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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第24章 遠回り ―ルテゼル―
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24-3.意図

 先ほどまでの顔が嘘のように、シャツェランもジィガードも静止してしまった。視界に入るゼイギャクも、微妙ながら目をみはっているように見える。

 最初に復活したのは、やはりというか江間で、横目に郁を睨みながら、押し殺したような声を発した。

『俺も行く』

 今度は郁が固まった。彼は郁に慣れてきたようだ。だが、逆はまだまだらしい、と逃避気味に考える。

『……却下。奴隷として入るんだ。そんな目立つ顔で「スパイ」とか無理』

『なら、顔に傷でもつければいい。奴隷としては自然だ』

『天への冒とく』

『何言ってるかわからんが、却下』

『…………待て、待ってくれ。お前ら、何言ってんだ……?』

 次に立ち直ったのは、ジィガード・フォレッツだった。作法に則った完璧な所作でシャツェランに応じていた人間とはまったく思えない物言いで、郁たちを呆然と見ている。

『今すぐにとは言ってない。これからメゼルで「米」、コレの植え付けをするから、その後で』

『その間に準備を整えといてくれ』

『私の分だけでいい。江間のはいらない』

『こいつの言うことは聞くな』

『っ、勝手に話を進めんなっ、準備するの、俺なのかよっ!? エマ、お前、稀人だろ? あんな国に連れて行けるか! ミヤベ、お前、いい加減にしろっ、いつか死ぬぞ!』

『――聞いただろう、ジィガードもああ言っている』

『お前がそろそろいい加減にした方がいいってのは、俺も同意する。しかし、ジィガードも稀人稀人ってしつこい男だなー、夢見すぎだろ? 何の意味もないって、これほど言いきかせてやってんのに』

『っ、お前ら……っ!』

『――黙れ』

 会談の間の最奥から、おそろしく低い音が響いてきた。空気がビリリと震えた気がする。

 言論を封じる最悪な言葉だが、「上に立つ者ほど、周囲の意見を聞かなくてはいけないのに」と諭せるような雰囲気では、もちろんない。

『ア、ミヤベ、エマ、今すぐ隣室に来い……っ』

 そのシャツェランと平静な顔で目を合わせたゼイギャクは静かに頷いたが、ジィガードはもちろん、ゼィギャクの側近のケォルジュも、郁たちとそれなりに馴染んでいるはずのアムルゼとシドアードも顔を引きつらせている。

 そんな中肩をすくめて、「あーあ、俺までとばっちり」とため息をついている江間は、やはりいい神経をしていると思う。

『フォレッツ、しばらくゆっくりしていてくれ』

『……承知いたしました。失礼をお詫びいたします』

『必要ない。原因はこいつら、この者たちだ。こちらこそ詫びる』

 一瞬、ジィガードからシャツェランへと、同情の視線が注がれた気がした。



『アヤっ、どういうつもりだ……っ』

 部屋の扉が閉まるなり、恐ろしい形相のシャツェランに、恐ろしい勢いで詰め寄ってこられて、さすがに少し引く。

「っ」

 江間に引っ張られて、物理的にも引いた。

『……エマ、庇う気か』

『俺も色々聞きたいことがあるから、その気はない』

 そう言って、郁を見た江間の目も中々のものだった。

『さっさと説明しろ、アヤ』

『前も話したけど、』

『イェリカ・ローダの馴化を止めるために、稀人、キクタだったか、を手に入れるというのはもう聞いた。そこにお前が行く理由がどこにある!』

 訊くから話し始めたのに遮って怒鳴る――子供の頃もしょっちゅうやられていたことを思い出して、郁はため息をついた。

 ……ら、『今ため息をつける立場では、さすがにないだろ』と江間もため息をついた。


『そっちの言い分は後で聞く。話を戻すよ――菊田、バルドゥーバに渡って、バハルに軟禁されている稀人は、奴隷たちに強く慕われているみたいなんだ。彼女のために死も厭わないような人が相当数いると見ていい』

