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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第24章 遠回り ―ルテゼル―
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24-5.躊躇い

「疲れた……」

 ゼイギャク夫人の興味のまま恋愛話に付き合わされた郁は、彼女の部屋を辞した後、城の片隅にある農園によろよろと足を踏み入れた。

(巨大タンポポ……)

 畑の一角で二メートルほどの丈の草本性の植物が、茎の先についたぽわぽわした白い綿毛を風に揺らしている。日の光に白く光る玉がまるで丸い雲のように青空に映えて、かわいらしい。

 この世界の植物は当然郁にとって馴染みのないものばかりだが、ここは群を抜いている。地熱を利用して、この辺では育たないはずの南方の植物を実験的に育てていると言うから、あれもその一種かもしれない。一体どんな用途の植物なのか、後で誰かに聞いてみることにする。


 農園の端っこの木陰にベンチを見つけた。周りに誰もいないことを確認して、郁は大きく息を吐き出す。

≪誠意のある相手には、誠意をもって応じなさい≫

 祖父母にずっと言い聞かされてきた言葉を思い返しつつ、左腕の腕輪を見つめて、郁は眉根を寄せる。

 付き合っている“ふり”で始まった、今の江間との関係を、ここのところずっと考えてきた。

 昔「宮部は論外」と彼が人と話しているのを聞いて、自分でも納得して、だから江間が郁を異性として見ることはないと思っていた。

 こっちにきて付き合っているふり、婚約者のふりを始めた時も、あくまでこの世界で生きて、向こうの世界に帰るための手段の一つだと納得していた。

 でも、いつからか本当に“ふり”なのか、分からなくなった。彼が自分に向けてくる表情や言葉の端々に接するうちに、本当に好いてくれているのではないか、と感じるようになってしまった。

 最初は、江間は誰かと付き合うことに慣れている、慣れない自分が本当のように勘違いしそうになるだけだ、と思った。

 次は、そう思いたいだけではないのか、と郁自身を疑った。

 どうもそれだけじゃないと思うようになってからは、危険な異世界で一緒に過ごしているが故の錯覚ではないか、と疑った。今もそう思っている。だから、霧の中でお互いの名を呼んでも、神様はきっと聞き届けてくださらないだろうと思うのだ。

 でも、たとえ錯覚であったとしても、江間は彼らしいことに、ひどく真面目に、誠実に郁に接してくれている。大事にしてくれているとも思う。

(嬉しい、んだよね……)

 一緒にいて普通に話し、それどころか笑ってくれること、心配してくれること、誰も呼ぶ人がいなくなった名前を呼んでくれるようになったこと――。

 そう感じてしまうことを、郁はもう認めるしかなくなってきた。だから、「大事にする、努力し続ける」と約束したし、今もそれに後悔はない。

(だけど……)

≪宮部とそういう関係になりたい≫

「……っ」

 大神殿で彼に言われた言葉がまた頭の中で響いて、郁は両腕で自分の体を抱きしめる。

 そういう関係は多分そういうこと、なのだろう。それにもちゃんと向き合うべきなのだろうか? それは「大事にする」の範囲なのか?

 嫌なのかと言われれば、嫌なわけではない……気がする。けれど、嫌と言えるほど知らないだけと言われれば、ぐぅの音も出ない。

「全然わからない……」

 郁は眉を情けなく下げて、庭園のベンチに座り込んだ。目の前の畑で巨大たんぽぽに似たふわふわした球が一斉に風に揺れた。いくつかの綿毛が空へと舞い上がった。白い傘の下についている実と思しき部分が虹色に光る。


 誰かと“そういう関係”を結ぶ――正直、自分には一生縁のないことだと思っていた。「処女は重い」という江間たちの会話を聞いた時ももちろん処女だったし、当然今もそう。

 そういう行為があるのはもちろん知っているけど、毎回毎回ぐちゃぐちゃになっていく人間関係の中で、異性に興味を持つような余裕はなかったし、誰かが郁に興味を持つことなんて、猶更想像できなかった。

 そんな話をできるような人もいない。というかそもそも友達ゼロ。

(待って。よくよく考えたら、初恋すら心当たり、なくない……?)

