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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第23章 レジスタンス ―リバル村―
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23-12.故郷(シャツェラン)

(……メゼルディセルに比べるとやはり寒いな)

 五百年ほどの歴史を持つセル城。生まれ育った場所の回廊の中途で立ち止まり、シャツェランは頭上を見上げた。吐息が白く濁る。

 城は濃灰色の石でできた古い建築様式で、採光窓の数は少ない。そこにはまっているガラスも分厚くて濁っていて、そのせいだろう、高い天井は薄暗く、イェリカ・ローダが湧き出てきそうな気配すらあった。

(空気も淀んでいる……)

 幼い頃はここまで陰気じゃなかった。

 有能とは言い難かった父が死に、その跡をさらに無能で、優柔不断な兄が継いだ。彼はゼイギャクなどの諫めを無視し、腰巾着に勧められるまま、バルドゥーバ国の国教である双月教に改宗する。そして、総主教の娘を娶り、次から次へとバルドゥーバ人をディケセルに引き入れていった。

 兄はすぐに彼らの傀儡と化した。愚かさ故というより無気力さ故に、自ら望んでそうなったようにしかシャツェランには思えない。

 ボロボロになっていくディケセル国を、それでも支えようとしていた者たちが去り始めた頃からだ、この城の空気がどうにも息苦しいものになったのは。

(いっそ「ジシン」が来て壊れたら、もう少しマシな場所になるかもしれない)

 サチコやリカルィデを閉じ込め、生きながらに殺していった場所、善良な民に害悪をもたらす拠点となりつつある場所だ。

 昔城住まいを自慢したシャツェランに、『大きかろうが古かろうが装飾されてようが、結局石を積んだだけってことでしょ? 「ジシン」が来たらすぐ壊れそう』と言っていた郁を思い出したら、少しだけ笑えた。

 あの時は真剣にムカついたし、大地が揺れる状況というのは正直まったく理解できないけれど、この城、いや国への誇りが消えた今は痛快に感じる。

(まあ、「ジシン」などなくても、近い将来に私が壊すが)

 再び歩き始めたシャツェランの背後から声がかかった。

『シャツェラン殿下、再びお目にかかれて光栄でございます』

『……』

 振り返れば、馴染みのない一団が集団でやってきた。シャツェランがこの城を去ってから爵位を得た、つまりバルドゥーバ派の連中だ。

 再三の面会要求をのらりくらりとかわしてきたのだが、痺れを切らして押しかけて来たというところだろう。共にいるシドアードがため息を吐き出し、アムルゼがその横で苦笑を零す。

『こうしてお会いできたのはタジボーグ神の思し召しに違いありません。いかがでございましょう、我々と共に午後の茶など――』

『ディケセル国王陛下――兄上と約束している。日頃離れておるゆえ、話が尽きぬ』

(背後に引き連れた女のいずれかを押し付ける腹積もりの癖に何が茶だ。人を誘おうというのに、自らの信奉する神を持ち出すあたりといい、頭が悪すぎる)

 鼻で笑いそうになるのを抑え、シャツェランは微笑んだ。

 この程度の人間がここでのさばっていることこそがディケセルの終わりが近い証拠だ。

『では、その後……夜にでも』

 バルドゥーバ人らしい、色味の強い肌と尖り耳を持つ、筋肉質な男が意味深な目を向けてくる。

 眉がピクリと動いたが、瞬時に押しとどめた。察しの良いアムルゼはそんなシャツェランの内心に気付いたのだろう。

『大変申し訳ございませんが、滞在中のシャツェラン殿下の予定は基本すべて埋まっております。ご要望の際は事前に私にご連絡いただきますよう』

 彼が慇懃に謝罪の礼をとる間に、シャツェランはとっとと歩き出した。

 

『大人気ですね、羨ましい』

『思ってもいないことを言うな』

 シドアードの揶揄を切って捨てれば、彼は笑い声を漏らした。

『最近男も声をかけてくるようになったのは、やっぱエマのせいですかねえ』

『……』

 盛大に顔を歪めれば、シドアードのみならずもう二人いる護衛の近衛騎士ベルゲーザとギフォンまでもが忍び笑いを漏らした。


 シャツェランがセルの城に来た目的は、一つに新年の挨拶という名目のディケセル国王の機嫌伺い、二つに情報収集。そして、三つめは、シャツェラン以外誰も知らないディケセル国の宝物を破壊すること。

 三つ目を遂行するタイミングを計っているのだが、大神殿に引き続き、ここでも話題は自らの婚姻で、中々隙が見出せない。

 先ほどのように、バルドゥーバ派からはバルドゥーバ女王その人のほか、派内や向こうの高位貴族の娘をしつこく勧められ、セルの陽位の貴族に降嫁した叔母を始めとする、ディケセル貴族たちからは、『これ以上バルドゥーバ派に大きな顔をさせないために』とせっつかれる。

 アムルゼやシドアード、近衛たちも(微妙に面白がりつつも)同情はしてくれるが、基本は早く身を固めるべきと思っているらしく、愚痴ったところで『大変なのは理解するが、仕方がない』というスタンスだ。

 心底同情してくれる上に、巻き込んでもぶつぶつ言うぐらいで結局付き合ってくれ、面倒な場面では助け舟を出してくれる江間の存在がいかにありがたいかを、シャツェランは今切実に実感している。