『……お前、ジィガードと何をどこまで話した?』

『ゼイギャクも一緒に聞いていたことぐらい? 彼らに攫われて監禁されていた時とかに色々』

と言いながら、郁がゼイギャクへと視線を投げれば、彼は頷いた。

『はあ!? 攫われた!? ゼイギャクっ』

『ミヤベが何かしようとしていると思いましたので、意図通りに。したがって、攫われた、監禁されたという意識は私にはございません』

『っ』

 激高するシャツェランに、しれっと言うゼイギャクも実はいい性格をしているのではないか。

『とにかくそこまで人望があるなら、彼女を攫うだけじゃなくて、いっそその拠点ごとダメにできないかと。育成中、馴化中のイェリカ・ローダも一緒に』

『……』

『それなら彼女のところに行く人は、日本語が話せる方がいい。説得する必要がある』

 シャツェランの顔からすっと感情が消えた。眉根を寄せ、目を眇めて、おそらく目まぐるしく計算を巡らせている。


 そう確信してから、郁は先ほどからできるだけ目線を合わせないようにしていた江間へと向き直る。

 やはり怒らせた、と気まずく思うのと同時に、なんで一緒に行くなんて言い出すんだ、という苛立ちもあって、どんな顔をしていいかわからない。

「一緒に行く。行くなと言ってもどうせ聞かないんだろ?」

「江間には無理。目立ち過ぎる」

「言ってるだろ、顔に傷でも何でもつける。俺も同じだ、来るなと言われても聞く気はない」

「……」

 郁は眉根を寄せる。絶対に彼は連れていけない。彼は良くも悪くも目立ち過ぎる。それでも彼が一緒に来ると言い張るのであれば、と口をへの字に曲げた。

「……ダメ元だった?」

 打って変わった口調で、ひどく柔らかく尋ねられて、郁は眉間をきつく寄せた。

「行ければ、とは思っている。けど、危ないのは確かで、賭けだな、とも。それでもしその賭けに失敗したら……」

「ああ。悲しいとか言うレベルじゃない。後を…………、気が狂う」

 静かに真顔で言われて、郁は肩を落とした。

 彼がこんな風だからだ。この世界に来た頃であれば、簡単に乗っていたはずの賭けに、今はもう出られなくなっている。


(どうしよう、江間やリカルィデを悲しませてまで、もしくは、より危険が高くなるだろう彼を連れてまで、行くべきじゃない……)

 そうわかってはいる。でも、イェリカ・ローダの馴化は着々と進んでいる。それに伴って人々は死んでいく。馴化が完全に成功して、イェリカ・ローダの軍隊でも作られれば、さらに人が死ぬ。

 郁は惑いの森の夕刻に見たあのカマキリ型の化け物を思い出して、唇を噛みしめる。

 あんなのがたくさん、人に、メゼルディセルに押し寄せてきたら? 難民キャンプやギャプフ村の気のいい人々、雑貨店のヒュリェルたちやオルゲィ一家、ベゴフォら鉄師たち、メゼルで知り合ったタグィロをはじめとする内務処官や石鹸で揉めた後仲良くしてくれるようになったラッカたち防病師、食料司のセゼンジュたち、訓練に付き合い、危ない時には守ってくれるシドアードなどのグルドザ──たくさんの人が傷つく。それは嫌だ。


 菊田だって疲弊していっているだろう。彼女のことを好きだとは、正直欠片も思えないけれど、神殿で佐野と話すうちに郁の方にも問題があったと思うようになった。

 対処する方法がなかったのであれば仕方がない。だが、あったのに大した問題はないと、悪意を放置した。何もかも面倒で、自分のこともだが、相手のこともどうでもよかった。そのせいで彼女たちの負の部分を育ててしまったとすれば、郁にも責任があるのではないか。

 あれは三年時の分子遺伝学の集中講義だった。担当の教官は、その分野の若手研究者として有名な人で、最新知識として英語論文を主な教材にし、評価方法は試験のみ、容赦ゼロ、必修なのに脱落率五十%を越えるのでは、という恐ろしいものだった。

 その頃には郁に話しかけてくる人はほぼいなくなっていて、時折江間が嫌味や皮肉を投げに来るぐらいだったのに、久々に話しかけてきた人がいて、それが菊田だった。

 綺麗な人だと思った。丁寧にされた化粧は、彼女のはっきりとした目鼻立ちを品よく引き立てるもので、服飾雑誌のモデルだと言われても驚かないほどにおしゃれでもあった。

 明らかに郁とは系統の違う彼女が授業後に寄ってきて、顔を真っ赤にして、院に今年から転入してきたこと、分子遺伝学の授業がさっぱり理解できないことを恥ずかしそうに話し、馬鹿にされそうで他の人には頼めない、申し訳ないけど助けてもらえないか、と言ってきた。

≪ありがとう、ぜんっぜん解らなかったのに、宮部さんのおかげで理解できた!≫

 貸したノートを返しに来た時、菊田はお気に入りのお店の焼き菓子をわざわざ添えてくれた。それが大きな箱に入った立派なもので、思わず笑ってしまって、それから悲しくなった。

 せっかくだから一緒に食べませんかと誘いたかったのに、それが妹に伝われば、彼女にも迷惑をかける、と喉元まで出てきた言葉を飲み込んだことを思い出す。

 佐野がそうであったように、多分彼女もそう悪い人じゃない。事実ジィガードの仲間たちもギャプフ村にまで来た子供も彼女をひどく慕っている。


 黙り込んだ郁を江間はじっと見、長々と息を吐き出した。

『……まあ、賭けじゃなくなればいいわけだ。ですよね、殿下?』

『ですよね? じゃない、馴れ馴れしい。それに、そいつをそれ以上甘やかすな』

 江間の問いかけに、シャツェランが渋面を見せた。

『エマは論外だし、お前ももちろん行かせるわけにはいかない。だが、悪い考えじゃない。エマの言う通り策を練ることとする――フォレッツも含めて』

 シャツェランは『そのためにあんな言い出し方をしたんだろ』と郁を睨み、江間が苦笑した。

『まあ、ジィガードの人となりを知ってもらうのに手っ取り早いかな、とは』

 郁が『バハルに行く』と言った時、ジィガードは怒りながら、彼的にただのディケセル人のはずの郁の心配をした。郁が彼は王に向かないと思う理由でもある。でも、そういう人が上に立つ方が、下の人はきっと幸せだとも思う。

 シャツェランが『お前はいつも好きにふるまう』と、大きくため息をついた。


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