「……コミュ力ゼロ、見た目も中身も可愛げ皆無、彼氏がいたことどころか、恋愛経験すらなしの完全無欠の喪女、当然経験なし、知識は保健体育と生物学頼み、相談する友達も家族もなし。で、二十四……どう考えても終わってる」

 自分で自分に突っ込んで、郁は呻き声を上げた。

 やっぱり江間は正気じゃない。大体処女は、重たすぎると江間自身言っていた。ただでさえあの妹に付きまとわれている郁は、重いどころの騒ぎではないはずだ。

「……やっぱり無理」

 ――何度考えてもそういう結論になる。

 郁は、ベンチの背もたれに身を預け、深々とため息をつく。

 せめてちゃんとそう伝えなくては、その上で彼が望むなら、“婚約”を解消して別の方法を探さなくては、と思って、今日部屋に話をしに行こうと思ったのだが……どうしよう、逃げたくなっている。

「……」

 郁は左腕の腕輪の上に右手を重ねた。江間の顔が歪むのを見たくない。


『何が無理なんだ?』

「っ」

 突然話しかけられて、郁は文字通り飛び上がった。

『どこから湧くの』

『人を虫みたいに言うな。仕方がないだろ、道なんか歩いてたら、誰か彼かにつかまって目的地に着く前に日が暮れる』

 ベンチの背後の茂みから顔を出したシャツェランに顔を引きつらせれば、彼は口を尖らせつつ勝手に横に腰かけた。

『……なんかムカつく』

『は? ……いきなりなんなんだよ』

 江間もだが彼も想われて追われる側、恋愛強者だ。郁の悩みを聞けば、きっと鼻で笑うに違いない。眉をひそめた郁に、シャツェランも同じ顔をした。


『それよりシャツェラン、一人? 護衛は?』

『ゼイギャクの城だし、大丈夫だろ』

『……自分の身の安全になると、妙に楽観的だよね』

 幼いころずっとそうだったように誰の気配もないからだろうか、当たり前のように横に座るシャツェランに、郁も特に違和感を覚えなかった。

 視界に入る横の頭についた葉っぱを何気なくとれば、郁の手の動きを目で追っていた彼は、小さく笑った。

「……」

 それで江間と初めて出会った時、彼の髪についた桜の花びらを、同じように取ったことを思い出してしまった。コートのポケットに入っていたそれを家で改めて見つけた時、なんとなく捨てられなくて、和紙に挟んでおいた。そして、あの飲み会の後捨てた……。

(――バカみたいだ、本当に重い)

「……」

 郁は表情を消すと、つまんでいた葉をその場で離す。

『他についてないか?』

『……え? あー、後ろ、向いて。うん、いっぱいついてる。……王子さま、しっかりなさってください。こんなお姿を見せたら、年頃の子女を幻滅させてしまいます』

 渋い顔で首を振って嘆いてみせた郁に、シャツェランは『むしろ幻滅されたい……』とげんなりとした顔をする。

『できなくて、結局王子さまぶっちゃうくせに』

 クスクス笑いながら、金の髪やらコーカ生地の上着やらについた葉を取れば、シャツェランも笑いを零した。


『昔夢の中で触った時は、この生地ってもっとざらざらしてる気がしてた』

『そうなのか?』

『手もだけど、自分の頭の中で勝手に感触を作り上げてたのかもね』

『割に温かみは感じなかったの、不思議だよな』

『だね』

 シャツェランが何の気なしに手のひらを向けて来て、郁もごく自然にそこに手を合わせる。

『今はちゃんとあたたかい』

『手の大きさも前とは違うな』

『シャツェランの方が大きくなった。なんかムカつく』

『なんでだよ。当たり前だろ。背が高いんだから』

 昔と違う部分も確かにあるのに、距離の近さも話すテンポも昔と同じで、ますます時がわからなくなっていく。


『そういえば、温泉街を作ろうとゼイギャクに持ち掛けているんだって? 物見、「カンコウ」だったか、がお金を生むという考えは、国が平和で民が豊かじゃなきゃ出てこないな。うらやましい話だ』

『そうだね、生きていくだけで精いっぱいの時は難しいと思う。ここやメゼルディセルなら、うまく行くと思うよ。あと、地域の安定、街道の安全、移動の自由も必要じゃない?』

『サチコもそんな話をしていたが、自由な移動を許した結果、土地から人がいなくなったらどうするんだ?』

『それはそれで仕方がない。人里から山は山に、森は森に戻るんだと思う』

『不毛の地が増えるじゃないか』

『不毛じゃない。自然は自然でちゃんと残しておかないと、人の生活を脅かすことになる――バルドゥーバの砂の鉄の話だけど、江間が言っていた、山を崩すとかいう話、悲惨な結果が待ってると思うよ?』

『どういうことだ?』

 昔そうだったように、横に並び、とりとめもなくお互いの世界の話をしていく。

 お互い成長しているはずなのに、話し方や仕草、表情、間の取り方、相槌を打つタイミング、すべて記憶の中の彼そのもので、ひどく不思議な気がした。


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