居心地が悪そうで、郁は諦め半分に怒りの矛を収めた。
『だが、それを聞いてどうする気だ?』
『散々ひどい目に遭ってきたんだから、何が起きていたのか知りたいと思うのは、人の性だ』
向こうに帰った時に備えて、佳乃の対処法を探していた――だが、そう認めるわけにはいかない。
何気なく聞いてきたシャツェランに、郁は瞬時に気を引き締め、さらっと嘘を吐き出す。
“稀人”には利用価値がある。帰るつもりで動いていると悟られれば、邪魔をされる可能性が高い。向こうに渡る方法について、シャツェランの持つ情報の方が圧倒的に多いという前提に立つなら、こっちの意図を誤魔化し、彼を油断させておく必要がある。
だが、不自然に隠し過ぎてもいけない。トゥアンナが意志を持って向こうに渡ったことを郁は知っていて、シャツェランは郁が知っていることを知っている。
『向こうに帰れることができれば、佳乃と話すこともできるんだけど……シャツェラン、帰り方、知っていたりしない?』
『なんのことだ。というか、帰りたいのか?』
しれっと話す郁に、シャツェランもとぼけてきた。
『あー……どうなんだろ、向こうにはもう誰もいないし……』
お互い隠し事を抱えて腹の探り合いをする中で、ふと零れたこれだけは本音だった。
『いない……? 誰も?』
『? あ、そうか。あれから、おじいさまもおばあさまも亡くなったの』
『死、んだ……? では、両親は? 相変わらずか?』
『う、ん。あの二人は私には興味ないから……』
目を見開いた後、急くように郁と親との関係を確認して来たシャツェランに、強い違和感を覚えた。
シャツェランは郁を呆然と見たまま、何かをつぶやく。気のせいでなければ、『呼ばれない』、そう言って――……笑った。
『シャツェラン? 呼ばれないって?』
『っ』
彼の青い目が再び郁へと焦点を結んだ。
『……いや、その調子なら、郁を心配して探しているということもないかもしれないと思ったんだ。それならずっとこっちにいればいい。エマもだが、リカルィデやシハラもオルゲィたちもいるだろう』
柔らかく、言い聞かせるように言われて、郁は口をへの字に結んだ。
『「お風呂」に入れない生活は嫌』
『「オフロ」……一刻は余裕で入っていると言っていたあれか。なら、作ってやると言ったら?』
『“贔屓は臣民の不審を招き、国を乱す原因になります。お勧めできません、殿下”』
と答えれば、シャツェランは『それはそうだな。自分で作れ』と真顔で頷いた後、『オルゲィの真似か。結構似ている』とにやっとした。
『自分で作れって、あの給料でそんな贅沢できるわけないでしょ』
『試験受けろよ、文字覚えて。エマと一緒に側近にしてやるぞ』
『ディケセル文字もシャツェランの側近もめんどくさいからヤダ』
『エマと同じことを言う……お前ら、どこまでも無礼だな』
『絶対こき使うじゃん。となれば、ここに移り住もうかなあ。「お風呂」どころか「温泉」入りたい放題。ゼイギャクに頼んだら、仕事くれるかも』
『……許可しない』
『移動の自由を要求する』
そう言えば、彼は目を丸くした後小さく声を立てて笑った。その音で郁の中に後ろめたさが湧き上がった。