 もっともそんなこんなで、江間としょっちゅう連れ立っていたせいだろう、王弟は同性愛者だという噂が、セルにまで届いているらしく、今回の滞在では女性のみならず、男性の絡みも増えてしまっている。


 情報収集や機嫌取りもだが、連日開かれる夜会だの茶会だのに出るくらいなら、兄王と話している方がましだ。

(あほうなだけで害はないからな)

 城の中央、一番高所にある彼の部屋に通されたシャツェランは、窓から下界を見下ろす。

 素晴らしい眺望だ。北に位置する山脈も南に広がるセルの街並みや田畑もその彼方に見えるウォルカ火山もすべてが見渡せる。

 初めてメゼル城のシャツェランの執務室に入った江間が、『権力者は上に部屋を構えるものだと思っていた』と言っていたのを思い出して、苦笑を零した。

『馬鹿と煙は高いところが好きって言うよ、日本では』

 幼い郁が言っていた言葉が気になってのことだったが、ここにこうして立つと、それで正しかった気がなおさらしてくる。こんな高所にいては、見えるものも見えないだろう。


 年季が入って黒みを帯びた執務机の上に山と置かれた書類を見て、『お邪魔でしたか?』と声をかければ、兄王は『かまわないよ』と同じ机の上にあった鈴を鳴らした。

 すぐにやってきた侍従に『それをカッゼェニーの元に』と現王妃の名を告げる。

『仕事熱心でね、とても助けられているんだ』

『……機密文書もあるのでは』

『心配ないよ。それよりシャツェラン、この絵をどう思う?』

 バルドゥーバ女王の妹に国王の代理でサインさせて、それを諫められても全く響かない――この人はいつもこうだ。

『少女の瞳も頬も実に生き生きとしていて、今にも話し出しそうです。兄上のお手によるものですね』

『やはりシャツェランにはばれてしまうね』

 照れたように微笑む兄にシャツェランが抱く印象は、『影が薄い』と言うものだ。彼は頭脳も力も才能も何もかも不足があるが、何より気力が決定的に欠けている。

 二人が前にしている大きな人物画は、本職の作家の手によるものだと言われても納得できるレベルのものだ。事実彼は様々な絵画技法を新たに生み出していて、画家としてかなりの評価を得ているという。

(ただの貴族として生まれ、この才を活かせていれば、きっと自身も民も幸せだっただろうに)

 もう何度思ったかわからない。

『この少女はどなたですか?』

『フィダホト家の次女だ。美しい娘だろう? 名は……なんと言ったかな?』

 フィダホト家、シャツェランがセルを出た後にできた、つまりバルドゥーバの肝煎りで設立された家の一つだ。相変わらずだな、と思いながら、絵の中の少女を見つめた。

 自分の実の“娘”であるリカルィデの方がこの絵の少女よりはるかに美しいことを、この男は一生知らないまま生きていくのかと思うと、滑稽を通り越して哀れになった。


 すべての負の感情に蓋をし、シャツェランは兄と親密に“兄弟”の会話をしていく。兄から要望があれば、できるだけ叶えることで二人の間には信頼があるのだと、兄自身とその周囲に思わせる。

 そうしてメゼルディセル領主シャツェランは、表向きディケセル王の忠臣としての体裁を保ち、バルドゥーバ派をかわしてきた。だが、それもそろそろ不要になるだろう。


『陛下、シャツェラン殿下からの贈り物でございます……おお、これはこれは、殿下ご本人がこちらにおいでだったとは』

 兄弟の会話に割り込んできて、わざとらしく驚いて見せているのは、王妃の輿入れに伴ってバルドゥーバからやって来た男、バンケゥジュだ。

 元は王妃の母、つまりバルドゥーバ女王の母に仕えていたそうで、こちらで宮宰の地位についた。おかげでディケセルの内情は向こうに筒抜けだ。

 すらすらと口の動く男はシャツェランの持ち込んだ、メゼルの芸術家による玻璃の花瓶を口実に、この部屋に居座ることにしたらしい。

 目的はいつものごとく密談の防止と、バルドゥーバ女王との婚姻の話だ。

『英明と名高いシャツェランさまのことですから、お目にかなう女性はそうおられないかと。その点王妃殿下の姉上であらせられるバルドゥーバのウフェルさまであれば』

 未だ独身の女王とディケセル王弟の婚姻は地位だけを考えれば、なにも不思議ではない。問題は目障りなシャツェランをその領地ごとバルドゥーバに供して、実質ディケセル全体をバルドゥーバの支配下に置く、という余りに明け透けな意図を、バルドゥーバ側がまったく隠すつもりがないということだろう。それこそがバルドゥーバとディケセルの力関係を表しているというのに、兄はまったく気にかけていない。

『だが、シャツェランとは年齢が違い過ぎないかい? 確か九つだったかな?』

『シャツェランさまほどの方であれば、年下であっても何ら引けを取ることはございません』

(この私があの内も外も醜い女になぜ引け目を感じねばならないのか、さっぱりわからない)

 覚えた皮肉をおくびにも出さず、シャツェランは微笑を顔に貼りつける。

『かの国の女王陛下は、片翼をめでたくお見つけになったと伺ったが? しかも稀人であると。近々喜びの祭典の知らせが来るのでは、と楽しみにしている』

 その一瞬、宮宰の顔が歪んだのを、シャツェランは見逃さなかった。


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